第2話「追憶」


 ザアアァァァァァ……────。


 降りしきる雨に打たれるクラム。

 怒りと、悲しみと、もどかしさで熱に浮かされながらも、彼はここに立つしかできない。


 いつしか、次第に朦朧もうろうとする意識。

 その意識の底では、この腐った世界の景色ではなく……まるで──幻であったかのような、あの懐かしい日々を夢想させた。


 曖昧あいまいな思考の中で響くのは、かつてあった……あの優しい家族の声──。


 ッ──……。


 クラム……?

 クラム!

 兄さん?


 おとーたま……。


(あぁ……──皆……)


 幻のような、

 夢のような、


 かすみがかった意識の中で、彼女たちを思い出す────。

 いとしいいとしい家族の姿を……。



 だけど、思い出さない方がいい。



 思い出すな……!

 辛くなるだけだろッッ!?



 やめろ。

 やめておけ、クラム!!


 だってそうだろ!?

 

 ……。


 いまおかれた立場──。

 まるでゴミのように這いずるざまの日々は、あの宝石のような日々に比べて……あまりにも!


 だから、

 忘れろ───と……。


 忘れろ、

 忘れろ、

 忘れろ!! と。



 でも、


 あの懐かしい家の、

 あの温かい家族の、

 あの幸せな日々の、



 必死で思い出すまいとしていたあの日々の……。


 扉が────……。













「お帰りなさい、クラム」




 ────開く、


 

 ……ッッ!



 ああああああああ!!

 忘れられるわけないだろ!



 義母さん!!!


 義母さん!


 カアサン、カアサン、カアサン……。




 か────……。







「どうしたの? クラム」




 甘い声が耳をつく──。

 

 幻聴であり、

 それは、現実でもある……。


 だって、あの天幕の先ではあの人が勇者に……!!

 そんな醜悪な光景が──……。



 朦朧もうろうとする意識のなか、

 現実へとばりを降ろし……失われたあの日々の記憶へと沈んでいくクラム──。



 もう、いいか……。



 記憶の中くらい……いいだろ?

 思い出すくらいなら、さ────。



 クラムは、思考への抵抗を諦める。 

 その瞬間、意識はあの日々へとさかのぼっていった。



 ※



 ────お帰りなさい、クラム」



 家の戸口に立つ美しい女性が柔らかく微笑んでいる。


 夢の中でクラムはいつもと変わらぬ毎日を送っていた。

 そして、帰宅するクラム出迎えてくれたのは、若々しく美しい女性──義母さんだ。


 シャラ・エンバニア。美しきクラムの義母。

 不思議な包容力と若々しい容姿を併せ持った女性。


 彼女はいつも家庭的な香りを纏っている。

 今も、フワリと漂う夕食のスープの香りとともに、花の蜜のようなシャラの肌から香る甘い匂いが鼻腔をついた。


「──ただいま、義母さん」

「はい、おかえりなさい。疲れたでしょう?」


 ニッコリと微笑むその笑みは、まるで慈母だ。

 美しい容姿──金色の髪と、白く美しい肌、出るところは出て女性らしい体つき。そしてどう見ても十代後半にしか見えないその人──……。


 うーーーーーん、義母にしてこの美しさ。

 嫁でないのが残念。


 これでクラムより遥かに年上だというのだから、人は見た目じゃわからない。

 そして、何よりも目立つのは、万人の目を引く特徴的なエルフの長い耳。


 美貌と、若々しい容姿は、言葉通り人間離れしている。


 そうとも、彼女こそ数百年を生きると言われるエルフのさらに高位の……ハイエルフだという。

 

「いつも通り。超クッタクタ」

「ふふふ……お疲れ様」


 甘えるように手をとるクラム。いやな顔一つせずに、労わりの笑みを浮かべたシャラ。

 マジで可愛いな。この人……。


 その笑みは、まるで少女のような雰囲気すら感じさせる。


 これで、ハイエルフ。

 これが、遥か年上。


 彼女は何年も前に亡くなったクラムの親父の後妻で──血の繋がりは全くないけれども、小さな頃から育ててくれた優しい義母だった。


 そして、愛しい義母。

 実を言うと、クラムは物心つく前に死んだ実の母のことは顔も覚えていない。

 そのため、クラムにとってはシャラが母親同然の人だった。


 しかし、ハイエルフが故。

 歳をとることもなくいつまでも若々しいその姿は、いつの間にか少しばかり歳を重ねたクラムからすれば、母という言葉には違和感しかない。


 実際、知らない人には妹や嫁に間違われるほどだ。

 どっちでもクラムからすれば言われて嬉しいもの。


 たしかに、綺麗だよな……と、その顔をマジマジと見てしまう。




 本当に綺麗だ────。




 ………。



「こら! またオカンに見とれてるぅぅ! ぶー!!……嫁に飽きちゃった?」

 そう言ってシャラの脇から顔を見せたのは、まだ少女のようなあどけなさの残る若い娘。


 こちは嫁のネリスだ。


 薄いピンクがかった髪と、健康的に日焼けした肌。……その肌は日に焼けてなお白く映えて見える。

 体つきはシャラほどではないにしても、抜群のプロポーション。これで──年の頃は俺よりかなり下。


 やや小柄なところは、先祖にホビット族の血が入ってるとかなんとか……?

