第2話「明日はきっと」
「むかつく。むかつく。むかつく。むかつく」
怒りを吐き出しながら、僕は山を登っていた。自宅から少し歩くだけで山があるなんて、さすが田舎だ。
山を登り始めて一時間くらい。ずっと続いていた木と土で出来た、狭くて急な階段が途切れた。そしてなだらかな坂を少し上ると、今まで視界を埋め尽くしていた木々がなくなって、一面に青空が広がっていた。
ここが頂上だろうか。木製のベンチがある、小さな公園のような場所だった。
汗を服で拭いながら、リュックの中からスポーツドリンクを取り出して飲む。
「ふー」
残っていたぶんを一気に飲み干して、大きく息を吐く。火照った体の中に冷たい水分が染みわたっていくのが心地いい。
水分補給を終えると、僕はすぐに公園の端にある柵に向かって駆け出した。そして柵から身を乗り出し、眼下に広がる世界を見下ろす。
「わぁぁー」
ここから見えるのは空だけじゃなかった。この場所からは僕が住む町……一ヶ月前に引っ越してきて、僕が住むことになった町が一望出来た。
とりあえず自分の家を探してみたが、どうしても特別に大きな建物である学校が視界に入り込んでくる。
今、みんなはあそこで授業を受けている。
僕は今日、生まれて初めて学校をズル休みした。そしてそれをお母さんに怒られて、家出をした。
思い出したら、またむかついてきた。
だって本当だったら、今日は前の学校の友達と一緒にテレビゲームをする予定だった。
今日のことは転校する前から約束していて、昨日発売したばっかりのゲームでオンライン対戦するはずだった。このゲームは前の学校の友達とよく一緒にやっていたやつの新作で、僕の転校が決まった頃には発売日やオンライン対戦が可能なことがわかっていたから、発売直後の休日に仲の良かった四人でオンライン対戦しようと約束していた。
それなのに僕は昨日になって初めて知ったんだ。
転校してきた新しい学校は、第二土曜日は休みじゃなくて、特別な授業をやるらしい。今月はアメリカ人の先生が来て、英語の勉強をすると言っていた。
そんなことは知らなかった。今までの学校では土曜日は全部休みだったし、それが当たり前だと思っていた。
だから僕は仮病を使って学校を休むことにした。友達との約束を破りたくはなかった。久しぶりに仲の良い友達と一緒に、いっぱい遊びたかった。
それなのに仮病は簡単にお母さんにばれてしまった。
そして怒られた……僕が怒られたんだ。
意味がわからなかった。誰のせいで僕がこんな思いをしているのか。大人の勝手な都合で友達と引き離されて、せっかくの久しぶりの再会も許されない。まだお母さんが謝ってくれればよかった。「ごめんね」って言ってくれれば、僕は学校へ行ったかもしれない。
でもそうじゃなかった。僕は悪くないのに、僕が被害者だっていうのに……僕が怒られたんだ。
わがままを言うなと言われた。
僕はもう充分に我慢したはずだ。転校なんてしたくはなかった。友達と離れ離れになりたくなかった。近くにゲームショップもゲームセンターもない、こんな田舎には来たくなかった。大好きで毎週楽しみにしていたアニメだって、ここでは放送していない。
それでも全部、全部我慢したんだ。
それなのに僕がわがままだと怒られた。仮病で学校を休むなんて悪い子だとも言われた。
僕はここの学校に来るよりずっと前から友達と約束をしていた。その約束を破ることは悪くないっていうんだろうか。友達との約束なんかより学校のほうが大切だって、そういうことなんだろうか。
僕には大人の言い分は理解出来ない。むかついた。イライラした。納得出来なかった。もう学校なんか行きたくないし、家にもいたくない。全部まとめて嫌になった。全部放り出して、今の僕を取り巻く全てのものから逃げ出してしまいたかった。
だから僕は家出をしたんだ……
しばらく景色を眺めた後、僕はベンチに座って、時間を確認するためにスマホを取り出した。スマホの画面は真っ黒だった。そういえば家を出てすぐ、お母さんからの着信がうざくて電源を切ったんだった。
ボタンを長押しして電源を入れると、ちょうど十二時。もうお母さんからの着信は続いていなかった。
ベンチの上に横になって、大きくため息を吐く。
本当は僕だってわかっているんだ。誰が悪いわけでもないことくらい。お父さんの仕事の都合での引っ越しだし、学校へ行かなきゃいけないのも当たり前だ。
そんなことはもちろんわかっている。それでも……
「そうだ……」
友達に連絡しなければならないことに気がついた。今日は遊べなくなった。一緒にゲームは出来なくなってしまったと、伝えなくちゃいけない。
すぐに友達に電話をかけてみるがつながらない。よく見たらアンテナが一本も立っていなかった。圏外だ。
田舎の山の中だから、それもしかたがない。
連絡もなしで約束を破ることになる……
みんなが怒らないでくれたらいい。僕のことを嫌いにならでいてくれるといい。また別の日に一緒に遊んでくれたらいい。
「あああぁぁぁあーーーーーー!」
叫ぶ。
