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「こんにちは。今日も外、暑いですね。どうぞ」

 手の平で椅子を示し、着席を促す。午後一発目のお客様だ。

 髪を一本に結い上げた冴子は、案内しながら心の中で一呼吸。気合を入れ直した。

「ですね……はい。今日もよろしくお願いします」

 ややくぐもった返答から申し訳なさそうな雰囲気が漂っている。

 肩をすぼめながら軽く会釈を返す彼は、くっきりとハの字に傾いた眉根の下、やたらとつぶらな瞳で冴子を見下ろしてくる。

 女性の中では高身長な冴子と比べてもかなり大柄だ。

 パーテーションで区切られた一人用の相談スペースに腰を下ろすと、スペースの端から端までがその肩幅で埋まってしまう。

 狭くてすいませんねー、などと言いながら冴子も対面に座った。

「こういうとこ、ユニバーサルデザインじゃないんですよ、まったく」

「いえその、こんなナリだから仕方ないです……」

 自分、不器用ですから。と縮こまる謙虚な彼の名前は新巻鮭あらまきじゃけのぼる

 なんだよ新巻鮭って。一族出て来い。

「しゃけさんの肉球にはいつも癒されてますから! 私はそのへん許せないですよ!」

「はあ。そういうものですか」

「そういうものです!」

 拳を握って力強く肯定する。

 三十路マイナス一歳の正当派アラサーな冴子には少し厳しいポージングかもしれない。

 だが今、そのことは置いておこう。

 しゃけさん――彼には肉球があった。

 全身が毛深く、鼻先は犬のように長く、スーツは特注サイズで、いやもう、端的に表現しよう。

 ビジネススタイルの直立したヒグマ。それがしゃけさんの出で立ちだった。

(初対面はびびったなー……ほんと)

 面談を繰り返すうちに慣れていったことだけど。と冴子は思い返す。

 ――この世界に二つ目の月が現れてから、はや五年。

 人間社会の在り様は少しだけ……いや、かなり不思議に変容してしまった。

 夜空が少し明るくなって犯罪率が低下したり、海面が上昇し、寒暖差がやや激しくなったり、世界各地のストーンヘンジ群が土曜の夜になると輝き出し……たりしたのはともかくとして、人々の中に『変身』する者が現れ始めたのだ。

 変身には個人差があり、毛深くなる、瞳の色が変わってやたら夜目が効くようになる、バストアップする、などは可愛い例であるが、朝起きたら二足歩行する猫人間になっていたり、下半身がイルカの尾びれになっていたりした日には絶叫モノどころの話ではない。

 瞬く間に世界を阿鼻叫喚の大恐慌が駆けては抜け、また勃発した戦火に沈んだ国もあったのだが、それはまた別の話。

 現代日本では彼ら『獣人』への社会適応が叫ばれる世論となっていた。

「やっぱりこんな手じゃSEなんて無理、なんですかねえ……」

 くぅーん、と鼻を鳴らしてしょんぼりするしゃけさんも『獣人化現象』と社会情勢の犠牲者に他ならなかった。

 労働者は苦難の末にじっと己の手を眺めるものだが、彼の手の平は鋭い爪と剛毛と肉球でできた中国の高級食材に酷似していた。要するに熊の手である。

 まあ、食べたことないけど……と、冴子は眼鏡のふちを押し上げる。

「私もこういう仕事してますから人の分析についてあまり綺麗事は言いません。正直な所、しゃけさんの人柄と実績については全く申し分ないですが、知り合ってしばらくしてから評価されるタイプの人だと思います」

「はあ。つまり、どういうことなんです?」

「しっかり数打って当てるしかないです」

 がくり、と肩を落とすしゃけさん。

 お客さんへの対応としてはどうかと思われるかもしれないが、彼と冴子の相談実績はそこそこ長い。

 業務の範疇とはいえ冴子の地の部分が出せるくらいの信頼は得ていた。

 まあ精神的に弱っている相手に対して、安易に『大丈夫』という言葉を使わないのは業務のマニュアルにも書いてあることなのだが。

「地道に続けていきましょ。諦めない限り私もサポートしますし」

「田嶋さんてスパルタですよね?」

「チェンジしますか?」

「いえその……続投でお願いします」

 熊の顔に苦笑。冴子もにやっと笑う。

「分かりました。それでは次の企業ですが」

 卓上にすっとペラ紙を置く。

 ざっくりとした企業情報と労働条件が書かれているそれは、しゃけさんの希望条件から選び抜いた求人票だった。

 公共職業安定所『獣人病』案件等対策室。それが冴子の所属する機関の名称だ。

 要するに、ハ○ワの分室の一つである。

 冴子はそこで獣人化した人たち専属のキャリアコンサルタントをしている。

 一年更新の契約社員だが、のらりくらりと今年で五年目だった。

 ……なんとはなしに続いている仕事だなと自身でも思う。

 求人票の企業名には、『四菱システムホームランドセキュリティ』とあった。

四菱よつびしですか。最近伸びてきましたよね」

「さすがしゃけさん。ご存知ですね」

「ええまあ」

 顔色は全く分からないが、照れるように頬を書くしゃけさん。何気ない仕草だが、その爪はやたらと長く、そして鋭い。剛毛じゃなきゃ熊汁(比喩)出てたな――と首筋に微かな寒気を覚えつつ、冴子は目の前の人物について反芻する。

 荒巻鮭昇。年齢三十五歳。

 獣人化の分類としては全身性のM目クマ科ということになる。

 大学卒業後、製薬関連会社の管理システム部門にプログラマーとして入社。

 二年周期のジョブローテーションを幾度か経て、開発主任となる――と。

 ちょうどそんな、自信と実力が伴ってきた頃であった。

 彼が『変身』してしまったのは。

 なんと脱サラと脱人間を同時に決めてしまったのである!

