井野さら@流されない

 俺は後日、いくつかの案件を同時並行でこなし、夕方銀座へ急いだ。俺は柄にもなく緊張していた。あずきさん曰く、『本物のバズ女』とアポイントメントが取れたからだ。彼女(もしくは彼)から指定された場所は、いつもは行かない煌びやかな店の並ぶ通り、の、パンケーキ屋さんだった。しかも、その名が『しあわせのもえパンケーキ』だった。大の男が一人で入るには多少勇気が必要だが、仕方あるまい。

 本物のバズ女さんは、「井野さら@流されない」さんと言う。度々自撮りらしき写真も撮るから、彼女は今度こそ本物の女であろう……と思うが、油断は禁物だ。

 俺は指定された店に30分前に入った。が、すでに指定されていた予約席には一人の女がいた。背の高い、長い黒髪の美人だった。しかも今回は一人だ。

「井野さんですか?」俺は声をかけた。彼女は眼鏡をかけている。近くで見るとやっぱり美人だった。

「あ、その話はあとで……その、頼んでいいですか?」

「何をですか?」

「パンケーキ」

 ほどなくして、我々は3枚もの分厚いパンケーキを平らげていた。

「すみません、私頭使うと、どうしても食欲が増してしまうんです」言いながら、彼女はこの期に及んでまだメニューを見ていた。

「もう食べませんよ。そろそろお話を聞きたいです。取材なんですから」

「そうですね。申し訳ございません。まず初めに断っておきますと、私は厳密に言えばあの『井野さら』ではありません。しかし、確実に井野さらの一部ではあります」

「どういうことです?」

「あれは作られたアカウントなのです」彼女はアイスクリームを追加オーダーした。全く、細いのによく食べる。

「作られた……?法人のアカウントの中の人みたいに、複数グループで運営しているということか?」

「そうとも言えます」

「よくわからないな、はっきり言って」

「申し遅れましたが、私は海藤と申します。現在、東都大学理学部情報科学科専攻の大学院一年です。実はこのアカウントは、私の父と共同で作ったアカウントなのです」

「父と二人で運営?変なことをするねえ」

「厳密に言えばあのアカウントは私と父、二人だけのものでもないのです。あれは私と父が共同で作った『自律型AI』です」

「AI?」

「はい」突拍子もない話になってきていた。彼女は運ばれてきたアイスクリームを掬って食べた。

「もともと情報科学を専攻していた私は、マーケティングの世界の幅の広さ、無限大さ、膨大さ、不毛さみたいなものをひしひしと感じとっていました。今考えると、あまりにミクロな視点で、あるいはマクロな視点で物事を捉え過ぎていたのだと思いますが……。次第に私は自分の専攻分野に興味を失い、適当な海外の会社にプログラマとして雇ってもらうつもりでいました。しかし去年、父は自身の研究によって、バズを起こす現象のもとを解明したのです。それは私の視点には一切なかった、全く新しいアプローチからの切り口でした。そうですね、私は今まで外観の、外で起こっていることにばかり目を向けていたのです。父はバズ現象をマクロな視点ではなく、人間固有の個の性質の側面から明らかにしました。それが去年のことです。ちょうど卒業研究の課題を適当に切り上げようとしていた私は、父の研究を知って、いてもたってもいられなくなり、内定の出ていた会社を辞退して大学院に進学しました。研究は成功しました。あなたが見た私たちのアカウントです。あれは私たちの研究の成果なのです」

「なるほど、そういうわけか」俺はため息をついた。

「まさかあれがAIだったとはな」

「気づいていらっしゃらなかったんですね」ゆっくりと海藤は俺を覗き込んだ。

「まあね」

「それは大した成功だと思います……実際に、論文にはこのアカウントの詳細を書いたわけではありませんから……もちろんPV数などのアクセシビリティは統計できちんとデータ化しましたが、何を呟いているのかを論文に明確に乗せたわけではありませんし。見る人が見ればわかるでしょうが、はっきりと私たちはあのアカウントが私たちの者であると明記したことはないのです」

「今後AIであることを公表するつもりはないのかい?」

「データが取れるまでやりません」と彼女は淡々と言った。

「ただし、AIと分かったことによりさらにバズる可能性やアクセシビリティが変化する恐れは大いにあります。また、現段階での研究では『炎上』と『バズ』を明確にわけることができていないのです。と言っても近々そのプログラムも完成しますが、全く実際、骨が折れるのです。文章って思ったより複雑ですのね。炎上っぽい言葉でも画像一つ、音声一つで炎上かバズか変わってくるんですもの……」

「炎上とバズはどうやってわけているんだ?」

「単純にマイナスに作用すると判断した呟きを炎上と定義していますね」

「ふうん。じゃあバズは?」

「私たちの研究室ではバズのアクセシビリティをきちんと数字で定義していますね。PV数に加えて、『いいね』などのアクセシビリティを非常に重視しています。ちょっと少ないものはミニマムバズと呼んで区別しています」

「なかなか君の研究自体おもしろそうだし、バズりそうな内容じゃないか。なんでみんなにもっと研究を知らせない?」

「そうですね、私たちにも、できることとできないことがあるのです」彼女は注意深くミルクティに息を吐いた。

「と言うと?」

「バズる文章と言うのは、ある程度運命づけられているのです。決められているというか、結局のところ、ある制約を持ってバズは起こるのです。例外はあるのかもしれませんが、ほぼほぼそういう風にできているのです」

「予めバズる文章は決められているというのかい?」

「ほぼそうですね。それは私たちのアカウントが物語っていると思います。現にアクセシビリティは95%以上の確率で5000いいね以上を達成しております」海藤はゆっくりとミルクティに口をつけた。

「なんていうんでしょうね、バズはある程度は起こるべしくして起こるのですね」

「何か秘訣はあるのか?」

「勿論あります。が、これ以上はパンケーキ数枚では教えられません。交渉次第になります」

「金なら払うよ」

「経費ですか?」

「社長に直談判する」

「私としては、先に会社に相談してからの方がいいと思います。父は情報の重みを知る人間の一人です。これ以上知りたければ、少しだけ勇気が必要になります」

「わかった。連絡する」

 俺はすかさず会社に連絡した。電話をかけると、熊さんが出た。

「今野か?今どこにいる?」

「出先です。銀座です。バズの件で取材なんですけど、先方が情報費用を要求しています」

「そんなの惜しむなよ」

「部長にかけあってもらえませんか?」

「今席を外している。今おれが副社長に直接聞いてやるよ。そんで、信頼性は確かなんだな?」

「先ほど取材した人の身元は明かしてくれました」

「臭いなあ。……後払い制にしなよ」

「後払いは無理ですよ」後ろから甲高い声が下りてきた。話を聞いていたかのように海藤が茶々を入れてきた。

「聞こえました?」俺は熊さんに言う。

「聞こえた。ったく。副社長はオーケーだそうだけど。一回持ち帰ってこっち来たら?…・…あーーごめん、副社長のOK出たわ」

「額をまだ俺は聞いていないぞ」と、俺。

「10万とかか?」と、熊さん。

「1000万、と言いたいところですが、」と、海藤。まるで三人で会話しているようだ。

「実験に協力して下さるなら、その百分の一でいいと父が申しております」

「好きにしろよ、10万までならOKだ」

「それでは、行きましょうか。我が研究室へ」



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