九つの解決
警察騎士の取調室で、ボンガスは暑苦しい顔立ちの男と向かい合っていた。
彼の名はパッショ、警察騎士の一人だ。同僚たちが彼を評した言葉をいくつか紹介すると、
「情熱的」
「仕事熱心」
「単純」
「素朴」
「向こう見ず」
「理性をどこかに置き忘れた男」
といった感じである。パッショは席に着くと、まだショックから立ち直れていないボンガスを熱い言葉で励ました。
「心配するな! 俺がお前の無実を証明してやるからな!」
今のところ、マーメイド殺しの犯人として、最も疑わしいのはボンガスだった。事件の被害者は四人のマーメイド、ニーファ・ワミュール・マムー・カサンドラ。彼女らをシエマ湖まで送り届けたのはボンガスであり、それは本人も認めている。
身に覚えのないボンガスは「マーメイドがもう一人いた」と主張した。そのマーメイドの名前が「リリア」であることも伝えた。しかし、それならリリアはどこに消えたのか。警察騎士が主導して、湖の中を徹底的に捜索したが、マーメイドはおろか魔物の一匹すら発見できなかった。マーメイドが自力で湖から脱出できるとも思えない。運の悪いことに、シエマ湖への送迎を行っている輸送業者はボンガスただ一人だった。
「マーメイドがもう一人いたはずなんです。信じてくださいよ」
ボンガスは不安を顔に浮かべながら、懇願した。すると、パッショは力強い声で、
「安心しろ、事件は解決したも同然だ。俺は今回のマーメイド殺しについて九つの仮説を用意した。お前の話を聞きながら、どれが正解かじっくり見極めていこう」
九つも! ボンガスは素直に感動した。「警察騎士はスゴイ、警察騎士はスゴイ」とみんな褒め称えるが、まさかこれほど卓抜な技能を持っているとは思ってもみなかった。
ボンガスは頼もしそうにパッショを見つめると、期待をこめて言った。
「その仮説を聞かせてください。何が起きたのか、私も知りたいんです」
「まあ焦るな。一つ一つ順を追って、説明してやるからな。まず、一番目の解決。犯人はボンガス・リオテルカ、お前だ」
「は?」ボンガスは表情を失った。
「お前が四人のマーメイドを殺したんだ。罪を認めたらどうだ?」
「え、えーと……」ボンガスは少し前の会話を回想した。「私の無実を証明してくれるんですよね?」
「もちろんだ。俺がお前の罪を晴らしてやる」
「で、マーメイドを殺した犯人は?」
「ボンガス・リオテルカ、お前だ」
答えの出ない矛盾に苛まれた後、ボンガスは思考を放棄した。パッショの説明が続く。
「お前は四人のマーメイドを惨殺した後、残りの一人を誘拐したんだ。そのリリアとかいうマーメイドを犯人に見せかけるためにな。お前、趣味は何だ?」
「趣味?」唐突な質問に狼狽えるボンガス。「強いて言うなら、料理とか……」
「ふっ、馬脚を現しやがったな。それがお前の犯行動機だったわけだ」
話についていけないボンガスをほったらかして、パッショは息巻く。
「魔物料理に興味があったお前は、マーメイドを食べたいと思った。しかし、ただマーメイドを殺すだけでは、怪しまれてしまう。そこでお前が考えたのが、被害者を加害者に見せかけて殺す計画だった。違うか?」
全然違うわけだが、反論する気も起きない。
「マーメイドを水槽に入れて運んだと言ったな。その水槽は、マーメイドのエキスを抽出するための鍋だったんだ。マーメイドのスープとマーメイドの肉。さぞかし美味かったんだろうなあ?」
「ちょっといいですか」おずおずとボンガスは声を出した。「私が犯人なら、送迎したマーメイドを内陸湖で殺したりはしませんね。自分がやったと認めるようなものですから」
正論が、取調室に気まずい沈黙を運んできた。顔を見合せたまま、押し黙る二人。
「………………ふっ、そんなことは百も承知だ。こんな推理、はなから間違いだと気づいていたさ。俺はお前を信じている。最初にそう言っただろ?」
そんなニュアンスのことを喋っていたのは事実なので、言い返せないボンガスであった。
「さあ、ここからが本番だ。二番目の解決に移ろう。お前は海でマーメイドを馬車に乗せ、シエマ湖に向かった。そうだったな?」
「ええ、合ってますよ」
「その途中、川の横を通らなかったか?」
通った。ガザの樹海で、マヌーム川に沿った道を馬車で走り抜けた。
