第7話「男の約束」
お母さんが泣いていた。ボロボロと、たくさんの涙を流して、テレビの前で泣き崩れていた。
もうすぐ世界が終わる。それは僕もお母さんも死んじゃうってこと。それは世界中のみんなが死んじゃうってこと。友達も先生もおばあちゃんもおじいちゃんもおばあちゃんの家にいる猫のミケだって……死んじゃうんだ。
でも僕はあまり悲しいとは感じなかった。
僕が六歳のとき、お父さんの方のおじいちゃんが死んだ。そのときは悲しかった。でも涙はでなかった。
昨日の夜、お母さんが仕事から帰ってきたとき、僕は寝ないでゲームをやっていて怒られた。セーブをする前にゲームの電源を切られて、僕はたくさん泣いた。苦労してやっとレアなアイテムをとった後だったから、すごく悲しかった。
去年、お父さんが事故で死んだときもすごく悲しかった。でもすぐには泣かなかった。お葬式の後、おばあちゃんが僕を元気づけてくれたとき、お母さんがいないところで初めて僕は涙を流した。
僕はもう九歳。人が死ぬということの意味くらいは理解している。それはもう会えないってこと。転校とか引越しとは違った完全なお別れの形。
じゃあ自分が死ぬということはどういうことなんだろう。明日が来ないってことだろうか。明日が来ないってことは、明日やる毎週欠かさずに見ていたアニメは見られないってことだ。それはもちろん悲しいことだけど、なんだかあまりイメージがわかない。
だから僕は世界が終わることを、そこまでは悲しいと感じていなかった。そんなことよりずっと僕を憂鬱にさせるのは、お母さんが泣いていることだ。しかもお母さんは自分が死ぬことが悲しくて泣いているんじゃない。僕がたった九歳で死んでしまうのがかわいそうだって泣いている。僕のせいで泣いているんだ。
お母さんが泣いている姿を見るのは辛かった。すごく心が痛くて、どうしていいのかわからなくなる。悲しいって感じとはまた違った気持ちのような気もするけど、僕はこの気持ちの名前を知らない。とにかくすごく、すごく嫌な感じだ。
だから僕は今、自分の部屋で音を大きくして音楽を聞いている。泣いているお母さんを見ていたくなかったし、その声も聞いていたくなかった。
でもずっとこうしているわけにはいかない。僕には守らなければいけない約束があった。男と男の約束だ。
お父さんは僕が七歳の誕生日のときに言った。「俺に何かがあったら、男のお前がお母さんを守るんだぞ」って。僕は頷いて、お母さんを守ると約束した。
でも僕にアニメや漫画の主人公みたいな特別な力はない。だから僕はこの世界の終りから、お母さんを守ることは出来ない。それでもせめてお母さんには泣かないでいてほしかった。出来ることなら、笑っていてほしかった。
そのために僕は何が出来るだろう。
お父さんが死んだときも、お母さんは今みたいに泣いていた。そのとき僕は何も出来なかった。そんな僕におばあちゃんが言ってくれたのは「お母さんは一人じゃないから大丈夫。時間が解決してくれる」みたいな感じのこと。でも今回は解決してくれるだけの時間がない。だから僕がやらなくちゃならない。
どうすればいいんだろう……
お母さんが僕がかわいそうだって泣いているのなら、僕はそんなに悲しくないことを説明して聞かせればいいんだろうか。
考えているだけではどうにもならない。とりあえずは当たって砕けろな感じで行ってみようと思う。
僕は意を決すると音楽を止め、部屋を出てリビングに向かった。
やっぱりお母さんはまだ泣いていた。
僕はテレビを消して、お母さんの前に立ちはだかる。そして叫んだ。
「僕はかわいそうなんかじゃない!」
お母さんは泣き腫らした真っ赤な目で僕を見つめると、這うようにして近づいて来て僕を抱きしめる。
「だって……シンはまだたった九年しか生きていないのに……」
「デメキンが死んだとき、お母さんは七年も生きたって言った。デメキンは死んじゃったけど、いっぱい生きてかわいそうじゃないって、そう言ったよ。僕はそれより二年も長く生きれた。だから僕だってかわいそうじゃない」
「でもデメキンは寿命で死んだの……シンはまだ子供なのに……夢だって、これからやりたいことだっていっぱいあったはずなのに……どうして……」
そう言って、お母さんはまたわんわんと泣き出す。
確かに僕には夢があった。僕は飛行機が大好きでパイロットになりたかった。他にもやりたいことは山ほどいっぱいあった。
でもだから何だというのだろう。
僕はずっと幸せだった。学校にはたくさんの友達がいる。塾や習い事で忙しそうなクラスメイトもいるけど、僕は違う。学校が終わったら仲のいい友達と近くの川に魚をとりにいったり、公園でサッカーやドッジボールをしたり、家でゲームをやったりと毎日が最高に楽しかった。
お父さんが死んでからは、お母さんは仕事が忙しそうだけど、お父さんが生きていたころは家族三人でいろいろ遊んだ。遊園地に行ったり、キャンプをしたり、みんなでゲームをするのも楽しかった。
