(二)陽炎に似たり①

(二)


 王太子オーディエルトからの招待を受けて登城したエラゼルは、王宮の廊下で不意に耳に飛び込んできた噂話に足を止めた。

「……聞かれましたか、あの小娘は実際は大した戦功も無いのに、虚偽の報告を行い男爵位を得たという話らしいですぞ」

 彼らが言う小娘というのが誰をさすのか、聞かずともエラゼルには分かった。

 ここで出て行って正面から否定したところで、友人として知られているエラゼルの言葉に耳を傾けるはずもないだろう。

「自分たちは何もせず、ただ守ってもらっただけでありながら、戦った者達への敬意すら無いというのか……」

 憤りのあまり歯ぎしりをすると、エラゼルはひとり吐き捨てるようにつぶやき、再び廊下を歩きだす。

 同じようにエラゼルに同行していた護衛や侍女たちも不快感を隠そうとせず、無責任に噂話に興じる貴族達を睨みつけた。

 デラネトゥス家に仕える者達にしてみれば、エラゼルの親しい友人であるだけでなく、イリアナやルベーゼの窮地を救い当主自らが「もう一人の娘」とまで言う人物を、悪しざまに貶されて心穏やかであるはずが無い。

 侍女達の視線に気付いたエラゼルは怒るのは自分だけで良いと言わんばかりに、苦笑いをしつつ皆をなだめるように手をかざすと、立ち話を続ける貴族達から視線を逸らした。


 そんな事とは知らない貴族達は、エラゼルが近くを通る事に気付くと、会話を止めて振り返った。

「おお、エラゼル嬢。今日も一段とお美しい。滲み出る気品といい、さすが将来の王太子妃になられる方は違いますな」

 侍女達から向けられる視線など気にする様子も無く、エラゼルを褒めそやす。

(笑顔で世辞を言うが、この連中の腹の中はどれだけ黒いのか……)

 エラゼルは苛立ちを覚えつつも、偽りの笑顔を向けて付け入る隙を与えないよう心掛ける。

「ありがとうございます。ヴィッシャー子爵、ホールデン子爵」

「おお、私共の事を覚えておいでとは誠に恐縮です。何卒、今後ともよしなに……。機会が有れば是非、我が家の茶会にお越し頂きたいものです」

 あからさまに権力にすり寄ろうとする魂胆が見え、エラゼルもさすがに嫌味のひとつでも言ってやろうかという気になった。

「ホールデン子爵のお心遣い、嬉しく思います。都合がつきましたら。その際には大事な友人を誘ってお伺いさせて頂きますが、よろしいでしょうか?」

「大事な友人……と、仰いますと……?」

 恐る恐る聞き返すホールデン子爵に、エラゼルは冷めた笑顔を向けた。


 かつて特定の友や取り巻きを作らず、孤高の存在として知られたエラゼル。

 そんな彼女に友人が出来たと一部で噂になったことがある。それ男爵家の娘であり、共に王太子の婚約者候補に選ばれ、最終的にエラゼルが婚約者に決定した際に、その娘は自分の事のように喜んだ、という話は貴族の間でも知られた話である。


「ご存知無いかもしれませんが、ラーソルバール・ミルエルシ男爵の事でございます。彼女は幼年学校からの付き合いでして……。昨今、彼女を貶めるような噂があると聞きますが、友としては到底看過できるものではありません。その様なことを口にされる方が居られましたら、是非お知らせくださいませ」

 王太子妃になると見越してすり寄ってくるつもりなら、友人を侮辱することは許さない。と暗に脅したのである。

「そのような噂話をする者がおりましたら、必ずやお伝えしましょう……」

 先程の会話を聞かれていたに違いないと悟ったヴィッシャー子爵は、青ざめた表情を隠すように小さく頭を下げた。

「今はまだ、ただの公爵家の娘に御座います。そのように頭をお下げになる必要はありません。我が身に過ぎたご配慮は不要かと……。では、王太子殿下よりのお召し故、先を急ぎますので失礼いたします」

「ああ、お引止めして申し訳ありませんでした。殿下にはよろしくお伝えくださいませ」

 彼らを咎めたところで今すぐ何が変わるわけでもないだろう。軽く会釈をしてから二人の貴族を一瞥すると、エラゼルは再び歩き出した。


今までは自身も家族もラーソルバールに助けられてばかりだった。ここで守らなくては彼女の友人を名乗る資格もない。そのためにも下らない噂の出所を探らねばならないのだが。

 あの二人もどうせ我が背を睨み、未来の王太子妃という座を振りかざす小賢しい小娘よと、恨み言でも口にしている事だろう。

 廊下に響く靴音がエラゼルの苛立ちを代弁する。

 それにしても、と思う。一致団結して帝国の脅威に備えるべきこの時に、何を足の引っ張り合いのような無駄な事をするのか。いつまでも立場は保障され、安穏とした生活ができるなどと考えているのだろうか。とすれば、貴族とは何と度し難い存在であろうか。

 エラゼルは小さくため息を漏らした。

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