第3話「雨上がり」

「あら、いたの?」


 ポタ……。

 ポタン……。


 あれ程降りしきっていた雨は止み。

 周囲を彩るのは、天幕の端から雫が垂れる静かな音のみ。


 すでに闇夜の静寂へと切り替わっていた。


 そこに振り落ちてきたのは、鈴を転がすような綺麗な声。

 天幕の入り口から、その人はゆっくりとしなを作り、気だるげな雰囲気をまとって出て来た。


 闇夜にも映える金髪。……薄い夜着を押し上げる豊かな胸部と綺麗な臀部。腰はくびれ……完璧な女性像そのもの。


 容姿は美しく……十代後半に見える。

 しかし、歳は彼女の場合関係ないのだろう。




 なぜなら長命と名高いエルフの特徴である長い笹耳をした───そうだ、彼女はエルフ……追憶の中の彼女だ。




 そして……──。


 ……。


 「ソレ・・」は、クラムが激情に身を焦がしている間に終わっていたらしい。

 行為に夢中で外の様子など気にもしていなかったらしい彼女は、天幕を出て初めてクラムの姿を目に留めたようだ。


 いや、気にしていないはずもない。だってそれはいつものこと。彼女はクラムがここにいると知っていながら男と体を重ね、情事を貪っていたのだから。


「──いる、さ。俺の任務だから、な」

ひどい声……」


 ジトっとした眼は、まるでゴミを見る目だ。

 どうやら風邪をひいたらしいクラムの声に心配する気配も見せず、薄着のそれを恥ずかしげもなくさらしたまま颯爽さっそうと歩き始めた。

 シルクの夜着はけており、彼女の綺麗な胸部の先端に乳首すら浮かび上がって見えた。



 抜群のプロポーションが……クラムの劣情をもよおさせる。



 だが、

 俺はそんな感情を抱いてはいけない。

 いだくわけにはいかない……だから、一言だけ注意しよう。





義母さん・・・・……他の兵もいるんだ。……上くらい羽織はおってくれよ」





 ピタリと足を止める義母さん・・・・

 ツイっと視線を俺に向けると────。


「義母さんなんて呼ばないで頂戴。……ゴミ屑の息子を持ったことはないわ」

 そして、文字通りゴミを見る目で「ゴミ」を見た。

 あの義母さんシャラが……だ。


 キッと睨み付けると、ツカツカと歩みより────ペッと唾を掛けられる。

 その際に、彼女のまとう空気がフワリと押し寄せた。

 思い出の中でならあの家庭的な匂いをさせていた彼女の香り……。


 だけど、今この瞬間の彼女の香りには心底、胸がむかついた──。

 顔に掛かった唾液だえきの生暖かさよりも……その匂い。


 懐かしく、甘く……優しい───義母さんシャラの匂いの中に────男女の行為のそれが混じったえた臭いがしたからだ。



 本気で吐き戻しそうになる。



 だけど、間違いなくシャラの香りもそこにある。彼女がいる。

 そのことがたまらなくなり、つい────。



「か──」

 ……ッッッ!



 義母さん──ッ!

 思わず手を伸ばし、彼女を抱き留めたくなった────。


 アイツと、

 勇者と、


 ____と──!!



 あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……!



 しかし、伸ばしかけた腕が止まる。


 背後に、

「よぅ……。シャラぁぁああ───忘れもんだぜ」 


 ニヤニヤと笑う胸糞の悪い声をしたアイツ。

 半裸で筋肉の浮き出た上半身をさらしながら──義母さんと同じ、酸えた臭いをさせている男。


「あーらやだぁ、テンガぁぁ」

 その声を聞いた途端、突然猫なで声に替わり……顔つきも完全に女のソレになる。クラムの前とは大違い。百面相もいい所だ。

 もはや俺のことなど目に入らぬとばかり。


 これ見よがしに足を絡ませると、テンガこと、あの野郎……──勇者テンガに撓垂しなだれかかるシャラ。


 そして、長く長くキスをするんだ。……俺の目の前で。


「るぅ、ぷはぁ……♡」

 ちゅぽん♡ と音を立て絡まった舌の間に白い糸を引く。

「ははっ、なんだよ? いきなりだな?」

「だって、寂しかったんですものー」

「おいおい、さっきまでずっと一緒だっただろ」

「そーだけどー……明日は別のを呼ぶんでしょー?」

「そりゃぁな。公平、公平。お……いっそ一緒にやるか?」

「えーーー……。うーん……考えとく」


 クソ野郎め…………ゲロが出そうだ。

 

「で、何? 忘れ物?」

「これこれ……」


 ヒラヒラと勇者が振るのは、布キレ……って、おいおい。


「うふふ……プレゼントよー。他のにばっかり気を取られちゃ困るもの」

「ははは……早々、お前を手放すものか……──なぁ、そうだろ?」


 テンガの野郎が、クラムに向かって、ニチャぁ……と醜悪な顔で笑いかけくる。

 目の前の女性がクラムの義母であると知っていて、だ。


(ふざけた野郎だ……!)

