ヲタ君の家庭教師

コオリノ

第1話『襖』

 これは私の知り合い通称ヲタ君が、学生時代に体験した話を一部私の脚色を用いて書いたお話です。


長文で申し訳ありませんが、良ければお付き合いください。


ちなみにヲタ君というのは、高校ニ年生自称エロゲ大好きで、同級生達からキモヲタ呼ばわりされていた頃のあだ名らしいです。


以下、ヲタ君の語り。



真っ白い入道雲が二階窓の向こうに空高く見えた。


冷房のため締め切った窓を貫通するかのように、外からは油蝉の大合唱が聴こえてくる。


高校二年、夏休み真っ盛りのこの時期に、僕は一人部屋でゲームをしていた。


ジャンルは恋愛アドベンチャー。現実と違い二次元の向こう側では、多種多様な女の子達が僕の相手をしてくれる。

気持ち悪いだのなんだの言われようが、僕はこれで満足だ。


母子家庭を心配して母方の祖父が、所持していた家に僕ら親子を招いてくれたのが一年前の事。


祖父の弟さんが住んでいた家らしく、結構な歴史を持つ古い日本家屋だが、祖父が気を利かし暮らしやすいようにと色々とリフォームもしてくれていた。


そんな家に我が子を置いて、母親はそそくさと東京で単身赴任中だ。


おかげで自由気ままな一人暮らしを謳歌できるかと思いきや、一週間前、


「あんた一人だとろくに勉強しなさそうだし、家庭教師雇ったからね」


と、母親に電話で一方的に告げられてしまった。


そしてその家庭教師との顔合わせがまさに今日この日だったりする。


気は全く進まない。

母親の話によると、相手は女子大生だからだ。


僕が喜ぶとでも思ったのだろうか、正直リアルな女性は苦手だ。

接し方がまず分からない。


その点ゲームの中の女性は快適だ。

選択技は用意され、間違えればやり直しがきく。

好感度だって数値で分かるし、自分が好かれているのか嫌われているのかも直ぐに分かる。


だいたいにしてクラスの女の子ともろくに話す機会もないのに、一対一で僕にどうしろというのか……。


などと、こんな風に今朝からずっと心の中で一人押し問答を繰り返して早くも五時間が経過した……その時。


──ピンポーン。


一階の玄関のチャイムが鳴った。


僕は肩をがっくりと落としゲームを閉じると席を立った。


ああだこうだと考えても答えは一緒だ。

養われている間は従うしかない。


こんな事でお小遣い減らされてソフトも買えなくなったらそれこそ……。


──ぶらん


部屋を出ようと襖の前に立った瞬間だった。

足元に突如現れた……白い足。


少しだけ宙に浮くようにぶらりと現れて、そのまま直ぐに掻き消えた……。


余りの事に呆然と立ち尽くす。


「は……はは」


震える足がもつれるようにして絡み、僕はその場に尻餅をついてしまった。


半年前からだろうか。

この家に越してきて一人暮らしをするようになってから、こういった現象が頻繁に起きるようになった。

夜な夜な聞こえる誰かの足音やひそひそ話。

風もないのに激しく揺れる風鈴など、説明のつかない怪現象。

ネットで詳しく調べたが、所謂(いわゆる)霊障ってやつだ。


最初は半信半疑だったがここまで頻繁に起きると流石に信じざるを得ない。


今の所何か特別な被害があるわけではないので、正直怖いが我慢している。

相談できる友達も居ないし、こんな事人に話せば、ただでさえキモヲタ扱いされているのに、この上更に電波認定されるのはごめんだ。


せっかく一人になれる場所を手に入れたのに、ちょっとこんな事があったからって手放すわけには……。


とはいったものの流石に今のはびびった。

今までは間接的なものばかりで視覚で確認できるものはなかったからだ。

それが今、確実にこの目で確認してしまった……。


「今の……足だよな……白い足……」


──ピンポーン


「うわぁぁ!」


思わず跳ね起きるようにして立ち上がった。


「は、はい!いい、今行きます!」


玄関に向かってそう叫ぶと僕はぎしぎしと音を立てる階段を駆け下りた。


玄関の前まで行くと、ドアーチェーンを外しドアノブを手に取り押し開く。


「あっ」


か細く漏れる音が前方から聞こえた。


目をやるとそこには白いベストにレースの付いたシャツを着た、いかにも清楚系な女性が一人、僕を見つめながら立っていた。


母親の言っていた家庭教師だろう。


それにしても……。


正直戸惑った。想定していたよりも家庭教師が美人だったからだ。

腰まである黒髪は艷やかで、ゆるやかに美しい目元は、見つめ返すと思わず息をのんでしまう。女子大生と聞いていたからある程度想像はしていたけど、まさかこう来るとは……。


