タチバ・スワップ

 五月の陽射しは、とても優しい。


 あまりに優しすぎて、二度寝してしまいそう。


 ぐぅ。


「……ねえ……」


 ああ、なにか優しい声が聞こえる。

 これはきっと天使が発する、夢の中へいざなう声だ。


「……ねえ……」


 しかもこの声は、おそらく俺調べでは、かなりかわいくて胸もデカくて優しい性格の天界キャバクラナンバーワンの座に君臨している天使が発する声に違いない。

 据え膳食わぬは男の恥、天使を求めて俺は今日も夢の中へ。


「……ねえ! 祐介、いいかげんに起きてください……」


「……んあ?」


 ガバッと布団をはぎ取られ。

 身体の軽さに、ようやく現実を理解した俺は、目を一回こすり、開けた。


「……って、琴音か」


「寝坊しそうな隣人をこんな朝早くからわざわざ起こしに来てあげる優しい人間が、わたし以外にいると思わないでください」


「ごめんねいつも起こしに来てくれて。でも、きょうだけは後生だ……夢の中で天使が呼んでいるんだよぉ……あと二時間だけ……スヤァ」


「いつからそんなに贅沢な時間の使い方できるほど偉くなったんですか」


 体をゆすられる。


「我は惰眠を極めし者……瞬獄眠……」


「それ寝たら地獄に行っちゃうダメなやつです。いいから早く起きてください、無駄に時間を浪費するじゃありませんか。登校前の時間は短いんですよ」


「誰のせいですか……」


「祐介のせいです」


「ぐうの音も出ない……ぐぅ……」


「出てるじゃないですか。いいかげん起きないと濡れタオル顔に乗せますよ」


 そう言って身を寄せてくる琴音のポニョが肩を圧迫してくる。肩の上のポニョ。

 おお、天使のほっぺみたいな柔らかさだ。


 …………


 混乱していた。

 天使ここにいるじゃん。


「起きる。すまん」


「相変わらずすごいですねその変わり身」


 目をパッチリ開いて起きる意思を表明した俺に、あきれる琴音ではあるが、目は怒っていない。

 これも今まで何度繰り返された光景だろうか。


『隣に住んでいるからこそ、したいことがいっぱいあるんです!』


 隣に引っ越してきた琴音が、キラキラと目を輝かせながら俺に向かってそう言ってきたあの日から、ずっと繰り返されてきた朝のお約束。

 俺の家の隣だとは知らされていなかったらしい桑原さんと初音さんがあのときに見せた呆気にとられた顔は、今でも鮮明に思い出せる。


『琴音が、ここがいいって強硬に主張していた理由は、これなのね』


 引っ越しのあいさつで開口一番、初音さんが言ったセリフがこれだ。


 無論、我が家の戸惑いっぷりは白木家──今は桑原家、だが──以上だったことはいうまでもないが、半年近くもお隣さんとしての親密なお付き合いを続けていれば、普通にそれが当たり前と認識されるようになるわけで。


