ようこそ隣人

 吉岡家が引っ越していった次の日。

 朝を迎えても、我が家の空気が重い。


 まあね、長年お隣さんとして付き合いのあった吉岡家が引っ越していったのだから、当然と言えば当然かもしれんけど。

 誰も言葉にしてそれを指摘しないのがむしろ針のムシロだ。


 朝の食卓も無言。

 なんとなくいづらくてもやもやしていたら、珍しくナポリたんが朝から我が家に現れた。


「祐介、よければ一緒に登校しないか」


「ええで」


 断る道理などない。

 ナポリたんも、いろいろあったんだろうし。


 というわけで、叔母と甥で並んで登校開始。


「……」

「……」


 思うところは一緒だろうが。

 まあこのまま黙って歩くのもおかしさ炸裂なので、ちょっとだけ話しかけることにした。


「佳世には、最後にあいさつしたの?」


「……ああ」


 そこで、ふーっと息を大きく吐いてから。

 らしくもなく空を見上げるナポリたん。


 ついつられて、俺も顔を上に向けてしまう。


 ──ああ、もうすぐ冬とはいえ、今日はいい天気だな。


 風流とは常日頃から無縁の俺たちだけど、今日くらいおセンチになっても許されるだろう。


「……紅葉狩りにでも、行きてえなあ」


「どうした祐介、いきなり」


「いんや、なんとなく」


 らしくもない俺の発言を聞いて、苦笑いしたナポリたんは。


「……そうだな。どうせバスケ部も活動停止中だし……気が向いたら行こうか、


 何かを吹っ切ったような口調で、そう答えてくれたので、俺もほっとする。


「そっか、部活ないんだもんね。じゃあ、きょう琴音ちゃんにも話してみようかな」


「ああ。しかし……部活がないから家の手伝いを増やされるのかと思うと、憂鬱ではあるな」


「いいじゃんフリフリの制服、ナポリたんに似合ってるよ」


「うるせえ、本気で言ってたら第三の脚けり上げるぞ」


「画像見たハヤト兄ぃも、本気でほめてたじゃん」


「……」


 そこでナポリたんが黙ってしまったので、俺の勝利が確定した。珍しい。

 隣は何を思う人ぞ。


「ハヤト兄ぃ、教育実習来る頃にはバスケ部も再開できてるしね。腕鈍らせないよう気を付けて、ナポリたん」


「……ふん、当然だ。ボクを誰だと思っている」


 顔の赤みをごまかすように、またもやない胸をそらせるナポリたん。

 貧乳はステータスだな、今この瞬間では。


 しかし、世の中そんなに甘くない。


「あ、祐介くん、主水さんも……おはようございます」


 巨乳をステータスにできる理事長令嬢、白木琴音、どこからともなく参上。


「オッス、白木。相変わらず無駄にデカいな」


「……? なにがですか?」


「おはよう琴音ちゃん。どうしたの、こっち側って琴音ちゃんちの方向じゃないじゃん?」


 よくわからない三者三様の挨拶。少しだけカオスになりかけたが、俺の質問が採用されその場はおさまる。


「お父さんが滞在しているホテルから来たもので……」


「そっか、まだホテル滞在してるんだよね、桑原さんは。理事長がホテル暮らしとかシャレにならないだろうからなあ、住むところは決まったの?」


「あ、その話をするためにお父さんのところへ行ったわけでして……」


「へえ、そうなんだ」


「はい。週末に、三人でよさげな物件を見に行く予定なんです」


「そっか、優良物件が見つかるといいね」


 昨日に続いて社交辞令。

 できることなら、俺んちの近くだとモアベターではある。一緒に登校できたりするかもだし。


 妄想を膨らませながら、いつもの三人、並んで校門をくぐり、ふと思う。


 池谷が転校しても、佳世が引っ越ししても。

 俺たちの日常は変わらないんだな。


 ──諸行無常の、響きあり。



 ―・―・―・―・―・―・―



 それからどうしたかと言えば。特に何もなく、帰宅。

 琴音ちゃんは引っ越しするまでいろいろ忙しそうで、なかなか放課後デートなどをする余裕もない。


 まあ、琴音ちゃんが新理事長の娘になったことで、俺たちに好奇の目が向けられることは増えたんだけどね。

 だからと言って今更何も変わることなど、俺たちの間にはなく。


 やることもないので、とっとと帰宅してゲームでもやろうかという考えになった。


 ──俺、友達少ないのかな?


