そのうちやってくる怪異に立ち向かう俺は、幽霊ちゃんと一緒にオカルト研究会に入会します

@hypo

プロローグ 「小説」



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2019/5/10 



 時々、どうして人は生きるのかと考えることがある。



 皆だれかより優れたくて、皆が皆を踏み台にして上に立とうとする。



 皆努力をして、才能を振り絞って、他人を踏みにじって



 上に立とうとする。



 何もしなければ何も残せないし価値もない。



 存在する価値すらも見失いそうになる。



 だからこそ



 才能もないくせに頑張っても来なかった自分が、そんな自分が嫌になる。


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 私はノートを閉じた。





  チャイムの音と共に学校が終わり、今日も教室で暇を潰す。


 特に気に入ってもいない本を読んだり、スマートフォンを見たり、時々机に突っ伏したりとして暇を潰す。


 そして起きては「人は繰り返し練習を重ねると上達する」と当たり前のことが書かれたくだらない内容に呆れながらも、暇に勝るものはないと思いそれを読み進める。


 そのうち、窓の外の運動部達が水分補給を始める。


 それを目撃し終わる頃には、眠気に勝てずに目を瞑っているだろう。


 気付けば頬に熱を感じ、目を開けば辺りがオレンジ色に染まっているのだろう。


 それを合図に私は起き上がって荷物をまとめる。


 夕日を眺め、一日の終わりを実感する。


 それが私の日課だ。


 そうやってずっと終わることのない毎日が、きっと明日も顔を出すのだろう。


 時々退屈な表情を浮かべながら。





 私は帰路についた。





  今日も、チャイムの音と共に何もない一日の終わりを実感する。


 日課を終え家に帰り、食事や風呂を済ませ布団に潜り込む。


 風呂の前には、腕立て伏せや腹筋運動等を行う。


 風呂に入り、その疲れで眠気を誘い目を瞑り朝を待つ。


 気付けば鳥のさえずりが聞こえる。


 それを合図に、締め切ったカーテンに僅かな光をが差し込む。





 朝だ。





 重い体を起こし、身支度を済ませ戸を開く。


 目を細めて一歩を踏み出し、学校へ向かう。


 蝉時雨が時々耳障りになり、日が肌を焼く。


 しかしながらも、確実に目的地へと足を運ぶ。


 そして再び退屈と戦い、それが終了したことをチャイムが知らせる。


 その後、いつも通りに本を読み机に伏す。


 なんの面白みもない、ただの日常。


 そんな日々を横目に、私は目を瞑った。





「あの、すみません」





 声が聞こえた。


 透き通る声。


 それはとても心地よいものであった。


 まるで夢の中にいるような感覚、それが現実であることが忘れてしまうくらいに。


 ゆっくりと目を開く。





 それは、そこに立っていた。





 制服を着た女性。


 初めて見る顔、見慣れた制服。


 違うクラスの人だろうか、そんな憶測と同時に、何故今まで知らなかったのだろうと後悔を覚える。


 夕焼けを背景に、肩に届かない艶やかな黒髪が映える。


 キリっとして真っすぐに、しかしながらも優しい目を持っていた。


 それは、とても美しかった。


 嘘偽りのない表情で私を見つめる姿が、それが絵画として成り立つと思うほどに。




 自重を知らないその衝撃は、重く深く響く。


 色を失いかけた日常、そして灰色の世界に、オレンジに照らされる彼女が、その彼女だけが鮮明に私の瞳に映った。


 緊張を殺し、目を合わせる。





 一瞬の静寂。


 心臓の鼓動をいつまでも感じながら、何もできずにただ彼女を見つめた。





「私のノート見なかった?」





 彼女はそう言った。


 消える静寂。


 一瞬の戸惑い。


 私は、その問いに答えた。





「見てないです」





 緊張と動揺の感情から発せられた声。


 それはきっと、彼女にも伝わっているだろう。


 恥ずかしさ混じりに目をそらす。





「そっか」





 再び眠りに誘うような、穏やかな返事であった。