「はいはい、はやく顔を洗って頭をしゃっきりさせてください。本当にもう、わたしがいないと早起きもできないんですか」


「すまんなだらしない彼氏で」


 人間、堕落するのは早い。琴音が起こしに来てくれるようになったせいで、自力で早起きするという選択肢は俺の認識から消えた。


 顔を洗ってから着替えようと、寝巻のまま制服を持ち、琴音と一緒に階段を下りると、下でおふくろが立っていた。


「オッスおふくろ」


「おはよう、祐介。琴音ちゃん、毎日ごめんね」


「いいえ、好きでやっていることですから。むしろいつも朝から押しかけてご迷惑では……」


「どうせいつかは一緒に住むことになるんだし、そんなこと気にしなくて結構よ」


 もうこの手の会話にツッコむ気にもならんわ。

 社交辞令なのか本音なのかわからない会話をしている二人をほっといて、俺は顔を洗うため洗面所へ向かう。


「おはよう、お兄ちゃん。今日も朝からあっついねー」


「そうだな。まだ五月なのにな」


 微妙にすれ違う兄妹の会話。佑美とはもうわかり合えない、性的嗜好からして。


「お兄ちゃんが結婚したらあたし邪魔者になりそうだから、ナポちゃんとこに居候させてもらおうかな」


「小松川家の同意を得られるならそれでもいいと思うぞ」


「ナポちゃんの寝込みを襲うこともできるし!」


「絶対部屋のドアにカギをかけられると思うけどな」


「お風呂でバッタリ、ハプニングも満載!」


「女同士でそこに興奮する気持ちがわからんわ」


 佑美の妄想に適当なツッコミを入れて受け流し、顔を洗って洗面所を出ると。

 オヤジがちょうど出ていくところだった。


「起きるのが遅いぞ、惰眠をむさぼる堕民めが」


「それうまくもなんともねえからな? 朝っぱらから十四歳真っ盛りか」


「なんとでも言え。俺はもう行く」


 朝のお約束もそこそこに、オヤジがおふくろのほうを見る。


「行ってらっしゃい、あなた。今晩はカキフライよ」


「おおそうか、楽しみにしてるよマイハニー。じゃあ行ってくる」


「……」


 バカ夫婦のやり取り、ウィズハグ。ツッコむのはとっくの昔にあきらめた。

 オヤジとおふくろは、最近ずっとこんな感じだ。この歳になって色ボケ夫婦が復活するとはこの海のリハクの目をもってしてもフシアナサンだったわ。

 なんせ、オヤジはスロットをはじめとするギャンブルから足を洗ったしな。天変地異の前触れかとも思ったが、そのぶんおふくろとのイチャイチャが増えた。


 イチャラブ要素って経済的に重要だな……ま、家庭円満なら、いいけどね。

 そう理解した十七歳の春。


 ──おっと、こんなことに気を取られていられん。朝ごはんは適当に済ませ、俺も学校に行こうっと。



 ―・―・―・―・―・―・―



「……相変わらずラブラブですね、おじさんとおばさん」


「いやいやいや何をおっしゃる、桑原家はその上を行ってるでしょうが」


 通学途中、横に並んだ琴音と当たり障りない会話をする。


 案の定というか波乱万丈というか、桑原さんと初音さんは再婚し、今ではもうなんというかこっちが胸焼けするくらいにラブラブである。

 オヤジとおふくろがそのラブラブっぷりに当てられたおかげで、人生を賭けた結婚当初の気持ちを思い出す始末だ。


「そういえば、この前ママに真顔で『琴音、弟か妹がほしくならない?』って聞かれたんですけど……」


「……チャーミーまじか」


「祐介がラ〇オンの手先に?」


「うちはママメロンなので。じゃあ魔法少女ま〇か・マジか」


「はい。もう何も恐くないレベルは合ってますね。もしそうなったらうれしいことではあるんですが……」


 複雑そうな気持が垣間見える琴音ちゃんの話っぷり。

 まあね、確かにさ。桑原さんと血のつながりがない琴音ちゃん。桑原さんと血のつながりがある弟または妹。

 もしそうなっても桑原さんが琴音ちゃんをぞんざいに扱うことは考えられないが、琴音ちゃんからしてみれば複雑に決まってるよな。


「なので、もしママがそうなったら、『わたしも祐介と子どもを作ります』って宣言したら、うやむやになっちゃいました」


「……それはちょっと」


「早すぎますか?」


「……」


 もしそうなったら、俺とナポリたんみたいな関係になるんじゃないの?

