密室の鍵は開けておけ

 俺はジョン。ガーゴイルのジョンだ。石像そっくりの体を持つ、あのガーゴイルだ。


 一口にガーゴイルといっても、色んな形のヤツがいる。猫そっくりの可愛いガーゴイル、ネズミの体を引き延ばしたような細長いガーゴイル、オークとライオンとグリフォンをごちゃ混ぜにした合成獣型ガーゴイル。個体によって形状は様々だ。


 俺の場合、外見のベースは人型だが、背中には翼が生えている。犬と猿をくっつけたような顔も人間には程遠い。この強面のせいだろう、人間達は俺の姿を見かけると一目散に逃げていきやがる。

 

 まったく。魔物を見た目で判断しやがって。これだから人間は信用できねえんだ。


 確かに、人間にとって魔物は恐ろしい存在なのかもしれない。

 魔物は人を殺すもの――二年前に終戦協定が結ばれるまで、それは紛れもない事実だった。


 現に、ガーゴイルも大勢の人間を殺したさ。石像に擬態して、通りかかった人間に奇襲をしかける――これが俺達のやり方だ。卑怯な戦法だから、ガーゴイル嫌いになるヤツの気持ちもある程度は理解できる。


 だがな、人間と魔物の争いは二年前に終わったんだ。もういがみ合う必要は全然ないはずだろ? 

 なのに、人間達は昔の偏見をいつまでも引きずって、ガーゴイルのことを毛嫌いしてやがる。『ガーゴイルは姑息な人殺し』ってわけだ。ほんと、ひでえ話だよ。


 誤解がないように言っておくが、俺に殺人の経験はないからな。俺って実はかなりの臆病者でさ。人間に襲いかかる勇気がどうしても出なかったんだよね。


 石像に化けて、人間を待ち伏せるところまではいい。だが実際に人間が近づいてくると足がすくんじまうんだな。反撃されるのも怖いし、生き物の命を奪うこと自体にも抵抗があった。


 結局、獲物は俺の前を何事もなく通り過ぎ、そのまま向こうへ行ってしまう。これまでスルーした人間はゆうに百人を超えるな。


 仲間のガーゴイルには散々からかわれたよ。あまりに動かないもんだから、ついたアダ名が『見えないガーゴイル』。姿は見えるけど正体は見えないガーゴイルってわけだ。なかなか的を得たアダ名だろ? 俺も密かに気に入ってるんだ。


 まっ、そんなことはどうでもいい。自己紹介はこれぐらいにして、仕事の話をしようじゃねえか。


 俺は今、ファミエルダ夫人のアトリエに向かっている。夫人は有名な美術収集家でありながら、自分でも絵を手がける実践派。冒険者としての経歴を生かして、スキルを使った芸術に取り組んでいるらしい。


 そのファミエルダ夫人が、どういうわけか俺に絵のモデルを依頼してきたんだ。立ってるだけで金が貰えるなんて、夢みたいな仕事だろ? ガーゴイルにとっては、まさに天職。迷わず引き受けたよ。富豪らしく、金の払いも良かったしな。人間はいけすかねえが、金には代えられない。


 にしても、俺が絵のモデルかあ。あの夫人、人間にしてはなかなか見る目があるじゃねえか。今回の絵をきっかけに、色んな画家からオファーが殺到したりして――


 ――などと、くだらないことを考えているうちに夫人のアトリエに到着した。人里離れた森の近くにぽつんと立っている、丸太の家だ。


 ドアをノックすると、ファミエルダ夫人が顔を出した。


「待ってたわあ、ジョ〜ン。こっちに来てえ」


 わざとらしく語尾を上げる奇妙な喋り方。無駄に首元を開けた派手なドレス。人間達の間では美人で通ってるらしいが、ガーゴイルの俺にはよく分からない。価値観の違いってやつかな。


 ファミエルダ夫人に案内され、アトリエに入る。入口の扉に取りつけられたドアベルが、カランカランと硬質な音を奏でた。


 アトリエ内を見渡すと、奇妙なことに、画材がほとんど見当たらない。机の上に置かれているのは、絵具や筆ではなく鋭利な諸刃の短剣。壁際には、猪やライオンの剥製が展示場のように整然と並んでいる。