 などとは口が裂けても言えない。冴子はまんまるな瞳から視線を逸らす。

 話を求人票に戻そう。さすがに元業界人と言うべきか、しゃけさんも『四菱』のことは最近の動向も含めて知っているようだった。

 ともあれ、宣伝しないことには話が始まらない。

「資本は四菱重工の一〇〇%出資! オフィスにはオープンカフェスペース付きのコーヒー飲み放題! 福利厚生完備で社員旅行はカナダ! どうです?」

「はあ。なるほど……?」

 まくしたててみたが、しゃけさんの反応は薄い。

 紹介企業は今回で三十社目。前任から冴子が担当を引き継いでからも六社目だ。

 このやりとりもテンドンなので仕方ない。

 ちなみにカナダで有名なクマ種はハイイログマ。

 グリズリーという呼び名の方が有名だろう。

 個体数の減少が危惧されており、国の特別懸念種に指定されている。

 どうでもいい。

「まあ、ここまではありがちな情報かもしれませんね。ですが、四菱は『獣人化』に対する対応が手厚いようです。申請を出せば在宅勤務もできるとか」

「在宅ですか! それはいいかもしれませんね」

 熊面では分かりづらいがしゃけさんの表情が気持ち明るくなった。

 冴子の脳裏では顔の隣に電球がぱっと点灯するイメージだ。ここが推し時か。

「さすがにオフィスへの出社回数がゼロというわけにはいかないですが、在宅との比率は相談次第でコントロールできるみたいです。確かな知識と技術を重視する体質ですね」

「ふむ……」

「しゃけさんのキャリアなら充分に可能だと私は思ってますよ」

「はは……今回も駄目だろうとは思いますがね」

「ですが応募しなければ可能性はゼロです」

 強い語気で言い切る。

 ここが大事だ。優しい言葉だけが人を前向きにする訳ではない。

 キリッと眼鏡を押し上げて、あんまりない胸を張った。

「やってみましょ。今回も私のコンサルティングに任せちゃいましょう」

「いや、田嶋さんには敵わないなあ」

 二十九敗からの苦笑でも、笑顔は笑顔だ。と、冴子はポジティブに受け取る。

 しかし、ただまあ……と内心でごちる。

 まだ、しゃけさんには話していないことがあった。

 むしろ最大の懸念と言ってもいい。

(あそこ、圧迫面接なんだよなあ)


 しゃけさんの面談が終わった後も冴子の対応は続いた。

「ほんと、信じられない! まだ三時なのに給湯室で……なんて!」

「ショッキングですねえ……」

 ふるふると首を振り、目頭に大粒の涙を溜める女性は天野あまの比沙美ひさみさん。

 『獣人病』部分性M目蝙蝠こうもり属だという彼女の両耳は、その病名の通り細長く尖っていた。

 整った顔立ちの中で耳だけが変化しているものだから、見ようによってはOLスタイルのエルフとかに見えなくもない。これがゲーム脳というやつだろうか。

 彼女はその見た目通り、とんでもなく耳が良い。

 というか単純に耳が良いというだけでなく、聞こえるチャンネルも多いというべきだろうか……超音波とかも聞こえてしまう。

 今は耳にワイヤレスイヤホンのようなものが嵌っていた。これは補聴器の逆の効果があるらしい。

 つまりは耳栓である。

 どうやらかなり高性能なもののようで、聞こえる音域を狭める機能があるんだとか。

「荒い息遣いと湿った音が三十分も……しかもあの係長、ドSみたいなんです!

あたし、気持ち悪くて……!」

「うへえ……」

 仕事とはいえ冴子も赤面してしまう。

 高性能な耳栓をしていても天野さんは恐ろしく耳が良い。

 今日は午後休をとってそのまま駆けこんできたようだが、どうやら職場で昼下がりのオフィスラヴを見つけて、もとい聞きつけてしまったらしい。冴子が紹介した得意先なだけに扱いの難しい話だ。

「田嶋さん――あたし辞めますあそこ!」

「そっかー……」

 どうしよっかー……。


「やべえよ、田嶋さん。向こう二ヶ月は作業しなきゃなんねえのによ……」

「ですねえ……まさか、野良猫の溜まり場だなんて……」

 いまいちヤバさの伝わってこない話かもしれないが、彼――滝登鱒夫たきのぼりますおにとっては死活問題であるのだろう。

 深い絶望を湛えた瞳はさながら死んだ魚のよう。

 『獣人病』部分性F目サーモン類な彼は、その上半身を硬質な鱗に覆われている。

 それ以外は至って普通なのだが、『何故だか』ものすごく野良猫を引き寄せてしまう。

 しかもよく噛まれたりするらしい。理由は考えるまい。

 前職の経験からとび職を紹介したのだが、一定周期で現場が移り変わることでこんな弊害が出るとは冴子にも想像がつかなかった。

「水の入ったペットボトルを置いとくとかじゃ駄目ですか?」

「田嶋さん、それ迷信だよ……」

「うーん……」

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