 思ったのはそれだけだ。

 早すぎるなんてことは……まあ確かにあるけどさ。俺の考えも変わったもんだな。


「早いか遅いかの違いなら、大したことじゃないですよね」


「いやでもまずは将来のことも考えようよ。まさか高校中退するわけにもいかないし、大学くらいは出ておきたいし」


「なるようになりますよ」


「苦労はなるべくしたくないんだけどな?」


「……生活するって難しいんですね」


 道を間違えても幸せなのかもしれないけど。

 できることなら道を間違えない方がいいに決まっている。


「……まったく、あの時に『お父さんお母さんごめんなさい』って言ってた琴音はどこへ行ったのやら」


「え? 何か言いました?」


「いんや別に。さ、早いとこガッコに向かおうか」


 つないだ手をちょっと力強く引っ張り、俺は早足で歩きだした。



 ―・―・―・―・―・―・―



 二年になって、クラス替えはあったが。

 俺は理系、琴音ちゃんとナポリたんは文系なために、残念ながらクラスは別である。


 ま、別に今さら同じクラスにこだわる意味もないのでそれはどうでもいいが。


「緑川殿、おはようでござる」


 なぜか小太郎が同じクラスである。


「なんでお前が理系を選んだのかいまだに謎だわ。ござる言葉のくせに」


「拙者、科学忍法を追求するのが子どものころからの夢でござるがゆえ」


「もうお前今度からガッ〇ャマンと呼んだ方がいいのか?」


「ん? 拙者、ソシャゲに課金しないのがポリシーでござるが?」


「ガチャマンじゃねえよ。というか横文字使うなニンジャ」


「ドーモ、ミドリカワ=サン!」


「やっぱお前面白いな」


 なんとなくだけど。

 琴音が理事長の娘になり、曲がりなりにも親公認で琴音と付き合っている俺は、さらに輪をかけて学園内の一般生徒に敬遠されがちな気がする。


 ま、だからなのか、こうやって以前と同じように話しかけてくる小太郎に悪い印象はない。


「そういえばでござるが、緑川殿。馬場先生が再婚するという話は、耳にしたでござるか?」


「……は?」


 しかし、こいつがとんでもない情報を知っているのはなぜなのか。たまに問い詰めたくなるが。


「ちょっと待て。馬場先生、もう辞職して半年になるぞ。どこから情報を入手した?」


「拙者のいとこがそういう情報に詳しい故」


 よくわからない理由だが、今は小太郎のいとこが誰なのかよりも、馬場先生の詳細のほうが重要だ。


「……もっと詳しく教えてくれ」


「あ、いや、拙者も詳しくは知らないでござるが……突然結婚が決まった、とだけしか」


「……」


 うーむ。

 これは勿論次に聞くべき相手は……


 ………………


 …………


 ……


「おう、よく最新情報を掴んだな、本当だ。バババーバ・バーババ、逆玉だってよ」


「ということは……やっぱり」


 小太郎も詳細は知らなかったみたいだ。

 ということで、バスケ部絡みならもう少し情報が流れているかと思い、昼休みにナポリたんに尋ねてみる。


「ああ、池谷の母親が相手だ。しかも婿養子で」


「またとんでもない結末を……」


「そうでもないんじゃないか? 自分の息子の不祥事の責任を取ってすっぱり辞職したバババーバ・バーババに池谷母もメロメロメロディ状態だったと聞くし、そのあと池谷印行に就職してからも、まじめな勤務態度で信望をあつめたとか」


「ま、実直な変態なんだけどな、実際のところは」


 俺が半分呆気に取られてそういうと、右隣にいる琴音が割り込んでくる。


「でも、真性のクズ人間よりは、数万倍マシなんじゃないでしょうか?」


「確かにそれはそうだけどね」


 無論、真性のクズとはだれなのか、言わずもがなである。

 そこで思い出したようにナポリたんが恐ろしいことを教えてくれた。


「ああ、そうそう。池谷クズと言えば、ちょいと小耳にはさんだんだが」


「ん? クズのことでなんかあったの?」


「ああ、池谷が転校した団蜀高校なんだが……学園内で怪しいウイルスが広まっているらしい、ともっぱらの噂だ」


「はぁ!? マジかよ!?」


「マジだマジ。とある情報サイト経由だが、信頼に値する情報だと思う。なんかな、あそこって池谷みたいな奴らがたくさん強制収容されるらしいんだよ。で、その中の誰かが、どこかからもらってきたものらしいんだが」


「……まさか」


「そのまさかの可能性が高いと思うぞ。噂が判明したのがついこの前、それまで結婚の話も流れてこなかったバババーバ・バーババと池谷の母親が慌てて結婚。おそらく、まだ出産できるうちに池谷に代わる跡継ぎを作ろうっていう魂胆じゃないのか」