 中でも一番驚いたのは、漆喰の壁から突き出ているケルベロスの三つ首だ。


 あの首は流石に模造品……だよな? 魔物の剥製化は法律で禁止されてるはずだし……。


 カチリ、と背後で音がした。振り向くと、ファミエルダ夫人が扉の錠を下ろしている。


「私、神経質だから。開いたままだと、落ち着かないのお」


 鍵をかけ終わると、夫人は両腕を広げて言った。


「素敵な部屋でしょ~? 私の美学の結晶なのお」


「芸術のことはよくわかんねえが、久々に感動したよ」


 正直、悪趣味だと思ったが、本音は伏せておく。大事なお客さんだからな。ここは適当に合わせておくに限る。


「で、俺は何をすればいいんだ? 絵のモデルって話だったけど」


「その前に~、あそこに立って欲しいのお」


 ファミエルダ夫人は、部屋の奥のある一点を指し示した。壁に沿って陳列されている動物の剥製が、なぜかそこだけ置かれていない。俺が来るのを待ち構えていたかのように、ぽっかりと空いている。


「壁に背を向けて、こっちを見てね」


「別にいいけど、何か意味でもあるのか? 壁が後ろにあったら、観察しにくいと思うけど」


「いいの、いいのよ。ほら早く~」

 

 夫人に押し切られる形で、指定された場所に移動する。俺は両手を地面につけて、お決まりのガーゴイルポーズを取った。右には犬、左には鹿。二つの剥製に挟まれた形だ。


 ――それにしても。何だろう、この違和感は。まるで、自分まで展示品になったような気味の悪い感覚は。


「うんうんうん。やっぱり私の審美眼は間違ってなかったわあ」


 ファミエルダ夫人は値踏みするような目つきで俺を見つめる。褒められているので、悪い気はしない。というか嬉しい。いやー、俺にこんな才能があったとはなあ。


「ジョ~ン、そこを動かないでね」


 一瞬の間を置いて、ファミエルダ夫人は低い声で続けた。


「永久に」


「おいおい、何の冗談だよ。さっさと仕事を始めようぜ」


 呆れた俺は、夫人の方へ足を踏み出そうとした。だが、それは未遂に終わった。なぜか体が動かないのだ。


「冗談? いいえ、私はいつでも本気よ」


 その時、ファミエルダ夫人と視線が合った。途端、背筋に冷たいものが走る。夫人は恍惚とした表情に狂気の笑みを浮かべ、その両目は不気味な赤い光を発している。


 直感で分かる。これは相当ヤバい状況だ。


 一体何が始まるんだ……。とりあえず下手に出て、ファミエルダ夫人をなだめよう。うまくやれば、無事に帰してもらえるはず。


「あの……絵のモデルの話はどうなったんでしょうか……」


「罠よ、罠。あなたをおびき寄せるために、適当な嘘をついただけ。私の本当の目的はね。あなたを剥製にすることよ」


 これは帰れないヤツ! 想像以上にヤバい状況だ! 


「動こうとしても無駄よ。スキル【金縛り】で、あなたの自由を奪ったから」


 あの赤い目の輝き……魔眼か! やめてー! 誰か助けてー!


 いやダメだ、助けは望めない。こんな辺鄙な場所に、人が偶然通りかかる可能性はゼロに等しい。頼れるのは自分しかいないんだ。


 こうなったら…………命乞いだ!


「頼む! 命だけは助けてくれ! 俺にできることなら何でもするから!」


「お断りよ。私はあなたをコレクションに加えたい。欲望は我慢しないって決めてるの」


「お、俺の核を壊す気だな! そんなことをしたら、せっかくのコレクションに傷がつくぞ!」


「心配しないで。【透過】と【破砕】のスキルで、核だけ壊すから」


「か、核に傷がついてもいいのか!」


「何の問題もないわあ。だって、中身は見えないんだも~ん。大切なのは外見よ、外見。信仰とか心の美しさとか、目に見えないものに縋るのは不細工なチビだけ。美の本質は見た目にあるのよ、知ってた?」


 こいつ狂人だ! 説得不可能!


「お喋りはこれぐらいにしましょ」


 ファミエルダ夫人は、右手の指をポキリと鳴らした。その手に、水色の光が宿る。【透過】の青色と【破砕】の緑色が混ざっているのだ。


 大きな深呼吸。たっぷりと吐き出した息に続いて、短い言葉が漏れた。


「さようなら」


 ファミエルダ夫人が跳ねるように床を蹴った。赤い視線を固定したまま、全速力でこちらに駆けてくる。前には夫人、背後には壁。逃げ場はない。どのみち【金縛り】の効果で動けないんだけどね。


 って、呑気に分析してる場合じゃねええええ! 殺されるー! やだー! 死ぬのやだー! 死にたくないよー! 神様、助けてええええ!


