シベリアンキッス

 なんつーか、疲れた。

 もし琴音ちゃんと結婚したら、義理の母親が初音さんになるのが怖い。こんな状態ではねえ。


 …………


 先走りGOGOランプ点灯しすぎだろ、俺。当たったか、それとも当てられたか。


 とにかく、これ以上聞いても無意味なような気がしてきたので、俺は会話をモンキーターンすることに決めた。見せてやる、俺の最高のターンを。


「と、ところでですね。琴音ちゃん、シベリアが好きなのには理由があるんでしょうか?」


「……突然ね。なぜかは私もわからないわ。ロシアが好きだから、かもしれないし」


「あのー、シベリアはロシア銘菓じゃありませんけど」


 というかロシアが好きならふつうはピロシキとかボルシチとかだろ。いいえ、ケフィアです。

 

「あらそうなの?」


「そうです。というかロシア好きなんですか、琴音ちゃんは」


「……さあ?」


「なんすかそれ」


「でも、嫌いじゃないと思うわよ。そうね……血のせい、かな……」


 えーと、何のパクリですかね。わたし、気になります!

 修羅の門が閉じたらこの天然さよ。さすが琴音母。


 それにしても、この数分で初音さんに対する敬意がふっとんだような、接し方が変わるだろうと確信したような。

 今は更生したのかもしれんけど……まあいい。


 …………


 琴音ちゃんは、初音さん騒動の詳細を知ってんだろうか。

 でも怖くて聞けねえや。俺は貝になろう。


 バタバタバタ。


 決意した直後に、慌てるような足音が聞こえてくる。


 バタン!


