指揮官会合 同日 一四二〇時
地図をみると作戦予定地点は、ここから二〇キロほど西へすすんだ所にある。
その周囲は宿営地と同様ボカージュにかこまれ、幅のひろい舗装道が東西へ伸びていた。路面を境に北側は小高い丘が、南側には一〇軒ほどの家屋からなる集落が存在する。西のほうで複数の道と交わり、おおきな交差点を形作っていた。
大隊長の話では集落と丘、そして交差点にはそれぞれ大隊規模の王国軍歩兵が布陣しているとの事だ。具体的な数は不明だが、支援用の砲兵と戦車も展開中らしい。
「回廊めがけて南下する王国軍からみれば」
カールは淡々とした調子でいった。
「交差点の制圧は後方との連絡線、そのひとつを遮断される事を意味する。これを以て彼らの進軍を阻害し、友軍撤退の一助とするのが本作戦の目的である」
そこでいったん口を閉ざすと、カールは部下たちの様子を一瞥した。いずれもこちらに目をやり、注意ぶかく耳を傾けている。彼は説明を再開した。
「包囲網内にいる友軍は、我々が出撃してから一時間ほどで動きだす予定だ。後衛に指定されたものを除き、全将兵が重装備を放棄して回廊をはしり抜ける。脱出完了は三日後――一五日を見込み、軍団司令部からはそれまで、交差点を保持するよう命じられている」
部下たちの何人かが、『三日』という単語を聞いてわずかに片眉を吊りあげた。味方が撤退するなか、旅団だけ逆方向に進めというのだから無理もない。
くわえて司令部からは、占領した交差点に一定期間立てこもれと指示されている。任務の重要性を理解したとしても、鼻白むような思いを抱かざるをえない。だが装備をすてるとはいえ、一〇万ちかい将兵が秩序だって動くのには時間がかかる。
なお『後衛』とは字義どおり、撤退する列の最後尾につく部隊、あるいは彼らがとる軍事行動をさす。追撃をはかる敵への逆襲――要するに後退しつつ戦うことを強いられる難しい任務だ。命じられた兵たちの士気が低くなりがちな点も、難易度の上昇に拍車をかける(なにしろ任務が任務のため、逃げおくれる可能性が高い)。ある意味単純な進撃命令をくだされただけ、旅団はまだ運がよい……そう言えないことも無かった。
説明をとりあえず済ませると、カールは質問の有無を確認した。まもなく二人の部下が手をあげ、彼はそのうち一人に発言をうながした。
最初に尋ねたのは、第1小隊長のバルクマン少尉である。
「当日の天気はどうなのでしょうか?」
「予報によれば雨こそないものの、夜から広い範囲で雲が出るらしい。月明かりで地上が照らされる事は、それほど考えなくてよいだろう」
さして歳がかわらぬ部下にたいし、カールはそう答えてみせた。
カールは次の質問者を指名した。
「軍団その他からは、どの程度の支援を期待できるでしょうか?」
そう言ったのは、第3小隊長のクニスペル曹長だ。豊かな髭をたくわえた、古参の風貌をもつ下士官である。年齢は、カールより四つほど上のはずだ。
「我々は旅団と銘打っていますが、実勢は連隊程度でしかありません。自前の砲兵もおりませんし、支援の有無は作戦の成否におおきな影響をあたえます」
「うん」
曹長のもっともな指摘に、カールは深く頷いてみせた。
「それについては軍団……というより現地の第236歩兵師団から、予備の軽歩兵大隊を融通してもらう。制圧した集落を引き継ぐのに一個中隊が後続し、大隊主力は丘にたいする陽動攻撃をおこなう予定だ。目標を奪取したあとは、空軍による上空援護も実施されることになっている」
つづいて、別の一人が発言をもとめて手をあげた。
挙手したのは学生のような見かけの、眼鏡をかけた軍曹だ。313号車の指揮官で、入隊から二年ほどになる。車長として実戦に加わるのは、今回が初であった。
「砲兵による支援はあるのでしょうか?」
「残念だが、今回はない」
カールはあらたな質問に、表情をかたくして答えてみせた。
