コイビト・スワップ

冷涼富貴

カノジョ・スワップ

瓢箪からごまかし

 彼女に浮気された。死にたい。


 確かに、前から怪しいそぶりはあった。


 僕がデートに誘っても、「ちょっと外せない用事があるから」と断られたり。

 一緒に帰ろうと誘っても、「バスケ部が忙しいから」と断られたり。

 手をつなごうとしても、触れた瞬間に引っ込められたり。


 それでも、僕は彼女が好きだったし、彼女も僕のことを好きでいてくれている、そう思っていたんだ。


「……はあ……」


 ひとり、昼休みの裏庭にて。年季の入ったベンチに座りながら、僕はため息をつく。

 昼飯を食べるどころか、何もやる気がしない。


 僕の家の隣に住む幼なじみで、今は彼女だった・・・はずの吉岡佳世よしおかかよが、隣のクラスで同じバスケ部の池谷浩史いけたにひろしと仲良さげに腕を組んでカラオケルームから出てきた場面が、脳裏から離れないせいだ。


 少なくとも、佳世は嫌がったりしてはいなかったし。佳世は池谷と浮気をしていた、としか結論を導き出せない。

 もしそうだとしたら、たとえ佳世の心はすでに僕になくとも、はっきり別れ話をしたわけではない。これは立派な裏切り行為だ。


 あの日、佳世に誘いを断られ、暇をつぶすため仕方なしにゲームを買いに行った帰りに、たまたま遭遇してしまった。その場で糾弾すべきだったのかもしれないが、その時の僕はあまりに狼狽えすぎて、そんなところまで思考がおいつかなかった。


 そして、もし糾弾をするにしても、隣に住んでいて親ですら旧知の間柄である佳世と気まずくなるのは、なんとなく避けたほうがいい気もするわけで。


「……はあ……」


 再度ため息をつく。


 ──僕と佳世が恋人同士になったのは、つい半年前のことだ。幼なじみ期間が長すぎて、お互いに意識しつつもなかなか一歩が踏み出せない関係が続いていたが、高校に進学したと同時に僕のほうから「彼女になってほしい」と告白をしたのだ。それを佳世は受け入れてくれて、僕たちは幼なじみから恋人にステップアップした。


 だが、下手に長年幼なじみをやっていたせいか、恋人としての関係はなかなか深まらなかったように思う。

 なにかことをしようと決意するたびに、もうそれこそ実の親と同じくらい付き合いの長い佳世の両親の顔がちらつくのだ。たとえ公認の仲になっていたとしてもだ。

 おまけに、僕にとっては佳世が初めての彼女である。経験も何もないチキンに、簡単に大それたことができるわけでもない。


 結局、僕と佳世は半年でキスどまり。いや、佳世に避けられるようになったのが三か月前からだから、実質三か月で、かな。


 佳世は、そんな奥手な僕にイライラしていたのだろうか。正直に言って、それ以外に浮気される心当たりはない。


『すごく嬉しい。わたしも、祐介ゆうすけのこと、好きだったんだよ』


 僕の告白にそう答えてくれた佳世のことを、今でも忘れていない。


 ──こんな気持ちになるならば、ずっと幼なじみのままでいればよかったのか。


 恋人に裏切られたむなしさをどうにも昇華できないまま、僕は一人で悶々とするしかないのが情けない、でも仕方ない。僕には、佳世を糾弾することも、ご近所様の吉岡家と気まずくなることも、度胸がなくて選べないのだ。


「はぁぁぁ……」


 最後のため息をついて、まじめな思考タイム、終了。『僕』なんて一人称は思ったより疲れる。悲劇の主人公気取りは却下だ、性に合わない。


 さて。きれいごとを並べてみたはいいものの。

 一言でいうなら、俺の心の中は『こんちきしょー』だ。

 まさか幼なじみが浮気オッケーなアッパラパーの尻軽ビッチだったとは想定外だったけど、正直裏切られたと思うと軽く殺意がわくわ。


 どうせあれだろ? これから『他に好きな人ができたの。ごめんね、隣の幼なじみの関係に戻ろう?』とか提案されるんだろ、佳世に。


 ──あ、どうあがいても殺意が消えないダメなやつだ、この状況。


 …………


 そういえば、池谷って彼女いなかったっけか。

 確か、ちょっと身長が小さくて、その割に胸が結構あった子。えーと、名前は確か……だめだ、おっぱいがでかいことしか覚えてねえや。そりゃそうだわな、他人の彼女なんて覚える必要性皆無だから。


「……あの……」


 でも、待てよ? もし池谷がその彼女と別れてないんだったら、池谷も浮気していたことになるわけで。

 その彼女を味方につければ、佳世と池谷に一矢報いることができるかもしれないな。


「……あの……」


 このままじゃ、俺も怒りが収まらねえ。浮気なんて言う常識破りをしたカップルには、俺以上に痛い目に遭ってもらうのが世のため人のためだ。たとえそれがお隣さんだとしても。

