第50話「巡る天下、回る人々(肆)」

 重茂しげもちたちは、噂されている後醍醐ごだいごの帰京よりも少し早い日に関東へ出立することになった。

 同行者は上杉うえすぎ憲顕のりあき桃井もものい直常ただつね等である。どちらも一族総出で関東に向かうわけではなく、上杉重能しげよし・桃井義盛よしもり等は京に残ることになっていた。まだ西国も緊張が続いているので、なにかあったときスムーズに連携が取れるようにと考えてのことである。

 こう一族も同様で、京には師直もろなおが残る。関東に向かうのは重茂のみだった。


「お前一人で大丈夫かいささか心配ではあるが……まあ、あまり気負わず出来ることをやれよ」


 師泰もろやすは、そう言いながら何度も重茂の肩を叩く。

 既に三十路過ぎなのに童のような扱いを受けている気がして、重茂は内心不服に思うところがあった。


「四郎兄上こそ、いい加減五郎兄上と和議を結んだ方が良いのではないか」

「なに?」

「まだ戦が続いていると、そう見ているが」


 しかし、重茂の反撃に師泰はさほど動じなかった。


「いいのだ。和議はいらぬ」

「ずっと仲違いしたままで通すのか。それでは俺としては不安なのだが」

「停戦協定は結んでおる。無理に和議までいかずとも良い。あやつには、喧嘩相手が必要なのよ」


 確かに、近頃表立って言い争いをしているところは見ていなかった。


「五郎は万事そつなくこなす。言っていることも概ね正しい。しかし正しさとは常に一つではない。互いに相容れぬ正しさというものも、この世には存在する。それをあやつが忘れぬよう、わしはそれを示す喧嘩相手になっているのだ」

「屁理屈のようにも聞こえるぞ」

「だが、一理はあるだろう」


 師泰の言葉に、重茂は反論できなかった。

 互いに張り合う相手がいなければ、人は独善的になっていくものかもしれない。

 自分とは違う見解を持つ対等な相手というのは、師直のような立場の者には必要なのかもしれなかった。


「一族が割れるような大喧嘩は、しないでくれよ」

「それは弁えておるわ。わしは身内を手にかけるようなことはしたくない。それに、そんなことになっては弥四郎に顔向けできぬからな」


 師久もろひさの名前が出ると、重茂も師泰もどこか神妙な表情になる。

 それなりに割り切ったはずなのだが、まだどこか引きずるようなところはある。

 おそらく、この感覚は一生残り続けるのだろう。ただ、時間が経つことで薄れていくのかもしれない。


「滝山寺にも寄っていくのだろう? 椿つばき殿にも、よろしく伝えておいてくれ」

「いささか、気が重い」

「そういうときに向き合い支え合うのが身内というものだ」

「分かっている。逃げたりはせん」


 師久の妻――椿には、既に事の顛末をしたためた書状を送っている。

 とは言え、それだけで済ませるわけにもいかないだろう。誰かが一度、しっかりと対面で話をする必要がある。

 彼女のいる滝山寺は鎌倉に行く途中の三河国にある。今回の関東行きは、ちょうどいい機会だった。


「憲顕・憲藤のりふじも立派に務めを果たせよ。決して無理はするな」


 伯父からの檄に、憲顕・憲藤兄弟は揃って頷いた。

 憲藤は憲顕の弟で、まだ二十歳前後の若武者だった。景気よく胸を叩いて笑ってみせる。


「ご案じなさいますな、伯父上。奥州勢が南下して来ようとも、我ら兄弟が上野こうずけで食い止めてみせましょう」

「師泰殿は、お前のそういう調子の良いところが不安なのだと思うぞ」

「えっ、どういうことですか兄上、伯父上!」


 元気が有り余っている憲藤を囲む憲顕・師泰。

 重茂は、その傍らでどこか憂鬱そうな表情を浮かべている男に気づいた。


「どうしたのだ、重能殿。えらく景気の悪そうな顔をしているではないか」

「ふん、この顔は元からだ」


 重茂に対する反論もどこか覇気がない。

 普段なら一に対し十の切れ味で返してくる男である。


「……これからの立ち回りのことを考えていた」

「京での活動に不安でもあるのか」

「私は平一郎(憲顕)たちの父・憲房のりふさ殿に拾われた身だ。あいつらとなら上手くやっていくこともできるが――」


 在京する上杉氏は重能だけではない。興福寺説得のため尽力した四条しじょう隆蔭たかかげに家司として仕える重藤しげふじと、その弟の朝定ともさだがいる。

 彼らは憲顕や重能の従兄弟にあたるが、これまで行動を共にする機会がほとんどなかった。


 尊氏たかうじたちの側近として活動した憲顕たちと異なり、重藤は足利あしかがと京の連絡役を担っており、基本的には在京していた。

 朝定はまだ若年ということもあって、主だった活動をしていない。尊氏たちの母であり朝定にとっては叔母にあたる上杉清子きよこが養育してきたが、重能たちと顔を合わせたことはほとんどなかった。

