第151話「都を駆ける神仏(拾壱)」

 予想外の内容を含んだ邦省くにみ親王しんのうの証人尋問が終わり、再びその場に静寂が訪れた。

 重茂しげもちも、尊氏たかうじも、邦省親王も口を閉ざしている。

 他の皆も、視線を進行役の直義ただよしに向けるばかりだった。


「では、最後に佐々木ささき判官はんがん道誉どうよへの尋問を開始する」


 直義が良く通る声で宣言した。

 それに応じる形で、恭しく道誉が頭を下げる。


「とは言え、事件の内容についてはこれまでの調査と尋問でほぼ明らかになっている。ゆえに道誉殿、そなたに聞きたいことはただ一つのみだ」

「ほう。それはいかなることにございましょう」


 道誉は不敵な態度を崩さない。

 社会的立場どころか、下手をすれば命さえ失いかねないのがこの尋問の場である。

 にもかかわらず、彼は相変わらず笑みを浮かべていた。


 直義は直義で、事務的な態度を堅持し続けている。

 表情を一切動かず、静かに道誉のことを見据えていた。


「そなたはなぜ、妙法院みょうほういんの焼き討ちに加担した」


 それは、きわめてシンプルな問いかけだった。

 以前重教しげのりが確認しにいったものの、見事に煙に巻かれてしまった点である。


 妙法院の焼き討ち時点は、巷ではすっかり「佐々木道誉父子の所業」と語られるようになっている。

 しかし事件の内容をよくよく追ってみると、道誉は最後に加担しただけで、そこに至るまでは部外者だった。

 そのまま部外者としての立場を守ることもできた。にもかかわらず、道誉は率先して焼き討ちを行い、一気に事件の首謀者へと躍り出てきたのである。


 意外にも、道誉はすぐには答えなかった。

 普段の道誉であれば、反射的に軽口混じりで答えていただろう。

 それだけに、この沈黙はいやに重々しいものとなった。


「道誉殿」


 痺れを切らした直義が催促の言葉を投げかけると、ようやく道誉は口を開いた。


「失礼いたした。いくつもの理由があるゆえに、どこからどう説明すべきか考えておりましてな」

「適当で良い。話の内容はこちらで整理する」

「では」


 道誉は周囲に居並ぶ足利あしかがの諸将を見回し、最後に改めて直義を見据えた。

 既にその表情から、笑みは消えている。


「もっとも大きい理由は、足利が頼りにならないからでございます」


 きっぱりと、遠慮なく道誉はそう言い切った。

 当然、周囲の諸将はざわつき始める。

 さすがに尊氏・直義たちは落ち着いていたが、吉良きら満義みつよし上杉うえすぎ朝定ともさだなどは道誉に険しい視線を向けている。

 重茂とて例外ではない。ただ、道誉が何に対してそう言っているのかが気になった。


「どの点において頼りにならぬと考えている?」

「朝廷・寺社に対する態度でございます。ここ最近、引付方での審理など、武士側がいつも煮え湯を飲まされています。よもや知らぬなどとは申しませんな」


 道誉が言っているのは、武士と寺社・公家の間で行われる審理のことを指しているのだろう。

 古来より寺社・公家の所領だったところを武士が横領たことで訴訟沙汰になっている――というパターンが非常に多い。


「武士側が横領して訴えられていることが多いゆえだ。特別寺社や公家を贔屓しているわけではない。公平な裁定をしている」

「それが駄目なのですよ。公平な裁定というのは、寺社や公家を贔屓しているのと同じことなのです」


 古来この日ノ本に存在する所領というのは、皇室・公家・寺社によって保有されているものがほとんどである。

 武士はそれらの所領経営に関わることで、権利や利益を上げているに過ぎない。

 誰かの庇護下に入り、彼らの指示に従ってやりくりしていくしかないのである。


「昔はそれで良かったのかもしれませぬが、今は違いましょう。武士の役割はどんどん大きくなってきております。所領経営だけではありません。我ら佐々木一族とその被官、そして他の足利殿に従っている武士たち。皆、今も続く戦乱において自ら負担を負いながら足利殿のために尽力している。にもかかわらず、昔から持っているからというだけで権益を寺社や公家どもに持っていかれるのです。我らが得られる恩賞は、奉公に対してあまりに少ない」


