(一)足音③
砦の見張りが遥か前方のゼストア軍の僅かな動きを即座に見てとった。
朝から何か慌ただしく動いていたようなものとは明らかに違う、整然とした動き。
「ゼストア軍、進軍してきます!」
「ゼストア進軍開始!」
呼応するように、声が続く。
「大人しく退いてくれれば良かったんだがなあ……」
「何言ってるんだい、アンタここに来てから何もしてないだろ?」
防壁に駆け上がってきた二人の団長が遠くから巻き上がる砂煙を眺めつつ、さりげない冗談を言い合う。
「俺が出るつもりだったのに、ランドルフに取られたんだからしょうがないだろう?」
シジャードはそう言って苦笑いする。
「あの馬鹿を止めるのは簡単じゃないんだよ……」
大きくため息をつきながら、ジャハネートがぼやく。
「まあ、分かるがね。……で、昨日のお迎えに使ったやつはもうやらないのかい?」
「今日の分は数個用意してあるが、それで打ち止めだよ。うちの物資も無限じゃないんでね」
わざとらしく肩をすくめて見せるジャハネートだったが、その動きがシジャードの笑いを誘う。
「んじゃあ、向こうのお手並み拝見という事かね?」
「拝見してないで、さっさと蹴散らしておくれよ?」
「そうなるよう部下たちに頼んでみるさ」
苦笑いしながらシジャードは防壁を南へと歩いて行った。
「全く、能天気な奴ばかりで……」
ジャハネートは呆れたようにため息をついた。
同時刻、ラーソルバールはランドルフから厳命された休暇時間がそろそろ終わるという頃だった。臨戦態勢の命に、急いで支度を整え部屋を出る。
前夜には部下達やシェラ、フォルテシアといった同期だけでなく、リックスまでもが帰還してきたラーソルバールをほっとしたような表情で迎えてくれた。
どこか別の世界にいるような感覚の中、皆に心配をかけたという自覚はある。
そんな精神状態の中でいきなりフォルテシアに抱き付かれて泣かれ、ラーソルバールはどうしたものかと慌てるばかり。だが、この時初めて生きて帰ってきたのだという実感がわき、戦場で麻痺していた精神や感覚が一気に元に戻された。
兜を弾かれる程、生死の境界線上で戦ったという恐怖。
人を斬った手応え。
戦場で上がる悲鳴。
押し潰されそうな精神と戦ってはみたものの、結局朝までまともな睡眠をとる事はできなかった。
それでも不思議と眠いと言う感覚は無い。まだ自分の精神状態はおかしいのだろうか。自問しながら駆け出した。
防壁に上がると、押し寄せる軍勢が見えた。
互いの距離が詰まるまで何もできないという、もどかしい時間。
前日は投擲の指揮でそれ程意識していなかったが、実際に戦列を組み整然と迫る軍勢を眼下に捉え、次第に大きくなる地鳴りのような音を聞くと改めて剣を交えるだけが戦争ではないのだと思い知らされる。
砦に備え付けられた大きな
やがて。
「敵軍、警戒線を越えます!」
「敵さんに真っ赤な花束を贈ってあげな!」
物見兵の声が響いた直後、ジャハネートの皮肉に満ちた合図が飛ぶ。
再び前日と同じように、ゼストア軍の先団に炎の華が咲く。ただ前日と違うのは、そこでゼストア軍の足が止まらないという事。
「織り込み済みだって事かい。予想通りだが、憎たらしいね……」
ジャハネートが舌打ちをする。
「各員、定位置につけ! 攻撃可能な距離まで来たら魔法と弓でお出迎えして差し上げな!」
「オラッ! 第八に遅れるな、うちも戦闘準備だ!」
ジャハネートの声に呼応するように、第二、第三、第四の騎士団からも指示が飛ぶ。
射程距離においては砦側の大型兵器が有利であり、まずは投石器、次に備え付けの大型の強弩が、勢いよく駆け寄るゼストア軍に向かって攻撃を始める。
ゼストアの兵たちは迫る矢を盾で凌ぎ、巨石に怯えながらも懸命に砦へと駆け寄る。
魔法戦に入る前に、少しでも勢いを削らなければならない。
「歩兵の後ろに魔法兵が居るから、魔法付与でも何でもやって的確に攻撃しろ! 敵さんが寄る前に、とことん嫌がらせをして数を減らしてやれ!」
シジャードの指示は顔に似合わず辛辣なものだった。それほど離れていない場所に居たラーソルバールの耳にもその声は届いたが、父の友人の普段との差に違和感を覚え苦笑いを隠しきれない。
シジャードのおかげでいい感じに緊張がほぐれたかというところで、背後からフェザリオ三月官の指示が飛ぶ。
「手持ちの弩は初回だけ魔法付与を施して、射程に入ったら一斉射出! 高さが有る分、相手の攻撃が届くまで時間が有るから焦らずいけ!」
長距離射程の強弩の攻撃を潜り抜けた後は、弩と魔法攻撃。攻城兵器の半数を失った今でも、ゼストアは数で圧倒できるだけに少しでも油断すれば命取りになる。
ラーソルバールは大きく息を吸ってから、弩を強化するために苦手な魔法の詠唱を始めた。
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