台風一過、さらに倍


「祐介くん、今日は本当にすまなかった。どうやったら償えるかはわからないが、また改めてうかがわせてもらう」


「わたしたちも、佳世を甘やかしすぎてたことを反省してます」


 佳之さんと菜摘さんが改めて謝罪をして、吉岡家の三人は帰っていった。

 おそらくこれから家族会議だろう。


 今さらだが、こんなに取り乱したのは、おそらく初めてだもんな。佳世の前ですらも記憶にない。

 そりゃ俺の鬱ぶりがわかろうというもの。鬱ってハニー。鬱ボタンの十六連打だ。


 佳世はしばらく号泣したのち、おとなしく佳之さんと菜摘さんに連れ去られていった。

 自分のしたことがどれほど俺を傷つけたか、足りない頭でやっと理解したのかもしれない。


 てめえのことしか考えてなかった状態からは脱したように見えたが。

 まあ、今更遅い。なにもかも。


 美良乃母さんが俺を抱きしめてくれながら、そっとつぶやいていた言葉を思い出す。


「……十七年前を、思い出しちゃったな。ごめんね、自分たちのことを棚に上げて。祐介を責める資格なんてないのにね」


 そしてオヤジは。


「……祐介の話を聞くべきだった、頭に血が上って冷静になれなかった。すまん。俺も同じことをされてるのにな……」


 改めて土下座。そこにいつものファンキーな雰囲気は皆無である。

 やめてチョーダイ、とだけ言うのが精いっぱいだってばさ。

 これ以上ファンキーな雰囲気を出さずに物語進めたら炎上どころか見捨てられるぞ、読者に。


 挙句の果てに、佑美は。


「……もう、何も信じられない……やっぱり時代は百合ですよー、よー……」


 怖いセリフをぶつぶつと繰り返していた。そしてハイライトが消失している。ナポリたんが我が家を訪問するときは気を付けるよう進言しておこう。


 しかし、オヤジが言ってた『同じこと』って何よ。

 十七年前の出来事は、俺も概要だけ知っているだけで、詳しい顛末は知らない。

 父方の祖父祖母はもうすでに鬼籍だし、今さら知っても感は甚だしいが、一度詳しく真之助さんと友美恵さんに聞いておくべきなのだろうか。


 …………


 今の俺は、なんなんだろうな。

 琴音ちゃんと一緒に泣いた時には、なぜかスッキリしたような実感があったのに。

 今泣いた時には、まったくと言っていいほど心の霧が晴れない。


 …………


 そうか。

 誰も俺と同じ、愛する人に浮気されたような状況に置かれたことがないから、俺の気持ちなんて、きっとわかってもらえない。

 そう俺が思っちゃってるんだ。


 ──ああ、やっぱり今、琴音ちゃんに会わないと。


 自分のことしか考えてない行動かもしれないけど、俺は琴音ちゃんに会いたくて会いたくて仕方なかった。


「……ひとりになって考えたいことがあるから、頭を冷やすのもかねて、少し出てくる」


 承諾の言葉も待たず、俺はそう言って家を飛び出した。

 メッセージや通話じゃだめだ。実際に会いたい。会わなきゃならない。



 ―・―・―・―・―・―・―



 夜も更けた時間帯にもかかわらず、たどりついた琴音ちゃんが住むアパートの前。


 そこでまず目に入ったのは。

 アパートの前で、高そうなスーツに身を包んだ男性が立ち去る姿と、その人に対して深々とお辞儀をする初音さんの姿だった。


 そして俺が無造作に近寄ると。


「……あら? 緑川、くん……ど、どうしてここに?」


 気づいて、少し狼狽する初音さん。


 なんだろう、先ほどの男性は。

 そう思っても、その狼狽ぶりを見て、俺が立ち入っていい部分ではないと瞬時に判断した。

 少なくとも、そこに色恋沙汰が関係する感じはなかったし。


「……近くまできたんで、なんとなく。琴音ちゃんはいますか?」


 俺の言葉を聞いて、初音さんの目が見開かれる。


