第154話「都を駆ける神仏(拾肆)」

 佐々木ささき父子の流罪がなかなか実行に移されず、延暦寺えんりゃくじの怒りは静まらないままだった。

 強訴が続いているせいで朝廷の業務は停滞している。


 暦応りゃくおう三年も暮れに差し掛かろうとしていた。

 年末年始は重要な朝議があるが、このままだと実行できずに終わる可能性が高い。


「武家が動かぬのであれば、まずは我らが動くしかあるまい」


 十二月十三日、業を煮やした光厳院は道誉どうよ秀綱ひでつなの官位を剥奪した。

 官人としての両名に罰則を一つ適用したのである。これは朝廷の権限に基づく対応なので、武家側としては何も言えない。


 ちなみにこのとき、道誉は改名を行っている。


 道誉というのは以前出家したときにつけた名で、本来は高氏たかうじというのがこの男の名前だった。

 そう、足利あしかが尊氏たかうじの名と同音異字なのである。加えて言うと、尊氏も以前は高氏という名だったので両者は同名だった。

 さすがに罪人の名前と現役の将軍の名前が被るのは外聞が悪い。そういうわけで、峯方という名前に変えたのである。


「まあ、これまで通り道誉で構わぬよ。どうせ俗名なんぞ使う機会などない」


 重茂しげもちが道誉邸に行ったとき、道誉本人はぬけぬけとそう言った。

 特に変わった様子もない。淡々と自分の状況を受け入れているように見えた。


「なるほど。道誉はそのような調子であったか」


 苦笑いを浮かべながら重茂の報告を聞いているのは、どこか物憂げな尊氏だった。


「近頃は大寺社がどこもうるさい。おかげで暦応寺の建立がさっぱり進まぬ。ただ吉野よしの院のためを想ってのことだというのに。なぜこうも上手くいかんのか」

「生きていれば、そういう時期もありましょう。根気強く続けることが大切かと」

「うむ、分かっている。分かっているが、理屈と気分は別物でな」


 それはそうだろう。感情を理屈で御することができれば苦労はない。


「何か仕事でもあれば気が紛れるのかもしれぬが」


 官職を得たとは言え、朝廷の実務は公家が代々継承してきた技能がなければ実施が難しい。

 事実上、尊氏は朝廷でやれる仕事が何もなかった。


 武家側も直義ただよしが遺漏なく取り仕切っている。

 将軍という立場上、大きな理由がない限りは王城守護のため京から気軽に離れることもできない。

 幸か不幸か、今のところ尊氏が出陣しなければならないほど幕府は危機的状況になっていなかった。

 よって、武家側においても尊氏のやれることはない。


「将軍職も、元々は戦時用の臨時の官職ですからな。やることがないに越したことはない、ということでしょう」

守邦もりくに親王の気持ちが、今更になって分かってきた」


 守邦親王。もはや、懐かしい名である。

 鎌倉幕府における最後の将軍だった。それが、守邦親王の生涯におけるすべてであろう。


 実のところ、重茂は何度か守邦親王に会ったことがある。

 鎌倉幕府における足利氏は将軍近臣という立場だった。

 尊氏の供として、兄・師直もろなおと一緒に何度か将軍である守邦親王の御所に足を運んだことがある。


 記憶の中にある守邦親王の表情は、無気力としか言いようがなかった。

 鎌倉幕府で将軍は実権のない栄誉職だった。今の尊氏と同様、とにかくやることがない。


 何度か守邦親王の思い付きで、双六や蹴鞠に付き合わされたこともある。

 師直は親王と良い勝負をして場を盛り上げていたが、重茂は蹴鞠が下手で双六も運がなく散々だった。

 同情されたのか、親王から何度か慰めの言葉をもらったこともある。


「征夷大将軍というのはそういうものだと、今になって痛感する。頼朝よりとも公の頃は武家全体が未熟だったゆえに将軍が政のことも取り仕切っていたが、今は時代が違う。将軍はただ在るだけ。平時は余計なことをしないのが仕事なのだろう」


 尊氏や重茂が知っている将軍といえば、自身は統治しない存在だった。

 実務はその下にいる者が行えば良い。鎌倉では北条ほうじょうがそれを行っていたし、今は足利がその役目を担っている。


「というか、わし程度のものが将軍というのもいささか荷が重い。今までずっと親王殿下の役職だったのだし、これでは頼朝公の時代に逆行してしまったようなものだ。いっそのこと、邦省くにみ殿下に譲ってしまおうか」


 なんでもないことのように、尊氏はとんでもないことを口走った。

 もっとも、尊氏のこの手の発言は今回が最初ではない。


 そもそも尊氏は将軍就任に気乗りしていなかったという。

 後醍醐ごだいごを裏切って獲得した将軍職というのは、いかにも外聞が悪い――そんな風に考えているようだった。

 辞められるなら辞めたい、というのが本音なのだろう。直義や師直等、周囲の人々が必死に止めているから辞めていないのだ。


「邦省殿下は皇位を望まれているようです。提案しても断られるでしょう」

「そうか。あの殿下なら安心してお任せできると思ったのだが」

「お任せしないでください。殿が将軍職だからこそ、直義殿も兄も安心して動けるのですから」

「それは理解しているが、いつまでもわしが将軍でいられるかは分からぬからな。先々のことも考える必要があろう」


 今後の体制をどうしていくか。現状、それに対する明確な回答を持っている者は誰もいない。

 なにせ、今も半ば戦時中なのだ。吉野方との戦いが一段落した後、どのような体制にするのが良いかなど、まだ考えが及ばない。


「今はわしが将軍職に就いているが、そもそも吉野方との戦いが終わった後も将軍職というのは必要なのか。必要だとして、それはどういう形で続けていくのが良いのか。直義とも何度か相談しているが、なかなか答えに辿り着けぬ」


