満足するまで

アオの膝に椿つばきが座ると、


「じゃあ、私はパパのお膝~♡」


安和アンナがミハエルの膝に座る。十歳くらいの子供の大きさしかないミハエルでもさすがに三歳くらいの大きさの安和ならいい感じに収まることができた。


それをミハエルがふわっと微笑みながら受け入れる。


これもいつものことだった。


「パパ~♡」


安和も、精神年齢としては人間の高校生くらいのそれになりつつも、甘えたい時には素直に甘えることもできる。


単に親に反発することが<自立>だとは考えない。自我が明確に確立され、自分の意思で自分の行動を決め、自分のしたことに自分で責任が持てることこそが<自立>だと考えている。


親に反発して『親に甘えない』と言いながら何か問題が起これば親に尻拭いをさせるのは、『自立してる』とは言わない。


結局そうやって親に頼るのなら、最初から自分の能力をわきまえて、


『人生の先達に助力を願う』


ことの方がよっぽど理に適っているのではないだろうか?


少なくともミハエルはそう考えている。


だから子供達が甘えたいなら満足するまで甘えさせた。


子供だって<一個の独立した人格>なのだから、自分でものを考える。たっぷり甘えて満足すれば、親の干渉を受けずに行動することを望む。そうして経験を積み、できることが徐々に増えていく。


それが『成長する』ということだとミハエルは理解していた。


だから、社会が複雑になり覚えることが増えればそれだけ成長にも時間がかかる。十代半ばで元服し成人できた頃とは社会の構造そのものが違う。覚えないといけないことが桁違いに多い。


それは紛れもない現実だ。となれば、本当に二十年で何もかも一人でこなせるようになるのだろうか? 成人式を迎えたからといって自分が本当に一人前の大人になれたと思う新成人が、果たして何割いるのだろうか?


現に、母親であるアオも、二十歳の頃など今から思えばただの子供だったと感じている。およそ<大人>だなどと胸を張って言えなかった。しかもいまだに自分が大人であるという自信はない。


そんな自分が子供達に、


『早く大人になれ』


などととても言えなかった。だから、今の自分と同じ年齢になる頃に自分と同じ程度のことができるようになってくれればいいと思っている。


そのために必要なことは、丁寧に教える。面倒くさいからといって、


『言わなくても分かれ』


なんて言わない。自分が教えるのが下手だからといって、


『見て盗め』


とも言わない。


自分の勝手で子供達をこの世に送り出したのだから、最大限、自分にできることはする。


アオは母親としてそう考えていたし、ミハエルもそんなアオを支持していたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る