「ありがと、それじゃあまたね」





 そう言い残し、彼女は教室の戸を開き余韻を残して消えていく。


 悪くない心地を枕に、もう少し眠ることにした。





 数十分後、まだ消えない余韻を噛みしめて帰路についた。





  朝だ。今日もまた、今日を繰り返しに行く。


 今までの今日との相違点と言えば、高揚感と少しの期待を抱いていることくらいだ。


 そのくらい平凡で、非凡であった。


 身支度を済ませ学校へ向かう。


 退屈と戦い、そして放課後を迎える。


 私は期待を胸に、わざとらしく机に突っ伏した。





 少しの期待と、淡い想いを抱きながら。





 眠れるはずもなく、ただ時間は過ぎる。





 そして





「やっほー」





 その声は、私の期待を軽く上回る。


 やはり彼女はそこに立っていた。


 わざとらしくゆっくりと目を開き、昨日を再現する。





「ああ、どうも」





 気取った態度を、ぎこちない発音とともに表す。





「もしかして緊張してる?」





 まるで内心を見据えているように、彼女はからかった表情を見せた。





「いえ、その......」





 ただただ恥ずかしさがこみ上げる。


 脈動する心臓に耐えられず、私は彼女に問う。





「あ、あの、ノートは見つかりましたか?」





 もはや緊張を誤魔化す気力は残っていない。


 しかし、彼女はそれを嘲笑うことはなかった。


 寧ろ予想外といった、少し驚いたような顔を見せ彼女は答える。





「結局見つかんなかったや。でも、ありがとうね」





 それはどこか悲しそうで、しかし嬉しそうな、むず痒い表情でに笑顔を向けた。


 なんだか照れてしまい、元々合わせていない視線を更にずらす。





「そういえば、自己紹介がまだだったね」





 彼女は続けて言う。





「私は片霧 葵 17歳 趣味は読書です」





 真面目な顔で一文を読み終えた後、彼女は少しはにかんだ。


 その表情の意味が、緊張によるものだと直ぐに理解できた。





 覚悟を決めて、口を開く。





「私は大石 一徹 17歳 趣味はありません」





 私もまた、一文を読み終えた。





「あはは」





 からかった表情で、彼女は笑った。





「一人称が私って、なんか女の子みたいだね」





 彼女はそう言った。


 恥ずかしさと緊張の表情で、私も笑った。


 続けて彼女は言う。





「しかも敬語だし、同い年なのに」





 彼女は少し不思議そうな表情を浮かべた。





「それは......」





 私が困惑することを予想していたように、彼女は言葉を紡ぐ。





「別にそのままでもいいよ、面白いし」





 彼女はニッと笑って見せた。


 熱を持った私の頬から、思わず笑みがこぼれる。


 それから、会話を行った。


 初対面ではないが、まだ日が浅い。


 緊張はまだ解けない。


 緊張と恥ずかしさで私が目をそらしても、彼女は私の目を捉え、外さない。


 慣れない会話、ぎこちない仕草。


 それでも彼女は私に優しく接してくれた。


 今日の天気や、授業の話題。


 そんなくだらない話にも興味を引いてくれた。


 日課で行っている筋トレのことも褒めてくれた。


 お世辞であったとしても、私を褒めてくれた。


 時々からかい、時にそっぽを向く。


 しかしながらもずっと笑顔の彼女には、ただただ感謝しかない。


 照れくさい時間は、彼女と共に終わりを告げた。





「これからよろしく、それじゃあまたね」





 そう言い残し、彼女は教室の戸を開き余韻を残して消えていく。





「じゃあ、また」





 私は小さく呟いた。


 少しの気恥ずかしさと、心地よい余韻から発せられれた声。


 それはきっと、彼女には伝わっていないだろう。





 数十分後、起き上がり荷物をまとめ教室を出て廊下を渡り、階段を下る。


 途中、ふと廊下の掲示板が目に入った。


 保健室からの感染病の注意書きや学校行事の知らせ、中央に大きく「祝・長瀬浜高校男子硬式野球部甲子園出場」の文字の並びが見える。他人事のように感じたが、心の中で応援することにした。