遊びたかった。
すごく、すごく楽しみにしていたんだ。ずっと今日を、今日だけを楽しみに、僕は転校してからの毎日を過ごしてきた。
転校して一ヶ月、僕にはまだ友達がいない。だって時期が悪い。二学期が始まってしばらくしてからの急な転校。もうとっくにクラスでは仲良しのグループが出来上がってしまっていて、僕の入り込む余地なんてなかった。
僕はずっと一人だった。
だから今日は久しぶりに友達と遊ぶチャンスだったんだ。本当は新作のゲームなんてどうだっていい。ただみんなと一緒に遊びたかった。
もう一度、スマホを確認してみる。やっぱり圏外だ。つながらない。まるでそれは僕とみんなの距離を表しているみたいだった。
転校して、遠くに引越しして、わかった。
友達の条件。それは気が合って、趣味が一緒で……いつでも簡単に遊べる距離にいること。
僕が前にいた学校。そこは一~二年生、三~四年生、五~六年生と計三回クラス替えがあるシステムだった。
僕は今、四年生。一~二年生のときに仲が良かったけど、三年生になってクラスが違ってしまった友達。もちろんクラス替えの後も友達だった。でも遊ぶ頻度は確実に減っていった。四年生になるころには校内ですれ違えば話はするけど、放課後一緒に遊ぶようなことはほとんどなくなってしまっていた。
結局そういうことなんだ。
転校するときにみんなが言ってくれた。ずっと友達だって。
それでもやっぱり、同じではいられない。
僕が転校して一ヶ月。ゆっくりと疎遠になっていくのを感じた。転校直後はあんなに電話やメールをくれたのに、今はどうだろう。一緒にやっていた携帯のメッセージアプリでみんなが盛り上がっていても、僕には何のことだかわからなくて、輪の中には入れない。
一度どんなことがあったのか気になって、電話してみたことがある。そうしたら「どうしたの?」と言われた。
その言葉がつらかった。
どうかしなくちゃ電話もメールも許されない。そう言われたような気がした。
そう……転校するまでは何もなくても、毎日顔を合わせて話をしていた。それが当たり前だった。
でも今は、どうかしなくちゃ電話も出来ない。話すにはそれに見合う理由が必要で、会うには時間もお金もかかる。
そんなことがあってからは、アプリにメッセージを残すのも、メールを一通送ることにだって勇気が必要になった。
そして今日やっと理由を手に入れた。ずっと前、転校する前から約束してあったんだ。今日一緒にゲームをしようって。
それなのに……
涙が出てきた。手で拭ってもどんどん溢れてくる。
ベンチの上に寝転がったまま空を見上げた。滲んだ青空の中に一つだけ、小さな白い雲が漂っている。
僕は一人ぼっちだ。
これからどうしたらいいんだろう。
一人はもう、嫌だった。休み時間に毎回トイレに行くのも、腕を枕にして机で寝たふりをするのも嫌だった。放課後だってまっすぐに家に帰って、再放送のアニメを見るか、一人でゲームをやるくらいしかすることがなかった。
もうこんな毎日を繰り返すのには耐えられない。
昨日までは今日の約束という希望があったから、なんとか耐えることが出来た。
でも……もう何もない。
どうすればいいんだろう。
違う。どうすればいいかなんてわかっている。友達を作らなきゃいけない。今の学校で友達を作らなきゃ駄目だ。勇気を出して自分から話しかけて、友達を作るんだ。
うん……そうしよう。そうするんだ。
月曜日、学校に行ったら山田君たちのグループに話しかけてみよう。山田君たちはよくゲームの話をしていて、前から気になっていた。
大丈夫。きっと友達になってくれる。そう考えたら少しだけ元気がわいてきた。
すると、くぅーっとお腹がなった。
そういえば今日は朝ご飯を食べていない。もちろん昼ご飯の用意もない。
スマホで時間を確認する。十二時半。
お腹がすいた。
でも今からすぐに家に帰ることは出来ない。せめて学校が終わるまでここで時間をつぶしてから帰ろう。
家に帰ったらまず電話をして、友達に約束を破ってしまったことを謝ろう。許してくれるはずだ。だって僕たちはずっと友達だから。そして聞いてみよう。明日また遊べないかって。
お母さんにも謝らなきゃいけない。きっとすごく怒られる。しっかり謝って夕ご飯抜きだけは勘弁してもらおう。
それで明日こそは友達とゲームをやろう。
そして月曜日になったら、学校で友達を作るんだ。
大丈夫。きっとうまくやれる。
明日はきっと今日よりいい日になる。明後日はもっといい日になる。いつかきっと転校してよかったと思える日だって来る。転校しなくちゃ出会えなかった友達が出来れば、そう思えるはずだ。
「よし! じゃあ、まずはお母さんになんて謝ろうか考えよう!」
大きな声でそう言って、僕は空を仰ぐ。
見上げた空はどこまでも青く澄んでいた。
それはまるで僕のこれからを、未来を祝福してくれているみたいだ。
僕はそんなふうに思った。
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