(二)闇夜③

「イリアナ様、どうかなされましたか?」

 声をかけられイリアナは我に返った。心配されるような顔をしていたのだろうかと思ったものの、慌てることなく普段通りを装うように微笑み返す。

「いえ、何でもありません。皆様にも妹を支えていただけたなら嬉しい限りですわ」

「まあ! イリアナ様にそのように仰られなくとも、私たちはもとよりそのつもりですからご安心を」

 その言葉に、周囲の令嬢たちが微笑みつつ同意するようにうなずいて見せる。

「有難い事ですわ」

 彼女らは顔に出さないが、果たして腹の内で何を考えているのだろうか。

 もしエラゼルに大きな醜聞でもあれば、すぐに王太子の婚約者の座から転げ落ちると考えているのではないか。ともすればエラゼルとラーソルバールの間に溝が有って、互いに潰しあって欲しいとさえ願っているのかもしれない。

 姉として妹を支えるのは当然だが、第一に家として彼女を守らなければならないと考えている。だが、そんなイリアナに自身にも「王太子妃」や「王妃」という地位に対する憧れが無い訳ではない。

 それだけに婚約者に決まったエラゼルがやや羨ましくも感じるが、その座から引きずり下ろしたいとは思わないし、自身が年下で弟のような存在のオーディエルトの妻になるというのも想像できなかった。かといってルベーゼのように他国に嫁ぐつもりも無いので、このまま大人しく父の後を継ぐことになるだろうと考えている。

 イリアナは手にしていたグラスに口をつけると、果実酒で喉を潤す。

 何年か後、二人の王太子妃の生家となるデラネトゥス家を取り巻く環境はどうなっているだろうか。今は全く見当がつかない状況を、どう乗り切ったら良いのだろうかとイリアナは早くも頭を悩ませていた。


 その日の夜のこと。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま。ごめんなさい、遅くなっちゃって」

「いえ、楽しんでこられたご様子で何よりです」

 自邸に戻ったラーソルバールは、笑顔で出迎えたエレノールと挨拶を交わすと、少し疲れた様子で自室へと足を向けた。

「昨日も年末にもかかわらず遅くまでお仕事をされていたんですから、無理をされないでくださいね」

 エレノールは主人の背に声をかけた。

 ゼストア王国に関する職務はある程度落ち着いたものの、戦死者の欠員補充やその影響による配置転換、軍備増強を目的とした事務仕事などがあるようで、ここ数日は帰りが遅かった。さらにそうした騎士の仕事だけでなく、領地の運営に関する仕事にもラーソルバールは手を抜くことがない。

 エレノールとしても大事な主人がいつか倒れるのではないかと心配でならない。

「うん、大丈夫。今日は早く寝るから」

 ラーソルバールは振り返らずに手を挙げて応じる。

 エラゼルに泊って行けと言われるのを、翌日も仕事だからと振り切って帰ってきた。その事に嘘は無いが、疲労をとるために少しゆっくりしたいという思いがあった。

「新しく手に入れた北部の歴史書も読みたいけど……今日は無理かな」

 思い出したようにひとり言をつぶやく。そして、ぼんやりとした頭で扉を開けて部屋に入り、ランタンに火を灯す。

「さて、まずは……」

 明るくなった部屋でひとつ大きく息を吐いたときに、机の上に置かれていた手紙に気が付いた。

「あれ、エレノールさん何も言ってなかったけど……?」

 近寄って手に取ると、手紙に記された見慣れた文字に心が揺れた。差出人は恐らくアシェルタートだろう。ラーソルバールは逸る心を抑えつつも丁寧に開封し、書面に視線を落とす。

 淡い草色の便箋に、まず最初に記されていたのは訃報だった。それはアシェルタートの父であるルクスフォール伯爵の死去を伝えるもの。言い換えれば、それは領主代行だったアシェルタートが伯爵家を正式に継いだという報告でもあるのだが、祝福できるような内容ではない。

「ああ、亡くなられたのか……」

 言い表せぬ様々な思いが交錯し、ほんの僅かな言葉となって漏れ出た。頬を伝う涙は亡き伯爵への弔いか、はたまた己の未来を憂う心の弱さなのか。

 涙に曇る眼で手紙を最後まで読み終えると、ラーソルバールはある違和感に気が付いた。それはアシェルタートに手によって書面に記された日付。

 今までに比してかなり日数が経過しており、到着までに時間を要した事が分かる。

 ちょっとした手違いによるものであれば良い。だが、そうでないとするとこの事が意味するのは、国家間の関係の変化により手紙の往来が妨げられるような状況になりつつあるということ。

 もちろんヴァストール王国内の査閲に時間がかかっている訳ではないだろう。シルネラとヴァストールの関係は以前と変わらず良好であるだけに、シルネラと帝国の関係が悪化していると考えてまず間違いない。

「新年を祝うものとは程遠いかな……」

 ラーソルバールは小さくつぶやくと、窓の外に広がる夜の闇に包まれた街をただ見つめた。


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