 この兄弟と上手くやっていけるかどうかという不安が、重能の中にある。


「京での活動には格というものが求められる。猶子として上杉にかろうじて名を連ねるだけの私に、どれほどのことができるか」

「それは、俺には何とも言えぬところだが――」


 重茂はあまりそういったことに長じていない。

 まったく縁がないわけでもないが、どこか対岸のことのように思えてしまうのである。


「だが、結局のところ自分にできることをやっていくしかないのではないか」

「ふん。他人事だと思って気楽に言ってくれる」

「他人事だからな。……もう一つ加えて言うなら、殿や直義ただよし殿はおぬしならできると思ったからこそ、京に残るよう仰せられたのであろうよ。なら、その判断を信じてみればいいのではないか」


 重能は訝しげにその言葉を聞いていたが――しばらく考えて、そうしてみるか、と頷いた。


「しかし、結局師直殿は見送りには来なかったな」

「忙しいのだ、兄上は」

「それは、見送りに来た私が暇だと言っているようにも聞こえるが?」

「いちいち悪いように取る男だな、そなたは」


 せっかく綺麗に話が収まるかと思ったが、言葉を交わし合ううちに言い合いへと発展していく。

 ただ、それもいつも通りという感じがして、重茂は嫌ではなかった。


 出立の刻限。

 見送る師泰や重能たちの遥か彼方、後方の高台に、花七宝の紋が描かれた旗が見えた。

 おそらく、それが彼なりの見送りなのだろう。重茂は旗に向かって一礼すると、東に向かって進みだした。




 京を離れ、近江おうみ国を抜け、伊勢いせ国の北端に差し掛かる頃。

 一行は、街道沿いにある宿に足を踏み入れた。


 大部屋には、それなりの数の人がいる。

 これから伊勢神宮に向かう者、京に向かう者、鎌倉へ向かう者――様々な目的の者が集まる。ここはそういう地だった。


「炊事は任せろ。こう見えて慣れている」


 そう名乗り出たのは桃井直常だった。

 よく訓練で遠出して野営をするうち、こだわるようになったのだという。

 家人たちを引き連れて外に出て行こうとしたので、重茂と憲顕たちも、自らの家人を何人か手伝いのため同行させた。


 部屋に集まった他の者たちも、自炊のための薪を主から買い取って室内・室外で煮炊きをしている。

 比較的大人数でやって来た重茂たちを興味深そうに見てくる者たちも多かったが、特に絡んでくるような相手はいなかった。

 下手にかかわって揉め事になっても面倒だ、と判断したのだろう。それは重茂たちの側も同じだった。


 そこに、新たな一団が現れた。重茂たちほどではないが、それなりの人数である。

 中心にいるのは、武家風の身なりをした壮年の男性と、涼やかな顔つきの青年だった。


 その一団は宿の一角に集まり、炊事の支度を始めた。

 だが、人数の割に動いている者が少なく、準備に苦戦しているようだった。

 炊事に慣れている者があまり多くないのかもしれない。


 重茂は憲顕と視線を交わし合うと、意を決して立ち上がった。


「よければ、こちらから手伝いの者を出しましょうか」


 突如声を掛けられ、一団は重茂に警戒の眼差しを向けてくる。

 ただ一人、中心にいた壮年の男は動じることなく頷いた。


「かたじけない。不慣れな者が多く難儀していたところだ。かく言う私も、人のことは言えぬが」

「無理もありますまい。これまで自炊の御経験などなかったでしょうからな――北畠きたばたけ卿」


 己が名前を言い当てられると、壮年の男――北畠親房ちかふさは初めて笑みを見せた。


「博覧強記の者と聞いていたが、どこぞで私の顔でも見ていたのか。高大和権守よ」


 親房の方も、既にこちらには気づいていたらしい。


 北畠親房。

 後醍醐天皇の側近の一人で、共に比叡山に入っていたはずの男である。

 重茂たち足利陣営に属する者からすれば、いわば敵方の一人だった。


 重茂たちが関東に向かう最大の理由は、東北地方――奥州の後醍醐方への備えである。

 その奥州の後醍醐方を率いているのは、眼前にいる親房の子息・顕家あきいえだった。


 当然、周囲もそういう事情は知っている。

 重茂と親房が互いの名前を言い当てるのと同時に、宿の中には殺気が充満した。