「……あ、ああ、そうなの。琴音は今、そこのコミック喫茶にいるわ。日曜日に向けて考えたいことがあるんですって」


 言われて気づいた。ここから五十メートルほど離れたところに、『自慰空間』という漫画喫茶がある。

 すげえな、【全室個室、ティッシュ完備】って、どんな空間だこれ。部屋の中がどこもイカ臭そう。


 まさか、琴音ちゃんが自己満足セルフコンテントをしているとは思いづらいが、なんとなくそこに押しかけるのも悪そうだ。


「そう、でしたか……ならいいです」


「……緑川くん?」


「……はい」


「なにかあったの?」


 初音さんが、俺の様子のおかしさに気づいたのだろうか。心配げにそう尋ねてくる。


「……」


 俺が、もちろんなにも答えられないでいると。

 初音さんが優しくほほえみ、提案をしてくれた。


「緑川くんが、もしよければ、だけど……もうすぐ琴音も戻ってくるだろうし、中で待ってて?」



 ―・―・―・―・―・―・―



 初音さんに言われるがまま、俺はふたたび白木家にお邪魔していた。

 改めて見てみると、本当に家の中はシンプルである。

 生活感にはあふれているが、なんていうんだろう、女性だけの住まいにありそうな華やかさが少ないんだ。


 それでも、かりそめの彼女の母と二人きりというシチュエーションで。

 魔法使いまでの道程どーてーを折り返すところまで歩んだ俺が、堂々とできるはずもなく。


 お茶を出されても口をつけずに、半分硬直したまま正座していると。


「……ねえ、訊きたいことがあるんだけど。緑川くんは」


 初音さんのほうがリードしてくれた。

 なるほど、世の中の童貞どーてーどもは、年上お姉さんのこういう気遣いにやられるんだな。残念ながら今回はお姉さんではなくお母さんだったけど。

 メモっとこう。


「……はい」


「琴音とどうやって知り合ったのかしら?」


「……へっ?」


「あの子が自分から男の子と仲良くなろうとするようには思えないし、かといって緑川くんも女の子に慣れてないようにも思えるし。クラスで隣の席だった、っていうこともなさそうだし。知り合ったきっかけに興味がわいちゃって」


 見透かされてた。


「琴音ちゃんから、聞いてないんですか?」


「あの子、自分のことはあまり話さないのよ。だから今まで聞いたことはなかったの」


「え?」


「でもね……もうあの子ったら、緑川くんのことばっかり。楽しそうに今日の出来事を話してくれるし、夜はスマホを離さないし。ニセの付き合いって言ってたけど、それもなんだか嘘のように思えちゃったから」


 純粋な好奇心からなのだろうか。それとも母として娘の不埒な行為を阻止させたいためなのか。

 初音さんの真意をつかみかねたが、確かにニセモノの付き合いで、お互い大事な人に裏切られた仲、としか伝えてなかった気もする。


 さっき我が家で起きたことを思い出して、涙がまた溢れてしまうかもしれない、なんて思ったけど。

 なんとなく琴音ちゃんに雰囲気が似てる初音さんなら、落ち着いて話せるかもしれない。そんな確証に似たなにかもあって。


「……実は、俺にも琴音ちゃんにも、別に彼氏彼女がいたんです」


「えっ……? それ、本当なの?」


「はい。で、琴音ちゃんの彼氏と俺の彼女が、裏切って浮気してたんです。その情報をお互いに共有してから、仲良くなったんですよ」


 俺は淡々と事実を話し始めた。


 だが、それを知ってしまった初音さんの様子がおかしい。

 顔は青ざめ、額に脂汗すら浮かべている。


「……そんな、こと……が……」


 俺は、なぜ初音さんが狼狽えているのかわからなかったので、そこでどんな言葉をかけようかとしばらく悩んでいた。

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