 シャラと同様、クラムの家族。かつては幼馴染、そして今は嫁だ。


 近所に住んでいた彼女とは兄妹のように育ち、そして当然の様に互いを好きになり、結婚した──もう何年も前だ。


「はいはい……しょうもない言ってないで早く家ん中、入んなよー」


 背後から現れ、キンキンと騒がしいのは俺の妹────ミナ。


 仕事帰りらしく、工房の道具一式を担いで威勢のいい声。

 背後に娘(…俺にとっては姪だな。)を伴い、邪魔邪魔!──とクラムを家に押し込んでくる。


 グイグイ──。


 オラオラ~退け退けッ! と、遠慮なしに押し込んでくる。

 さらにはゲシゲシと蹴り込んでくる。


 この野郎!


 って、

「──ちょ、ミナ! うぉッッ!?」


 おっとっと、タタラを踏み──前につんのめる。


 ボヨン!


 と受け止めたのは、豊満そのものの義母さんの胸ぇぇえ?!

 うぉぉ、やばい。超いい匂い────。


「きゃぁ、ちょっとクラム!!」

「ぐむむ……! プハッ……。ご、ゴメン義母さん! ──ってミナぁぁあ! お前、やめろっつてんだろ!」


 慌てて体を起こそうとして……。思わず「グワシ!」──アンッ♡ と、シャラの胸を掴んでしまった。


 ……──な、なんだ今の柔らかさは!?

 しかも、アンっ♡──って……!


「あらまー、ラッキースケベで良かったじゃん」


 いいからどきなさい、と更に押し込んでくる。

 どうにも、先祖返りして……ミナの血には色濃くドワーフが出ているとか?


 まぁ、言われても驚きはしない。同じ家族とは思えない程、力は物凄くあるのだ……!

 いててててて!!


 蹴り飛ばされ、地面に転がるクラム。

 それを無造作に乗り越え家に入っていくミナを恨みがましく見送る。


 すると、少し起こした体の前にバラ園が──。

 少女の綺麗な太ももと、その奥に見える────ぱ、パンツ?!


「お、叔父ちゃん、ゴメンね」


 ホントにすまなさそうに謝るのは姪っ子のリズ。

 クラムの目の前で無防備にしゃがみこんで、強かに打った頭をナデリコナデリコとさすってくれている。


 おっふ。

 めっちゃいい子!


 この子……──リズはミナの性格でいうところの「豪快で大雑把」という、やや残念な血は受け継がなかったらしい。

 その様子をみるに、リズは「大人しく心優しい少女」と言った雰囲気。

 その性格からも、流行り病で亡くなったミナの旦那さんに似ている。


「あ? 叔父ちゃん?!」


 つぃ……。


 やばいやばい。

 パンツに目をくぎ付けにしていたことに気付かれそうになったぜ。


 見つかる寸前に素早く目をそらすクラム。

 誤魔化す様に、気遣う姪っ子の頭を撫でてやる。


 いい子いい子ーと、頭をスリスリと撫でてやると、嬉し気に目を細めるリズ……うむ、かわええのー!


 性格は全く似ていないがこの親子…、見た目はすごく似ている。

 しかもだ、傍目には親子というより姉妹にしか見えない。


 どちらも同じような赤毛で、小麦色の肌をして…少々貧相な体。それでも女性らしい曲線はちゃんとある。

 リズはミナ俺の妹をそのまま、少~し小さくしただけにしか見えない。


 チマチマと歩く姿はとても愛らしい。リズは確か──これで10才前半くらいだったはず……?


 本当に似ている。母と子だ。

 ……My妹は力持ちだけど、体はチンマイし、なんか可愛いしね。



「おい……──変なこと考えてるでしょ?」


 ヒョコっ家の中から顔を見せたミナ。

 恐ろしい表情でギロリと睨まれる……うぉぉ、さすが兄妹Myいもうと……よ~~~く見てる。


「──ナンモ、カンガエテマセンヨー」


「あっそ」


 あー疲れたー! と言い置いて、居間に引っ込むと、すぐさまお気に入りの席である暖炉近くのソファーに陣取った。



 そして、クラムと同時に居間に戻ってきたリズを隣に座らせると、ナデリコナデリコと髪をいじり始める。

 うむ……。我が妹とはいえ、可愛い。リズと並ぶと、なお可愛い。


 うんうん──仲良きはいい事かな。


「は、早く入りなさいクラム……」

 優し気に目を細めるシャラは、少し頬を染めている。さっき思いっきりオッパイを握りしめて以来だ。


 うーむ。あの恥じらいが実にいい!