 ざわついていた足利の諸将が、徐々に静かになっていく。

 今道誉が語った話は、同じ武士なら共感できる部分がある。


「ならば、横領を認めろと? 恩賞については闕所けっしょを宛がったり、こちらとしても対処しているつもりだが」

「はっきり言いますが、まるで足りていませんな。建武けんむの折に足利殿が決起してからというもの、規模の差や地域差こそあれど、今もずっと戦乱は続いております。場合によっては所領を立て直す間もなく戦い続けることを強いられているものもいます。そんな者に対して、ほんの少しばかり空いただけの所領を与えて良しとするのですか」

「だが、与えられる所領にも限度がある」

「ならば、何らかの方法でその限度をどうにかしていただきたい。それが武家の棟梁の役目。傘下の武士の声に応えるのが武家の棟梁というものでございましょう」


 そこまで言い切ると、道誉は再び笑みを浮かべた。


「愚息のみが妙法院の焼き討ちを決行した場合、愚かな若造の乱暴狼藉と片付けられて終わりだったことでしょう。しかし私が加わることで、ことの重みは増すことになります。佐々木道誉がこんな行動を取るくらい、武士の間でも不満が溜まっているぞ――そういう意味が生まれると思ったわけですな」


 尊氏と直義を前にしてそこまで言い切った道誉に、重茂をはじめとする諸将は黙るしかなくなった。

 道誉が言っていることは、ある種もっともなことである。

 無論朝廷や寺社からすればとんでもない暴論だが、既存のルールを大事にすると武士層が割を食うのも事実だった。


 重茂をはじめとする引付頭人たちの耳には、訴訟で負けた武士層の不満の声も当然届いている。

 そちらの心情も分かるがゆえに、道誉の言葉に安易な反論はできなかった。


 直義も、それ以上の反論はしなかった。

 道誉の指摘について、思うところがあったのだろう。


「……他の理由について、述べることはあるか」


 静かな問いかけに、道誉は淡々と答えた。


 延暦寺えんりゃくじとは長年の因縁があり、彼らが相手であれば当主である自身が出向くべきだと思ったこと。

 傘下の近江おうみ武士には延暦寺を恨んでいる者もおり、彼らの手前、何もしなければ却って当主としての立場がなくなること。


「ちなみに、さすがに殿下の話にあったような『客人』については想定外でしたな。その集まりについては、私が焼き討ちした理由とは何の関係もありません」


 道誉の証言は、その補足によって締めくくられた。




 尋問が終わってから、直義はしばらく黙り込んでいた。

 これまでの話をまとめた上で、道誉父子にどのような処罰を下すか。それを決定しなければならない。


 寺社や朝廷の顔を立てるなら、彼らの要望通り厳罰に処すのが妥当なところだろう。

 延暦寺側からは、昔佐々木一族と延暦寺が揉めたときの判例を持ち出してきており、死罪に処すべしという声があがっている。

 さすがに朝廷はそこまで強硬な姿勢を見せていないが、道誉父子を積極的に庇おうという意見も出ていないらしい。


 道誉とは昵懇の間柄である勧修寺経顕も、本件については沈黙を守っていた。

 迂闊なことを言えば立場を失うからだろう。


 しかし、佐々木父子を厳罰に処すとなれば、近江武士の反感を買うのは避けられないだろう。

 自分たちより延暦寺を取った。足利などは頼りにならぬ――近江武士はそう思うに違いない。

 道誉自身が近江武士の代表としての振る舞いをしたからこそ、その反感は平時より大きなものになりかねない。

 それこそ、吉野よしのに寝返る可能性も出てくる。


「直義。この裁定、俺に預けてくれないか」


 苦悩する弟を見かねたのか、尊氏が声をあげた。

 名実ともに、尊氏がこの場を取り仕切るということである。


「いかなる理由があれど、道誉父子のしたことは裁かれるべき暴挙である。足利は武家の棟梁であるが、朝廷に対する反逆者ではないし、王城鎮護の任を担う延暦寺と敵対する意志もない」

「では、いかなる裁きを下すのですかな」


 道誉の問いかけに、尊氏は迷わず即答した。


「遠国への流罪とする」

「流罪、でございますか」

「このまま京にそなたらがいると追及がうるさい。間に挟まれる足利としては迷惑千万である。命は取らぬが、ほとぼりが冷めるまで京近辺からは消えてもらう」


 尊氏の下した結論に、直義も道誉も口を出さなかった。

 重茂としても、妥当な判断だという印象を持った。


 延暦寺の不満をやわらげつつ、近江武士の反感も必要最小限に抑える。

 当面問題が再発することもなくなるし、悪い話ではない。


「ただし、どこに配流とするか、いつ配流とするかは慎重に決めなければならない。このようなことをしでかした道誉殿たちのことだ、下手な場所に送れば吉野方に寝返るかもしれん」

