第6話「結末のない物語」
世界はもうすぐ滅びるという。
後三時間もしないうちに、この地球上から人類は消えていなくなる。
正直、実感がわかなかった。
それでも考える。これから世界が滅びるにあたって自分がとるべき行動。これがもし自分だけが死ぬのなら、いろいろとやらなければならないこともあるだろう。仕事の引き継ぎ、もろもろの契約や身の回りの整理。しかしみんな一緒に死ぬのだからその必要もない。
では何をするべきなのだろう。
私は三十六歳のしがないサラリーマン。恋人はいない。両親もすでに他界しているし、兄弟もいない。友達は数人いるが親友と呼べるほどでもないし、向こうもこんなタイミングで連絡されても困るだろう。そういうわけで世界が終わるにあたって、別れを告げなければならないような人は、私には存在しない。
ではするべきことはあるだろうか。これだけはしておきたかったとか、しなければならないとかそういったことだ。
「うーーん」
考えてみても特に思い当たらない。
そもそも私のこの数年間は、実に代わり映えしないものだった。高校を卒業してすぐ、高校で紹介された今の会社で働き始めた。それ以来、ほとんど会社と住んでいるこのアパートを行き来するだけの毎日だった。
数年前の同窓会でそのことを話して、そんな日々に生きる価値はあるのかと問われたことがある。確かに私は生きることに対して価値や意味なんかを考えたことはなかった。それでも私はそんな日々の中、死にたいと思ったことは一度もないし、不満だって感じていなかった。会社から貰う給料は少ないが私一人で生きていくには問題のない金額で、この日本には一人で楽しめる娯楽も無限にある。それで私には充分だった。
朝七時半に起き、支度をして会社に行く。真面目に仕事をこなし、夜七時に帰宅。そして帰り道にコンビニで買ったご飯を食べて、お酒を飲みながらテレビを見たり、本を読んだり、ゲームをしたり……
ただそれだけの繰り返しだが、私は充分にそれを楽しんでいた。不満なんてなかった。
今日は土曜日で会社は休みだ。予定ではとりあえず取り溜めてあったテレビ番組を消化し、時間が余れば何かDVDでもレンタルしに行くつもりだった。
そんな私が、世界が終わる前のこのわずかな時間でしておかなければいけないこととはなんだろう。
「あっ」
そうだった。すっかり忘れていた。昨日帰りに寄ったコンビニで、月刊の漫画雑誌を買ったのを思い出した。その雑誌の中で特に一作品、続きが気になっていたのがあったのだ。とりあえず世界が終わる前にしなければならないことが一つみつかった。
漫画雑誌月刊アナザーデイ。その連載作品「電気仕掛けの恋物語」。
主な登場人物は三人。主人公は高校一年生の青年、
物語は平凡な日常から始まる。同じ高校に通う真と幼なじみ。学年こそ違うが行きも帰りも、いつも一緒。真の両親が人工知能の権威で家を空けることが多いため、真の世話を甲斐甲斐しく焼く幼なじみ。二人は恋人ではないが、互いに想いあっていることが読者には容易に伝わってきた。
そんなある日、学校からの帰り道に真は幼なじみを庇って交通事故にあう。真は一命を取り留めるが、面会謝絶で三ヶ月ほどの入院を余儀なくされた。
その後、無事退院するが事故の後遺症か、事故以前数日間の記憶を失っている。残っている事故直近の記憶は事故の二日前、両親が家に帰って来た日のこと。退院後も真の体調は本調子ではなく、日常生活にも支障をきたすことがあるが、両親は研究で家に帰れない。そのため両親が作っていたメイド型アンドロイドの試作品が真の世話をするために家にやって来る。
自分のせいで怪我を負わせてしまったと、より主人公の世話を焼こうとする幼なじみと、それは自分の仕事だと頑張るメイド型アンドロイド。
そんなどこにでもある普通のラブコメ作品。そう……先月号を読むまで私は思っていた。しかし先月号で衝撃的な事実が発覚する。
