第158話「近衛経忠の一手(壱)」

 暦応りゃくおう四年。

 吉野よしの方の抵抗は未だに続いている。

 楠木くすのき正成まさしげ北畠きたばたけ顕家あきいえ新田にった義貞よしさだという主だった大将を失い、それ以降は下火になってしまった――というようなことはない。


 足利あしかが直義ただよしによる戦略、それに応えようとした足利方の諸将の働きにより、情勢は足利有利になっている。

 ただ、それは薄氷の上に成立しているものだった。些細なきっかけ一つで、簡単に覆り得る。


 越前えちぜんでの抵抗活動も、未だ収束の気配が見えない。

 義貞が健在だった頃と比べると、吉野方の勢いは落ちている。

 ただ、あっさりと足利にこの地を明け渡すほど弱っているわけでもない。


 無論、足利方も相手を舐めてかかっているわけではない。

 一門の中でも家格が高く、率いる勢力が強大な尾張おわり足利家氏の当主・高経たかつねを越前攻略のため派遣している。

 ときには高師泰こうのもろやすのような、足利方屈指の武将を助っ人として送ることすらあった。

 それでもなお、越前の吉野方は不撓不屈の精神で戦い続けている。


「義助殿」


 越前における吉野方の大将は、兄・義貞からその役目を引き継いだ脇屋わきや義助よしすけだった。

 彼の元には、多くの新田勢が引き続き従っている。義助の人柄もあるだろうし、義貞の遺徳もあるのだろう。

 書状を手に、連れ立って義助の元へやって来た大井田おおいだ氏経うじつねはた時能ときよしなどもその一例である。


 大井田氏経は新田氏の支流で、かつて湊川みなとがわの戦いの前哨戦とも言える備中びっちゅう福山城ふくやまじょうの戦いで、重茂しげもち含む直義勢と激闘を繰り広げた。

 畑時能は義貞の側近で、越前との戦いにおいて凄まじい戦果をあげて足利方からマークされている武将だった。

 本人の武勇もさることながら、戦のために躾けた犬を飼い慣らしており、変幻自在の戦法で足利を振り回している。


「なんだ二人揃って。何かその手紙に、面白いことでも書いてあったのか」

「まあ、読んでみなされ」


 畑時能から差し出された書状を受け取ると、義助はさっと目を通した。

 訝しげだった表情に、少しずつ笑みが浮かんでいく。


「このようなことを考えつくとは。いやはや、近衛このえ経忠つねただ殿というのはなかなかの阿呆じゃな」

「違いない。途方もなさ過ぎる話よ。いや、一周回って俺は好きかもしれんな」

「このようなことを言っていることが知られれば、無礼千万と叱られるであろうな」


 哄笑する義助と時能をたしなめつつ、氏経もまた笑みを浮かべていた。

 彼にとっても、書状に書かれていたことは阿呆らしいのだろう。


 だが、と義助は書状を改めて見直した。


「確かに今のような戦い方を続けているだけでは、徐々に勢いを削がれて吉野方は不利になる一方だ。なにかデカいことをする必要はある。経忠殿の計画が上手くいくなら、これは足利に対して相当強烈な一撃になるぞ」

「おう、だからこそ良いのだ。やりがいのある馬鹿話ほど、面白いことはないだろう」


 時能も書状の中身を否定しているわけではないようだった。

 つまるところ、彼らは「馬鹿馬鹿しい」という一点で、近衛経忠という雲の上の存在に対し、好感を持ってしまったといえる。


「ということは、義助殿はこの話に乗るということだな」

「そうだな。次の一手をどうするか考えていたが、なかなか良案がなかったところだ。せっかくだし、この話に乗らせてもらおう」


 ノリノリの義助と時能だったが、氏経のみは慎重だった。


「念のため確認しておきたいが、この話が失敗すれば我らの越前維持は困難になる可能性が高い。それだけ多くのものを賭けることになる。それでも構わないのだな?」

「構わん」


 義助は即答した。その風貌には、時折亡き義貞の気配が見え隠れしている。


「多くのものを賭けなければ、この状況を覆すことはできん。残念ながらそれが我らの現実だ。だからこそ、やれるだけのことはやっておきたい。やらぬ後悔より、やって後悔する方が良い」