「言ってくれますな、足利殿」

「前科があるだろう、そなたも。俺も、他人のことはとやかく言えぬがな」


 尊氏が笑いながら言うと、道誉も応じるかのように鼻を鳴らして笑みを浮かべた。


「それに、道誉殿たちが今すぐ不在ということになると困ることもある。そういう意味でも、配流の時期は気をつけて決める必要がある」

「と言うと?」

「殿下の話にも繋がるだろうが、近頃吉野方の動きがどうにも不穏でな。場合によっては近々この京の近辺で動きがあるかもしれぬ。師直の方からも、そういう報告が上がっている」

「ほう。この辺りで一騒動あるとなれば、近江の兵力が必要になる可能性もある――ということですかな」


 その場合、道誉父子の不在はかなり痛い。

 佐々木一族の惣領である氏頼うじよりはいるものの、道誉と比べると実戦経験が少なく、近江武士の大将としては心許ないものがあった。


「しかし、あまり長々と引き延ばしていては延暦寺側も黙ってはおりません。強訴をしかけてくるやもしれませぬ。そうなれば朝議が止まることになり、我らの責任も問われることになります」

「吉野方の動きに不審な点があり、流罪にしようにもすぐにはできない。それで押し通すのだ、直義。我ら武士にも主張すべきことはある。譲れぬ点がある。それを伝えるには良い機会であろう」


 尊氏の言葉に、直義はそれ以上反論しなかった。

 そこが現実的な落としどころだろうと、彼自身も納得したのだろう。


「それでは、佐々木父子についての裁定は――これで終了とする」




 尋問が終わって帰宅する道誉父子を、重茂が門まで見送ることになった。


 秀綱ひでつななどは、さすがにぐったりしている。

 今日までに感じていたプレッシャーは、これまで味わったことのないものだったのだろう。

 同じ立場だったら、重茂とて疲弊している。


「正直、生きた心地がしませんでした」

「であろうな」

「配流となったのは、まだ運が良かったと見るべきでしょうか」

「どうであろう。ただ、そこまで悲観することではないという気もする」


 あれだけ好き勝手言われながらも、尊氏・直義が道誉にある種譲歩するような姿勢を見せたのは、武家の棟梁として道誉の言葉に感じる部分があったからだという気もする。

 そして、あの二人はそういう苦い言葉をぶつけてくる相手の重要さを理解しているという気がした。


「今は乱世だ。配流が決定したとしても、状況次第で復帰できる見込みは十分にある。近頃はきな臭い動きがあるからな。良くも悪くも、手柄を立てる機会はまだまだあるということだ」

「吉野様様ですな」


 道誉がどこか皮肉げに言った。

 彼は秀綱と違い、さほど疲弊している様子がない。踏んできた場数が息子とは違う、ということなのだろう。


「しかし、今日の道誉殿は一段を雄弁だったな。こちらとしては肝が冷えたり怒りを覚えたりで、一向に落ち着かなかった」

「それはすまなかったな。この道誉、言いたいことは言わねば気が済まぬ性分ゆえ」


 呵々と笑う道誉を見ながら、ふと重茂は、調査の過程で道誉の動機として挙げられたある事柄を思い出していた。

 道誉はいろいろなことを語ったが、そのことについてだけは口にしていない。


「道誉殿」

「なにかな、重茂殿」

「俺は、道誉殿の動機についてもう一つ思い当たるものがあったのだが」


 重茂はちらりと秀綱を見る。

 それで、道誉は重茂の言わんとしていることを察したらしい。


「この推測は、外れているのだろうか」

「さて、どうであろうな。……そういえば重茂殿は塩冶えんや高貞たかさだに会ったとか。さては、奴めに余計なことを吹き込まれたか」

「さて、どうであろう」


 道誉が素直に明かさないので、重茂も曖昧な返しをすることにした。つまらぬ意趣返しである。


「まったく困ったものだ。足利殿といい直義殿といい重茂殿といい、足利というのはやりにくい相手が多い」


 頭を掻きながら、道誉は珍しくため息をこぼした。


「ま、せいぜい今後も貢献するとしよう。功績を上げて流罪取り消しにできるかもしれぬからな」


 佐々木父子の裁定が終わったとは言え、状況はまだ落ち着いていない。

 延暦寺、吉野、坂東ばんどう。火種はまだまだ存在していた。

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