墓守と屍人と星降る月夜

2138善

第1話 墓守と這い出る少女


 此処に書き記すのは僕の懺悔であり、真心である。この想いを貴方に捧ぐと同時に、もう2度と目覚めぬよう、貴方と共に深く深く埋めてしまおう。誰にも暴かれぬよう、隠してしまおうと思う。


 記

 聖テレサベル教会所属

 墓守のルナ・グアルディア






「主よ、我等身罷みまかりし者の霊魂の為に祈り奉る。願わくははその全ての罪を赦し、終わりなき命の港に至らしめ給え、アーメン」


 誰かの啜り泣く声が聞こえるなか、神父の祈りが捧げられる。

 ここ数年で死者の数は爆発的に増え、もはや葬儀は日常茶飯事となっていた。世界中で謎の病原菌が流行り、罹患すると老若男女問わず皆死んでしまうのだ。発症した者は瞳が紅く染まり、髪と肌は雪のように白くなり、3日と保たずに息を引き取る。その遺体の有り様から、いつしかその病は白雪病と呼ばれるようになった。


「主よ、永遠の安息を彼等に与え、絶えざる光を彼等の上に照らし給え」

 今日も、またひとり。

 墓地ここに仲間が増えた。

 たくさんの参列者に見守られながら、冷たい土のなかに眠る者がいる。棺のなかには僕と歳の変わらぬ少女が横たわっていた。

 若くして亡くなった彼女は、有名な画家だったという。僕はあまり町へ行くことがないので知らなかったけれど、少女の絵はとても美しく、それを見た者はまるで恋をしたように心を奪われるのだとか。彼女の絵を気に入った国王が城に招いて肖像画を描かせたほどの腕前だったという。少女が最後に丹精込めて描いていた絵はまだ途中で、完成する前に逝ってしまったのが残念だ、とても惜しい人を亡くしたと、参列者が口々に言っていた。


「全ての人の救霊を望み、罪人に赦しを与え給う天主、主の御憐れみを切に願い奉る」


 例えどんな天才も、死んでしまえばただの肉塊だ。なんて、葬儀の最中に思ってしまう僕はとんだ背信者だろう。けれど、こうも毎日棺を埋めていると、他者の死に慣れてしまうというものだ。ひたすら土を掘って、掘って、掘って、掘って。そうして死者が大地に還れるように黄泉へと続く墓穴を用意するのが僕ら墓守の役目だ。僕は穴を掘るだけ。死者のために祈るのは墓守の仕事じゃない。死者に花を手向けるのは墓守の仕事じゃない。


 死に慣れてしまうのは悲しい事だと誰かが言った。けれど、死に慣れてしまうのは墓守として優秀だと父は言った。他者の死にいちいち涙を流し、心を痛めていては仕事にならないからと。

 前がよく見えないまなこではきちんと穴を掘ることが出来ない。だから慣れてしまいなさいと、母は言った。

 その教えがあったから、僕は幼い妹や両親が白雪病で命を落とした時も、泣かずにきちんと仕事が出来た。


 嗚呼でも、と思う。

 毎日土と死体と棺と献花ばかり見ていると、皆がそれほどまでに誉め称える少女の絵を見てみたかった。誰もが恋するという少女の絵を見てみたかった。毎日屍体とばかり顔を合わせる僕には無縁の恋。とても尊く未知の感情を、一度でいいから抱いてみたかった。


「願わくは、終生道程なる聖マリア、及び諸聖人の御取次によりて、既にこの世を去り我が親、兄弟姉妹、親族、恩人、友人に永遠の福楽を与え給わんことを我等の主イエス・キリストによりて願い奉る、アーメン」

 祈りが捧げられる。参列者が涙を流す。僕は今日も、墓穴を掘る。





 それは嵐の夜だった。

 窓を叩く雨音がまるで獣の呻き声に思えた。僕の住まいである小屋は管理している墓地の隣にある。とても小さな造りで、もっと強い風が吹けば消し飛んでしまいそうだ。暖炉に薪を焼べて部屋のなかを暖めてもいいが、如何せんベッドから起き上がるのが億劫だ。すき間風で体が冷えないようにと体に毛布をきつく巻き付けた。こんな夜はさっさと寝ちまうに限る。明日になれば雨も止んでることだろうし。


 ゴロゴロと雷雲が鳴り響く。次いで、窓の外が光った。そしてもう一度、大きな音がした。ドーンッ!!!と、大地が揺れるような大きな音だ。どうやら近くに雷が落ちたらしい。


「マジか……」

 そこで完全に目が覚めた。これは寝ている場合ではない。もし、雷がそこら辺の木に落ちたのならいいが、万が一、誰かの墓石にでも落ちていれば一大事だ。町の者はただの自然災害を呪いだ何だと騒ぎ立てるから。白雪病が人間の体を蝕むようになってからというものの、人々は迷信や噂の類いを信じるようになった。皆、次は自分ではないかと恐れているのだ。その不安を少しでも和らげる為にも状況を把握しなければならない。後ろ髪を引かれる思いで寝床から這い出て、ベッドサイドに置いていたランタンを手に取った。死者が安らかに眠り続ける為にも、死者が生者に災いを招かない為にも、墓を管理するのも僕の仕事だ。