所用で両親の研究所を訪れた真が、両親の会話を聞いてしまう。両親は言う。「完璧な出来だ。人間と全く変わらない」真は盗み聞きしながら、その通りだと思った。メイド型アンドロイドは本当に人間らしく、自分と全く変わらない。しかし両親が言っていたのはメイド型アンドロイドのことではなかった。さらにこう言葉を続けたのだ。「事故で脳死する前と全く変わらない。人工知能ではあるがあれは完全に私たちの息子だ」それを聞いた真は逃げるようにして研究所を後にした。
そして一人になって考える。真は幼なじみとメイド型アンドロイドの二人から告白を受けていた。
メイド型アンドロイドは言った。「私は確かに人間ではありません。それでも私には心がある。感情があって、意識だってある。言葉を理解し、愛の意味を知っている。そんな私の心の全てが言っているのです。あなたとこれからもずっとずっと一緒にいたいと。私はあなたを他の誰かに奪われたくない」
幼なじみは言った。「ずっとあなたが好きだった。小さな頃、物心がついたときからずっと一緒で、ずっとこの想いを抱いてきた。それが当たり前すぎて、この想いが愛だなんて気づかなかった。それでもメイド型アンドロイドが現れて、あなたが奪われそうになってやっと自覚出来た。私はずっとあなたが好きだった」
真は迷った末、幼なじみの想いに応えるつもりでいた。しかし自分はアンドロイドだった。いや、メイド型アンドロイドを見ていればわかる。人間かアンドロイドかは、それほど問題ではない。本当に問題なのは、自分がずっと幼なじみが好きだった自分ではなかったということ。彼女が愛した本物の自分は、彼女を守りすでに死んでいたのだ。
そして真は途方に暮れる。
先月号はそんなところで終わっていた。
私はまず、雑誌の一番後ろにある目次を開く。目的の作品は212ページ。開くとセンターカラーだった。カラーの扉絵には「最終回まで後、三話!」と大きく書かれている。
「おお……」
その事実に自然と声が漏れた。クライマックスだ。
ゆっくりとページを開く。まず描かれていたのはヒロイン二人の真への想い。二人とも真のことをとても愛しているのだと伝わってきた。
そして真へと視点が変わる。真は一晩、一人で考える。ベッドの中で思い出す。事故の後の自分自身の記憶。そして事故より前の与えられた、死んだはずの本物の自分の記憶。自分はいったい何者なのか……本当に自分は自分なのか。それとも自分を自分だと思い込んでいるだけのニセモノなのか……
そして次の日、真は両親に会いに行く。
そこからの展開はこの作品の作者らしさが存分に発揮されていた。この作者は今でこそラブコメを描いているが、以前はもっと小難しい哲学的な作品ばかり描いていた。心はどこにあるのかとか、自意識とは何かみたいな、そんなテーマの作品が多かった。
父親は真に言った。
「一つ、一つ質問に答えていこう。まず一番大切な質問からだ。お前はいったい何者なのか……答えは簡単だ。お前は、内田真。私の大切な息子だ。体はほとんど事故以前のものと変わらない。お前は事故で脳死した。だからお前を蘇生させるには脳を作り直さなければいけなかった。幸い私は帰宅するたびに実験と称してお前の記憶のコピーをとっていた。だから過去の記憶もそっくりそのままお前のものだ。だが問題があった。それは心だ。お前の心を再生しなければならなかった。私はずっと人工知能を研究してきた。人間とかわらない、心を持った人工知能を作ろうとしていた。だが心を作ることには成功していなかった。人工知能、それはコンピューターで作った脳だ。コンピューターとは簡単に言えば、1と0を用いて物事をデジタル化し計算を行い、データを保存する機械。記憶のデジタル化は可能だった。感情の伴わない記憶だ。昨日何を食べたとか、あの日誰に会ったとか、そういった記憶をデジタル化しデータとして保存することは可能だった。しかし心をデジタル化することは出来なかった。デジタルなコンピューターはとても正確だ。だが人間の心は常に矛盾を孕んでいる。愛しながら憎んだり、憎んでいた人を命がけで救ってみたり……人間の心は複雑すぎてデジタル化、つまり1と0で表すことは不可能に近かった。