みすかしあいしたい

@TearsThatAreBlue

見透かされている

 高校三年生になった春、僕はクラス替えの掲示を確認して、心の中で小さくガッツポーズを取った。周りにいる友人らはalmost goodとばかりに頷いたり笑ったりアンニュイな表情を作ったりしていた。僕はすました態度をして少し遠くにいる佐藤さんの姿を眺めた。佐藤さんはやはり僕と同じように彼女の友人らに囲まれて、くだらない話でもしているのだろう、こぼれるような笑顔を見せていた。それを隠すように口元に手をやる仕草が愛しい

「同じクラス、いぇい」

 清水はそんな僕を小突いてグータッチを求めてきた。

「うん、同じクラス」

 僕はそう含みを持たせて彼の拳に自分の拳を合わせた。コッ、という鈍い手ごたえと共に新学期が始まる。


 僕の苗字は上野である。新しい教室は左端から出席番号順に席が配置されるので、右利き用に作られている西向きの部屋の中、必然的に僕は窓際の席に座ることになる。だから春の景色を窓越しに見ると新学期なのだなあと実感する。小学校、中学校、高校と、見える風景こそ変われど、麗らかな光に照らされてほんの少し頬が気色ばむ感覚は変わらない。そう、それは去年の春も

「いい光だねー。って、この話去年もしたか」

 佐藤さんも同じようなことを考えていたのだろうか、窓の外と僕とを半々で見るようにして言った。「また隣だね」

 「うん」僕は何か気の利いた答えを返そうとして佐藤さんを見て頭が真っ白になって二の句が継げない。佐藤さんはそんな僕を見てほんの少し目を細めて笑う。

 見透かされている


 学校が終わって僕と清水は校門の横で駄弁っている。始業日であるのでまだ太陽が高い。桜の花びらがワックスでベトベトの清水の頭について、何だそれ、と笑う。

 清水はバスケ部のレギュラーで、僕は文芸部の一部員に過ぎない。彼は僕なんかと一緒にいて何が楽しいのだろう

さとるさとっちとお似合いだと思うんだけどな」

 清水は唐突にそう切り出す。佐藤さんのことをさとっちと呼んだり、僕をフランクに下の名前で呼んだりできる清水の方が、よほど快活な佐藤さんに似合っていると思う。

「いや、僕、佐藤さんに一度フラれてるし」

 僕が佐藤さんに告白したのは去年の秋だ。

「彼氏がいたんでしょ、しょうがなくね」

 佐藤さんのことを好きだと知っているのは清水だけだ。フラれた時もすぐに清水にそのことを言った。

 佐藤さんにフラれた理由は「彼氏がいるから」だった。「もし彼氏がいなかったら僕と付き合っていたの」とは怖くて聞けなかった

 「――それにさ、」清水は僕の方を見る。

「さとっち、彼氏と別れたみたいだから」

「え、初耳」

「もう一度告白しなよ」

 清水は妙に急き立てる。

「――今日さ、後ろでお前とさとっちを見ていて思ったんだけど、お前ほんとにさとっちのこと好きだよな。会話の態度でバレバレ。事情を知っているこちらとしてはいたたまれなくて」

 だから今日は恋バナに積極的なのか、と腑に落ちた

「じゃ、俺帰るわ」

 自分の言葉に気恥ずかしくなったのか、清水はそう言って背中を向けた。


 佐藤千尋でさとっち、もしくはちーちゃんと呼ばれる。性格は明るい。○○委員会、というやつに多く所属している――皆の前に立ってしゃべっているのをよく見かける。真面目キャラではない。……と本人は公言する。しかし根が真面目であることは周知の事実である。責任感が強い。――というより、仕事をしなければクラスに居場所がなくなると思っている

〈わたし誰かから頼られている時いちばん生きていられる気がするの〉

 僕はたぶん佐藤さんについて他の人が知らないような側面をたくさん知っている。僕と佐藤さんとはLINEで強く繋がっている。寡黙な僕がLINEで饒舌になるのはともかく、普段から陽気な佐藤さんがLINEでは違うベクトルに自己表現をするというのは、僕にとって少し驚きだった。彼女のLINEはいわゆる陽キャのするような大雑把で薄くてそれ故に誰も傷つけない妥協の塊のような会話とは違って、繊細で濃密でそれでいて自分以外の誰も傷つけないような、厳密な言葉選びをしているものだった。それは現実の会話では確実に空中分解してしまうような内容だった。僕はそんな彼女の言葉を愛した