 今日は気分がいい。





 家に帰り一通りの家事を済ませた後、日が落ちてすっかり暗くなったことに気付いた。


 久々にテレビをつけてみた。


 「私立長瀬浜高校男子硬式野球部 甲子園出場! 20年の雪辱を果たせるか! 驚きの練習方法に密着取材!!」 


 チープなフォントに緑色に着色されたテロップが目に入る。


 驚くことに、母校が取材を受けていた。


 タイムリーな内容に、ほんの少し心を躍らせた。


 そういえばいつの日か、カメラを持った人や炎天下の中暑苦しいスーツを着た生真面目な人たちが、グラウンドに立ち入っていた光景を目にした記憶があった気がする。


 それを取り囲むように、他の運動部が見守っていたことも印象的だった。





 本題に入る前に、尺稼ぎに母校の歴史や特徴に触れていた。


 食堂に置いてある「珍味☆コーラ鍋パン」を物珍しそうにレポーターが手に取ったり、男子硬式野球部以外の部活を見て回り、集会の話が長く、理屈の通じないことで有名な校長に話を伺った際には、昔は「珍味☆サイダー鍋パン」が存在していたが不評により廃止になったことや、校長の意向で昔から制服を変えずに貫いてきた事、授業のカリキュラムも一切変更しなかった事が述べられていた。


 その頑固さに呆れを感じながらも、どうにかしてきた校長に少々の尊敬をする。


 そんな、どうでも良い事をテレビは垂れ流す。


 それを流し目に家事を進め、時を刻む。





 いよいよ本題に入り、野球部の練習方法について監督に取材をしていた。


 どうやら技術の関係しない基礎の体力や筋力の向上を重視しているようで、例え才能がなかろうが自分を信じることが重要らしく、それをチームメイト同士で支えあっていくようだ。