もし量子コンピューターが存在すれば並列で矛盾を持って思考させることも可能かもしれないが、デジタルコンピューターでは限界があった。それでもかなり精度を上げて再現することは出来ていた。全ての問に過去の全てを照らし合わせて、答えを導き出させればいい。よく私はお前に実験と称して簡単な質問をしていた。その質問と同じ質問をお前と同じ記憶を持ったコンピューターに質問をすれば、九割近くの確立で同じ答えが返ってきた。だがたった一つの質問だけで、莫大な電力を要した。だから他の方法を考えた。記憶はデジタルに、感情は言葉でアナログに保存することにした。簡単な言葉でいい。うれしいとか悲しいとか全ての記憶に感情を表す言葉を紐付けした。そもそも人間の心に精度は要求されなかったのだ。人は過ちを犯す。間違った選択をすることもあるし、同じ人間が同じ問題に直面したとしても、全く同じ選択をするとは限らない。その時の温度、昨日見た映画。そんなもので簡単に選択は左右される。重要なのは過去どのような体験をしてきて、何を感じたかということ。それを完全にコピーし、後は人となり、お前の場合は過去にした質問とその答えをインプットすれば、それは完全なお前自身となる。以前のお前と同じ選択をするとは限らない。しかし以前のお前だって、そのつど記憶を失い同じ選択を何度も迫られたとき、毎回同じ選択をするとは限らないのだ。だからそれでいい。完全でなくていいのだ。心は完全なものではない。記憶だけを完全に再現すれば、心は自ずと作られていく。メイド型アンドロイドを見て感じただろう? あれはお前と共に過ごし、記憶を得るうちに心を育んでいった。私が思うに心とは経験を含む記憶だ。例えば漫画であるだろう。頭をぶつけて心が入れ替わるやつだ。あれは記憶も移動している。まあ実際は脳を交換でもしない限り記憶が移動することなんて考えられないが、そういうことなのだ。お前は内田真の記憶を持った本物の内田真だ。そして以前のお前も、今のお前も私と妻によって作られた大切な我が子だ。自分が何者かなんて考える暇があるのなら、何者になりたいのか未来のことを考えてほしいと、私は思っている」
そして父の説明の後、真は言う。
「今の僕と死んだ僕。見た目も記憶も一緒で父さんからしたら同じなのかもしれない。いや……僕だって今まで気づかなかったんだ。僕からしても同じ僕だった。それでも……それでもだ。死んだ僕にとって、今の僕はニセモノだ。所詮、僕は代用品。どれだけ精巧に出来ていたって、もし完全に同じだったとしても……僕はコピーであって本物じゃない」
今月の話はここまでだった。真の質問とそれに答える父親。その後、真が何を思い、どう答えを出すのかはまだ描かれていない。
続きは来月号だ。
続きが読みたかった。気になってしかたがない。
しかし今日、世界は終わる。
残念だった。せめてこの話だけでも最終回まで読んでから死にたかった。
でも……それくらいがいいのかもしれない。
だって未練なく死を受け入れられるというのは、それはそれで悲しい気がする。かといって、狂おしいほどの未練があるのも嫌だった。そう考えるとちょうどいい。死にたくはなかった。もっと生きていたかった。そんなふうに思えるくらいに、私は幸せだったのだ。繰り返される、代わり映えのない日々。それでも私は充分に幸せだったのだ。
もうすぐ世界は終わる。私は死ぬ。
もし天国があったのなら、この漫画の作者に会いに行こう。残りの二話でどうなるのか、主人公がどっちのヒロインとくっつくのか。この物語の至るはずだった結末……それを聞きに行こう。
時計を見る。世界が終わるまで、もう少し時間がある。せっかくなので他の漫画も読むことにしよう。
まずはこれだ。
ちょっとシュールでとってもゆるい日常系のギャグ漫画。ちょうど今は、こんなのが読みたい気分だった。
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