(三)兜を脱いで③
砦の外。
殿部隊を追ったレンドバール軍は勢いに乗じて砦に取り付こうとしたものの、防壁からの間断無い攻撃に阻まれ、もはや為す術はない。馬上に戻ったディガーノンは苦りきった表情でその光景を見ていた。
もう見ていてもどうにもならないと分かっている。このままでは兵を無駄死にさせるだけだ。
自身も落馬した際の怪我で、満足に戦えるほど体の自由は利かない。痛みを感じていないのは幸いだが、痛覚が麻痺しているだけなのか、やり場の無い怒りが感覚を掻き消しているせいなのだろう。
ここに至って、自分ができることはひとつしかないではないか。
「一時撤退だ!」
ディガーノンは部下に指示を出すと、砦に背を向ける。そして何も成し得なかった悔しさに唇を噛み、がっくりと肩を落とした。
「必ず雪辱を……」
撤退する兵を見ながら小さくつぶやくと、振り返って砦を睨んだ。補給部隊が襲撃された事実を未だ知らない彼は、雪辱の機会はすぐに訪れるものと信じていた。
「敵軍、後退していきます!」
同じ頃、砦への攻撃を諦めたレンドバール軍が後退を始め、本隊の進軍も止まった事で、防壁の上にいた兵達から勝利を喜ぶ歓声が次々と沸き上がった。歓喜の声は連鎖し、砦全体が勝利を喜ぶ声に包まれるのにそう時間はかからなかった。
喜びを分かち合おうと、殿部隊にも兵達が群がる。戦の重要部分を担った殿部隊も敵軍撤退の報に触れ、ようやく兜を外して無事に役目を終えたことを確認するとともに、命があったことを喜び合うことができた。
「ランドルフ!」
赤い鎧の女性に呼び止められて、牙竜将ランドルフは馬を止めた。
「何とか終わったな」
「ああ、お疲れさん!」
その言葉と同時に差し出された荷袋を見て、ランドルフは首を傾げた。
血で赤く染まっている見た目の割に重そうな袋、その中身は何か。答えはすぐに導き出された。
「灰色の悪魔か?」
戦場で討ち取ったという声を聞いた気がする。問いに黙って頷くジャハネートの手から袋を受け取ると、気になった事が口を突いて出る。
「お前さんが殺ったのか?」
「いんや、アタシは他人の手柄を横取りする気は無いよ。同じように、誰かが他人の手柄を横取りするのも許せないがね……」
自分の一騎打ちは邪魔されたので、ジャハネートだったとしたら気に入らなかっただろう。そうでなかった事に安堵しつつも、もうひとつ疑問が頭をもたげた。
「お前じゃないとしたら、誰がこんな大物狩れるんだ?」
剛勇を誇るディガーノンと並び称されるモンセント伯爵。『悪魔』とまで呼ばれるような剛の者と戦える者が、自分達以外であの場に居たとは思えない。
「いるだろ? ひとり」
ジャハネートはニヤリと笑って、親指で後ろを指差した。彼女が指し示す先、疲れたように座り込む金髪の娘が遠くに見えた。
ランドルフは小さくため息をつきながら、呆れたように頭を振る。
「なるほど、初陣でとんでもない事を仕出かしてくれた訳だ。まぁ、あれに関しては今更驚く程の事もないが……な」
「ま、そういうことさ。……ああ、その首はすぐに魔法で防腐処理してもらいな。交渉する時に敵さんに返すんだろうからさ。全く、今回の美味しいところは全部第二に持っていかれちまったよ……」
最後に肩をすくめると、まんざらでもなさそうに笑みを浮かべてみせる。
「……違うな、第二じゃない」
作戦も、手柄首もあの娘のものだ。暗にそう言って笑うと、二人は互いの無事と戦の勝利を讃え合うように拳と拳をぶつけた。
「でも、やっぱり、アンタにあの娘を取られたのは納得いかないねぇ……」
「え、それまだ根に持ってるのか?」
「当たり前だろ!」
ジャハネートが苛立ちをぶつけるように、馬上のランドルフを殴りつけると、周囲からは大きな笑い声が巻き起こった。
ひとまず戦争は終わった。その解放感に今だけは酔いしれて居たかった。
ヴァストール軍の死者、二三二名。軽傷を含む負傷者、一五二四名。
レンドバール軍の死者、八六二名。軽傷を含む負傷者、二四六六名。
公表されたヴァストールの死者数には、離反を企てて処分された者も含まれている。表向きはあくまでも、戦死扱いとされたためである。また、レンドバール軍の死者負傷者には、後方の補給部隊も含まれているため、野戦で発生した損害の単純比較はできない。
こうして両軍が激突したカラール砦防衛戦は、わずか一日で勝敗を決した。
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