 説得力のない校長とは対照的に、簡潔で理解しやすい意見を述べた監督に尊敬の眼差しを向けた。


 気付けば番組は終了し、直近のニュースが流れた画面になっていた。


 テレビを消し、布団に入る。


 暑さで疲れが蓄積されていたのか、ゆっくりと眠ることができた。





  あれから彼女とよく遭遇するようになった。


 タイミングは決まって放課後、夕日が沈む少し前には帰ってしまう。


 一緒に帰りたいという下心を隠すために、普段より長めに教室に滞在する。


 私の日常に、ほんの少しだけ変化が訪れていた。


 今日もまた、例外ではない。





 「いつも何の本読んでるの?」





 彼女は首を傾けて私に問う。





 「くだらない自己啓発本です」





 苦笑いとともに答える。


 彼女はそれを覗きながら時を刻む。


 本の中の一部を目にした彼女は、口を開く。





 「変化を恐れるな、だってさ」





 彼女は気難しい表情を見せながら続ける。





「変わるって、少し怖いよね。 今まで頑張ってきたものが全部無駄になっちゃうみたいで」





 その意見には同意だ、変わってしまえば何もしてこなかった事と同義になる。





 「私もそう思います」





 それを彼女に伝えた。


 彼女はニッと笑って見せた。


 裏表ないその表情に、私は安堵をして笑みを返す。


 その後、他愛のない会話を交わした。


 廊下の掲示板に貼られていた、甲子園出場のことも話してみた。


 彼女は目を輝かせ、「すごいよね!頑張ってほしい!!」といった。


 無邪気な笑顔。


 この空間とずっと共にしたいと感じた。





 ふとノートのことを思い出した。


 少しの疑問と、ただの好奇心だった。





「そういえば、ノートには何が書いてあったんですか?」





「小説だよ」





彼女は少し恥ずかしそうにそっぽを向いた。





「自分で書いたの、恥ずかしいよね」





 気のせいだろうか、一瞬、夕日に照らされていたはずの明るい表情が少し沈んだように感じた。





「それはどんな内容なんですか?」





 私は彼女を嘲笑うことはなく、問う。





「男の子がね、主人公の女の子の高校に転校してくるの。 それでね、いじめにあっている女の子を救い出すんだ。」





 彼女は続ける





「でも結局、救うことはできなかった」


「女の子はただ何もせずに助けを求めただけで、そこに価値は生まれなかったんだ」


「女の子は部活をやっていてね、すごく頑張ってたんだ」


「男子の目を惹くために、ファッションで部活をやってる子に負けずと頑張ってたんだ」


「でも真面目ぶってるように見えた女の子が気に障ったのか、数人の女の子は主人公の女の子に嫌がらせをするようになったの」


「主人公の女の子は、部活の結果もその子達に勝てなくてね」


「頑張っても意味がないって思っちゃったの」


「いや、頑張ろうともしなかったのかもしれない」


「才能には勝てなかったんだ」


「だからいじめられたの」


「そんな自分が嫌になっちゃった女の子は、学校に行けなくなっちゃったの」


「しょうがないよね、何もしてこなかったんだから」





 先ほどの空目が、本物であることを確かめた。


 今にも泣きそうな、いつも笑顔だった彼女が初めて見せる表情。





「そんなのは間違っている」





 私は、深く息を吸った。


 臆病な自分を、この時だけは押し殺す。


 そうしなければならないと思った。


 彼女は心外そうに、目を見開き驚いた。


 彼女の目を捉え、外さない。


 これは小説じゃない、彼女が並べた言葉は重く深く響く。





 だから彼女はきっと、私と同じだ。















 ――思えば、ずっとそうだった。





  中学まで、野球に打ち込んでいた。


 才能もないくせに、興味だけは一人前だった。


 儚い夢は直ぐに打ち滅ぼされることになり、野球を辞めた。


 人と接するのが怖くて、誰にも気にかけられず死んでいく。


 そんなことを考えながら日々を過ごす。


 締め切ったカーテン。


 窓の外が怖かった。


 放課後の夕暮れに、窓の外の世界に憧れていた。


 世界は次第に色を失い、家に帰れば誰もいない。


 夜は眠れず、朝が来る。


 体は重く起き上がらず、戸はそれよりもずっと重い。


 暗くなった部屋で無音と共に過ごした。


 ゴミは次第に溜まり、己の心情を表すように、それは不愉快にざわついた。


 存在を消し、コミュニケーションを避けた。


 徹底的に。


 そうやって過ごした日々は、いつしか自身の仮面になっていた。





 ――私――





 自我の形成の一部を担う一人称。


 弱々しい、くだらない自分にはこれが一番よく似合う。


 その仮面は、いつしか張り付いて取れなくなってしまった。


 高校に入るときに、家族に一人暮らしを申し出た。


 彼らは何も言わずに頷いた。


 今思えば、生ぬるい生活を送ってきたと思う。


 何不自由ない人生で、何一つ自由を求めなかった。


 そんな自分が、嫌になる。





 そんな自分に、彼女が、彼女だけが自分を認めてくれた。


 己の全ての否定を、肯定してくれた。


 どんな些細な事も、くだらない事も。


 灰色の世界に、彼女だけが色付いていた。





 ――硬直する彼女を真っすぐに、しかしながらも優しく見つめた。





「私も同じだ」


「暗闇の中でだれも助けてくれない」


「いくら苦しんだって、助けを求めたってそこには何もない」