 ホント……素晴らしいオパイです、義母さん。ごちそうさ────。


 ゴンっ! いッッで!


「何ヤラシイ顔してるのよー!」


 あ、そうだ。この人がいたわー。

 ぶー……と子供っぽく頬を膨らませプリプリしているMy嫁……ネリス。


 結構本気で殴られた。

「めっちゃ痛いんすけど……」

「天罰ぅ!」


 あらら、

 機嫌を損ねたようだ。


「機嫌治せよ~」

 むーとキスをせがむと、途端に顔を赤くしてブンブンと拒否する。


「わひゃ……! こ、こんなとこでしないでよー……みんな見てるし!」


 はわわわ、と小動物チックに慌てているネリス。……うん、愛おしい。


「キョーミなーし」

 ミナはそうでしょうよ……でも、貴方のリズさん。……こっちをガン見してますよ。

 で、ガン見してるリズちゃんや、なんで興味津々 & ちょっと怒ってるのよ? ただの嫁とのスキンシップでんがな……。


「叔父ちゃん……不潔」


 ……う、

 ちょっとそれ地味に効いたわ。

 ええやん……嫁さんとチューしたってさ。


 さっきまで和やか & 友好ムードだったリズが今度は冷戦勃発と言わんばかりにそっぽを向く。


 なんなのよ?

 ……最近の姪っ子は時々こんな感じ。


 叔父さんこういった反応には困るのよ。

 なんだろね? 俺に対してだけツンケン・・・・するときがある。


 ……ふ~~む? 反抗期ってやつか?

 いや、ミナとは上手くやってるしね……俺に対してだけ?


 うーん……わからん。


「もう……子供の前で変なこと言わないでよ」


 これまた可愛らしく頬を染めて髪の毛をクルクルとしながらネリスが照れている。



「わかったよ……じゃ、人のいないところで、な」


 ボンっと顔を真っ赤にさせるネリス。

 うーむ……我が嫁ながら可愛すぎる。


「も、もーー!! そういうこと言わないで!」


 バンバンと背中を叩くネリス。

 いててて……ネリスさんや、地味に痛いから止めて。


「ほ、ほら……ルゥナ! パパ帰って来たよ」


 そう言って誤魔化す様に対象を変えるネリスが呼んだのは────娘……。


 小さな小さな娘────俺のルゥナ。

 この国の古い言葉でそのままの意味……天使ルゥナだ。


 ショボショボと目を擦っている所をみると、おねむだった様子。

 多分、今のクラムは自分でもわかるほど顔をクシャクシャーとほころばせているだろう。


「んー……おとーたま?」


 パッチリと目を開けたルゥナは天使そのもの……。かわえぇ……!


 父親譲りの黒い髪は灰色に近く、絹のような肌は母譲りで白い。

 少し先祖帰りを起こしたのか、耳はややエルフ寄りだ。


 ちなみにクラムの耳はちょこっと尖っている程度。

 亡くなった父はハーフエルフ。そして、クラム実母は人間だったので、いわゆるクォーターだ。


 でも、血の遺伝は不思議なもので、ルゥナにはシャラほどでないにしても、エルフの特徴が出ている。

 どちらかと言えば父のそれに近い。


 実際、エルフという種族に負けず劣らず──凄い美人さんだ。

 俺の娘だという贔屓ひいき目を抜きにしても、ね。


 だから、絶対嫁にはやらんッッッ!


「あふぅ……おとーたま、お帰りなさい」

「はい、ただいまールゥナぁぁあ!」


 ナデリコ、ナデリコと、娘の頭を撫でるクラム。

 その顔はデレデレ。親馬鹿のそれだった……。



「ふふふ……。皆、仲良しねー」


 ──義母さんちょっぴり寂しいわ。

 と伴侶はんりょや、実の娘がいないシャラが寂しげに笑って見せる。

 だが、その美しい笑顔をみればわかるけども、実はちっとも寂しがってはいない。



 そして、言うのだ──。




「みんな、おかえりなさい」




 そうだ……。

 家族はここに────。


「じゃあ家族みんな・・・・・が帰ってきたことだし……ご飯にしましょうか!」


 そして、手を凝らした自慢の一品を披露していく。


 コッテリスープに、

 野菜サラダ、

 ベーコンとキノコ和え、

 手作りパンはホカホカで、

 ラズベリー等の数種類のジャムが付く────。


 フワァ……と漂う良い香りに、暖かい家の穏やかな空間。笑顔と笑い声の絶えない団欒だんらんは、幸せという言葉で評して誰も疑う者のないもの。


 そうとも、そこには紛れもない本物の幸せがあった。










「はい、皆お疲れ様、じゃぁ……」


「「「「「いただきま~~~す!」」」」」










 そう、あった・・・────。






 あったんだ……。







 温かな追憶の底で……。

 冷たい雨と、熱くにごるドス黒い心の情動を感じながら、クラムはその境を茫洋ぼうよう彷徨さまよっていた────。






「義母さん……シャラ────」

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