第6話 遠征⑶ 魔の森

 サンドシャークの襲撃の日には砂の海を渡りきり、翌日は荷馬車へ輸送手段を切り替え、その日のうちに目的の城塞都市アッシャールについていた。

 そのアッシャール近郊にアルフィー達の初任務地となる森林が存在する。

 ロザリオ王国群諸国に沿うように南に位置しており、深く立ち入ったものは帰って来れない魔の森と言われている。

 魔物も多く存在し、比較的安全な平原を避け、わざわざこの森を抜けるものは無きに等しい。

 鬱蒼と茂ってるせいで光が届かない。そのため奥深くまで見通すことは困難であり、様々な噂が憶測され、神秘に満ち謎多き地とされている。

 暫し近隣諸国では子供達が森へ入らないように、ベッドサイドストーリーの題材として選ばれ、王国群の中にこの森自体を崇拝の対象としている国もあるほどだ。


 そうしてアルフィー達は今、その森林と平原の境目に隊列を組み、立っている。

 一個小隊、総勢三十人ほどが集められていた。

「よく来てくれた!魔導兵士見習いの諸君!歓迎しよう!この隊を受け持つゾーイ・ブルムバーグだ!」

 そう言うのは残党兵討伐の指揮を任される、ゾーイ・ブルムバーグ兵士長だ。

 兵士長として一個小隊を預かってまだ間もないが、活力に満ち覇気を宿した目を持つ。

 どんな任務も自分が請け負ったからには完璧にこなしたいと意気込んでおり、隊員もその気運を受け士気は高い。

「これから三つに部隊を分けて行動してもらう!まず十五人からなる部隊にて、索敵陣形を展開し敵を見つけ次第駆逐してもらう!そしてその後に十人程の部隊を先遣隊の討ち損じ処理のために送り込む!ここへ魔導兵見習いの諸君に加わってもらおう!」

 アルフィー達を含む魔導兵見習いたちの顔が強ばる。

 兵士長は続ける。

「残りは緊急事態の際に都市への伝令及び、後発部隊の網を尚通り抜けた残党を森の外にて処理する部隊だ!」

 ここで見習い達がみな緊張の面持ちを浮かべてるのを見て兵士長は言う。

「なーに、敵はせいぜい魔術も使えぬような雑兵だ。君達のような魔術を修めた兵にとっては赤子の手をひねるようなものさ!それに先輩達が一人残さず駆逐してくれる!名目上は捕虜も捕えることとなっているがな!」

 どっと先輩の兵の中から笑い声が漏れる。釣られて見習いも緊張がほぐれたようで笑みを浮かべる者もいた。

「森に入る隊はジェミニコフ兵士長補佐に指揮させる!やつらに我らへ楯突いたことを死ぬ程後悔させよ!」

「「はっ!!」」

 兵士長の演説が終了すると出撃準備にみな取り掛かった。

 第一部隊は探索系魔術に秀でたものとそれを補佐する者、敵への追撃に専念するものと三人ずつ五班に分けられ、放射状に展開する形で出撃した。


 第一部隊が森に入ってからしばらくしてアルフィー達の部隊も出発した。

 この部隊は、索敵魔術を行うものを先頭に置き、指揮官の兵士長補佐と見習い兵が中央に位置する魚鱗の陣形に似た隊列を組み、森を切り進んでいく。

 索敵は五感を魔術で高めて先遣隊の討ち損じを発見する者を一番前に行かせ、その後ろに魔領域を覗き込み、魔力の変動や先遣隊の討った敵兵の残留思念を探知・発見する者、そして攻撃担当の者三名が後に続き、そのまた数メートル後にアルフィー達がついて行く。