 よし、そうと決めたら、池谷の彼女を探して協力を──


「……あの! 緑川祐介、くん! 無視しないで……」


「……はい?」


 そこでやっと復讐──じゃなかった、今後の行動についてのエンドレス思考から離れ、ベンチから動かずに声をかけられたほうを向いてみると──目に入ってきたのは、制服の上からでもわかる、大きなおっぱい。


「……あれ?」


 そのまま視線を上のほうに動かせば──両サイド上部で束ねられたそんなに長くないツインテールがとてもよく似合う、かわいいひとりの女子がそこにいた。わかりやすく言えば、俺主催『妹にしたいランキング第一位』を圧倒的得票で取れるくらいのかわいさだ。

 うわ、おっぱいでっかいのに顔ちっちゃい。おまけに色白日本美人だ。なんとなく見おぼえあるけど、どこかで会ってたっけ?


 ──ああ、そうそう、池谷の彼女って、確かこんな──


「……って!!!」


 俺はびっくりして反射的にベンチから立ち上がった。そのせいで、女の子は「ひっ」とビビったようだが、気にしない。

 まさかの待ち人来たる。いや、探し物見つかる、かもしれない。今年の初詣に神社で引いたおみくじの内容が、今になって叶うとは思わんかったよ。気が向いたらまた賽銭投げに行ってやるからな。


「……えーと、どちら様で?」


 しかーし、俺ってば彼女の名前も知らないんだった。どうにも締まらない。少し冷静になってそう尋ねてみる。


「あ、あの、人に名前を尋ねるときは、まず自分から、じゃ……」


「……いや、知ってたでしょ、俺の名前。呼んでるし」


「そ、そういうのじゃなくてですね、あの、常識というか、人としてのマナーというか、あの、その……」


「……」


「だ、だいいち、何度も呼びかけてたのに無視されてたし、ひょっとすると人違いかと思って、不安になっちゃったわたしに対する思いやりというものが……」


「……」


「……あ、あうう……」


 俺の冷たい視線に耐えきれなかったのか、推測・池谷の彼女(仮)はうつむいてしまった。


 さて、逆襲しよう。ゴーマンかましていいですか? 


「……なんだこの子」


「! ひ、ひど……」


「まったくおっぱいでかいし髪型は似合ってるし顔も可愛いし俺みたいにイケてない男子には無縁な美少女がなんで突然声をかけてきたんだろうと一瞬悩んだ俺がバカみたいじゃないか」


「……あうぅぅぅ……」


 早口でまくしたて作戦、成功。ターゲットの顔は緊急事態のように真っ赤ですよ。

 うん、池谷の彼女じゃなかったら、この勢いでホテル連れ込みくらいはできたかもしれん。今度試してみよう。


「まあ、冗談はこのくらいにして。あらためて、緑川祐介です。よろしく」


 からかいを帳消しにするべく、白い歯を見せた爽やかスマイル。基本に忠実だ。


「い、今さらそんな爽やかに自己紹介されても……」


「ところでお嬢さん、あなたの名前は?」


「ねじ曲がった性根は隠せませんよ……?」


「ほっとけようるせえな! いいからとっとと名前教えろよ、無駄に時間を浪費するじゃねえか! 昼休みは短いんだぞ!」


「誰のせいですか……まあ、いいです。わたしは白木琴音しらきことねと申します。こちらこそよろしくお願いします」


「あ、どうもこれはこれはご丁寧に」


 変な子。

 そうは思ったが、自己紹介とともにふかぶかと礼をされたので、こちらもつられる。

 白木琴音さんね、憶えた。


「……で、白木さん。おそらくこうやって話すのは初めてだよね。何の用なの?」


 つまらんボケで貴重な昼休みを無駄にした失態を取り戻すべく、俺は単刀直入に切り出した。

 すると、白木さんはそれにこたえるかのように、緩んだ顔をシリアスモードにチェンジ。


「え、えと、緑川くんは、吉岡佳世さんの、彼氏さん、ですよね……? その件に、ついてです」


「はい?」


「えっと、言いづらいんですが……吉岡さんが、なぜか最近、わ、わたしの、彼と、仲が良くて……」


 なぜか白木さんは俺に目を合わせようとせず、もじもじしながらそう言ってきた。


 ──まさかの内容である。白木さんもそのことに気づいていたということか。これは間違いなくクロだわ。というわけで、さらなる情報を得るべく、話を合わせよう。


「……知ってる。ついさっきまで、そのことを考えてた」


「! そ、そうでしたか。じ、実は、その件についてご相談を……」


 ……おおう。

 となると、俺の返事は決まってる。


「……そうか。わかった、詳細を聞こうか」

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