「あの、よろしい……ですか?」


「へっ?ああ、は、はい!あ、どうぞ中へ」


僕は慌てて会釈し、女性を中へと招き入れた。


「お邪魔します。私、本日家庭教師の件で伺いました……」


女性はそう言って改めて自己紹介をしてくれた。


女性は千鶴(ちずる)という名前らしく、こっちでは有名な金持ちの坊っちゃんやお嬢様が通う、割と有名な大学に通っている人だった。


うちの母親とは面識があるらしく、知り合いを通じて、今回母親がこの千鶴さんに家庭教師をお願いしたようだ。


一通り自己紹介をした僕は、とりあえずお茶でもだしますからと、二階にある僕の部屋へと千鶴さんを案内した。


階段を上り丁度真ん中に差し掛かった時だ。


「凄いですね……ここ」


「えっ?あ、ああこの家?お祖父ちゃんが言ってたけど、けっこう歴史的価値もあるみたいですよ?所々リフォームしちゃいましたけど、はは」


「いえ、そうではなく……」


「えっ?」


「いえ……何でもありません」


何かいたらないことを言ってしまっただろうか?

思わず落胆しながらも、僕は階段を上り、部屋の前までたどり着いた。


「こ、この部屋立て付け悪くって、ちょ、ちょっと待ってくださいね」


言うと襖に手を掛け一気に押し開く、が


──ガッ


木の軋む耳障りな音と共に、襖は何とか開いた。


「どうぞ」


声を掛けると、千鶴さんはお辞儀をした姿勢のまま部屋へと入った。


開けた襖を閉めようと手で押すが、今度は最後まで閉まらない。

仕方なく閉めるのを諦めて振り返る、すると千鶴さんは僕の部屋をぐるりと見回しぼそりと言った。


「よく一人で……」


「えっ?」


余りの小さい声に短く返事を返す。


「あ、いえ何でも……失礼します……」


千鶴さんはそう言って用意してあった座布団の上に座った。


さっきからたまに様子が変だ。何かこの家に気になる事でもあるのだろうか?

勘ぐりながらも、俺は千鶴さんの向かいの座布団に腰を下ろした。


それを確認してか、彼女は徐に口を開く。


「実は、今回来たのは家庭教師の件なのですが……」


「は、はい」


「今回の件、お断りさせて頂こうと思いまして……」


「へっ……ええっ!?」


思わず腰が浮き立つ勢いで返事を返した。


「なな、何でですか?」


腰を元に戻しながら、どもる声でそう聞いた。


さっきまで気は進まないとかなんとか思ってはいたが、正直に言うと残念だ。

こんなに美人な人ととなら……という邪な思いはあるが、それ以前に分かってはいたものの、人から拒絶されるという事に慣れているつもりではいたが、やはり面と向かって否定されるは堪える。

家庭の事情とはいえ、父親は僕と母親を捨て、学校ではクラスメート達に無視され僕の居場所はほとんどない。

考えてみれば、僕の人生は拒絶されてばっかりだったからだ。


千鶴さんは肩まである髪を耳あたりで掻き上げると、再び口を開こうとした、がその時、僕は彼女の肩越しに見てはいけないものを見つけてしまった。


「あっ」


「えっ?」


短くこぼした僕の声に、千鶴さんは不審そうな顔で聞き返した。


「ああっ!い、いえ、なな、何でも……ないです」


震える声で言ってから、僕はそのまま目を伏せる。


何だ……何だ今の……?


千鶴さんが僕に話しかける瞬間だった。


彼女の背後にある、入口の襖。


締めきれず開いた隙間に、有り得ないものを見てしまった。


襖に、挟まるようにして宙に浮く、女の……能面の様な……生首。


動悸が激しくなり、途端に息苦しくなった。


膝が震えだし、思わずそれを隠そうと手で押さえつける。


見間違いだ……そう思い、意を決して顔を上げた。


女の生首は……まだ、そこにあった。


襖に挟まるようにして、宙に浮いたまま……。


しかも、さっきみたいな能面の様な顔ではなく、今度は苦痛に歪むような顔で、何かを訴えるような目で僕を睨みつけくる。


思わず叫びだしそうになるのを堪え、僕は女の視線から目を反らした。


「何か……あったんですか?」


千鶴さんがそう聞いてきた。


思わず振り向きそうになるが、女の生首が頭に浮かび、僕は顔を反らしたまま、


「い、いえ……なな、何も……」


「こっちを見ろ、今なら大丈夫だ」


「い、いやだから、何も……えっ?こっちを見ろ……?」


今のは千鶴さん?さっきと喋り方がぜんぜん違うぞ?