「それにしても暗いんね」

 ルーシーが小声でユーマとアルフィーに話し掛けてくる。

「確かに森の中がこんなに暗いなんて思いもしなかったな」

 アルフィーも森という場所に立入るのは初めての体験だったのでルーシーの話題に乗っかる。

「魔物の発生要件を十分満たしてるから、魔物への警戒も必要だね」

「3つの『ふ』。不明瞭、不可思議、負の連想だっけ」

「うん……、暗闇で物陰が動いた。人の悲鳴のようなものが聞こえた。人が迷い込み消息不明になる。そういった出来事が独り歩きして、噂話が伝承へと変わり、人々が共通のモノを思い浮かべた頃、ソレは魔領域に形を持ち始める。そうして、思念の霧が濃くなるとき、ソレは現実世界に顕現する」

「人の想いが重なるところ、魔が産声を上げる……ね。講義でやったなー。まさかここでおさらいするとは思ってもなかったわ」

 ルーシーは苦虫を潰したような表情を浮かべ舌を突き出す。

 それを見てふふっとアルフィーは笑みをこぼす。

「ほんと。あの頃、初めて魔物がどうやって生まれるか知って、目から鱗がボロボロ落ちたで。あんなん普通知らんわ。どうやって見つけたんや、ってね」

「俺も普通の獣が負の思念体の依代になったのが、魔獣だって聞いた時は寒気がしたよ」

「わかるわー……。ペットなんて飼えんくなってまうわー」

 アルフィーとルーシーが雑談に花咲かせるそんな傍らで、ユーマは任務中に無駄話をする神経を疑うかのような形相で睨みつけてきて、ルーシーはたじろいだ。

 そして「ちぇっ」と残念そうな声を漏らし、頬を膨らませながら口を閉ざす。

 アルフィーは思索に耽けてしまっていて気づいていないが。


「堂々と話してくれても構わんよ」

 突然前の方から声が割って入ってきた。

 金属製の棒を杖のように地面に突きながら彼らの前を歩いてる兵士長補佐のアーノルド・ジェミニコフだ。

「いえ!そんな……!」

「ですが……」

 手を振りながら慌てふためくルーシーと困惑するユーマに微笑みながら続ける。

「我が隊は優秀だからね。もしかしたら君たちの出番は無いかもしれない。ピクニック気分とは行かないまでも気楽にしていいよ」

 納得の言ってないユーマを見て、念押しに続ける。

「それに気を張りすぎて神経をすり減らすのもよくない。話ぐらい構わないさ。……森について話してたようだが?」

 彼は気さくにいう。

 ジェミニコフは兵士長と比べると、そこはかとなく砕けた印象を与える。

 そんな彼の雰囲気がルーシーの警戒を解いて、ユーマに閉じられた口の閂を開けさせた。

「はい。ジメジメと暗くて陰鬱な場所だなと思いまして。それに寒いですし」

 ジェミニコフはルーシーの無遠慮な態度への変貌に目を丸くしつつも、朗らかに笑いながら答えた。

「あっはっはっ。そうか。君はこういう所は嫌いか。私は好きだよ。何より神秘的じゃないか」

「神秘的ですか」

 ルーシーは首を傾げる。

「そう神秘的……。人の手が入らぬ未開の地。謎のベールに包まれ、様々な憶測が飛び交い人々を魅了する。ロマンだねぇ」

「はあ」

 ルーシーはちっとも分かんないと言うように肩を竦める。

 途中から話を聞いていたアルフィーはうんうん頷いている。

「探究のしがいがあるというものだよ。魔物だってどんなのが生息し、生み出されてるか不明だしね」

 だんだんと興味を失いつつあるルーシーとは対照的に、アルフィーが話題に食いつく。

「確か公に生息が確認されてる魔物は、スライム、ゴブリン、マタンゴ、まれにトロールが確認されるとか」

 ジェミニコフの目がキラリと光る。

「ほう。良く調べてるね。感心したよ」

「はっ。お褒めに預かり光栄です」