「……」


 思わず絶句してしまったが。

 まあ、これも因果応報だろう。池谷が感染しているかどうかは謎だけど、アイツもあんな馬鹿なことしなければそんなところへ入れられることはなかったんだからな。

 絶望して自殺しなければいいんだけど。最近、俺の予感はよく当たるから楽し……じゃなくて、こわい。


「もう、あの人に残された道は、絶望にまみれたまま死ぬことしかないんじゃないでしょうか……」


「琴音の毒舌、久しぶりに聞いたわ。ま、ほとんど同意だよ」


「そうですね、神は見ていると思いました」


 そこでナポリたんが何かを思い出したように、スマホを取り出す。


「ところで、ハヤト兄ぃからメールが来たんだが」


「おお、来週からだっけ、教育実習」


「ああ、その連絡だったけど。この前、ついでに佳世の様子を見に行ってきたらしくてな。その時撮った写真も送ってきたよ」


 半年という時は、長いのか短いのかわからないけど。

 ここで『佳世』という言葉を聞いても、動揺しなくなるくらいに、心の整理はついたのかもしれない。


「……吉岡さん、リハビリはうまくいってるんですよね?」


 琴音もそうなのだろう、佳世のことを俺より早くナポリたんに尋ねる。


「順調みたいだな。軽くバスケができるくらいに回復はしてるらしいぞ。奇跡と言えば、奇跡だな。ホレ」


 スマホ全画面にハヤト兄ぃから送られてきた画像を表示させて、俺たちに見せてくるナポリたん。

 その中にいる佳世の表情は、なんとなく昔を思い出させるような、穏やかな笑顔だった。


 俺と琴音ちゃんは顔をくっつけながらその画像を覗き込む。


「……おお、髪の毛も伸びてきたようだな。一緒に写っているのは誰だろう」


「そこにいる三人、佳世と同じようにリハビリを頑張ってる人たちらしい」


「わぁ……吉岡さん、いい笑顔になってますね」


 琴音がしみじみそう言うので、俺がそれに触れることはなかった。

 でも、佳世がこうやってきれいに笑うことができているのはいいことに違いない。


「しっかし、ハヤト兄ぃもいいかげんにライソとか始めればいいのになあ。バスケ脳筋で今どきガラケーのままっていったい」


「まあそう言うな。教育実習に来たらハヤト兄ぃの機種変更に付き合う予定だから」


「ふーん……」


 ハヤト兄ぃが教育実習に来る日が待ち遠しくて仕方ない、と言わんばかりにナポリたんが破顔すると、琴音がすかさずチャチャ入れ。


「わぁ……主水さん、ハヤトさんとデートの約束してるんですね?」


「!? ば、ばっ、白木、なにを」


 おっと、琴音の攻撃でナポリたんが赤面のダメージ!

 ちなみにもう琴音ちゃんは白木姓ではないよ。動揺してるのまるわかり。


 そして追撃で、ナポリたんのスマホが振動する。


「のわっ!?」


「お、なんてタイミングで着信……ん?」


 通話優先の画面には──『ハヤト』という着信文字が。


「なんだ、ハヤト兄ぃからじゃん。ナポリたん、早く出なよ」


「う、うるさいな! わかってるよ!」


 ナポリたんをドギマギさせるくらい、春という季節はみんなに優しい。


「邪魔しちゃ悪いから、わたしと祐介はどこかへ消えましょうか」


「そだね」


「じゃまってじゃまってべつにそんなこと……あ、もしもし、とつぜんどうしたのさ?」


 琴音に背中を押されつつ、俺たちはいつもの場所から退散することにした。


 ナポリたんが、永遠の清純派を卒業する日も、近いのかもしれないなあ。



 ―・―・―・変・―・―・―



 ガッコも終わり、琴音といつも通り一緒に帰宅すると。

 なぜか隣の桑原家玄関に、桑原さんと初音さんが並んで立っていた。


 ……傍らにスーツケースがあるんだけどなんだいったい。


「パパとママも……どうしたの?」


 琴音が不安そうにそう訊いたら。


「おお、祐介くんもいるか……ちょうどいい、実はだな。前に私が理事を務めていた高校で、ちょっと面倒な事件が起きてしまったんだ。直接的に私に責任があるわけではないのだが……」


「というわけで、ちょっと北海道まで行かなければならないの。ちょっと時間がかかるかもしれないから、私も一緒についていこうと思って」


 おいおい、なんだその急な出張って。

 普通連絡くらい入れとくもんだろ。


「ええ、えええ……どういうことですか、どうするんですか!?」


 焦る琴音の発言ももっともだが。


「ああ、すまない。今日の午後に突然連絡がきたもので、私もあわてて準備したんだ。連絡がなかったことはすまない……」


「琴音は、おそらく北海道にはいきたがらないかな、って思ったの。だから祐介くんにお願いしたいんだけど……琴音を、しばらくの間、祐介くんちで面倒見てもらえないかな?」


「……はい?」


 青天の霹靂へきれき、ってやつですか?


