二つの可能性

 来訪者は木製の扉を二度叩いた。


「ファミエルダ夫人、おられますか? 我々は警察騎士の者です」


 最悪だ。一番望んでない連中が登場しやがった。


「おかしいな。このアトリエにいると聞いたんだが」


「居留守を使ってるんじゃないですか? 窓から見てみます」


 来訪者の一人が窓の向こうに姿を現した。ガラス越しに家の中を覗き、アッと短い叫び声を上げる。


「ゲイルさん! 誰かが床に倒れてますよ!」


 もう一人の来訪者は返事をする代わりに、勢いよく扉を開いた。木製の扉がキーキーと軋む音が鳴る。男は夫人の死体に駆け寄ると、脈を確かめた。


「ファミエルダ夫人だ。すでに死んでいる」


「そ、そんな……」


 警察騎士の一人が、射るような眼差しでアトリエ内を見回す。その表情には、人を威圧するような凄みがあり、殺気に近いオーラを辺りに放射している。


 こいつ、怖いな。犯人を見つけたら、即座に殺しかねない勢いだ。


 岩だな、岩。鉱物でランク付けするなら、こいつは岩レベルだな。『岩男』と名付けよう。


 逆に、もう一人の警察騎士は『こいつホントに警察騎士かよ』って言いたくなるぐらい弱そうだ。体も細いし、腕もひょろひょろ。精神的にも未熟だな。死体を見て、明らかに動揺してやがる。


 砂だな。鉱物の最低ランク、砂。この男のアダ名は『砂男』で決定ー。


「この部屋に隠れる場所はない。犯人はすでに逃げたようだな」


 岩男が言った。本当は、目の前にいるんだけどね。


「ひとまず現場を調べよう。犯人を捜すのはその後だ。ニック、始めるぞ」


「よーし、頑張るぞー!」


 岩男は再びかがみこんで、死体の検分を始めた。後頭部に顔を近づけて、夫人の髪をかき分ける。そうして露出した致命傷を、丁寧に観察する。丹念に仕事をする男の姿は、犯人の俺から見ても好感が持てるものだ。


 それに比べて、砂男ときたら。


「うわー、すごい。この石像、リアルですねー」


 顔をにじり寄せ、俺を鑑賞するという有様だ。仕事しろ、仕事。


 というか距離が近いよ。うっとうしいから、離れてくれ。


「この石像、今にも動き出しそうですね」


 な、なんだこいつ。直感の天才か? 気づいたうえで俺に圧力をかけているのか?


 いや、それはない。こんなサラサラした砂男ごときに正体を見抜かれてたまるか。


 あっち行け、あっち。気が散るから、じろじろ見るな。止まってるのも楽じゃねえんだぞ。


 幸い、岩男が砂男を呼び寄せてくれた。


「ニック、この死体を見てどう思う?」


「うーん。後頭部を殴られた跡がありますね。これが致命傷ですか?」


「そうだ。他に傷跡はない」


「犯人は背後からファミエルダ夫人に忍び寄り後頭部を殴った、って感じですかね」


 いいぞ、俺の計算通りだ。砂男が考えた犯人像は何もかも間違っている。


 真相は、うつ伏せに倒れたファミエルダ夫人の前方から後頭部を殴った、だ。


 特殊な状況だからな。第三者が気づくのは絶対に無理。その調子で空想上の犯人を追いかけてくれ。


「その可能性は高い。しかし、不自然でもある」


 俺の思惑は外れた。岩男はその推理に満足していないようだ。


「ファミエルダ夫人と犯人は、アトリエ内に二人でいたはずだ。夫人が犯人から目を背け、壁の方を向くのは変だと思わないか?」


「そこの石像を鑑賞してたとか?」


 四つの視線が俺に集まる。微妙に核心をついたこと言いやがって……。


「来客を無視してか? 余計に変だ」


「じゃあ、犯人はお客さんじゃなかったんですよ。扉からアトリエにこっそり忍び込んで、ファミエルダ夫人を撲殺したんです」


「俺もその説は考えた。だが」


 岩男は立ち上がり、入り口の扉へと進んだ。取っ手をつかみ、それ以上静かには開けられないと思わせる慎重さで、扉をゆっくりと開ける。


 来客の訪れを告げるように、ドアベルの音が室内に響いた。


「アトリエに侵入しようとすれば、音で気づかれる。ファミエルダ夫人は昔、優秀な冒険者だった。スキルの技術も一級品だ。よほどの使い手でもない限り、反撃されて終わりだろう。犯人とファミエルダ夫人は面識があったと考えるべきだ」