 アルフィーは褒められたことに気恥ずかしく思いがらも軽く頭を下げた。

「君とはどうやらウマがあいそうだ」

 ジェミニコフはアルフィーの方を見ながらニヤリと微笑む。

 アルフィーは恥ずかしく、目が合わないように真っ直ぐ前を見つめている。

 そしてふたたび前を向きジェミニコフは続けた。

「まぁそれより強大な魔物に遭遇したら生きて帰る確率が低くなるからね。殺られて情報を持ち帰れなかったということもある」

 それを聞いていた見習い達の背筋に冷たいものが滲む。

「ということは、今回の任務では運が悪ければ、敵兵残党の他にも強力な魔物を相手することもあるってことでしょうか。最悪ワーグやトロールなど……」

 任務の危険性について再確認しようとユーマが疑問を投げかける。

「君たちに限っては大丈夫だよ。優秀な私の部下が先頭を切っているからね。危険な魔物は駆除するよう指示も出してあるから問題ない。それに我々の追う残党が、それら魔物に対するほどの戦力や統率力があるとは思えない」

「そうですか……」

 ユーマは訝しげに返事をする。

「初めての任務だし、君たちが不安に思うのも無理はないさ。だが必要以上に気負わなくてもいいよ」

 そうは言うが──多少ほぐれたとしても──緊張を解く者はいなかった。話に興味をなくし、途中から聞き流していた一人を除いてだが。

 一行には木々の隙間から覗く暗闇がより深まって、意志を持って自分達を誘ってるように思えた。


 しばらく森を行くと、チラホラと魔物の死体が転がってる場面に遭遇した。

 襲いかかったが返り討ちにあった、黒焦げだったり凍りついて砕け散ったゴブリン、木の枝ごと氷漬けにされたスライム。

 それだけなら何も問題なかった。

 しかし、その中には予期せぬモノの骸が転がっていたのだ。

 前を警戒して数メートル先を歩いていた部下達が足を止めたのを見て、ジェミニコフは走って駆け寄ってそれを目にした。

「ワーグだと……」

 強力な魔物の名前を聞き、後方の見習兵達の間に緊張が走り、体を強ばらせた。


 ワーグ。それは漆黒の毛皮に赤い瞳、1.5~2m程の体躯を持つ狼に似た魔獣である。

 非常に獰猛で、生あるモノの存在を憎み、人間は見つけ次第食い殺す、とても危険な魔獣だ。

 今回の任務においてワーグの存在は想定されていたので、この骸自体は想定の範囲内だ。ジェミニコフが感じた異変の正体は別のところにある。

「なぜ敵兵の死体が一向に現れない」

 索敵を担当していた部下に目をやるが、首を横に振っている。

 この魔獣の出現は任務の完了を意味する。

 つまりこの魔獣よりも戦力の劣る敵兵は、この先に立ち入るのは自殺行為であり、追わなくても勝手に朽ちてくれるはずなのだ。

 したがって部下には敵を掃討しながら進み、敵戦力より強力な魔物の存在を目にしたら速やかに撤退するよう指示を出していた。

 しかし実際は、こうして目の前にワーグの骸が転がっており、先を行く部下達は戻って来る様子がない。

 あまりにも奇妙な状況に、長年戦場で培われてきたジェミニコフの直感が警笛を打ち鳴らしている。

「敵兵と先遣隊の反応はあるか?」

「遠くの方で魔物との交戦と見られる音は聞こえましたが、敵兵との交戦と見られる音は聞こえませんでした」

「同じく魔術の発動は感じ取れましたが、敵兵の残留思念は確認出来ていません」

 索敵担当者達が報告をする。

「なぜ敵兵が現れず、先遣隊はワーグを確認しても、撤退も、完了の合図も出さなかったんだ」

 索敵担当の兵士が進言する。

「恐らくワーグと先遣隊が遭遇した際に、その隙をついて敵兵が奥へと逃げていったのを目撃したのではないでしょうか。我々の警戒網を抜けて森の外に抜けるのは不可能ですから」

