(三)西からの砂塵②

 副官のひとりが大きな地図を広げて掲示すると、帝国軍の動きをなぞるように指し示した。

「報告では帝国側は出兵理由を『隣国からの戦火に度々さらされているルニエラ国民を救うため』としていますが、侵略目的であることは間違いありません。帝国軍は総勢約五万、軍容はかなり充実しているという情報もあるようですが、詳細は分かりません。対するルニエラ側は徹底抗戦の構えを見せているものの、戦力差は大きく周辺国の支援が得られなければどこまで持ちこたえられるか、といった状態です」

 今回の帝国軍の動員数は五万人という大軍とはいえ、それすら西軍の一部に過ぎないのではないか。帝国が動けば小国など吹けば軽く飛ぶような存在だと思い知らされたような気がして、ラーソルバールは悔しさに拳を握り締めた。

「まあ今の時点で帝国が次に何するかなんてのは、皇帝本人でもなければ神様でもない俺には想像もできん。それに戦略面は苦手なんで、さっきの話の通りこの後に我が国の北と西から来るかもしれない、と軍務省に言われるまで分からなかった。だが、そんな俺にも一つだけ確実に分かる事がある。それは我々騎士団には何があってもこの国と国民を守るという使命がある、という事だ」

 ざわつく部下たちを眺めつつ、ランドルフは自嘲を織り交ぜつつ皆を叱咤するように声を上げた。そしてラーソルバールに視線を戻す。

「ミルエルシ、他に何か言っておくべきことは有るか?」

 こうした場で下手なことを言えば悪目立ちする事になる、そう考えたラーソルバールはゆっくりと頭を横に振った。

「いえ、特に御座いません」

 この場でわざわざ不確定な事柄に言及して悪目立ちする必要も無い。ラーソルバールは一礼をしてから再び椅子に腰掛けた。

「他に意見のある者は居るか?」

 ランドルフの言葉に挙手する者達がいたが、すぐに実のある議論に結びつくものでは無い。


 ラーソルバールは思考を巡らせる。

 帝国軍は今後、勢いのままに攻め続けるか期間を空けるかは分からないものの、西方戦線と同じように続けて周辺国に侵攻するのは間違いないだろう。その場合、次に標的になるのは近隣国の中ではレンドバール王国となる可能性が高いのではないか。

 昨年起きた王太子の暴走によって兵を減らしたが、混乱自体は終息しつつある。帝国寄りだった旧王太子派の勢力がほぼ一掃され、今は親ヴァストールのリファール主導で動いているため、従属を求めていたであろう帝国のからすれば、この状況は面白くないに違いない。権威を傷つけられ面目を潰されたれた帝国は、難癖をつけて武力行使に出るだろう。

 ここで問題になるのは、来月末に予定されているレンドバール王国の新王太子リファールと、デラネトゥス家のルベーゼの結婚だろう。

 帝国の動向という不安要素は念頭にあったものの、両国の結びつきが強まることで、いずれ同盟が結ばれ帝国に対峙できるようになるだろう、という思惑が双方に有ったに違いない。当然だがヴァストール王国とレンドバール王国の誰もが、ここまで状況が早く変化することを想定していなかった訳だ。

 場合によっては新王太子リファールは婚約者ルベーゼを守るために、婚約を破棄する可能性もあるが、デラネトゥス公爵がそれを了承するとも思えないのだが。

 情報から状況を整理したとして、結局とのところ想定できるのはその程度でしかない。


 近くに座っていたモレッザが挙手をし、立ち上がった。

「仮に、ルニエラもしくはレンドバールから援軍要請があった場合、我が国はどう対処する方針なのでしょうか」

 凛とした声で尋ねた内容は、誰もが知りたいであろうものだった。

「む……」

「その件については、私がお答えします」

 ランドルフが言い淀んだ直後、先程地図を掲示した副官が半歩前に進み出た。

「仮にルニエラ王国から支援要請があった場合、我が国単独での支援は有り得ません。他国が同様に動くことが前提となります。そもそも帝国の狙いがルニエラ王国のみである可能性もあるため、下手に手を出して帝国を刺激するのは愚策と言えます。次にレンドバール王国からの支援要請があった場合ですが、王太子殿下の婚儀が成立した後であれば支援の為に出兵する判断をすると思われます」

「それは、軍務省の見解と思って良いのでしょうか?」

 自身に満ちた副官の言葉にやや疑問を持ったのか、モレッザが尋ねた。

「いえ、私の見解です。が、軍務省もそう判断するものと思います」

 副官は答え終わるとモレッザから顔を背け、やや睨むようにラーソルバールを一瞥すると、黙したまま視線を外した。

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