思わず声の方に顔を向ける。


するとそこには、いつの間にか僕を見下ろす様に立つ千鶴さんの姿があった。


さっきとは雰囲気が明らかに違う。


清楚でおとなしめな女性……ではない。


何か鬼気とした光が、その瞳には宿っていた。


そして口元を微かに歪めたかと思うと、僕に向かって言った。


「どうした?お化けでも見たような顔して……」


「お、お化け?」


「ああ、女の生首でも見たのか?」


「えっ!?」


思わず目を見開いた。


何で……何でそれを……?


「今は抑えてるいから安心しろ……その椅子、ちょっと借りるぞ」


驚き戸惑っている僕を他所に、千鶴さんは机に閉まった椅子を引きずり襖の側へと運んだ。

恐る恐る襖を見ると、そこには隙間が開いているだけで何もない。


不意に、さっき千鶴さんが言っていた言葉が頭を過る。


──抑えているから


彼女は……一体……?


この雰囲気の変わりよう、そして喋り方。もはや訳が分からない事で頭がいっぱいだ。


「おい」


いきなり乱暴に呼ばれハッとして振り返ると、


「今日穿いてないんだ、覗くなよ」


「はっ……?えっ?えっ?ええっ!?」


「嘘だ、変態……」


「はっ……はあ?」


い、一体何なんだこの人……。


蔑むように僕に罵声を浴びせ千鶴さんは椅子に昇ると、襖の上にある梁の部分に両手をやった。

背伸びをするようにして何やら梁のところを弄っている。


しばらくすると、


「あった……」


短くそう言ってから、千鶴さんは椅子から降りた。手には何か持っているようだ。


「あ、あの、何があったんですか?」


恐る恐るそう尋ねると千鶴さんは手に持っていた何かを僕の目の前に差し出してきた。


食い入るように見ると


「何かの……繊維……ですか?」


それは、細かく今にも崩れて無くなりそうな繊維の塊だった。


「ああ、正しくは荒縄の繊維だな」


千鶴さんはそう言うと、ついっと、さっきの梁の部分を見て


「ここで吊ったのか……」


ぼそりと言ってから、手に持った繊維を手の平で揉み消すようにしてゴミ箱に捨てた。


吊る……?吊るって……それはつまり……。


点と点が線で結びついていく。頭の中で、パズルが組み上がっていくような気がした。


白い足、立て付けの悪い襖、お辞儀をしたまま部屋に入る千鶴さん、宙に浮く生首、梁に残った荒縄の繊維、そして……そして千鶴さんの言った、ここで吊ったのかの意味……。


ごくり、と大きく僕の喉が鳴った。額には脂汗が滲み、クーラーとは違う足元から這い上がるような、おぞましい寒気に僕の全身は包まれていた。


「さてと、今日は何も持ってきてないんだ。断るつもりで来たから。だから、」


「へっ……?」


千鶴さんの言葉に僕は顔を上げた。


「勉強はまた今度でいいか?」


「そ、それってつまり……?」


聞き返すと千鶴さんはやんわりと笑ってから、


「引き受けるよ、家庭教師。面白いもの見つけたしな」


そう言って僕を見ながら口元を歪めてみせた。


思わずその顔にぞくりとしながら、僕は反射的に黙って頷き返す。


「そうそう、机の下に隠してあるやつは処分しとけ、そんなもの買う金があるなら参考書の一つでも買え」


千鶴さんはそう言って僕の頭を軽く小突いてきた。


「痛っ」


くはなかった……むしろ妙な心地よさを感じた。誤解のないように言うが、殴られたからじゃない。

何というか、面と向かって僕に接してくれる彼女が、今の僕にはとても心地が良かったのだ。

でも、とりあえずエロゲーの隠し場所は変えよう……。


「さてと、今日はもう帰るよ、またな」


「えっ?あ、じゃ、じゃあ玄関まで」


そう言いかけた時だった。背を向けた千鶴さんが、僕の方に振り返り手を広げて静止を促してきた。

そして首を横に降って口を開く。


「ここでいい、まだ、そこに残ってるから……」


残ってる?何が?さっきの……が?


慌てて僕が梁の辺りを見回すと、千鶴さんは襖に手を掛け続けてこう言った。

ぞっとするような……判決でも下すような冷酷な目で……。


「この家……一体何人死んだんだ……?」


瞬間、家中からざわざわとした無数の声が聞こえた。


今まで聞いた囁き声ではなく明らかに、「私も……」、「俺もだ……」と、複数の声が、階下から這い上がってくるように響いてきたのだ。


何者かに心臓を鷲掴みにされた様な衝撃が、僕を襲った。

呼吸すら忘れ、愕然としながら千鶴さんを見つめた。


「すまん忘れてくれ……またな」


そう言うと、千鶴さんは戸をそっと閉めた。


襖はまるで、新築の襖の様にすうっと、音も立てず静かに閉まった。


僅かな……荒縄ぐらいの隙間を残して……。




























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