「どうして、それを知ってるんですか?」警察騎士の洞察力に、ボンガスは舌を巻いた。
「論理だよ、論理」パッショは得意げに頭を叩いた。「マーメイドが湖から消えるためには、川の存在が不可欠なんだよ」
仰々しく間を取ってから、パッショは口を開けた。
「海を出発した時点で、マーメイドは五人いた。湖に到着した時点でもマーメイドは五人いた。しかし、この前提が間違っていたんだ。湖には最初から四人のマーメイドしかいなかった。それが答えだ」
「いや、五人いましたけど」なんだか雲行きが怪しい。
「言い方が悪かったな。湖には四人のマーメイドと、もう一人別の種族がいたんだ。馬車がマヌーム川に差しかかった際、例のリリアとかいうマーメイドは水槽から脱出し、川に飛びこんだ。これで馬車に乗っているマーメイドは四人になる。湖に到着した時、お前はマーメイドが水槽から湖に飛び移る姿を目撃してはいない。馬車から降りると、湖に五人のマーメイドが並んでいた、と証言しているだけだ。お前がリリアだと思っていたマーメイドもどきは、別のルートでシエマ湖に先回りし、馬車が来るのを待ち構えてたんだ」
「なら、その五人目のマーメイドは誰なんです? どうやって湖まで移動したんですか?」
「だからマーメイドじゃねえんだよ。そいつはマーメイドのふりをした人間だったんだ。人間なら、徒歩で湖に行けるからな」
「いやいや、どう見てもマーメイドでしたよ。湖の中で、ニーファたちと一緒に並んでましたから」
「お前はマーメイドの上半身しか見ていない。肝心の尾びれは、水面下に隠れていたはずだ。水の中にいるのはマーメイドだという先入観のせいで、お前は人間をマーメイドだと思いこんだ」
「人間が水に浮くとは思えませんけど……」
「立ち泳ぎだよ。兵法の教科書で読んだことがある。そいつは水面下で足をバタバタ動かしてたんだ」
「ということは、海で会ったリリアと、湖にいた五人目のマーメイドは別人だと?」
「だからマーメイドじゃなくて、人間なんだって。そのリリアってやつとは初対面なんだろ? 入れ替わりがあっても気づかねえさ」
いざ指摘されてみると、ボンガスは、リリアというマーメイドの顔をはっきりと思い出せなかった。海で会った時も、湖で姿を確認した時も、リリアは顔を半分隠して水に浸かっていた。入れ替わりを行うことは十分可能だったといえる。
――という事実は百歩譲って認めるとして、ボンガスは全く納得できなかった。
「そのトリックを実行するためには、他のマーメイドの協力が必要になります。どうして彼女たちはそんな面倒なことをしたんですか?」
「さあな。人間の心も魔物の心も、俺には分からねえや」
「な、なら! 湖にいたのが、四人のマーメイドと一人の人間だとしましょう。人間が水中でマーメイドを殺せると思いますか? マーメイドの方が、はるかに早く泳げるんですよ!?」
正論、再び。パッショは枯れた植物のように、体を折り曲げた。
「悪い予感はしてたんだ。この推理はいつか破綻する。そんな予感がな」
その時、取調室の扉が開き、事件の担当者から報告が入った。リリアというマーメイドが消息を絶っており、警察騎士は総力をあげて、そのマーメイドを捜索中だという。
「犯人はリリアで決まりだ!」目星がついたことで、パッショは俄然やる気になった。
「そいつが四人のマーメイドを殺したんだ! 許さねえ、俺は絶対リリアを許さねえ。どんな方法を使ったのかは知らねえが、絶対にトリックを暴いてやるからな!」
息を荒々しく吐きながら、パッショは早口で喋りまくった。相槌担当はボンガス・リオテルカ。
「三番目の解決。リリアは今もシエマ湖に潜んでいる!」
「湖は隅々まで捜索したんでしょ」
「トリックだ! 湖の底に穴を掘り、土の中に隠れてるんだ!」
「いや、無理でしょう」
「…………四番目の解決。湖に暮らす生き物に食べられた!」
「シエマ湖に、大型の生き物はいませんよ」
「五番目の解決。リリアが湖から脱出したのは疑いようのない事実だ。しかし、マーメイドは陸上で長時間活動することはできない。生きていくうえで、鰓呼吸が欠かせないからだ。ならば、考えられる手段はこれしかない。マヌーム川とシエマ湖を長いパイプでつなぐ! 陸が無理なら、水路を作ってやればいい。リリアは水の通ったパイプの中を泳ぎ、マヌーム川まで移動した。それから川を下って、海まで逃げたんだ!」