 いつ斬り合いが始まってもおかしくないという雰囲気になっている。


「どうにも、不心得者が多いようだ」


 その空気に顔をしかめたのは、親房だった。


「なるほど、今はまだ互いに敵同士かもしれぬ。しかし、近く和議が結ばれると聞いているのだがな」

「この場でやり合えば、それも破談になりかねませぬな」

「私は帝が和議を望まれるなら、それを台無しにはしたくない。貴殿はいかがか」

「私も、主が和議を望まれている以上、それを邪魔するような行いはすべきでないと考えています」

「ならば良い」


 親房はパァンと宿中に響くような形で手を打った。


「ここでの邂逅は、御仏の思し召しと考えるのが良かろう。じきに結ばれる和議が末永く続くよう、懇親を深めようではないか」


 つい先日まで命のやり取りをしていた相手からの提案に、重茂も憲顕も異を唱えることはできなかった。

 この場で重茂・憲顕がその気になれば、親房を討ち取ることは容易だったろう。

 しかし、ほんの僅かな言葉の応酬だけで、その可能性を摘んでしまった。


(北畠卿か――恐ろしい御人だ)


 戻ってきた直常も交えた親睦の会に身を置きながら、重茂はどこか寒気のようなものを感じている。


「……北畠卿は、なぜこちらに?」


 場が落ち着いた頃を見計らって、重茂はそう切り出してみた。

 親房は重茂のことをじろりと見ると、口元だけで薄っすらと笑ってみせた。


「奥州で顕家と合流して鎌倉を狙う」

「……」

「……などということはせぬ。和議を結んでおきながら、そのようなことをする理由はない。のう、顕信あきのぶ

「はっ」


 側に控えていた若者が首肯する。

 北畠顕信は顕家の弟だが、重茂はこれまでに顔を見たことがなかった。


新田にった義貞よしさだが親王を奉じて越前に向かったという風説も聞きましたが」

「あれは新田がごねた故、やむなく帝がなだめた結果よ。我らは、和議の邪魔をせぬよう引っ込むことにしただけじゃ」

「引っ込む?」

「帝の周りに我ら近臣が残っていると、足利や院の疑心を招くかもしれぬ。であれば周囲にあまり人は残さぬ方が良い。帝はそう仰せられて、我らに散るよう命じられた。縁ある地で、大人しく沙汰を待てということよ」


 親房の説明の真偽を確認する術はない。

 ただ、話として一応筋は通っている。


「伊勢に隠居所として使える土地がある故、我らはひとまずそちらに向かう」

「伊勢ですか」

「そうだ。関東や奥州までは行かぬ」


 念押しするように親房は述べた。

 言外に、だからあまり警戒するな、と言っているようでもある。


「和議がなれば、御子息は、それに従いましょうか」


 その問いかけに、親房はゆっくりと口を開いた。




「――私は帝の臣だ。故に帝のために動く」


 遥かなる奥州の地。

 敵対する武家勢力の鎮圧を終えた北畠顕家は、返り血を拭うこともせず多賀城に帰還した。


 中央の情勢変化の影響か、奥州でも足利方に靡く者たちが増えてきている。

 顕家はそういった芽を一つ一つ摘みながら、上洛のための準備を進めていた。


 従っているのは、結城ゆうき南部なんぶ伊達だてといった雄族たち。

 その中の一人、南部師行もろゆきが進み出た。


「帝が行けと仰せになれば、また上洛なさるので?」

「それは無理だ。無理なものはできぬ。無理を言えば、そなたらを失うことになる。そなたらがいなければ、私はただの青二才だ」


 顕家はそう告げると、付き従う者たちを一人一人見つめた。


「帝の言葉であっても帝のためにならぬことはせぬ。帝のために動くには、そなたらの力が不可欠だ。奥州はここからが正念場ぞ。皆、力を貸して欲しい」


 若き英傑に、奥州へ集った武士たちが「応」と大音声で応える。

 奥州全体は不安定になりつつあるが――そのことによって、顕家たちの結束力は却って高まっていた。


 彼らの視線は、鎌倉、そしてその先の京に向けられている。

 今は無理だが、いつか必ず向かうことになるであろう――遥かな道を、見据えている。

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