プーペ
Sheila(シーラ)
プーペ
あなたは改札を出たその瞬間に、頭の中にもう一人のあなたを作り出す。この妄想は無意識的なもので、殆ど癖になっていた。あなたは頭の中で家までの帰路を完璧に描くと、作り出したもう一人のあなたに、同じ速さ、同じ歩幅で歩ませながら進むのだ。
つまり、たったさっき、切符を手に持っていたときに一人だったあなたは、機械に切符を吸い込ませたあと、二人へと変わる。あなたと、あなたの頭の中のあなた。そして二人は同時に一歩を踏み出すのだ。
然し、スタートは同じでも、あなたとあなたの頭の中のあなたは決して二人三脚ではない。
現実のあなたは三日月を見上げ、それから閉店し明かりが消されたスーパーの前で、居酒屋帰りの騒がしいサラリーマン達の間をすり抜けた。
あなたの頭の中のあなたが歩む道には、その呑んだくれな男達はいない。物音の一つもなく、閉まっているはずのスーパーはぼんやりと優しい光を灯し、あなたの帰還を祝福している。それに、見よ、夜空にはあなたの大好きな真ん丸のフルムーン。ただ、あなたの描く月は現実に浮かぶ月より彩度が低く、青ざめているように見える。
あなたの頭の中にあるその道では、あなたは誰にも邪魔されない。うんざりすることも無い。だってそれはあなたの為の道なのだから。家に着くまでのこの十五分間、あなたの意識は、こころの目は、あなたの頭の中のあなたにある。故に、この時の現実のあなたは、まるで主に忘れられたプーペのように、心許ない寂しい存在に成り下がっていた。そしてそれが、あなたとあなたの頭の中のあなたに、徐々に歩調のズレを齎すのだ。
誰もいない幼稚園の手前から、ひとつ目の下り坂が続く。下った先、突き当たりにある広い公園に、ショートカットする為に足を踏み入れる。そこでは自然のシュプレヒコールを拒否した木々の重苦しい静寂が、あなたの頭の中のあなたを待ち構える。あなたはこの静けさを畏怖していた。何故なのか、あなたの頭の中の公園の木々は葉を付けず、いつも寒々しいままだ。空気が重々しく、あなたの呼吸は浅くなる。もう少し。足を早める。五本目の木、あと三本で公園を抜けるのだ。早く、早く。
ふと、耳鳴りがしてあなたの頭の中のあなたが立ち止まった。誰かに名を呼ばれた気がして振り返ると、もう遠くなった公園の入り口に誰かが立っているのが窺えた。誰だろうか。あなたは早く此処を抜けたいのに、誰かがあなたを引き留める。早く、早く。あなたはその影を睨みつけた。
スッと意識が現実に帰ると、あなたは現実のあなたの足が止まっていることに気が付いた。あなたはまだ公園にすら入っていない。あなたは入り口で立ち竦んでいたのだった。
公園には誰もいない。さっき、あなたの頭の中のあなたが見たのは……。
誰かがあなたを家で待っているわけでも無いのに、いつも早足になってしまうのは、いつの間にか、合わせて歩かせているつもりのあなたの頭の中のあなたが、現実のあなたより少しだけ早く、その差を埋めようと現実のあなたが懸命になるからだ。そう、あなたはいつも追われるように歩いている。あなたは同じだけ歩んでいるつもりなのだ。同じ道、同じ歩幅、同じ速さ。それなのに、いつも公園であなたの頭の中のあなたが、あなたのことを眉間に皺を寄せながら待っているのだ。つい、さっきのように。
公園を抜けたあと、ふたつ目の下り坂を降り、そして家の近くのコンビニの手前まで、あなたは緊張が続く。何度も何度も、あなたの頭の中のあなたが少しだけ現実のあなたの先を行く。
あなたはこの原因を知っている。そしてその事実から目を背けているのはまったく確かなこと。
たとえ現実のあなたが傷付いても、あなたはあなたの頭の中にもう一人のあなたを作り出すことをやめない。あなたの意識が現実のあなたではなく、頭の中のあなたにあるその感覚に快感を覚えているのだ。あぁ、そうだあなたは、四月の暖かな日の公園も、頭の中のあなたの目から見ていた。現実の公園では桜が舞い踊っているのに、あなたの頭の中の公園は、まるで氷の世界のような凍ったままの木々が並び、沈黙している。実ることも散ることもなかった。
可哀想なあなたは、さながら薄汚れたマトリョシカ。夕暮れに彷徨う子犬。キスツスの萎れた花弁。かわいい可愛いプーペに絶望したあなたが、今日もあなたの頭の中にいる。
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プーペ Sheila(シーラ) @sheilacross
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