「なら、やっぱり背後から殴られたんですよ。そして前方に倒れた結果、石像に頭を向けたうつ伏せの死体が出来上がった。ほら、全て説明できますよ!」


「その推理に異議を唱えるつもりはない。だが、他の可能性も考えてみるべきだ」


「他の可能性って?」


「ファミエルダ夫人は前から殴られたという可能性だ。夫人の左手を見てみろ。小指に踏まれた形跡がある」


 げっ。何か踏んだと思ったら、夫人の指だったのか。


「背後から襲われたのなら、手に踏み跡がつくのはおかしい。この跡は、犯人が死体をまたぐ必要があったことを意味している」


「別の日に怪我しただけかもしれませんよ」


「夫人は『化粧の女神』と揶揄されるぐらい、見た目にこだわる人だ。放っておくとは思えない」


「でも、夫人の前には石像しかないからなあ。これじゃあ、犯人は殴りようがありませんよ」


 この展開はマズい。俺は今、着実に追い詰められている。


「俺たちが夫人に会いにきた、そもそもの理由を覚えているか?」


「えーと。動物を無許可で剥製化している疑いがあるとか」


「そうだ。夫人には悪い噂が色々あってな。実は、動物の剥製化以外にもう一つ、探りを入れたいことがあった」


「どんな噂ですか?」


「魔物の剥製化だ」


 石の肌が緊張でさらに硬くなる。赤い核に込められた魔力が、全身を波立たせる。


「魔物の剥製化……って、思いっきり犯罪じゃないですか!」


「だから、夫人を問い詰めてみるつもりだった。どうやら、噂は本当だったらしいな」


 岩男は、アトリエを囲むように並べられた剥製の連なりを見渡した。砂男もキョロキョロと視線を泳がせる。


「人魚もケルベロスの首も、本物ってことですか……」


「たぶんな。話を戻そう。死体の前には石像があり、犯人が立つスペースはない。この状況で、ファミエルダ夫人を前から殴るのは不可能だ」


「でしょ? まさか、石像が犯人だとか言いませんよね?」


 ――――や――――め――――ろ――――


「そんなわけないだろう。ガーゴイルじゃあるまいし」


 こいつらの会話を聞いてると、寿命が縮みそうだ……。


「だが、石像が一時的に動かされていたとしたら、どうだ? ファミエルダ夫人が殺された時、石像は別の場所にあったんだ」


「何のために石像を?」


「スペースを作るためだ。家具を試し置きするような感覚で、ファミエルダ夫人は剥製化する魔物を壁際に立たせた。周りの展示品と調和がとれているか、確認するためにな」


「その魔物が夫人を殺したんですかね?」


「あくまで仮説だが。その魔物はファミエルダ夫人に招待され、アトリエを訪れた。夫人は魔物を招き入れ、壁際に立つよう指示を出す。言われた通り、魔物は現在石像が置かれている位置に移動した。そこでファミエルダ夫人の陰謀に気づいたんだ。自分は剥製にされかけている。夫人を殺さなければ、命はない。魔物は先手を打ち、夫人を殺した。これが俺の推理だ」


 すげえ。八十パーセントぐらい当たってる。こいつ、真実を見通す眼でも持ってんのか? スキル【真実の眼】みたいな。


 岩男の頭の良さはわかったから、これ以上追及しないでね。


「はーい。質問いいですかー」


 砂男が無邪気に手を挙げる。


「ファミエルダ夫人は元冒険者なんですよね? 普通に襲いかかっても返り討ちにあうと思いまーす。それと、前方から後頭部を傷つけるのは難しいと思いまーす」


 訓練兵の気分が抜けきらない砂男の余計な発言が、岩男に考える機会を与えてしまった。


「例えば、夫人は魔物を品定めするために、至近距離で観察したのかもしれない。夫人はいくつもの異名を持っていて、『性欲の女神』とも呼ばれている。しゃがみこんで、魔物の下半身を値踏みしてたのかもな。その時に頭上から一撃をくらわせれば、後頭部に傷をつけることができる。反撃される恐れもない」


「けど、死体の全身はぴーんと伸びてるじゃないですか。間近で殴られたら、こんな姿勢にはなりません。もっと体が折り曲がってるはずです」


「それもそうだな」


 会話が途絶える。もうこれぐらいで勘弁してくれよ。架空の犯人を捜しに、アトリエの外に出て行ってくれ。そして、俺を解放してくれ。


 ガーゴイルの医者が言ってたんだ。長すぎる静止は心と体に悪いって。


「石像……」


 岩男はそう呟き、俺の方に顔を向けた。


「ファミエルダ夫人が石像を一旦どけたとして、どうして犯人は石像を元の位置に戻したんだ?」


 岩男の凝視が俺を貫く。砂男も一緒になって、視線を浴びせてくる。


「なあ、ニック。俺の馬鹿な妄想を聞いてくれるか」


「妄想!? ゲイルさんにも風変わりな趣味が……」


「事件のことだ。ファミエルダ夫人は魔物を品評中に殺された、それが俺の推理だった」


「そうでしたね」


「しかし、剥製の間に立たされただけで、魔物が夫人の計画に気づくだろうか? ないとは言えない。だがそれよりは、ファミエルダ夫人が実際に魔物を攻撃したと考える方が、納得できる」