「軍団はこれまでの戦いで、多数の重火器を喪失している。補充どころか、弾薬の補給もままならないらしい」
「……了解です、分かりました」
「まあ、今回は夜戦ですからね」
明らかな落胆の表情をみせた軍曹にたいし、そう言ったのは直属上官であるバルクマン少尉であった。射程のながい大口径砲――帝国軍では師団砲兵の主装備を、一〇・五センチ榴弾砲と定めている――による一斉射撃は、攻防両面において兵士のおおきな助けとなる。だが夜間攻撃などの奇襲をねらった作戦の場合、出撃に際しての事前砲撃を省略することは珍しくない。
つづいて、話題は部隊区分へと移っていった。
「本作戦の期間中、旅団は前衛と本隊の二手に分かれる。前衛は我々、つまり装甲大隊が中核となり、本隊は旅団長が直率。我々は擲弾兵大隊から増援を受けるかわりに……」
カールは話題ごとに質疑をはさみつつ、作戦に関する説明を続けていった。ひと通りの説明が終わったのは、一五三〇時ごろのことだ。
カールは解散を告げたものの、小隊長たちにこの場へ残るよう指示した。夕食までの時間を利用して、周囲の地形を見てまわるためである。彼は本部班長にたいし、車両を準備するよう命じた。
本部班長が席を立ったあと、カールは気分を変えるべく胸元の煙草に手を伸ばした。第2小隊長以外の面々も、思い思いに喫煙の準備をしはじめる。
まもなく三本の白線が、ゆらゆらと立ち上った。
室内はリラックスした雰囲気が漂いだし、バルクマン少尉がフォン・メッケン少尉に声をかけた。先輩として戦闘の心得を、いろいろ教えておきたいらしい。
それをぼんやり眺めていたカールに、クニスペル曹長が話しかけてきた。
「しかし、初陣が夜戦というのは厄介ですね」
「やはり、そう思うか」
煙草を口から離すと、カールは眉間に皺をよせる。
「ええ」曹長は相槌をうって続けた。「率直にいって、今の旅団には荷が重いかと。昼と夜では、戦いの勝手が色々とちがいます」
カールはかたい表情のまま、ちいさく頷いてみせた。
そもそも夜戦というモノは大抵、奇襲を目的として行われる。暗闇という自然のヴェールで身をつつみ、敵から身をかくすのだ。突然の襲撃による混乱――たとえば迎撃や通報の遅れ、兵力誤認による早期後退などを期待できるが、実施には多大な困難がつきまとう。真っ暗な夜道を車で走るのが、どれほど恐ろしいかを考えればわかるだろう。
もっとも確実な解決法は、訓練をとおして兵を夜に慣れさせることだ(照明弾を使うという手もあるが、敵に察知されるリスクが増すので慎重な判断が求められる)。問題は旅団のばあい、その訓練が不十分であったという点である。
「演習場では時間がなかったので……」クニスペル曹長は煙草をくわえたまま、紫煙を盛大に吐き出しつつ言った。顔の半分を覆う髭のため、その姿には凄みがある。
「夜間訓練は、さほど回数をこなせませんでした。あっても行軍等が中心で、模擬戦は片手でかぞえられる程度だったはずです」
カールはうつむいたまま、短くなった煙草を深々と吸った。雑談に興じていた二人の少尉も、いつの間にかこちらへ目をむけている。
彼は顔をあげて、ゆっくりと口を開いた。
「とりあえず、俺たちが気を配るほかないだろう」カールは部下たちに言った。「常に周囲を見やり、車長たちへ事細かに指示をだす……今は、これくらいしか思いつかん」
「それしか無いでしょうね」
クニスペル曹長の返答に、周囲の幹部たちがうなだれる。僚車のうごきに注意するという事は、無線通信や戦闘指揮に負担をもたらすのは避けられない。
カールは吸いきった煙草を地面に落とし、足でサッと揉み消した。もう一本吸うかどうか悩んでいると、開いたままの扉の前に人が立っているのに気づく。
本部班長である、シュルツ上級曹長の姿であった。
「乗用車の手配が終わりました、すぐにこちらへ来ます」