 それにしても、人間というのは不思議な生き物だ。棺に入っている時は遺体との別れをこれでもかと惜しむのに、土のなかに埋まった途端にその存在を忌み嫌う。まぁ僕とて、墓のなかから死んだ者が出てきても嫌だし困るのだが。


「うわ、最悪………」

 雨のなか、立ち上がる煙と焦げ付いた臭い。これぞ万が一ってやつだ。さて、どうしたものか。落雷で真っ二つに割れた墓石の前で腕を組む。墓地に雷が落ちたことを町の者が気付いてなければいいのだけれど。


「にしても見事な割れっぷりだな。まさに芸術家の墓ってかんじ?…………とか言ったら罰が当たるか」

 どうやら、被害に遭ったのは先日埋葬した画家の少女の墓だった。さすがに今から新しいものを調達するのは無理なので、せめて倒れた墓石を立てておこう。町の者が気づく前に直しておかないと。地面にランタンを置き、雨に濡れてしまわぬように傘を被せる。たちまちに僕が濡れ鼠になったが仕方ない。外に出た時点で体はすっかり冷えてしまったし今さら濡れたところで同じだ。あとで熱いシャワーでも浴びるとしよう。濡れて顔に張り付いた長い前髪を払い除ける。手始めに足元の墓石を起こそうとしゃがみ込んだ。


「………ん?なんだ?何か今……」

 不意に、何かが足首に触れた。 小動物か何かだろう。気にせず墓石を抱き抱えると、今度は明確に掴まれた。驚いてうっかり墓石を手離してしまう。落ちた勢いでぬかるんだ土に沈み、泥が跳ねた。一体何だというのだ。慌ててランタンを手繰り寄せ、足元を照らす。そこには地面から生えた血色の悪い手首と、その手首にむんずと掴まれた僕の足首が在った。


「………………は?」

 何とか絞り出せたのはその一言だけだった。人は理解を超える事象が起きると思考が停止するらしい。数回瞬きし、目を閉じる。これはきっと夢だ、そうに違いない。雷が落ちたのも気味悪い手首に鷲掴みされているのもきっと夢だ。次に目を開けたら、きっと僕はベッドのなかにいるに違いない。

 いち、にい、さん、しい、ご、ろく、なな、はち、きゅう、じゅ。

 しばらくしてから目を開ける。全身を叩く雨。ゴロゴロピカリと光る雨雲。割れた墓石。僕の足首を掴む手と、その先にいる土のなかから這い出る屍体。残念、すべて現実だった。ていうか現状が悪化している。


「ぃぎゃあぁああぁっ!!?屍人ゾンビィイィ!!!」

「………………あ……………………あ……」

「しかも喋んの!!?」

 物心ついた時から墓守の仕事をしているが、屍体が墓から出てくるなんて、さらには喋るなんて聞いたことも見たこともない。蹴り飛ばそうと脚を上げる。動いた拍子に持っていたランタンが揺れ、上半身だけ墓から出ている屍人ゾンビの姿が照らされた。


 その瞬間、僕は雷に打たれた。

 実際には打たれてはいないのだが、まるでそのような衝撃を受けたのだ。

 雪のように白い髪と肌。薔薇のように艶やかな深紅の瞳。もとからの整った顔立ちに加え、白雪病の症状でもある人為らざる姿形が相俟って、屍人ゾンビ少女はこの世のものとは思えない美しさをもっていた。冷たい雨のなかにいるのに、心臓は高鳴り身体中が熱くて沸騰しそうだ。この気持ちは一体何なんだ?初めて抱いた感情に戸惑いながらも、僕は少女から目を離せないでいる。じっと見つめていると、黙りこんだ僕を深紅の瞳が不思議そうに見つめ返してきた。


「……あ………あの、……すみません……」

「…………えっ!?あ、はい!」

 意外と流暢に喋る少女に面食らう。墓から出てきたばかりとは思えない。古い映画で得た知識では屍人ゾンビって「あ゛ー………………」とか呻く程度の存在だと思っていた。認識を改めなければ。


「良ければ、お水を頂けますか……?喉が渇いて、死にそうで…………」

「いや、死にそうってかアンタ死んでますけど」

 ついツッコんでしまった。

 屍人ゾンビとは思えないほど丁寧な申し出だった。まるで普通に生きてる人間と喋っているような感覚に、勘違いしてしまいそうだ。


「ほんの少しで良いんです。どうか、お水を…………」

 喉を抑え、少女が苦しそうにする。

 脳内で警告音が鳴り響く。

 これは関わらないほうがいい。

 本能がそう告げていた。

 けれどその美しい瞳に見つめられると、胸が苦しくなって呼吸がうまく出来なくなる。酸欠でちゃんと機能しなくなった脳は、本能の御告げとは真逆の行動を僕にさせた。


「こ、……………………こんな雨のなか、立ち話もなんだから…………良ければウチでお茶でも、どうですか」

「まあ、親切な方ですこと。ありがとう、ございます」

 屍人ゾンビ少女に差し出した手に一番驚いているのは、何を隠そうこの僕自身だった。



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