 その意思を確認できれば十分だったのか、氏経は黙って頷き、それ以上は何も言わなかった。




 坂東の北側、下野しもつけ国で大きな勢力を誇る小山おやま氏は、この数年間常に危機的状況にあった。

 不幸の始まりは、当主・秀朝ひでともが中先代の乱で戦死したことにある。

 足利方についたのはともかく、当時神がかった勢いを見せた北条ほうじょう時行ときゆき勢相手に生き長らえることができなかった。


 その後を継いだのは幼少の常犬丸じょうけんまるだった。無論、彼が直接小山氏を率いることはできない。

 しばらくの間は、小山の大後家と呼ばれる秀朝の母――常犬丸の祖母が、後見人として一族を統率する形を取っていた。

 今も、表向きはそうなっている。


 しかし、実情はどうも違っているらしい。

 そんな話が、四郎左しろうざ師冬もろふゆの元にもたらされていた。


「大後家が最後に姿を見せてから、もう一年以上経っていると」


 部下の報告を聞いて、師冬の表情は険しいものになった。

 以前と比べると随分痩せ細っている。ただ、その双眸には前はなかった逞しさが宿っていた。


 重茂と入れ替わりで坂東に着任した師冬は、常陸ひたちを中心に活動している吉野方と戦い続けていた。

 もっとも、彼が動かせる人数はあまりに少ない。軍勢と呼ぶのもはばかられるような貧弱さである。


 坂東は元々度重なる戦乱の影響が大きく、どこの武士も戦えるだけの余力が残っていない。

 加えて、彼らからすると師冬は坂東武者・足利の家人という格下とも取れる立場だった。

 足利が他の武士から一歩抜きんでた存在になっていると理解しても、その家人などに従うのは我慢しがたい、という者も多い。

 重茂と共に北畠顕家と戦った河越かわごえ高坂たかさかの両氏なども、今は無理だと師冬の軍勢召集には応じていない。


 そういう実情を師冬は素直に受け入れて、自分に出来るやり方での戦いを続けていた。

 大規模な軍勢による正面からのぶつかり合いではなく、少人数による効率的な戦い方である。


 そのためには、自分を取り巻く情報を正確に掴んでおく必要がある。

 師冬は各地に部下を派遣し、坂東に割拠する諸勢力の情報収集に勤しんでいた。

 小山氏について探っていたのも、その一環である。


「加えて、その前後に吉野方についていた常犬丸の叔父が小山城に戻ってきているという報告もあります」

「足利派だった大後家に代わって、その叔父が小山氏を取り仕切ろうとしているのか。だとすると、厄介なことになるな」


 大後家は尾張足利氏の高経や、その子・家長いえながと縁戚関係にあり、足利寄りの立場を取ってくれていた。

 あの北畠顕家勢による猛攻を受けてもなお屈しなかったほどの足利党である。

 この大後家が健在のうちは問題ないだろうと、足利方もどこか安心しているところがあった。

 しかし、彼女が既に亡くなっている、もしくは活動不能な状態になっているとすれば、その状況は一変する恐れもあった。


「小山内部には大後家の意見に賛同する足利派もいるようで、どうも内部でいくらかのいざこざが起きているようです」

「楽観視はできんな。叔父方の一派が小山氏を制するようなことがあれば、下野の雄族・小山氏が敵に回るわけだ。親房ちかふさ卿以上の難敵になるかもしれん」


 それまでに坂東方における吉野方の中心・親房を叩くことが出来れば良いが、こちらはこちらで容易ならざる相手である。

 師冬自身は、出来ることはすべて全力でやっていた。それでも足りない。前提として、リソース不足なのだ。


「やはり援軍が必要だな。改めて書状を京に送ろう。五郎もろなお殿が難しいようであれば、他に適任の者を選出していただくのでも良い」


