俺の彼女は精神不安定剤

 それからというもの。

 佳世は、俺の周囲に予告もせず出没するようになってきた。


 例えば、朝の登校時。


「祐介、おはよう。一緒に行こ?」


 またある時は、昼休み。


「祐介、中庭でお昼食べない?」


 そして下校時も。


「祐介、今日は一緒にゲーセンに行かない?」


 帰宅して別れるときなどは、さらなるおまけつき。


「きょうはわたしの家に遊びに来ない? お父さんお母さんも久しぶりに祐介と話したいって」


 断るのも面倒くさかった俺は、乗り気でないのにもかかわらず、はっきり拒絶をしなかった。

 そのせいか、第三者から見るといかにもラブラブバカップルに見えているかもしれない。


 あくまで、俺の表情や態度を除外すれば、だが。


 なんで突然こんなに付きまとうようになったのかはわからんが、バスケ部の事件が関連しているのは間違いないだろう。


 ま、すぐに思い浮かぶのは。


 佳世と池谷が危険物を持ち込んだ犯人で。

 それがバレたら二人とも何かしらの処罰を受けるだろうから。

 ほとぼりが冷めるまでカムフラージュしておくために必要な対処。


 なんてうがった見方だ。


 少なくとも、佳世は俺を見ていない。

 佳世の両親とも話は盛り上がらなかったし、ちゃんと俺を見ているのなら、すぐに察することができるはずだから。


 ──俺が佳世のことを見ていないということが。


 そりゃそうだろう。後ろめたさ満点の、あの汚い笑顔がすべてだ。

 彼女と一緒にいて、なぜこんな気分にならなきゃならないんだ。

 独りになると落ち着くなんて、どんな関係だ。


 やっぱり、もう別れた方がいいのかもしれない。そんな結論に達しそうになって、でも踏ん切りがつけられなくて。

 晩飯後も、堂々巡りの迷い思考回路が無限ループしている。


 この悠久の螺旋から助け出してくれるのは、誰だろうか? などという某エロゲばりの疑問に答えてくれる相手などいるわけもない。

 ま、俺を助け出してくれるあの人は、少なくとも佳世でないことは確かだ。


 気づけばいつの間にか夜が更けていた。で、スマホにメッセージが届く。


『シキュウ レンラク コウ コトネ』


 電報かよ。

 ここ二日まともに顔を合わせてないけど、白木さんはやっぱり白木さんだった。


『イケタニ キトク スグ カエレ?』


『茶化さないでください。いきなり池谷君の態度が急変して怖いんですから』


 この言われようも懐かしい。


『せっかくノッてあげたのに。で、何かあったの?』


『日曜日に、池谷君の家に遊びに来ないかと誘われました』


 びっくりしてスマホを落としかけた。

 おいおい、池谷はついに巨乳捕獲計画をおってたか。


 …………


 って、さぁ……いや、まさか、まさかね。そう、白木さんはお母さんから簡単に身体を許すなと躾けられてるわけだし。


 大丈夫だよな……?


 などと苦悩してメッセージの返信をしなかったら、補足説明が来た。


『安心してください、お断りしました』


『え、なんで?』


『だって日曜には先約がありますから』


『そうなん? 誰と?』


『もう忘れたんですか。わたしはおはようからおやすみまで池谷君を見つめて、緑川くんはわたしにあんぱんと象乳を差し入れしてくれる約束でしょう?』


 象乳ネタ、天丼にもほどがある。やっぱ白木さんのお気に入り?

 いやいや、そうじゃなくて。池谷の家に行けば、わざわざ少し離れたところからストー……見つめる必要ないのに。

 いったい何を言っているのやら。


 ──でも、でもさ。


 池谷の誘いを断っていたことに、ホッとしていたりして。

 俺との約束を優先させてくれたのが、嬉しかったりして。

 俺はついつい軽いメッセージを送ってしまうんだ。


『わかった。じゃあ奮発してうぐいすあんぱんにしておくよ』


『それは邪道です。せめてあんドーナツにしてください』


『カロリー大丈夫? 太るよ』


『胸にさえ行かなければ問題ないです』


 白木さんなら真っ先に余剰カロリーがおっぱいに行くんだろうな。思わずクスリ笑いが出てしまった。

 キモイな俺、などと思いつつも、ささくれ立っていた心がだいぶほっこりしたようで。


 なぜか、白木さんとメッセージをやり取りしている間だけは、佳世のことを忘れられた。



 ―・―・―・―・―・―・―



 白木さんとのやり取りを終えてから、間髪入れずに、佳世からのメッセージを受信した。

 とたんに心が曇る。


『遅くにごめん。家の前で待ってるから、少し出てこれない?』


 正直なところ、佳世と顔を合わせたくはないのだが。

 うかつに断ってこっちの部屋まで押しかけられたらかなわんので、外へ出ることにする。


 吉岡家の門の前で立っていた佳世は、夜の暗さのせいもあり、相変わらず何を考えているかわからない別世界の生き物にも見えた。

 そして俺のことなど見えていないだろうから、佳世にとっては昼でも夜でも俺に会うことに変わりはないだろう。


「……どうかしたのか」


「あ、わざわざごめんね。あのね、今度の日曜なんだけど」


「……」


「もし祐介の予定が空いてたら、水子沼グリーンランドで、デート、しない?」


「……」


「すごく久しぶりに、祐介とデートしたくなったの。ダメかな……?」


 ムカつきが胃から逆流しそうだった。


 佳世は。

 俺に隠れて、池谷と会ってて。

 俺に隠れて、池谷とカラオケに行ってて。

 俺に隠れて、池谷と腕を組んでて。

 俺に隠れて、池谷とチューをしてて。


 そして、俺に隠れて、池谷と……


 突然のフラッシュバックが、俺を襲う。

 狂ったように叫びたかった。目の前にあるものを蹴り飛ばしたかった。俺が佳世の浮気を知っているということを、ぶちまけたかった。

 なのに、いろんな負の感情がごちゃまぜになって、うまく口から出そうにない。


「……なあ、佳世。俺たち、しばらくの間、距離を置かないか?」


 かろうじて佳世に告げられた言葉は、それだけだった。

 そんな俺の必死なあがきも、きっと今の佳世には見えていないに違いない。

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