「マヌーム川が海まで繋がっているのは事実ですけどね。マーメイドはどうやって、陸の上にパイプを設置したんですか? そして、そのパイプをどうやって回収したんですか? シエマ湖とマヌーム川は結構離れてますよ」
「六番目の解決。湖を氾濫させた! パイプなど必要ない。シエマ湖から溢れた水がリリアをマヌーム川まで運んだんだ」
「……で、その方法は?」
「七番目の解決! 鰓呼吸を行うためには、鰓が濡れていなければならない。だからこそ、マーメイドは陸上での活動を制限されている。裏を返せば、鰓を濡らし続けることさえできれば、陸上でも永久に動き回れるわけだ」
「まあ、理論上はね」
「悪魔のような頭脳を持つリリアは、そこに注目した。鰓に水を供給しながら、マヌーム川まで這って行ったんだ」
「……で、その方法は?」
「湖といえば、誰かが置き忘れたバケツが落ちているのがお約束だ。リリアはバケツを見つけると水を貯めた。そこに頭を突っ込んだ状態で、川を目指したんだろう」
「マーメイドが地上を移動するとなると、腹ばいの姿勢で両腕を動かすしかありませんよね。頭をバケツに突っ込んだら、身動きが取れないと思うんですけど」
「じゃあ、ボートならどうだ! 湖といえば、誰かが置き忘れたボートが落ちているのがお約束だ。リリアはボートに水をため、即席の水槽を作った。水で満たされたボートに乗りこみ、両腕を櫂代わりにして、陸の上を滑っていったんだ」
「重すぎて、動かせませんよ。それに、ガザの樹海は平坦な土地ですからね。傾斜を利用して、滑り降りることもできません」
「だったら、地面を傾ければいい!」
「……あなた、何かに憑かれてるんですか? 今更ですけど、バケツとボートがお約束ってのも意味不明ですよ」
「両生類!」パッショは大声で喚いた。「リリアはバッグを持ってただろ!? 湖で犯人のものと思われる空っぽのバッグが見つかったよ。その中にカエルか何かを入れてたんだ。四人を殺した後、リリアはバッグからカエルか何かを取り出し、鰓に水をかける手伝いをさせた。両生類なら、陸の上でも生きていられる。湖から川へ這って進む間、マーメイドの鰓に水を送り続けることだって出来る!」
「……八番目の解決に移りましょうか」
「そのタイミングは俺が決める。八番目の解決!」パッショは声を張り上げた。「人魚は地上に出ても、すぐに死ぬわけではない。一定時間であれば、動くことができる。リリアはそれに賭けた。マヌーム川を目指して、一か八か陸路を進んだ」
「それは無理ですよ」ボンガスは冷静に否定する。「樹海の道は複雑に入り組んでますからね。初めて樹海を訪れたマーメイドが、迷うことなくマヌーム川にたどり着けるとは思えません」
「やってみなきゃ分かんねえだろ! もしかしたら出来るかもしれないだろ!」
パッショは荒ぶっていた。生後三か月の赤ちゃんのように手足をばたつかせながら、激しい息遣いで言葉を絞り出していた。
「最後だ。八つの解決を否定された以上、答えはこれしかない。九番目の解決、スキルを使った!」
「具体的には、どんなスキルですか?」
「【肺呼吸】に決まってんだろおおおおっ!」パッショは咆哮した。「謎なんて一つも無かった! マーメイドは肺呼吸を使えた。ただそれだけの話だああああっ!」
「生態系を壊さないでください。私も詳しくは知りませんが、種族ごとに習得できるスキルは決まってるんでしょ? マーメイドは【肺呼吸】スキルを使えません」
「じゃあ、無理じゃねえかああああっ!」パッショは泣いていた。誇張でも比喩でもなく、涙を流して泣いていた。
「うぅ……もう解決が残ってねえよお。リリアは一体どこに消えたんだ? グリフォンが空から攫っていったのか?」
机に突っ伏して号泣するパッショ。帰りたい――ボンガスは心の底から、そう思った。
幸い、この居心地の悪い状況は、長くは続かなかった。
「失礼する」
取調室に、先刻とは別の警察騎士が入ってきた。彼はボンガスに会釈すると、ゲイルと名乗った。
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