「時々、どうして人は生きるのかと時々考えることがある」


「皆だれかより優れたくて、皆が皆を踏み台にして上に立とうとする」


「皆努力をして、才能を振り絞って、他人を踏みにじって上に立とうとする」


「何もしなければ何も残せないし価値もない」


「存在する価値すらも見失いそうになる」


「だからこそ」


「才能もないくせに頑張っても来なかった自分が、そんな自分が嫌になる」





 続けて私は言葉を紡ぐ。





「けれど」


「あなたは教えてくれた」


「何も望まない、何も求めない人間がいたって良いはずだ」


「他の誰かより優れている部分なんてない」


「ただそこに居てくれればいい」


「存在する価値も、生きなきゃいけない理由も何もない」 


「ただただそこに居てほしい」


「それでいいじゃないか」





「なに......それ......」





 彼女は涙を流しながら、口角を上げた。





「私が好きな小説の一節です」


「良かったら、一緒に読みませんか?」





 彼女は返事の代わりに、適当な机と椅子を見定めそれを私の隣に置き、座った。


 しばらくの間、無言が続く。


 妙に安心な、気まずいような、そんな居心地の良い時間。


 私は本を読み、彼女は隣でそれを覗く。


 それを横目に、時を刻む。


 互いに落ち着いた頃、彼女は私に言葉を投げた。





 「一徹君はさ、彼女とかいないの?」





 「え?」





 唐突で、何の変哲もない問い。


 心臓が高鳴る音を聞いた気がする。


 深い意味はないのか、気まずくなった現状を打破する為の話題でしかないのか、ただのからかいか。


 それとも。 





 平常心を保つために、もっともらしい理由を必死に探した。





 「いないです」





 私は続ける。





「というか、そんなのに興味ありません」





 冷めきった答え。


 ただの嘘である。


 わざとらしい嘘。


 それを見据えたように彼女は、わざとらしく顔を近付けた。





 「ほんとにー?」





 顔に日が当たり、頬が熱くなるのを感じる。





 「ほ、本当ですって」





 私は目をそらした。





 恥ずかしくなった私は、机に伏し彼女に見えずらいように本を読む。


 彼女はそれを必死に見ようと、しばらくの間が過ぎる。


 そんなやり取り。


 気付けば、腕を枕に眠っていた。





  目を覚ます。


 見慣れた風景、帰り道の路地であった。


 塀で区切られた住宅に囲まれた一直線。


 夕日に彩られ、オレンジ色に反射する。


 戸惑いを隠せずに歩き始める。


 ここは夢なのだろうか。


 意識がはっきりとし、現実と区別がつかない感覚を覚える。


 同じ景色が続き、辺りは無音。


 ほのかに香る余韻を噛みしめる。


 歩き続けている。


 その内違和感を覚える。


 景色が変わらない。


 歩いても歩いても、何も変わらない。


 辺りの住宅は暗い。


 庭の中を覗いても暗く何も見えず、生活の気配を微塵も感じることはできない。


 風がなびき、足元に違和感を感じた。


 目線を下す。


 紙だ。


 一枚の新聞紙。


 それが左足に引っかかっている。


 私はそれを拾い上げ、目を通した。


 1999年8月26日の記事だ。





「私立長瀬浜高校男子硬式野球部 甲子園準優勝」





 見出しにはそう書かれてあった。


 その端に小さな記述を目にした。





「私立長瀬浜高校 少女が自殺 いじめが原因か」






 内容は、テニス部の少女が自殺。


 容疑者は同じ部の3人の同級生。


 それだけが書かれていた。



 



 突如、静寂に轟音が突き刺さる。


 新聞越しに何かが飛散し、そのうちいくつかは私と新聞紙に付着した。


 手に持った新聞を下げ、視線を音の主へと向ける。


 人型の肉塊。


 それが、そこに落ちていた。


 それは立ち上がり、こちらに向かう。


 腐敗臭と共に引きずる血糊。


 体は硬直し、それを見つめることしかできない。


 緊張を殺し、目を合わせる。


 心臓の鼓動をいつまでも感じながら、何もできずにただそれを見つめた。


 それは私の目の前で、立ち止まった。





 辺りは無音。





 吐息が肌に触れてしまうくらい、そのくらいの距離。


 思わず息を止める。


 果たしてそれは人か、化物か。


 数歩後退した。





 何かが目に浮かぶ。 





 空に鯨。


 顔が映えた電柱。


 大きな蛙が、こちらに向かう誰も乗っていない車を轢いた。


 首だけの人間は、首のない人間に踏みつぶされた。


 住宅の屋根からこちらを覗く、目のついた六本指。


 アスファルトの一部が円型に口を開き、脇の排水路から表れた虫の大群が吸い込まれた。


 歯形のついた林檎が、笑いながら血飛沫を上げた。


 皮から人の生首が飛び出した狐のような物が、腹を開いて大量の蛆を出す。





 その肉塊の後ろで、それらは息をしていた。


 それ以上の情報は、体が拒否をする。





 その肉塊が腕のようなものをこちらに差し伸べた瞬間。


 そこまで確認した後、意識が飛んだ。


 一瞬だった。





  気が付いた頃には、学校にいた。


 先ほど寝ていた教室だ。


 彼女は、そこにはいなかった。


 荷物を持ち、帰路につく。


 途中、普段は聞かない声を聞いた。


 3人の嘲笑う声、1人の泣き声。


 そこが学校であることは確かであるが、どの部屋であったかはわからない。





「ごめんなさい......