「なるほど。襲われた魔物が夫人に反撃したんですね」


「ああ。それで、死体の姿勢の件だ。夫人は入念な準備をしたうえで魔物を攻撃したと思われる。スキルを使って奇襲すれば、魔物側に勝ち目はない。なのに、夫人は返り討ちにあった。そして死体は、伸びきった状態で床に倒れている」


 ――――だ――――め――――だ――――


「もしかすると、夫人は転んだのかもしれない」


 ――――あ――――あ――――あ――――


「倒れた夫人の頭に、魔物が一撃を浴びせた。これならどうだ?」


 死体の頭のすぐ側、手頃な位置にある俺の手。石の手に注がれる貫くような視線。


 終わった。完全に終わった。岩男のヤツ、俺の正体を見抜きやがった。


 はぁ、結構頑張ったんだけどな、俺。見えないガーゴイルの異名に負けないよう、必死に静止したんだけどな。


 これ以上の抵抗は無意味だ。潔く自首して、罪を認め……


「冗談でしょ、ゲイルさん! 僕を笑わせたいんですか!」


 砂男の声が響き、意識が引き戻される。


「ファミエルダ夫人が転んだ、って! 笑劇じゃないんですから」


 砂男が腹をかかえて笑っている。それに対し、岩男は真面目な表情を崩さない。


 ――と思いきや、岩男は顔をほころばせた。岩男が初めて見せる表情だ。


「だから言っただろ。馬鹿な妄想だって。これが正解なら、真相にたどり着けるのは詩人か酔っ払いだけだ」


 軽くため息をついて、岩男は続ける。


「どうやら、俺の仮説は最初から見当はずれだったようだ。夫人は後ろから殴られた、ニックの説に同意するよ」


「でしょ! いやー、珍しく僕の推理が当たりましたね。修行の成果かな」


「調子のいいヤツだな。さあ、仕事の続きだ。死体の運搬と犯人の捜索。本部に戻って、応援を頼もう」


「はーい」


 岩男と砂男が扉の方に歩を進める。助かった。俺は耐えたんだ。警察騎士の捜査をかいくぐり、正体を隠しおおせたんだ。


 まっ、『見えないガーゴイル』と呼ばれる俺にかかれば、これぐらいチョロいもんよ。人間を欺くのなんか楽勝、楽勝。


 ああ、良かった。逮捕されたら、死刑台確定だもんな。岩男と砂男が遠くに行くのを待って、俺もずらかるとしようかね。


 ん、待てよ。俺がここから消えたら、現場に戻ってきたこいつらが気づくよな。アトリエから石像が一体無くなってるって。


 どうしよう。俺そっくりの石像を探して、代わりに置いておくか? いや、そんな都合のいい石像があるとは思えないんだけど。まあいい。こいつらが出て行った後でじっくり考えよう。


 岩男がアトリエの扉を開いた。今日何度目かの、木が軋む音がする。そこで岩男は正面を向いたまま、誰にともなく言った。


「事情は分かっている。正直に罪を認めるなら、悪いようにはしない」


 あっ……。


 アイツ、やっぱり気づいてたのか。


 俺の正体も、このアトリエで何が起きたのかも。


 分かったうえで、俺に時間をくれたのか。


 怖そうな顔だけど、優しいところあるんだな。


 ははっ。やっぱり自首しよう。こいつになら、俺の処遇を任せてもいいや。


 そう決断し、俺が石の右足を踏み出そうとした時、


「すいませんでしたー!」


 なぜか砂男が大声を張り上げ、頭を下げた。


「ゲイルさんのデザートを食べたのは僕です! あまりに美味しそうだったので、こっそりいただきましたー! すいませーん!」


 岩男が振り返る。その目には、冷たい怒りが宿っている。


「俺の林檎を食べたのは、お前か?」


「はい……トルカナ産の林檎……美味しかった……です」


「俺の林檎に手をつけると、どうなるか分かるか?」


「えっと…………どうなるんです……か?」


「来い」


 岩男は砂男の首根っこを掴み、


「剣の修行をつけてやる」


 引きずるように出て行った。砂男の悲痛な叫び声が、だんだん遠ざかっていく。


 ははっ。面白いヤツらだったな。結局、俺のことほったらかしじゃねえか。犯人を見逃す警察騎士なんて初めてお目にかかったよ。


 さて、今後のことを考えよう。このまま逃げるのは簡単だが、俺は自首するつもりでいる。事情をちゃんと説明すれば、きっと分かってもらえるはずだ。魔物だから即処刑? いいや、そんな風にはならないさ。人間達はきっと正しい判断を下してくれるだろう。


 岩男と砂男に出会って、俺は考えを改めたんだ。


 案外、人間も悪くないな――ってさ。

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