「それなら見逃しても勝手に死ぬから追う必要がない。追わざるを得ない理由があったはずだ」

 答えが見つからず唸っている中、後ろから声がした。

「失礼します。敵兵が何らかの保護、祝福などによって魔物に襲われなかったなどの可能性はないでしょうか」

 声の主はアルフィーである。

「馬鹿な。奴らの信仰する神は豊穣神。魔を斥ける性質も乏しく、国民全体の信仰レベルも低い。奴らにワーグを退けるほどの祝福を授けるものはいないはずだ。ありえない。それこそ……」

 ジェミニコフは見習いの進言に否定しながら思考の中で可能性の糸を手繰り寄せるうちに、ある考えに至ってしまう。

「いやまさか……、それこそまさに有り得ない。第一、前線の我が軍がやられたのなら報告に上がるはずだ。魔の森を抜ける形で迂回してきたという事か……。だとするとおびき寄せられた……ということなのか……」

 周りの部下達は、独り言を始めたジェミニコフの様子を固唾を呑んで見守り、次の言葉を待っている。

 そして意を決したようにジェミニコフは部下たちを向く。

「これから今掃討任務を偵察任務へと移行する!通信兵!」

「はっ!」

 アルフィー達やジェミニコフと共に後衛に居た1人が返答する。

「ブルームバーグ兵士長と連絡は取れるか?」


 念話は連絡を取りたい相手と縁を結び意識を同調し意志を伝える魔術である。

 通信兵同士には割り石と呼ぶ、元は一つだった石を割って2つにしたものをそれぞれ持たせ、それを魔術触媒として用い縁をつないで連絡を取らせている。


「はい!あちらとの通信はいつでも取れるように繋がりを維持しております!」

「よし!兵士長殿には第三勢力の存在の可能性出現につき、私と部下2名の計三名は偵察任務へと移行し、他は撤退させる旨、経緯と共に伝えよ!」

「はっ!」

 そのとき突然声が上がる。

「待ってください!自分も戦います!」

 声の主はユーマだった。彼の正義感がジェミニコフ達三人を残して撤退という指示に従えなかった。

「だめだ!」

 ジェミニコフはユーマの、見習いの志願を一蹴する。

「まだ第三勢力がいると決まったわけじゃありませんし、敵の数が不明であれば、より大勢で動いた方が、待ち伏せされていた際に逃げ切れる可能性が高いかと思われます!」

 ルーシーの制止を振り切りユーマが前へ出て異議を唱えるが、それを御すようにアルフィーが首を振りながら話す。

「違うんだ、ユーマ。敵勢力が不明だからこそ少数である必要があるんだ」

 同意するようにジェミニコフは頷きその先を次ぐ。

「その通りだ。先程も言った通り本作戦は既に偵察任務へと移行した。つまり交戦が目的ではない。敵戦力が不明な以上あくまで情報収集に重きを置かなければならない。つまり最小人数による隠密行動が必要となるのだよ。」

「ですが……」

 ユーマの頭で分かっても感情がついて行かない様子をみてジェミニコフは続けた。

「それに君達新兵を早々に失う訳には行かないからな」

 そう言いながら苦笑を浮かべる顔には、どこか覚悟の色が見えた気がした。

「これは命令だ」

 ジェミニコフの覚悟を感じ取ったたじろぐユーマに、更にトドメを刺すように語気を強めて言葉を発した。

「了解しました……」

 ユーマは観念したようにしぶしぶと了解の意を示した。

 ジェミニコフはその様子を見届けると号令をかける。

「探知担当と通信担当の者を残し、他は出発地点への帰還を命ず!各自行動を開始せよ!」

「「はっ!」」

 それぞれが行動を始める中、立ち尽くしているユーマの肩をアルフィーがポンと叩く。

 ユーマは意を決してグッと顔を上げ敬礼をした。

「ご無事で!」

 ジェミニコフは振り返らず、手振りで応え闇の中へと消えていった。

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