 いまさらそんな疑問が、脳裏をかすめる。

 ま、別にいいや。たとえ桑原さんの顔が浮かんできたとしても。


 というわけで、我が家にたどり着いたら。

 元・吉岡家に、何やら業者が入り込んでいることに気づく。ハウスクリーニングの業者……かな?


 元吉岡家ここ、いい家だしね。まだ築十年にも満たない。

 佳之さんが家を売ったとかの話は聞かないが、貸家にしておくということは十分考えられる。

 家って、人が住まないとダメになるって聞いたし。


 …………


 隣が空き家のままだと、何となく寂しいから。何となく思い出してしまうから。

 誰かが引っ越してきてくれるなら、好都合だ。


 ……けど。


 まさか、そんな都合のいいことがあるわけ──ないよね。うん。



 ―・―・―・―・―・―・―



 それからまた時は過ぎ。


「ふふふふふふーん♪」


 なぜか琴音ちゃんがデレフリカレベルでここ二、三日ご機嫌である。フレデリカではない。


「……本当にどしたのいったい」


「ひ・み・つ・です♪」


 昼休みのいつものベンチ。

 ナポリたんも、不思議そうにご機嫌な琴音ちゃんを眺めている。


「そういえば、琴音ちゃん、明日引っ越しなんだっけ? 荷造りとか終わったの?」


「はい、もちろんですよ! うふふのふ♪」


「浮かれ方が古いな、白木……」


 七色の花を探す女の子レベルでルンルンしてる琴音ちゃん。ここでフラワーヌ星から犬と白猫がやってきてもおかしくない状況だってね。


「俺も、なんか手伝えることあるかな?」


「……それなら、お願いしたいです。祐介くんは、明日ずっと家にいますか?」


「……は?」


「もし予定がないならば、一日中家にいてくれるととても助かるんですけど」


「……それが手伝いなの?」


「はい! うふふのふ♪」


 手伝い、という言葉の意味がゲシュタルト崩壊を起こしそうな会話だが、もうここまでくれば確定レベルで『やっぱりか』だよね。

 俺はラノベ主人公の常識をぶち壊す男。これで察しがつかないわけがない。


「らんらんるー☆ ああ、早く明日にならないかなあ……」


 秘密を隠しきれてない琴音ちゃんだけど。

 すごく浮かれてる姿を見て、そんなに嬉しいのかとか思っちゃうとさ。

 俺も嬉しくなるに決まってるじゃん?