 これまでの慣例を残すのであれば、戦が一段落ついた時点で将軍職は武家が制御できる高位の人物に譲り、足利が実務を担う体制にするのが妥当なところだろう。

 今は戦時中ゆえ、本当に戦える将軍、というものが必要だった。だから尊氏がその任を負っている。

 平時になれば、より身分が高く正当性のありそうな人を据える方が良い。トップの立場が高ければ高いほど、朝廷とのやり取りが楽になる。


「吉野方との戦いが一段落ついて、邦省殿下が皇位を諦めるようなことがあれば、そのときはお譲りになることを検討しても良いかもしれませんな」

「いずれにしても、戦を終わらせねば話が始まらぬか」


 尊氏の表情に憂いの色が現れる。

 重茂は、咄嗟に話題を変えることにした。


「近頃は都のあちこちで猿楽を催している一座がおります。警固の者をつけて、見物に行かれるというのはいかがでしょう」

「うむ……。そうだな、気晴らしには良いかもしれぬ」

「それなら、私もご一緒させていただきたく存じます」


 赤子を抱きかかえながら、登子なりこが部屋に入ってきた。

 今年生まれたばかりの、尊氏と登子の子である。鎌倉にいる千寿王せんじゅおうの弟にあたる。


「おお、是非一緒に行こう。そなたらと一緒であれば、楽しいひと時になりそうだ」


 登子と我が子の姿を見て、尊氏の表情に喜色が出てきた。

 家族の存在は、尊氏にとって特別なものがあるらしい。


 尊氏に縁談が持ち込まれたことに危機感を覚えて京に来た登子は、尊氏の正室としての立場を固めつつあった。

 傍から見ても夫婦仲は良好だし、旧北条派だった公家とも交流を深めて派閥を形成しているらしい。

 上杉うえすぎ清子きよことの関係は小康状態にあるらしいので、足利家人の重茂としてはこのままでいて欲しいと願うところである。


「けれど、猿楽は良いとして、大寺社の方々までずっとおられるのはいささか困りますね」

「道誉たちの官位剥奪で少しは満足したと思いたいが、こちらの対応が済むまでは退かぬであろうな」


 顕密の大寺社を鎮めるためには、流罪を実行するしかないということである。

 もっとも、今道誉父子がいなくなれば吉野方が蜂起したとき問題になる可能性がある。


「道誉たちが不在でも問題ないよう、山名やまな時氏ときうじを呼び戻しているところだ。それまでは延ばしたいところだが」


 山名時氏は、重茂たちと共に建武の乱を戦った足利一門の武将である。

 普段は常時眠たそうにしていて呑気な印象を人に与えるが、戦巧者で何度も武功を立ててきた。

 その腕を見込まれて、現在は伯耆ほうき守護として同地および近隣で吉野方の鎮圧を進めている。

 見た目は雄々しいのに武功をサッパリあげられない重茂とは、真逆の存在とも言えた。


「話をして解決できれば良いのですが、いかんせん強訴をしてきた者との対話など今までしてきたことがありませぬからな。どうすれば良いか皆目見当がつきませぬ」

「こちらの大寺社は公家社会の影響が強く、武家側の伝手などもあまりないですからね。交渉の糸口がなかなか」


 これが坂東なら鶴岡つるがおか八幡はちまん宮寺の頼仲らいちゅうなどを頼れたのだが、こちらではそうもいかない。

 重茂と登子は、揃って物憂げにため息をつく。

 しかし、一人尊氏は「伝手か」と難しそうな顔を浮かべた。


「なにか伝手でもあるのですか?」

「そうだな、あると言えばある。あまり余人には知られたくない伝手だが」


 尊氏はじっと重茂を見た。

 その伝手について、重茂に教えて良いものかと考えている。


 重茂はその眼差しを、真正面から受け止めた。


「……うむ、弥五郎であれば口は堅いし問題ないであろう」

「私たちは席を外しましょうか」


 腰を上げそうになった登子を、尊氏は静かに止めた。


「構わぬよ。そなたらは最初から問題ないと考えていたのだ。わしの家族なのだから」


 そして、尊氏はゆっくりとその名を口にした。


「大僧正・天台座主を勤め上げた御方だ。聖恵しょうえ殿という」


 聖恵。その名前には憶えがあった。

 先日妙法院みょうほういんで行われた歌会に参加していた僧の一人として、邦省親王が名をあげていたのである。


「しかし、そのような御方と殿に繋がりがあったとは意外ですな」

「……久明ひさあきら親王の御子なのだ」


 その名前に、重茂や登子は目を見開いた。

 久明親王。かつて鎌倉に暮らしていた者の間で、その名を知らぬ者はいなかったであろう。


 それは、鎌倉幕府八代将軍の名であり――九代将軍・守邦親王の父の名でもあった。

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