 そんな俺の願いが通じたのだろうか。信じられない奇跡が起きた。


 ファミエルダ夫人が転んだのだ。


 俺の元に到達する直前、勢い余ったファミエルダ夫人は豪快に転倒。顔面を床に打ちつけて、無様に倒れこんだ。


 スキル【金縛り】は、相手の姿を見ることで発動する。夫人の視界から消えたことで、俺は体の自由を取り戻した。


 これはチャンスだ。今のうちに逃げるしかねえ。


 だが、俺が逃亡への一歩を踏み出そうとしたとき、ファミエルダ夫人の体がぴくりと動いた。


 まずい、復活するぞ。


 どうする。どうすればいいんだ。


 魔眼で【金縛り】を使われたら、今度こそおしまいだ。


 逃亡は不可能。だが、逃げなければ殺される。


 分からない、どうすればいいのか俺には分からない。


 ああ、混乱してきた。今にも夫人は立ち上がりそうだ。ヤバい、ヤバい、ヤバい。


 いや待て。一つだけ方法があるじゃないか。


 自然界の唯一の掟。生存の鉄則。魔物なら誰でも知っている有名な言葉。


 やられる前にやれ、だ!


 うつ伏せで倒れているファミエルダ夫人。その後頭部目がけて、俺の右手が振り下ろされる。


 重く固い石の右手が、夫人の頭を砕いた。夫人は今度こそ完全に動かなくなった。


 ………………。


 ……………………。


 …………………………やっちまったああああ!


 違うんだ、一時の気の迷いなんだ。俺は夫人を殺す気なんてなかったんだ。


 必死で抵抗しただけなんだよー!


 ど、どうする。警察騎士に連絡して、事情を説明するか? 『夫人が俺を殺そうとしたので、反撃したら死にました』って言えば納得してもらえるか?


 ありえねえ! 人間が魔物の言うことを信じるわけがねえんだ。ろくな調査もせずに、俺の仕業だと勝手に決めつけるに違いない。そうなったら処刑台に直行だ。せっかく命を拾ったのに、みすみす捨ててたまるか!


 こうなったら逃げるしかない。幸い、アトリエは街から孤立していて、目撃者は皆無。事件が発覚するまで、一日二日はかかるだろう。俺が殺した証拠もない。


 よし、逃げよう! 俺は死体をまたぎ超え、入り口に向かった。その途中、扉横に取りつけられた窓から、外の光景がちらりと見えた。


 アトリエに二つの人影が接近している。


 誰だ、夫人の知り合いか? 明らかに、こっちに向かってくるぞ。今の状況だと、俺が夫人を殺したようにしか見えない。何とかやり過ごさねえとな……。


 今こそ、ガーゴイルの本領を発揮する時だ。石像のフリをして、ヤツらが帰るのを待つ。犯人はすでに立ち去ったと思わせるんだ。ファミエルダ夫人が俺のために用意したスペース、たっぷり利用させてもらうぜ。


 その前に、一つだけやるべきことがあるな。夫人が鍵を閉めたせいで、このアトリエは現在、密室状態に置かれている。謎の来訪者が死体に気づかないのがベストだが、窓があるからそうもいかない。


 ヤツらは鍵をこじ開けるか、扉を壊すかして部屋に入ってくるだろう。密室で死体を見つけたら、部屋の中に犯人が残っている可能性を第一に疑うはずだ。それだけは避けなければならない。


 つまり、俺がやるべきことは。


 密室の鍵を開けておくことだ!


 錠前を外してから、アトリエの奥へと引き返す。そして、ファミエルダ夫人の死体をもう一度またぎ超え、


 バキッ!


 ん? 今、何か踏んだような……。


 ええい、知るか! 今は時間がねえんだ。


 俺は元の位置、犬と鹿の間に戻り、恒例のガーゴイルポーズを取った。これで俺がガーゴイルだと見抜けるヤツはいない。どこからどう見ても、ただの石像だ。


 扉の外に、人の気配がする。どうやら謎の来訪者が到着したらしい。


 俺の命をかけた、決死の戦いが始まろうとしていた。


 頼むから、バレないでくれよ!

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