 佐藤さんの性格は暗い。皆の前に立ってしゃべる時は息継ぎがうまくできていない。真面目ではないと言い張るのは不真面目を憧憬しているからだ。彼女は中学時代に女子からハブられて、委員会で仕事をすることで先生を味方につけて何とか日々を乗り切っていた。生存本能から来る責任感に押しつぶされそうで彼女はいつも泣いているのだ――僕には分かる


「そういえば上野の小説読んだよ」

 昨日とは違って髪をぴょこんと後ろでまとめた佐藤さんは言った。

 小説? 文芸部は毎年夏に部誌を発刊している。佐藤さんが言っているのは僕がそこに寄稿した小説のことだろうか。なんで今さら

 少しだけ戸惑う僕を観察するようにして佐藤さんは続ける。

「ねえ、上野ってさ、本当はああいうことしてみたいの」

 僕が書いたのはラブストーリーだった。心にどこか寂しさを抱える女の子を、男の子が無理矢理に連れ去って離さない、という王道の。

「あっ、もしかして実話とか」

 んなわけねーじゃん

「そんな顔しないでよ、面白かったよ小説」

 そうなんだ

 照れ隠しで声を出す。

「ありがと」

「やっとしゃべった」

「何て返せばいいか分かんないじゃん」

「うはは」「それもそうだね」


 そっか、読んでくれたんだ

 面白いって言ってくれた

 考え方とか、価値観とか、そういった自分の中の深いものが、佐藤さんと重なり合った気がして、僕はしばらく目を閉じてその幸福感を体全体で味わった。

 今日のために生きてきた気がした


 深夜に佐藤さんとLINEをするのは楽しい。

〈そういえば昨日と髪型変わってたね〉

〈あっ気付いた?〉〈今日朝起きたらすごい寝癖でさ〉

 寝癖のついた佐藤さんを見てみたいと思った

〈そうだ、上野に聞きたいことがあるんだけど〉〈男子ってさ、ショートとロングどっちが好きなの〉

〈ショートかな、でもロングが好きな人もいると思うよ〉

〈ふーん、ありがと〉

 なんでそんなこと聞くの

 僕の言ったことを信じてショートにしてくれたりするの

 フッた奴の言葉で自分を変えていいの

〈ごめん〉

〈ん〉〈なんで謝るの〉

〈いや僕友達と関わり少ないから一般的な男子の傾向とか分からなくて〉

〈いやいや、上野の意見でいいんだよ〉

 それってどういう意味

 今彼氏のいない君が僕の言葉で自分を変えるということと、僕が告白した時に君が「彼氏がいるから」と断って、彼氏がいなかった場合については言及しなかったことの、ふたつを合わせた時に導き出される意味を、僕は額面通りに受け取っていいの