お願いだからもうやめて......」





 今にも消えそうなその声が、3人に届くことはなかった。


 殴打や裂傷の音がいくつか聞こえた。


 私はそれに向かって歩いた。


 色を取り戻した瞳に、鮮血が迸る。


 私の頭に血が上る。


 どうやら、芯までは腐っていなかったらしい。


 それに向かって。


 一言。 





「やめろ」





  気付けば、意識が飛ぶ前の路地に戻っていた。


 異形の者達も、跡形もなく消え去っていた。


 本当に、意識が飛んでいたのかも定かではない。


 そのくらい曖昧で、同時に確証を得る。





 私の胸が濡れ、温かいぬくもりを感じた。 


 私も同じように、それに腕を回した。





「ありがとう」





 と彼女は一言告げた。





 覚悟を決めて、口を開く。





「あなたと出会ってから変わったことがある」


「変わらない暗闇に、何者にもなれなかった後悔に」


「光をくれた」


「この空間だって悪い心地はしない」


「例え君が終わることのない日常へと私を誘ったとしても」


「私はあなたについていく」





 小説の一節のような台詞。


 変に気取った態度で、真っすぐな態度で。





「何者にもなれなかった私があなたに告ぐ」





「あなたが何者であろうと、何者でなくとも」





「私は」





 いや、違う





「俺は」





「葵、君を愛している」































 ――繰り返された日常はいつしか終わりを告げ、わずかな変化を横目に時は刻む
































  夕日が頬を加熱する。


 眠っていたことに気付き、ゆっくりと目を開く。


 夕日に暮れる教室が目に入る。


 それと同時に





 「おはよう」





 俺の隣で、同じ姿勢で向き合う彼女。


 窓も空いていないのに艶やかな黒髪が靡き、キリっとした目がこちらを覗く。


 吐息が肌に触れてしまうくらい、そのくらいの距離。


 思わず息を止める。





 「おつかれさんだね」





 妙に艶やかな表情で、俺を見つめる。


 彼女も寝起きなのだろうか、そんなことを考える暇もなく鼓動は加速する。





「えっと、その......]





 心臓が、破裂を迎えたがっている。


 夢のようなシチュエーションに、それが現実か否かを判断する冷静さは欠片もない。





「なーに?」





 優しい瞳で、ゆっくりと彼女は俺を撫でおろす。





 ヒグラシの鳴き声や、窓の外の運動部の掛け声が聞こえてきた。


 毎日聞いているはずなのにそれが久しぶりに聞いたような、まるで夢から覚めてしまったようなそんな甘酸っぱい心地よさの中で目を閉じた。







































「ありがとう、私も好きだよ」





 ――そんな声が、聞こえた気がした





  



