「はぁ、はぁ、はぁ……まだ、まだシベリアは、残ってますか!?」


 お約束再び。

 さっきまで重苦しすぎる空気だったのに、このヒロインの能天気さよ。


 それはそうと、扉を開けたとたんにシベリアの心配しないでくれ琴音ちゃん。俺よりシベリアのほうが好きなのかと思っちゃうじゃん。


 …………


 心配になってきたので、一応確認。


「琴音ちゃんは、俺とシベリア、どっちが大事なの?」


「祐介くんの顔を見ながら一緒に食べるシベリアが大事です」


 聞くんじゃなかった。シベリアに負けた。


「……あっ! ち、違います! 祐介くんと一緒に食べると、シベリアがとっても甘くておいしくて……」


「……しょぼーん」


「あ、あうぅぅぅ……」


 わざとらしく落ち込む俺。

 その様子を見て慌てて取り繕おうとする琴音ちゃんがかわいいので、別に許してもいいんだけど、もう少しねたふりをしてみる。


 すると、さっきまで深刻そうにしていた初音さんが突然母親モードへメタモルフォーゼし、仕方なさそうに口を挟んできた。


「あらあら、琴音ったら。一番大事なのは誰なのか、はっきり伝えなきゃだめじゃない?」


「い、一番大事なのは、お母さんと祐介くんです!!!」


「……」


 だが初音さんはあっさり返り討ちされ、言葉を失う。

 ここにいる人間二人を、躊躇することなく『大事』だと、琴音ちゃんは言い切った。

 その発言を信頼できないわけではないが、拗ねたふりをやめるきっかけを失った俺ガイル琴音ちゃん不知火舞。にっぽんちちー、ぷるるん。


 しばらくしてから、ガバチョ並みの突然さで初音さんが玄関へと歩き出した。鶴瓶のような歩き方だけど、どうしたのだろう。


「お、お母さん!? どこへ行くんですか?」


「……このままだとシベリアがなくなりそうだから、買い足しに行ってくるわ」


 琴音ちゃんの問いに、振り向かず答える初音さん。

 いや別に今行く必要ないだろう、なんて俺は思っていたが。


「……琴音。一番大事な人は、ひとりだけよ。ちゃんと言わないと、緑川くんがすねちゃっても知らないからね?」


 表情がよくわからないけど。

 初音さんは、気を遣ってくれているのかな。それとも……


「そんな資格のない人間は、少しの間消えるわ。じゃあ……行ってきます」


 バタン。

 扉の閉まる音を確認してから、また琴音ちゃんのほうを見ると。

 まさしく『あうあうあー』みたいな表情になっている。


「……シベリア食べようか。お茶もそろったことだし」


「……は、はい」


 どうすればいいかわからなくなって。

 いったんすねたふりをやめ、俺はお茶会の提案をした。


 皿に乗せられたシベリアは四つ。


 もくもく。

 もくもく。


 二人とも、無言でそれを食べる。

 食べてる最中に琴音ちゃんは俺をチラ見して、また食べて。


 お互いまず一個目を完食した後。

 申し訳なさそうに、琴音ちゃんが話しかけてきた。


「……あ、あの」


「ん?」


「ご、誤解しないでほしいんですけど、本当に大事なのは」


「……わかってるよ」


 初音さんも俺も両方大事。当然だ。

 実の母親に彼氏。比べられない存在だもんな。


「シベリアじゃなくて、祐介くんですから!」


「比較対象そっちか!!!」


 ふにゃっと脱力した。今ならタコにもなれそう。


「あ、あううぅぅぅ……」


 自分の失言を気にしているのだろうか。

 そのあとドツボにはまるのが、琴音ちゃんらしいといえばらしいけどね。


「……別に無理にフォローしようとしなくても」


「ゆ、祐介くんと一緒にシベリアを食べると」


「あん?」


「とても甘くて、美味しくて。ずっとずっと二人で食べていたくて」


「……太るよ」


「幸せ太りですからかまいません。だ、だから、祐介くんと一緒じゃないと、シベリアはおいしくないんです」


 まず胸が太りそうな彼女だが、なぜか必死。

 いまいち理解が追い付かない俺が頭の上に疑問符を浮かべると、さらに。


「な、納得いかないなら、確かめてください」


「……何を?」


「わたしの唇に残っている、シベリアの甘さを」


 琴音ちゃんはそう言い終わるや否や、目を閉じて唇を軽く突き出してきた。


 ──ちょっと待て! 何この急展開!


 だが。

 キス顔の琴音ちゃんに、今の俺が敵うわけなかった。

 くちびるNetworkへと引き寄せられる。ああ、アイドルの笑顔が琴音ちゃんに重なって見えるよ。


 そーっと、そーっと。ドキドキを悟られないように。


「……んっ」


 ちゅっ。


 接触時間わずか一秒にも満たず。

 鳥たちがついばむような、琴音ちゃんとの初めてのチュウは。


「……え、えへへえ。甘い、です」


 ──シベリアの味だった。


 しばらく見つめあってから、お互いに顔を淡く染めて。

 カステラと羊羹を組み合わせたような、砂糖大盛りの虫歯不可避な甘さを堪能する。


 そして、琴音ちゃんが唇に指をあてつつ、静かに俺に寄り添ってきた。


「シベリアを食べるたび、思い出しそうなくらい、今のわたしは幸せ……」


「……うん。俺も」


 お互いのドキドキが伝わっているのが幸せであり、こそばゆくもあり。

 ああ、今の俺はコレクションしていたエロゲーを全部捨てられても許せるよ。


 …………


 おっと、間違えた。エロゲーじゃなくギャルゲーだ。あくまで十八禁なシーンなど皆無の。

 ま、たとえ過激なやつだとしても、五感すべてに訴えてくる琴音ちゃんの存在には敵わないよね。


「……わたし、もっとシベリアが好きになりそうです」


「えっ」


 しかし。

 まさか至福の時ここでもシベリア推しが来るとは思わなかった俺、唖然。


「……今の状況でそれはひどい。俺のことは?」


 またもや拗ねたようにそう言う俺の手を、琴音ちゃんが悪戯っぽくつねった。


「……祐介くんのことは、もうこれ以上好きになれないくらい、大好きですから……」


 甘えるような彼女の声に耳がとろける。


「祐介くんをこれ以上好きになったら、わたしが壊れちゃいますから……ね?」


「……はは。仕方ないなあ」


 ──その言い訳で、納得してあげましょう。


 俺はそっと琴音ちゃんの肩に手を回して。

 いつか、琴音ちゃんを壊してしまうくらい、愛そうと誓った。


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