第122話「公武を繋ぐ者(壱)」
「それで、
自邸に戻る前に
「あくまで表向きはな。国師は
「けど、大勧進って建立のための寄付集める役目の人ですよね。国師以外に務まるんですか?」
「正直大分怪しい。だからこそ反対派を大人しくさせることができると国師は判断したのだろうが」
武家が発案した帝経験者のための寺社。
その経緯から、この寺社建立に表立って賛成する人はそこまで多くなかった。
反対派ではない人々も、積極的に賛成まではしない。建立のための費用や人材を出す者など、ほとんどいなかった。
まがりなりにも計画が進んでいたのは、
それでもなお造営費には苦労していた。今後はより厳しい状況の中でやっていかなければならない。
「ほとぼりが冷めてから、国師が再任する、というのが無難なところですかね」
「いや。それだと反対派もまた態度を硬化させる――というのが国師の見立てだ。国師が再任する予定は、今のところない」
「……もう諦めたら良いんじゃないですかね?」
「それも駄目だ。どれだけ時間がかかっても、必ず暦応寺は建立する。でなければ発起人である殿の面子が立たん」
京の人々の間で、暦応寺建立の件は話題になっている。
みっともない幕切れだけは避けなければならない。
それに、面子が潰れるのは尊氏だけではない。造営奉行の筆頭である師直の面子もかかっている。
師直邸では、師直夫妻と一緒に
どうやら、近頃流行りの連歌について語り合っていたらしい。
「最近この家によく来ているようだな、兼好」
「はい。
「本題の方は迷惑だが、お前自身とのやり取りは嫌いではない。妻も良い気分転換になると言っていた」
「本題の方は、まあ。私も立場上断りにくいところもありまして」
「分かっている。俺も立場上容易に応じることはできないから、話は堂々巡りになりそうだがな」
師直と兼好が揃ってため息をつく。
「ちなみに、その本題とは?」
「
「……ああ、なるほど」
両者のため息の理由がすぐに理解できた。
西園寺家の家督問題は、暦応寺とは別の意味で面倒臭い話になっている。
「西園寺って、あれですよね。吉野院(後醍醐)を弑そうとしたとかいう」
「お前の世代だとそういう理解の仕方になるのか」
重教の言葉に、重茂ら三人はジェネレーションギャップを感じて唸りをあげた。
西園寺家は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて大きく立場が変化した家の一つといっていい。
「西園寺家は少し前まで、関東方(鎌倉幕府)とやり取りする役目を担っていた。関東
「必然的に公武双方に広い人脈を持つことになるので、西園寺家の影響力はかなり大きなものとなっていました。摂関家に匹敵するような権勢を誇っていた時期もあったといいます」
重茂と兼好の説明を聞いて、重教は意外そうな表情を浮かべた。
今の西園寺家は往時とまるで違う状況になっている。
重教くらいの世代になると、西園寺と聞いてもあまり良い印象はないのかもしれない。
「そんな家がなんで……ああ、いや、そういう家だからこそ吉野院を弑そうとしたんですね。吉野院は関東方を打倒したから」
「そうだ。関東と朝廷の関係性から権勢を作り上げた西園寺家にとって、吉野院はとんでもない相手だった。関東をまるまる潰してしまったんだからな」
後醍醐によって鎌倉幕府が滅ぼされると、鎌倉幕府との窓口として権勢を得た西園寺家は大きく権威を失墜させることになった。
まさに御役御免の状態である。
「もっとも、穏当に権勢を取り戻せる可能性はあったんですけどね。吉野院の皇后は西園寺家の方でしたから。市井の噂になるくらい仲睦まじい間柄でした。ただ、皇子を授かる前に亡くなられてしまいました。その後も西園寺家の方が入内されましたが、皇子には恵まれず」
「そして、お前も知っているあの事件が起きたわけだ」
後醍醐天皇が鎌倉幕府を打ち倒し、愛すべき西園寺家の皇后が亡くなった後。
当時の西園寺家当主
そのときの残党の中には、あの
「吉野院暗殺の件は公宗卿の弟・
「いずれも武者所の者が捕らえた。俺も、
師直がどこか懐かしそうに言った。
あの頃は、
尊氏にとっても、あるいは師直にとっても、一番充実していた頃だったのかもしれない。
「事件後、西園寺家の家督は密告した公重卿が継いだ。吉野院が京から、そして現世から去った今も、それは変わっていない」
「ただ、事件後に処刑された公宗卿には御子がいた。その母御が、西園寺家の家督を公重から取り戻そうと精力的に活動している」
「では、兼好法師はその母御からの頼みで伯父上のところに?」
重教の問いに、兼好は頭を振った。
「逆です。私は公重卿からの依頼で来ているのですよ。足利との関係を強化して、自らの力を強めたいのでしょう」
かつて北条と組んで力を得た代わりに、今度は足利と組もうということなのだろう。
「そんなに脅威なんですか、その公宗卿の御子たちは」
「そのようですね。公重卿は近頃劣勢です」
「家督継いでるのに?」
不思議そうな重教に、重茂は今の西園寺家を取り巻く状況を説明することにした。
「家督を安堵した吉野院はもういない。今の院にも堅実に仕え続けているが、兄から家督を奪い取った者という悪評もあって支持者が少ないのだ。他の西園寺家の人々はどちらかというとその母御を支持する者が多いくらいだ」
西園寺家の嫡流はあくまで公宗卿の血筋である。
後醍醐の御世ではそのようなことを口にしにくかったが、今は後醍醐を追い落とした光厳院の御世である。
さすがに帝弑逆という大逆を犯そうとした公宗本人を擁護するのは難しかったが、その子を家督に据えたいという要望は堂々と口に出せる。
「西園寺家の人々――特に女性は入内して宮中に影響力を持つ人も多い。今の院は御生母も西園寺出身だし、後宮にも西園寺家の方が何人もおられる」
「……西園寺って名前が表になかなか出なくなってきただけで、今も凄い権勢を誇ってません?」
「だから面倒なんだ。下手に公重卿に肩入れしようとすると、そういう恐ろしい方々を敵に回すことになる」
話を一通り聞いた重教は、思わずぽつりとつぶやいた。
「もう公重卿を捨てれば良いんじゃないですかね」
それができれば楽なのだろう。
だが、現実はそう単純にはいかない。
「そうもいかん。公宗卿の子はまだあまりに幼い。家督を継がせるにはあと何年かは待たねば無理だ。それに、公宗卿の罪そのものは消えたわけではないからな。その子に家督を継がせることに批判的な意見もある」
「……」
とうとう重教は口を閉ざしてしまった。
どうすればいいんだ、という心境になっているのだろう。
正直なところ、重茂も同感である。
「一応、足利としては公宗卿の御子を支援する方針になっている。ただ積極的に関わろうとは思うな。そのつもりで振る舞え」
師直の言葉に、重教は大人しく首を縦に振った。
言われなくてもそうします。そんな心の声が、重茂にはハッキリと聞こえた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます