(一)寒風の運ぶもの③

 エラゼルがラーソルバールの邸宅を訪れていた丁度その頃。エラゼルが話題にしていた人物、アリアーナ王女を含むナッセンブローグ王国の使節団を乗せた馬車が、国境を越えてヴァストールへと入ろうとしていた。


「ようやく国境ですか」

 馬車の窓から外を眺めるアリアーナの横顔には、期待と不安が入り混じったような複雑な心情が透けて見える。それでも彼女は気丈に振る舞うように、国境警備兵の敬礼に小さく手を振ると視線を前方へと向けた。

「殿下にとっては久々のヴァストールということになりますね」

 馬車に同乗していた侍女は微笑を浮かべてアリアーナに応じた。

「そうね。以前は山越えで大変だったけれど、オロワール地方割譲のおかげで王都エイルディアまでは楽に行けそうで何よりだわ」

「オロワールは礫の多い荒れ地で、農作物も育ち難いためにレンドバールが重要視してこなかった土地だと聞いています。ですがヴァストール領となってからは、我が国との交易のため街道や宿場が整備されつつあるようですね」

 意外だったのか、アリアーナは侍女に驚いたような表情を向ける。

「あら、良く勉強しているのね」

「いえ……、出入りの商人から聞きかじっただけにございます」

 余計な事を言ったとばかりに侍女は恐縮するが、アリアーナは特に気にする様子もなく微笑んで見せた。

「では、ついでに覚えておくといいわ。街道が整備されるということは、軍隊の移動にも有用になる場合もあるのよ。だから整備することが一概に良いとは言えないのだけれど……。見たところ我が国に配慮してか、隊商は安全に通れるけれど兵の運用には支障が出る程度で留めているようだから、その心配は薄いでしょうね」

「はぁ、なるほど……。さすが殿下は博識であられます」

 侍女は両の手を握り締め、感心したように目を輝かせた。とはいえ、そのような知識を一介の侍女が有していたところで、意味が有るのかは分からない。


「忌憚なく物を申してくれるのは、そなたの良いところ。ついでと言っては何ですが、出発前から心に抱えているものを口にして貰えるかしら?」

 気付かれていたのか。侍女は慌てて口許を押さえた。

 悪戯っぽく微笑を浮かべているが、アリアーナはこういうところで罠にかけるような気質の持ち主では無いことを、長年仕えた我が身が知っている。侍女は恐る恐る口を開いた。

「その……。誠に申し上げ難い事なのですが、我が国はもともとヴァストールとは長年の友好関係にあるというのに、わざわざ殿下ご自身が赴かれてまで、公式に同盟の書面を交わす必要があるのでしょうか?」

「あら、国の決定に不満が有るとでも?」

「……あ、いえ不満などという事ではありません……。そういう訳ではないのですが、そもそも私ごときが陛下や殿下のお考えに疑問を持つなど、実に恐れ多いことで……申し訳ありません」

 慌てて否定したが、アリアーナの表情に怒りが浮かぶ様子はない。

「いえ、まあ国民として疑問を持つのは良いことだわ」

 アリアーナは萎縮する侍女に、優しく微笑みかけた。

「正直に話すとね、帝国に相対する上で重要なことなの。もしここで帝国と事を構えることを避けて属国となったとしても、我が国に明るい未来はないわ。帝国の軍事力で守ってやると言われ、我が国の軍を解体させられた後に植民地として併合されるか、王家だけは傀儡かいらいとして残して、大臣ら首脳部をすべて帝国の人間にすげ変えてしまい、その後で……と。どうなるかは分かるわよね?」

「……結局ナッセンブローグ国民は帝国から奴隷のように扱われる、という事ですか。考えたくもないですね……」

 そう言って、侍女は身震いした。

「確実なことは言えないけれど……。西方諸国への対応を見る限り、皇帝は冷酷な人物であるという噂に間違いはないのでしょう。同盟というのはそんな皇帝、帝国に立ち向かうという意思を国内外に示すためのものよ。であるならば、その調印の席に王族が居たほうが説得力が有るでしょう?」

 先を見据えて微笑を浮かべる彼女には、王女としての決意のようなものがあるのだろう。


「では、お召し物を選んでおられたのは、その式典のため……? にしては数が多いようですが……」

「あら、ヴァストールにはイイ男を探しに行くのも目的だって言わなかったかしら。残念ながら狙っていたオーディエルト殿下は婚約されてしまったけれど……。王国一の美女と名高い婚約者殿と勝負するにはそれなりの準備というものがあるのよ」

 にやりと意味深げに笑う王女に、侍女は苦笑いで返した。

「それにウォルスター殿下ともお近づきになりたいし、何より……カラールの悪魔やらベスカータの魔女、エイルディアの聖女などと様々に呼ばれる人物をこの目で見てみたいの!」

 先程までのどこか不安そうな表情は消え去り、楽しそうに語るアリアーナを見て、侍女はほっとしたように小さく息を吐いた。

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