上級曹長はそう言うと、左足をわずかに引きずりながらカールたちのほうへ近づいてきた。四〇歳になる彼も戦車兵服姿だが、車長職を務めている訳ではない。中隊の最先任下士官として、人事や補給などの管理を一手に担っている(実務は大隊補給中隊から派遣された、炊事班や補給段列の担当だ)。足が不自由なのは、一年ほど前に大怪我をしたのが原因だ。
「ご苦労」カールはねぎらいの言葉をかけると、上級曹長にむけて尋ねた。
「班長、今日の晩飯はなんだったかな?」
「レンズマメとキャベツのスープにハム、あとはピクルスとチーズ。もちろんパンも用意しています」
シュルツ上級曹長はそう答えると、椅子に腰かけて煙草をくわえようとする。そのときバルクマン少尉が言った。
「班長、ハムはまさか一切れだけじゃないよな?」
「まさか」上級曹長は手をとめてニヤリとした。「ひとり当たり三切れ、それも書類の束みたいなヤツです。あと一杯ずつですが、ワインの特配もありますよ」
「そいつは良いね」
バルクマンが嬉しそうに呟くと、カールはそれにつられて笑みをこぼした。クニスペル曹長も同様だが、フォン・メッケン少尉のみ表情が固いままである。
「少尉どの」
クニスペル曹長が、わかい少尉に声をかけた。いちおう階級に差があるため、話し方はいたって丁寧だ。
「気張るのも結構ですが、そればかりじゃ身がもちません。せっかくうまいメシの話を聞いたのだから、今はそれを心待ちにしておきましょう」
「そ、それでいいのか……?」
「ええ。何事も、メリハリが肝要です」
曹長に続いて、バルクマン少尉も言う。
「それに、今夜はワインも飲める。いまから楽しみでしょうがないだろ?」
こちらは階級も歳も上のため、かなり砕けた口調であった。
フォン・メッケン少尉は、頷きながら苦笑した。しかしその表情には、いまだ固いところがある。話しかけた二人のほうも、なぜか態度がぎこちない。
(緊張しているのは、みな同じか)
自身も口元を緩めるいっぽうで、カールはそんな想いを抱かずにいられなかった。訪れて間もない土地で、見たこともない相手と戦うのだから無理もない。
とはいえ、これを緩和する努力はやった。将兵たちには王国軍の情報をまとめた小冊子が配布され、打ち合わせでも地勢や敵の戦力、装備に関する説明におおくの時間を割いている。このあと予定している地形視察も、当然ながらこれらの一環だ。
しかし現物に接していない以上、一〇〇パーセント解消するのは難しい。
もっとも不安を感じているのは、上官であるカールも同様だ。くわえて彼は今回の作戦じたいに、なにか違和感をおぼえている。ただ具体的なところは、本人も言語化できていなかった。
突然、納屋の外で車のブレーキ音が響きわたる。
「来たな」
カールはそう呟くと、しずかに椅子から立ち上がった。周囲の部下たちもそれに続く。
「班長、二時間ほどで戻る。それまで中隊のことを頼むぞ」
「了解です、お気をつけて」
シュルツ上級曹長が頷いたあと、カールは小隊長たちへ外にでるよう指示をする。
カールは彼らがあるきだすと、その後ろを続いて動きだした。しばらくして急に立ち止まり、振り向いて上級曹長のほうを見る。
「ところで班長、携行食の準備は?」
「補給中隊からは、とりあえず二日分だけ届いております。割り振りも済ませたので、あとは各小隊にくばるだけです」
「分かった、ありがとう」
本部班長の返答に、カールはそうこたえて謝意をつたえた。携行食は調理や配食の余裕がないとき――つまり戦闘時にたべる特別食だ。箱詰めの乾パンを中心とした、保存最優先のメニューで構成される。おそらく明後日以降は、これだけで過ごさなければならないだろう。
カールは「行ってくる」と上級曹長へ言い残すと、踵をかえして納屋の外へと歩いていった。太陽はすでに西のほうへおおきく傾き、まぶしい光が彼のまわりを、輝かせるかのように取り囲んでいる。
作戦がはじまる、三二時間前のことであった。
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