 ──だが、これでも世界最強の勇者だとさ。

 対魔王軍の切り札で、人類の希望……! ハッ!! うさんクセェ。


 確かに、顔は整っているし、体格も筋肉質で中背。

 東洋人系の顔付きだが、美男子の部類だろう。


 初めて会った頃からさほど成長しているようには見えないので、年齢は定かではないが……多分、俺より年下だと思う。


「ちょっとぉ……こんな・・・のに声かけないでよ」

 あーやだやだ。と、義母さん──シャラは、顔をそむける。


「おいおい、こんなの呼ばわりは酷いだろう? 義理の息子じゃないか……ははは」

「知らないわよ……。──犯罪者の息子なんていないわ」

 本気で嫌がるシャラ。

「おー怖ッ。女は恐いねー」

「そーよー、女は恐いわよー♡」

 そう言って再び勇者の口を塞ぐシャラ。

 わざわざ目の前で……。


 ゆっくりと舌を絡めて、ねっとりとした醜悪なキス。


 低い気温のなか、二人の息が上気し白く立ち昇る。


「チュプ……んふッ」

「れろ……んんー……」


 ピチャピチャと立てられる水音。

 二人してそっと目を閉じ、淫らな世界を作る……が、勇者が片目を開けて俺をチラリと見た。


 ……その顔!

 どやぁ。───と、言っているのだろう。


 ……。




 ブチッ……──!




 多分、切れていたっぽい。


 何も考えずに、槍を手に……命すら顧みずに、勇者クソ野郎の横っ面を──ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!──テンガァァぁぁあああ゛あ゛あ゛!!




 ッッ!!




「おいおいおいおい……。なんの真似だぁ?」


 あ゛?

 た、確かに……。

 貫いた……──はず。


「懲りないやつだな? 雑魚と勇者でどれだけ力に差があると思ってる?」


(ば、バケモノめ……!)


 勇者は体勢を変えずに、シャラを抱き留めたまま微動びどうだにしないで……二本の指で槍の穂先をつまんでいた。


「ちょ……ちょっと!」

 それを見て怒り狂っているのはシャラだった。


「ふざけるんじゃないわよ! あんた寝所番でしょ!」

 パァン! と思いっきり頬を叩かれる、が……驚きが強く、もはや痛みすら感じない。


「シャぁぁぁラ……めとけ。お前の手が汚れるだけだぜ? ッと、ほらよぉ!」 


「ゴフッ……!」

 ゴスッ!──……衝撃を感じたときには、喉が焼けるような痛みを伴う。

 さらにゴキン! ガン! と、1撃……! 2撃……! と──目にもとまらぬ連撃。


「ご、ゴホ……。ゲホッ」


 槍を指でつまんだまま奪い取り、

 穂先ほさきの逆、「石突き」の部分で滅多打ちにしてくれたようだ。

 ……それでも、かなり手加減しているのだろう。


 でなければ……──死んでいる。とっくに死んでいるともさ。


「グホッゴホ……! げぇぇ──」


 びちゃ、びちゃびちゃ……。


 吐き戻した胃液には何も入っていない。

 そりゃロクに食べてないからな……。


「はー……物覚えの悪い奴だな? これで何回目だと思う? いい加減学習しろよ……。あー……──」


 そこで勇者はフト思いついたように、





「────もう殺しちまうか?」





 スッと温度が下がったような気がする。

 殺気を感じ────、


「え、ちょ……」


 シャラの驚いた声・・・・・・・・と同時に──。

 クルっと回転した槍の穂先がこっちを向く。


「て、テンガ? あの」

 それを戸惑った声で呼び止め、急にオドオドとしだしたのはシャラ。

 

「どうした? シャラ……他人・・なんだろ?」

「あ……う、うん」

 バツが悪そうに眼を逸らす──……か、義母さん?


 か、義母さん……──。

 カアサン……。


 か……。



 ヨロヨロと伸ばす手……。

 それがシャラへと伸び──、


「じゃぁなぁ! お前がいると、女が嫌がったり、照れたりで結構面白かったぜぇぇ」




 それだけの理由で俺は、


「テンガ待って!!」

 ギュっと勇者の首に抱き着くシャラ。


「んーーー??」


「や、やめましょ……ね?」

「なんでだ?」

「そ、その……」


 そんなくだらない理由で俺は────!


「コイツがいないと、ほら……夜に燃えない・・・・・・じゃない?」

「あーうんうん、そういやそうだなー」



 そんな理由で・・・・・・



「ははは……! 冗談、冗談。冗談だって、……こぉんな面白いもの、そう簡単に・・・・・捨てられるかよ」







 そんな理由で、


 ──俺は、「勇者の寝所番」をさせられている。

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