 今の手勢だけでやるなら、まだ坂東平定は時間がかかる。

 だが、あまりに時間をかけていては、小山氏含む坂東の諸勢力が吉野方に転じる恐れもあった。




「京を急襲して抑えるというのも一興ではある。が、その先をどうするかという問題がある」


 熱気が立ち込める狭い部屋の中、二人の男が並んで腰を下ろしていた。


「急襲によって足利方の将の何人かは討ち取れるかもしれぬ。だが、多くは逃げ延びて再起を図るであろう。その者たちの逆襲に耐え得るたけの力は、ないと言うしかない」


 喋っているのは片方だけだった。

 もう一人の男は黙って話を聞いている。そうしろと言われたからである。


「だが、それぞれの地域であれば話は別だ。越前・坂東は今も我らの勢力が抵抗を続けている。宗良むねよし殿下はかなり劣勢だが、信濃しなのに転進して再度決起するという話もある。これに加えて西国でも我らの勢力が決起すれば、京をぐるりと取り囲むような形になる」


 語っている男の脳裏には、日本全土の地図が浮かび上がっているようだった。

 途方もないスケールの話である。少なくとも聞かされている男は、そこまで大きな視点でこの戦乱を見たことがなかった。


「かつて先帝は各地に自らの皇子を派遣し、それぞれの地方を治める方法を採った。あれが先帝の望んだ方法だったかはともかく、有効なものだったと私は考えている。まずは吉野方の拠って立つ地を増やす。武士が決起し、そこに親王殿下を迎え入れて、正当な吉野の支配領域を広げていくのだ」


 遠江とおとうみの宗良親王、奥州おうしゅうの義良親王――今の後村上天皇のようなケースを増やしていく。

 男が語っているのは、そういう構想だった。


「ただ、個別に決起していてはそれぞれが潰されて終わりだ。だから連携して動くのだ。良いか、大事なのは――もっとも大事なのは時期を見誤らないことだ、塩冶えんや判官はんがん

「承知しております、近衛卿」


 名を呼ばれた高貞は、わずかに声を震わせながら応えた。

 経忠が何を言わんとしているかは、十分に理解している。


「言っておくが、この近衛経忠は当たり前のことを今更言いに来たのではない。私が言いたいことは、だ。つまるところ、期日があるということなのだ」


 越前の支度も、坂東の工作もおおよそは順調に進んでいるという。

 それに合わせて西国での決起も行わなければならない。タイミングを見誤るというミスは、決して許されないのである。


「だから、それまでに佐々木ささき道誉どうよの説得を済ませるのだ。お前の言う通り、奴の力があればことは大分有利に進む。近江でも同時期に決起できれば、足利方は大いに揺らぐことになるだろう。だが、期日は守れ。道誉一人のために、ここまで進めてきた計画を遅らせることはできない」

「――はい。承知しております、近衛卿」


 高貞は改めて答えた。

 それに経忠は納得したのか「よろしい」と頷いてみせた。


 汗だくになった身で立ち上がりながら、肩をぐるぐると回してみせる。


「良い湯屋だ。調子が良くなるというか、整うという感じがする」


 扉を開けると、そこには塩冶高貞邸の光景が広がっている。

 二人が入っていたのは、以前重茂が来訪したときに目にした湯屋だった。

 湯屋といっても浴槽があるわけではない。今でいうところのサウナである。


 浴衣姿で汗まみれになった近衛経忠は、清々しい表情を浮かべていた。


「期日は遠くない。そう遠くないうちに、この日ノ本が大きく動くことになる」


 不敵な笑みを浮かべると、経忠は高貞の肩を力強く掴んだ。


「お前たちが日ノ本を動かすのだ。塩冶判官」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る