  いつだったかは覚えていない。


 それは夢であったかもしれないし、現実であったかもしれない。


 あれから彼女と出会う事はなくなった。


 今まで目を瞑ってきたものに終わりを告げ、いつも通りの日常を過ごす。





 チャイムの音と共に学校が終わり、今日も教室で暇を潰す。


 お気に入りの本を読んだり、彼女が一度も見ることのなかったスマートフォンを見たり、時々机に突っ伏したりとして暇を潰す。


 そして起きては机の上にずっと置いてあった他の誰かの日記のような小説を、前にひとしきり読んだ後ずっと避けてきたそのノートを、机の中から取り出す。


 いつしか覚えた少しの疑問とただの好奇心は、そのノートが彼女のものであると答えを導いた。





 唯々、それを読み進める。





 そのうち、掛け声と共に窓の外の運動部達が水分補給を始める。


 よく観察すると、彼らはとても充実した顔で仲間と肩を組んでいた。


 それを目撃し終わる頃には、眠気に勝てずに目を瞑っているだろう。


 気付けば頬に熱を感じ、目を開けば辺りがオレンジ色に染まる。


 ヒグラシが、物足りなさそうに鳴いているのも耳にした。


 それらを合図に、俺は起き上がって荷物をまとめる。


 夕日を眺め、一日の終わりを噛みしめる。


 それが俺の日課だ。


 そうやってずっと終わることのない毎日が、きっと明日も顔を出すのだろう。


 時々幸せな表情を浮かべながら。





 俺は帰路についた。


 途中、ふと廊下の掲示板が目に入った。


 保健室からの熱中症の注意書きや学校行事の知らせ、中央に大きく「祝・長瀬浜高校男子硬式野球部甲子園優勝」の文字の並びが見える。


 周りに誰もいないことを確認した後、小さくガッツポーズした。





 今日も気分がいい。





 家に帰り一通りの家事を済ませた後、日が落ちてすっかり暗くなったことに気付いた。


 部屋の電気をつけ、テレビを見る。


 「祝・私立長瀬浜高校男子硬式野球部 甲子園優勝! ついに20年の雪辱を果たした! 20年分の監督の思いとは??」 


 チープなフォントに青色に着色されたテロップが目に入る。


 驚くことに、母校が取材を受けていた。


 タイムリーな内容に、心を躍らせた。


 そういえばいつの日か、カメラを持った人や炎天下の中暑苦しいスーツを着た生真面目な人たちが、グラウンドに立ち入っていた光景を目にした記憶があった気がする。


 他の運動部が、野球部と肩を組んでいたことも印象的だった。


 相変わらず頑固な校長の長話で尺を稼ぎ、監督は部員と肩を組みながら努力の成果を誇らしげに掲げていた。





 自分のことのように楽しんだ後、眠りについた。





  今日も、チャイムの音と共に何もない一日の終わりを実感する。


 日課を終え家に帰り食事や風呂を済ませ、部屋の掃除を行って布団に潜り込む。


 風呂の前には、腕立て伏せや腹筋運動等を行う。


 風呂に入り、その疲れで眠気を誘い目を瞑り朝を待つ。


 疲れた体にゆっくりと睡眠を捧げ、気付けば鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる。


 それを合図に、カーテンから光が差し込む。





 朝だ。





 特に不自由のない時間に体を起こし、身支度を済ませ戸を開く。


 一歩を踏み出し、ゴミを出して学校へ向かう。


 蝉時雨が時々耳障りになり、日が肌を焼く。


 しかしながらも、確実に目的地へと足を運ぶ。


 そしてそう悪くない退屈と再び戦い、それが終了したことをチャイムが知らせる。


 その後、いつも通りに本を読み机に伏し暇を潰す。


 昔から趣味で書いていた自作の詩のような、はたまた日記のような小説の続きを、自分のノートに書く。





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作者 大石 一徹





2017/5/23



 学校に行って、何気ない日々を過ごす。



 肩を組みあって、笑って、笑い疲れて眠る。



 そんな日々を望んでいる。



 だから、だれかが困っていれば救いにいって努力している人を支えあう。



 才能なんかなくたって構わない。



 それでも、努力する。



 何も残せなくても、意味がなくても、価値がなくても、結果を求めずただ必死に、努力する。







 ――ただ一つでいい、必ず貫き通す――







 それはいつしか芯となり、どれだけ傷ついても決して砕けぬ信念へと進む。



 誰かが困っているとき、泣いているとき、必ず救い出す。



 必ずだ。 



 それが誰かの力になることを信じて。





2019/5/10 



 時々、どうして人は生きるのかと考えることがある。



 皆だれかより優れたくて、皆が皆を踏み台にして上に立とうとする。



 皆努力をして、才能を振り絞って、他人を踏みにじって



 上に立とうとする。



 何もしなければ何も残せないし価値もない。



 存在する価値すらも見失いそうになる。



 だからこそ



 才能もないくせに頑張っても来なかった自分が、そんな自分が嫌になる。





2019/8/26



 けれど



 あなたは教えてくれた



 何も望まない、何も求めない人間がいたって良いはずだ



 他の誰かより優れている部分なんてない



 ただそこに居てくれればいい



 存在する価値も、生きなきゃいけない理由も何もない 



 ただただそこに居てほしい



 それでいいじゃないか



 ずっと誰かに愛されたかった彼女は、ノートに綴る。



 誰も手を差し伸べてくれなかった暗闇に、憎悪に苦しんだ。



 何をしたって変わらないと嘆いた。



 耐えることしかできなかった。



 だから、真正面から抱きしめた。



 そして共に歩む。



 変化の訪れである。


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俺はノートを閉じた。





 なんの面白みもない、ただの日常。


 そんな日々を横目に、俺は目を瞑った。


 少しの期待と、淡い想いを抱きながら。



































「ひさしぶり、元気してた?」



































 声が聞こえた。


 透き通る声。


 それはとても心地よいものであった。


 まるで夢の中にいるような感覚、それが現実であることが忘れてしまうくらいに。


 ゆっくりと目を開く。





 制服を着た女性。


 見慣れた顔、20年間ずっと変わらない見慣れた制服。


 20年間変わらなかった同じ授業を受けて、同じ会話を交わしてきた記憶が蘇る。


 違うクラスの人だろうか、わざとらしい疑問を浮かべ、何故今まで会えなかったのだろうと後悔を覚える。


 夕焼けを背景に、肩に届かない艶やかな黒髪が映える。


 キリっとして真っすぐに、しかしながらも優しい目を持っていた。


 それは、とても美しかった。


 夕日のせいで熱を持った表情で俺を見つめる姿が、それが絵画として成り立つと思うほどに。





 葵は、そこに立っていた。

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