 ……いちおう、その時までしらばっくれておこうっと。


「ワカタ。意味がよくわからないけど、明日は一日中、自宅警備員のバイトをしておく」


「お願いします。きっと……びっくりすることがありますから♪」


 一方、事情をよく呑み込めてないナポリたんは、疑念が顔にだだ漏れだ。


「……なんなんだ、いったい?」


「う・ふ・ふ・ふ、ヒ・ミ・コ・です♪」


「どこの邪馬台国に向かうんだ白木は……」


「知りたいですかー? 主水さん、知りたいですかー? う・ふ・ふ・ふ、でもやっぱりヒ・ロ・ミ・ツ・です♪」


「うわうっぜえ。今の白木、コーナーポストに両手をくくりつけて神主打法でバット殴打したくなるくらいうっぜええええええ」


「ナポリたんどうどう。それは落合さーんだから。ヤッ〇デタマンのエンディング歌ってる人にしとこうよ」


「鈴木さーん、でもそんなに変わらんだろうが!」


「コイ〇ヤポテトチーップス☆」


「……白木は救いようないなこりゃ……」


 なんというか、琴音ちゃんの浮かれ方が初音さんそっくりである。さすが親子。


 ……ま、ナポリたんもすぐにわかるからさ。あとちょっとの我慢だと思うよ。



 ―・―・―・―・―・―・―



 というわけで、琴音ちゃん引っ越しデイがやってきた。

 最終話前だからな、サクサク進まないと話がまとまらない。


 都合よくというかなんというか、緑川家は一家四人全員、家から出てない。

 オヤジはスロでも打ちに行くのかと思いきや、給料日前で余裕がないからかウチに引きこもっていた。

 おふくろと佑美、そして俺もリビングに集合してダラダラモードである。


 ま、俺だけ気持ちばかりそわそわしてるんだけどさ。


 ブロロロロ。


 やがて。

 エンジン音をとどろかせながら、家の前に、でっかいトラックが襲来。


 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!


 ……久しぶりに使ったな、これ。まあいい。


「ん? なんだ?」


「引っ越し……かしら?」


「そうみたいだよ、えろいちにーさん、ってでっかくトラックに書いてあるから」


 オヤジおふくろ佑美の順で、停まったトラックに反応する。

 窓から見えるのは──エロいち兄さん、か。暴走義妹引越センターだな。早く再開しろよ。


「……ま、隣に引っ越しだろうね、終わったらあいさつしに来るんじゃない?」


 俺が普通を装いそういうと、オヤジとおふくろが複雑そうな表情をする。


「おお、そうか……なんというか、不思議な感じだな」


「……そうね」

 

 まあそりゃそうだろう、我が家の恩人だった吉岡家じゃない誰かが、隣人として引っ越してくるんであろうから。

 オヤジもおふくろも、佑美でさえも説明不可能な様子を見せる中で。


 ──少しは、何かがいいほうに変わればいいんだけどな。


 俺だけが、そんな思いで窓の外を眺めていたはず。


 ピーンポーン。


 トラック襲来から少しして、チャイムが鳴り響く。

 ソファーに寝ころんでいたオヤジが、その音に反応し上半身を起こした。


「……ん、引っ越しだけじゃなく、宅急便も来たのか?」


「卓球だけに?」


 ピーンポーン。


「祐介、行ってこい」


「やだ、俺は呼吸するのに忙しい」


「大丈夫だ、五分くらい呼吸しなくても死にはしない」


「オヤジと違って俺は光合成なんてできねえから無理だぞ? 言い出しっぺが行けって」


「悪いな、俺は根を張ってるからここから動けないんだ」


「除草剤撒いて枯らしていい?」


「ぐぬぬ」


「ふむむ」


 予告もなしに勃発する、父と息子の低レベルな言い争い。


「仕方ないな、公平に決めるか。じゃーんけーん……」


 ポン。


「……ちっ、オヤジよ、命拾いしたな」


「ははは、正義は勝つのだよ」


「ギャンブルは負けるくせにな!」


 ゲシッ。


「良いからとっとと行ってこい。不在だと思ってクロ〇コヤマトの宅急便が帰ってしまったらどうするんだ」


「暗い子ヤな子の卓球部員? 自分が顧問のくせに卓球部員を敵に回していいのか、オヤジよ?」


 ゲシゲシッ。


「敗者に口ごたえは許されない」


「ああそう、確かに歯医者の治療は痛くても口ごたえできねえよな。しゃーない、行くか」


 ここだけはいつもの我が家、交わされるくだらない会話。


 ま、こんな日常も、もうすぐ劇的に変わるんだろう。


「……はいはーい、今出まーす!」


 平凡な日々なんて、ひとつの爆弾であっさり崩れるわけで。

 崩れたあとどうなるか、それは俺たち次第。


 ピーンポーン。ピンポンピンポンピンポン。


「はいはいわかりました、今行きますよ」

 

 立ち上がってもったいつけるように玄関まで歩き。

 ドアノブに手をかけた瞬間、俺は少しだけ顔がニヤついた。


 …………


 みんな、たくさん苦しんだんだから。

 そのぶん少しくらい、都合のいい夢を見たっていいよね。うん。


 さて、未来への扉を、開けようか──

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