怒り
「……すまなかった」
そんなことしないでください、と懇願したにもかかわらず、佳之さんは土下座をやめようとしない。
困った。
もうこうなってはすべて伝えないわけにいかないので。
俺にとっては忘れたいことだが、いちおう、簡潔に今までの経緯を再度説明した。
佳世は取り乱しっぱなしで、見かねた菜摘さんがなだめてくれたが。
信じられない、といった感じの緑川家の面々とは対照的に、佳之さんは頭を下げた姿勢を崩さないまま俺の言葉を聞いていた。
「……とにかく、もう土下座はやめてくださいませんか」
俺が何回目かわからない懇願をすると、佳之さんはようやく立ち上がり。
そして、目つきを鋭く変化させた。娘を守ろうとする父親の顔だ。
「……だが、祐介くん」
「……はい」
「佳世が、先ほどのように祐介くんにすべてを打ち明け、助けを求めていたのであれば、こうなる前に出来れば救いの手を差し伸べてほしかったよ」
「……はい?」
「佳世の行為は許されるものではない。それはわかっている。だが、そのくらいで佳世を冷たく切り捨てられるほど、今まで一緒に過ごした月日は軽いものだったのだろうか、と」
「……」
何それ。
救いの手、って……裏切った後に、俺に『抱いて』って言ってきたこと?
こいつは驚きだ。親公認でセクロス許可。
そう茶化したかったのだが、佳之さんは真面目だ。
頼むよ、おちゃらけさせてくれよ。もうあんなみじめな気持ちで泣きたくないんだよ。
「そうして、先ほど言っていた事実……別れたことと、そして佳世が妊娠するようなことをしていたと、なぜ私たちに黙っていたのか。それも悲しいよ」
佳之さんの言うことはもっともかもしれない。
もちろん我が娘のためだろう。それはわかる。
わかるからこそ、俺は反論させてもらうよ。たとえ俺の命の恩人相手でも。
「……冷たく切り捨てられる? それを最初にやったのは、誰なんでしょうか? 俺はその前に、佳世に対してちゃんと『好きだ』と伝えたんです。浮気していたことを知っていながら、戻ってきてほしい一心でそう言わなければならなかった俺のみじめさ、わかります?」
「それは……」
「一緒に過ごした長い月日を、俺より身長が高くてバスケがうまいポッと出のイケメンに転んだ佳世に、すべて否定されたんですよ」
「……」
「突然現れた男に、絶対にかなわないという屈辱を与えられた俺の気持ち、誰が慰めてくれるんです?」
「……」
「佳之さんたちに黙っていたのは悪かったかもしれません。ですが、なんて言えばよかったんですか? 俺は佳世に男として物足りないと思われていました、俺なんか到底かなわないイケメンに佳世を寝取られて、あまつさえ妊娠するようなこともされてました、そう言えばよかったんですか?」
クソッタレ、目から汗が出てきたぜ。止まんねえよ。
「自分のみじめさを散々味わって泣くほど苦しんで、できれば忘れたいことなのに、誰にも知られたくないことなのに、わざわざまわりに自分から広めろと? 自分の屈辱をなぜ自分で暴露しなければならないんですか? 一生俺に苦しめってことですか?」
なんでこんな屈辱的なことを家族や恩人の前で言わなきゃならんのだ。
ああそうだよ、俺は負けたんだよ。佳世をめぐっての争いで、池谷に負けたんだよ。完膚なきまでにな。
「だいいち、そんなことは佳世が言うべきことでしょう。裏切ったのは佳世です。俺は何にも悪いことをしてないのに、そんなことまで責任を取らされなければならないんですか?」
あくまで冷静に涙を流しながら訴える俺の心境を理解してくれたのかは不明だが、佳之さんはもちろん、オヤジもおふくろも佑美も菜摘さんも、そして佳世も、一言も発しない。微動だにしない。
「……俺なんて、ただのみじめな男なんですよ……ちくしょう……」
ほーらやっぱり。我慢なんかできるわきゃねえ。
そこから俺はもう号泣。ただただ情けなく号泣。
琴音ちゃんと一緒に居れば忘れたふりができてたのに。
記憶の奥底に眠っていた屈辱があふれてきて、どうしようもなくて。
俺は一生、この屈辱を忘れ去ることなんてできないんだなと、この時痛感した。
どこかで見た。
浮気ってのは、心の殺人なんだと。
俺は幸か不幸かそこまではいかなかったけど、癒えない傷を負ったことは間違いない。
「あ、あああ、あああああぁぁぁぁぁ……祐介、ゆうすけぇぇぇぇ……本当に、ほんとうにごめんなさぁぁぁぁいいいいぃぃぃぃ……どうかしてた、わたし、どうかしてたぁぁぁぁぁぁぁぁ……わたしが、わたしが全部悪いのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
つられて佳世も号泣。まわり呆然。何この茶番劇。
お涙チョーダイの番組みたいだ。『それは秘密です!』のご対面コーナーかよ。桂小〇治もびっくりだわ。
「……すまなかった。私が浅慮だったよ」
「佳世が、佳世が本当に……ごめんなさい……」
佳之さんどころか菜摘さんまでうなだれてしまう。
「……祐介。話も聞かずに殴って、すまなかった」
「お兄ちゃん……ごめんなさい」
オヤジも佑美も、場の雰囲気にのまれたのか、謝罪をしてきた。
菜摘さんが佳世の頭を両手で優しく包み、母さんは俺を抱きしめてくれたが。
俺も佳世も泣き止むことはなかった。
ああ、琴音ちゃんに会いたいなあ。
この苦しみを、怒りを、屈辱を、唯一わかってくれていた琴音ちゃんに。
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