僕はずっと幸せだった。お父さんが死んだり、ゲームのしすぎで怒られたりと悲しいこともあった。それでもお母さんが僕のために頑張ってくれていることは、子供の僕にだってわかる。だから僕は幸せだったんだ。
こんな僕がかわいそうだなんてこと、あるはずがない。
それなのにお母さんはどんなに説明しても納得してくれない。ああ言えばこう言うみたいな感じで、どうにかして僕をかわいそうにしたいみたいだった。
どうすればわかってもらえるのだろうかと考えていて、ふと思い出す。それはお父さんが大好きで、僕も大好きな漫画の主人公のセリフ。「自分の信条と折り合いのつかない他者の存在を許容出来ないというのは、なんとも悲しい話だ」
彼はいつだってちょっと上から目線で、偉そうな正義の味方。悪い奴の言葉にも耳を傾け理解を示し、どんな相手であっても絶対に、お前は間違っていると一方的に否定することはしない。だけど決して自分は曲げず信念を貫く。最高にかっこいいダークヒーローだ。
彼はこうも言っていた。「答えは人の数だけ存在する。視点が違えば、導き出される答えも違ってくるというものだ」
きっとそういうことなんだ。
僕がどれだけ僕をかわいそうじゃないと思っても、お母さんから見たら僕はかわいそうなんだろう。それを間違っていると否定するのは、かっこよくない。でもそうなると、僕がかわいそうだって泣いているお母さんが泣くのを止めることが出来ない。
いや……違うのかもしれない。お母さんは悲しくて泣いている。僕がかわいそうなのが悲しいから泣いているんだ。だったら僕はかわいそうなままでもいい。お母さんが悲しくなくなればいい。楽しくなればいいんだ。
そうとわかれば、楽しくするのは簡単だ。楽しくなることをやればいい。お母さんは映画やゲームが大好きだ。今から映画を見るのは時間もかかるし、ゲームがいい。それに僕もゲームがしたい。
お母さんはお父さんが生きていた頃は働いてなくて、よくゲームをしていた。お父さんもゲームが好きで夜や、休みの日はよく三人で対戦ゲームをやった。いつも一番に勝つのはお母さんで僕が二番、ビリがお父さんだった。
「ゲームがしたい!」
僕は叫んだ。悲しくはないのに、なんでかちょっと涙が出てきた。
「お母さん、ゲームしよう! もう時間がない。僕はたった九年しか生きてない。これからやりたいこともいっぱいあったし、夢だってあった。でももうどうしようもないから、残りの時間で出来るだけ楽しいことがしたい!」
お母さんが僕を見る。
「一緒にゲームしよう。そうだ。お菓子もあるだけ出して、食べながらやろう。もったいないし」
泣いているお母さんの両足をふんづけて両手を持つ。僕の体重を後ろにかけながら両手を思い切りひっぱって、無理やりお母さんを立ち上がらせる。
「ほら、泣いてる暇なんてないよ。かわいそうな僕のために遊んでよ。ゲームの準備は僕がするから、お母さんはお菓子を持ってきて。あるだけ全部、隠してあるやつもだよ!」
「……しょうがないなー。でも、だからってお母さん、わざと負けてあげたりなんかしないよ」
お母さんはそう言って、ちょっとだけど笑ってくれた。
「望むところだ! 最近はお母さんあんまりゲームやってないし、きっと僕のほうが強いよ」
言いながら僕はゲームの準備を始める。ゲームはエースパイロットⅤ。戦闘機で戦うゲームだ。二人が仲間で一緒に敵と戦う協力プレイのモードもあるけど、やっぱり二人が敵同士で戦う対戦プレイのほうがおもしろい。
ちょうどゲームの準備が出来た頃、お母さんはキッチンから戻って来た。手には大量のお菓子。どこに隠してあったんだろうってくらいにいっぱいだ。世界が終わるまでに食べきれないかもしれない。
「何やるの?」
お菓子を並べながらお母さんが聞いてくる。もう泣いてない。それに笑顔で、なんだか楽しそうだ。
「エースパイロット」
「ほう……お母さんシンが寝てるときとかに少しやってたけど、SSランクまでクリアしてるよ。勝てるの?」
「えっ?」
知らなかった。僕はまだSランクもクリア出来てない。Aランクがなんとかクリア出来るくらいだ。それでも男には退けない戦いがある。それに一人プレイと対戦プレイでは勝手が違う。僕は友達との対戦にも慣れているし、勝機はあるはずだ。
「うん。負けないよ!」
そう言って、僕はコントローラーを持つ手に力を込める。
「じゃあ、始めようか」
お母さんもコントローラーを手に取る。そして真剣な目で画面を見つめる。
よかった。きっともう大丈夫。僕はお父さんとの約束を守ることが出来たんだ。
もうすぐ世界は終わってしまう。僕もお母さんも死んでしまう。それでも僕は昨日までと変わらずに、残された時間も楽しく過ごすことが出来そうだ。
僕は漫画の主人公みたいに世界は救えなかった。それでもきっとこれはハッピーエンドだ。
だって僕は今、ハッピーだから。
さあ、ゲームを始めよう。
僕はチョコレートを一つ口の中に放り込んで、コントローラーのスタートボタンを押した。
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