〈ごめん〉〈ありがとう〉

〈また謝る〉〈聞いたのはわたしだから、ありがとうはこっちのセリフだよ〉

 そう言って佐藤さんは僕の失敗を肩代わりしてくれた。

 なんでそんなに優しいの

 深夜に佐藤さんとLINEをするのは、胸が苦しい。

〈ねえねえ上野はさ、SかMかどっちなの〉

〈どうしたのいきなり〉

〈うへへ、いいじゃん別に〉

 酔ったおっさんかよ

〈佐藤さんはどうなの〉

〈わたし?〉〈わたしねえ……名前にSが入っているから、Sってよく言われるの〉

 一瞬画面の向こうに、指を赤い唇に添えて意地悪い表情をする佐藤さんが見えた気がした

〈だからMなわたしは隠れて見えなくなっちゃって、誰もそれを見つけてくれないんだ〉

 意地悪な表情を、上目遣いの甘えた表情に変えて佐藤さんは言った

 僕は佐藤さんが弱いのを知っているのに、僕だけは

〈でも僕も名前にSが入っているけど、どう考えても性格的に僕はSじゃないよ、だから名前なんて関係ないし、Mだって分かってくれている人もいるんじゃないかな〉

〈うむ〉〈確かにそうぢゃな〉〈よう言うた、そちに褒美を遣はす〉〈実際褒美など無いのぢゃがな、ぐはは〉

 ほんとに酔っているんじゃないのか

〈佐藤さん眠そうだけど大丈夫〉〈もうLINEやめる?〉

〈何を言う〉〈夜はまだまだ長いぞ、秋の夜長ぢゃ〉

〈春だけど今〉

〈上野はさあ、まだ私のことが好きなの〉

〈好きだよ〉

〈ほんと?〉

〈うん〉

〈ほんとにほんと?〉

〈ほんとにほんと〉

〈ほんとにほんとにほんと?〉

〈ほんとにほんとにほんと〉

〈わたし性格悪いのに〉

〈佐藤さんは性格悪くなんかないよ、優しいよ〉

〈上野はほんとのわたしを知らないんだよ〉

〈知っても知らなくても僕は佐藤さんのことが好きだよ〉

〈ねえ上野お〉〈なんで上野はそんなに上野なの〉

〈意味が分からないよ、ほんとに寝なくて大丈夫〉

〈うむ〉〈寝るよ〉


 僕はそれから三十分くらいぼんやり佐藤さんのことを考えて、もう完全に寝ただろうかと思って〈おやすみ〉と返信した。画面に映る佐藤さんの言葉をなぞると温かい

 なんで上野はそんなに上野なの

 佐藤さんのことが好きな僕が僕だからだよ

 だから大切な佐藤さんを大切にしたいんだ

 僕も意味が分からないや、ごめん

 どうして佐藤さんはSとMの話をしたのだろう。どうして自分にMの要素があることを強調したのだろう。僕が佐藤さんを気遣って早く寝るように勧めたのは正しかったのだろうか。どうして佐藤さんは僕の気持ちが離れていないかを確認したのだろう。どうして最後の〈寝るよ〉だけ言葉遣いが素に戻ってのだろう。

 僕の佐藤さんを大切に思う態度が、結果的に佐藤さんとの間に距離を置くことになったのだとしたら。それで佐藤さんが醒めてしまったのだとしたら。

 恋とは体温を感じられる距離感の中に生まれるものなのだろうか

 それならば僕は取り返しのつかないことをしてしまった


〈今度学校一緒に帰らない?〉

〈えっいいけど……方向逆じゃなかったっけ上野〉

〈えーっと、ちょっと駅前のLOFTに用があって、佐藤さんそっちの方向だったなあって思って〉

〈うん、方向はそっち〉〈だけどわたしいつもその手前の駅から乗っていて、わたしは定期使えばタダだけど、上野はわざわざ一駅のために切符買うの勿体無いよね、どうする、歩いてく?〉

〈あーそっか、うーん、じゃあ一緒に歩きたい、ごめん〉

〈ううん、別にいいよ〉

 ほんとは最初から歩くつもりだったなんて言えない


 佐藤さんの歩幅は小さくて、僕はゆっくり歩いてそれに合わせる。

「上野は何買うつもりなの」

「んー鉛筆とか消しゴムとか、あとテープ糊が切れそうだからそれとか」

「あー鉛筆か、この前のマーク模試、わたし鉛筆持ってなくてシャーペンで塗ってた」

「そうそう僕も持ってなくてさ、だから買わなきゃと思って」

「じゃあわたしも寄ろっかな」

 そう言って佐藤さんはどういうわけか僕の方をじっと見た。

「何か顔についてる?」

「ううん。なーんか、もう受験生なんだなー、って」

 僕も佐藤さんの方を見た。佐藤さんはほんの少しだけ悲しそうな表情をして笑った。

「何か顔についてる?」

「ううん。なーんか、もう受験生なんだなー、って」

 あともう少しで佐藤さんに会えなくなっちゃうんだなーって

「ふふ」「もう駅着いちゃった」

 ガラス張りのビルが林立してそれぞれ空に伸びていた。さまざまな表情をした人がさまざまな格好をしてさまざまに歩いていた。僕はその時なぜだかここにいるのは実質僕と佐藤さんの二人だけなのではないかと思った。例えば今ここでガラスが一斉に割れて空に散り、僕たちの上に降り注いだなら。たぶん僕一人が彼女を抱きしめて、破片で切れた彼女の頬を優しくなぞり、それを合図に僕たち以外の世界全てが背景となる。笑っちゃうほどキラキラした空の青と、頬にひとすじ通る血の赤とがコントラストをなし、逃げ惑う人々の中で僕らだけが止まっていて、終わっていく世界の中、二人だけが幸せな結末を迎えるのだ。


「うわあ雑貨がいっぱい」「LOFTあんまり来たことないけど面白いね」「わたし文房具好きかも」

 はしゃぐ佐藤さんがかわいい

「あっ手帳、わたし手帳欲しいと思ってたんだよね」

 そう言って佐藤さんは水色の手帳を手に取った。

「じゃあさ、僕がプレゼントしてあげる」

「えっほんと⁉ いいの?」

「いいのいいの。ちょっとレジいってくるね」

 僕は店員さんにプレゼント用のラッピングを頼んでお金を払い、それから佐藤さんの方に戻った。

「ごめん待たせちゃって」

「こっちこそ、買ってもらっちゃって」

「佐藤さん、」

 僕は佐藤さんをまっすぐに見つめる。佐藤さんもそれに応えて僕に正対する。僕はプレゼントを婚約指輪みたいにして佐藤さんに渡す。

「僕と付き合ってください」

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