 ……いや、棚から牡丹餅?


「さすがに娘をひとりで家に居させるのは、親としては不安なんだが」


「祐介くんちでお泊りできれば、私たちも安心できるし、いいと思ったんだけど」


「わかりました、しばらく家で泊まってもらいます。大変でしょうが出張お気をつけて行ってきてください」


 ザ・即答。残念ながら当然である。お隣さんならではのイベント発生だ。ギャルゲーで狙ったヒロインのこれを断るやつがいたら、たぶんそいつはテストプレイヤーに違いないだろう。

 俺はもうお試し隣人じゃない。


「ちょ、ちょっと、祐介!? 迷惑ですよね!?」


 自分の意思を無視されて、琴音が焦っているけど。


「ぜんぜん。うちは構わないんだけどさ、琴音はイヤ?」


「そ、そんなことないですけど……というかむしろ……ゴニョゴニョ」


「そう。なら、決まりということで。桑原夫妻もご安心ください、責任もって琴音は緑川家で預からせていただきます」


 交渉成立。


「おお、そうか! 申し訳ないが頼むよ、祐介くん……おっと、急がないと飛行機の時間に間に合わない」


 腕時計をちらりと見ながら、英明さんがそういうと、初音さんが荷物をいったん地面に置いて、俺の耳元で。


「……避妊はちゃんとしてね。もしここで琴音が妊娠しちゃったら、ひょっとすると琴音の兄妹と子どもが同い年になっちゃうかもしれないわよ」


 ひそひそと囁く。俺は半分呆れた。


「初音さん、子づくり宣言ですか、この機会に」


「そうね、いつかは欲しいと思ってるわ。今のわたしが心から愛している人の子どもだもの、私が産めるうちに」


「……」


 俺の皮肉を、悪びれる様子もなくしれっと受け流す初音さん。

 まあ、なんというか、琴音ちゃんがいないから思いっきり子作りできるって言いたいのだろうか。

 家族計画ごりようは計画的に、と言いかけたが何とか思いとどまった。


「では済まないが、後ほど改めて礼はさせていただく。よろしく頼むよ、祐介くん」


「あ、はい、お気をつけて」


 時間が押しているのは本当なのだろう、あわてて桑原夫妻は空港へ向かっていった。

 俺たち二人は、ポカンとしつつも。


「……あ、あの、ひとりはやはりさみしいので、ご迷惑かと思いますが、祐介の家にお邪魔してもいいでしょうか……?」


「うん、もちろん。というか俺が毎日そうしてほしいくらいではある」


 我に返って、あらためてこの展開を受け入れた。



 ―・―・―・―・―・―・―



 そして夜。まだ夏じゃない。

 しかしさ、『春はあけぼの』って、ひょっとして春は朝チュンの季節、って意味じゃなかろうな。

 そんなくだらないことを考えてしまった状況ではある。


「……なんで、琴音が泊まるっていうのに、当たり前のようにふとんが俺の部屋に運び込まれるんだ……?」


 しかもおやつにシベリアまで運び込まれている。


「ま、まあ、別に事件が起きるわけでもないですし……」


「……そうだけどさ」


 しかも、壁に耳ありという気配を感じる、三名ほど。

 シベリアをパクつきながら、やれやれ、てな感じだ。


「気にしないでおくか。というか琴音、ベッドじゃなくていいの?」


「あ、ハイ。ベッドよりお布団のほうが何となくお泊まり感がありますし」


「旅館みたいな?」


「それいいですね。よいではないか、よいではないかー、あーれー」


「生娘コマ回しは、一介の高校生にはハードル高くない?」


 いつもの会話で時間を浪費し、あとは寝るだけというところで。

 俺はベッドに腰かけて、琴音に遠回しな気配りをしたが、やんわり断られた。

 琴音も別に遠慮しているわけじゃないし、いいかな。


 …………


 しかし。

 初めて知り合ったあの日から、もう半年以上経つのかと思うと。


「……不思議なもんだな」


「何がですか?」


「琴音とこうやって暮らしていることがさ。もう琴音と知り合ってから、十か月近く経つんだな、って」


「そ、そうですね。作者軸とピッタリ同じ時間です」


「更新遅すぎだよなこの作者……」


 ここにきてメタに走るとは救いようがないけど、気を取り直して。


「知り合ったあの時には、こんな未来は思いつかなかったもんね」


「……そうですね……」


 おっと、失敗。

 しんみりとなってしまった琴音に対し、どうフォローしようか少し考え、俺は自分が座っているベッドの脇を再度ポンポンと叩いた。

 察した琴音が、ちょこんと俺の隣に座る。今度は拒否されなかった。


 お互いに何を話そうか、なんて。らしくない空気が一瞬だけ流れたがすぐに消え去って。


「本当に、いろいろあったなあ……」


「そうですね。でも……」


「俺たちには必要なことだった」

「私たちには必要なことだった」


「……だろ?」


「……はい!」


 思わずハモってしまい、少し和む。思いは一緒だ。


 喜怒哀楽をギュッと詰め込んだ、この十か月だったけど。

 でもその中で、思い返せば。


 哀しさに負けそうになった時も。

 激しい怒りをおぼえた時も。

 くだらないことで笑いあった時も。

 何かにつまづいた時も。


 そして、この嬉しさをわかってほしい時も。


 いつも会いたいと思ったのは、琴音だった。

 いつも隣にいてくれたのは、琴音だったんだ。


「……運命ってさ」


「はい?」


「今は信じられるよ」


 らしくもなくそう言い切って、隣り合わせで重なり合う手を、優しく握ると。

 琴音は俺の右肩にコテンと頭をのせて、目を閉じてくる。


 ──今なら、多少くさいセリフを言っても、許されるかな。


「だからさ、には──ずっと俺の隣に、いてほしい」


「……もちろんです……」


 精いっぱいカッコつけたつもりの俺の願いに。

 琴音がやや鼻声ながらも力強くはっきり答えてくれた。


「祐介が嫌がっても、わたしはずっと、の隣にいますよ」


「……」


「わたしの居場所は、祐介の隣です」


「……うん。俺以外の誰の隣にも、行かせない」


 同じ気持ちを分かり合える恋人が、当たり前のように隣にいる幸せを。

 俺はもう逃がすつもりはない。


 琴音は、俺のものだ。誰にも渡すもんか。


 …………


「……でもさ」


「なんですか?」


「ずっと俺の隣にいたら、琴音は大変かもしれないね」


「……どうして?」


「俺だらしないし、大雑把なとこあるから面倒かけそうだし、些細なことで言い争いすることもあるかもしれないし、だいいち俺、性根がねじ曲がっているし」


「……」


「だから、もしそれで琴音が嫌になったときは……」


 自虐をスパイス程度に含め、俺がおどけて言った言葉を最後まで言わせることなく。


「……今さら、何言ってるんですか」


 今度は鼻で笑うかのように、一蹴して。

 俺の頬に軽くキスしてから。


 まるで、幸せな未来を微塵も疑っていないふうに──琴音が、笑う。


「たとえささいなことでけんかしても、世話を焼くのに疲れたりしても、性根がねじ曲がっていても。わたしは祐介の隣を離れません。だって……」


 意思表示のように肩に抱きつき、甘えてくる琴音の笑顔は、余りにまぶしすぎて、俺は声すら上げられなくなった。


 うん、確信した。

 笑顔の先の現実は、まだ不確定なのかもしれないけど。

 ずっとこのままで、幸せな未来を夢見てもいいんだ、と。


 ──こんなにも愛おしい琴音の体温を、こうやって感じられるんだから。





「……コイビトっていうのは、そういうものですよね?」





     ◇ コイビト・スワップ ◇


         ~ 終 ~


         制作・著作

         ━━━━━

          R.F.    

 



※ これにて本編完結です。ここまでお読みいただきありがとうございました。★評価は年中無休で大歓迎でございます。コミカライズ版のほうもよろしくお願いいたします!

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