よくあるその辺の狂気

びんせんとbuk

よくあるその辺の狂気

      

         




 ○ 和子は仕事明けにいつもの焼き肉屋に行く。

 

 ○ 店の手前で数秒躊躇する。

 

 ○ 血糖値、脂肪、コレステロール、など名詞が頭に浮かぶ

 

 ○ 赤くぼやっとした提灯、まるでやさしい亡霊に体をそっと体を包み込みこまれてしまう幻想に苛まれる

 

 ○ 横引きの立て付けの悪い扉を開ける。

 

  「いらっしゃいませぇ 」

 

 ○ バイトの女の子が可愛らしい声で迎えてくれる。

 

  「カウンター席どうぞぉ 」

 

 ○ 和子は女の子に引き寄せられるように、いつもの席に案内される。

 

 ・・・・常連ってうれしいけど空しさもあるものね・・・・


 その空しさを乗り越えてしまう位のビールと焼き肉のおいしさ。だから和子は、ほとんど毎日通っている。

 

 ○ 今日もホルモンとゲタカルビ、それにミノを一人前づつ頼む。

 

 ○ 店内はけたたましい位に肉を焼いた煙が立ちこめていて、夕方6時になるとほぼ満席になる。

 

 ○ 和子の座る席はカウンターで植木鉢のような七輪が前に置いてあって、中の炭が程良くこんがりと赤く焼けている。すぐにでも、肉を焼いてくださいと、七輪に言われているようなものだ。

 

 ○ いつもの席でだいたいいつも同じオーダーを頼む。

 

 和子は昨日45歳の誕生日を迎えた。

 

 1、和子が将来一番気にするべくは未婚ということ。


 2、体脂肪率と血圧が上昇してるということ。

 

 3、駅から自宅まで歩くと息切れする。それも鼻息音が隠しきれないということ。


 ・・・・私は、一体、この先どうなるのかしら?・・・・

 

 そんな不安がたまに脳裏によぎるが、おいしい焼き肉を食べるとすべての悪い妄想は忘れられるのだ。


 ・・・・仕事と焼き肉に捧げる人生も悪くないわね。だって毎日こんなおいしいものが食べられるんですもの・・・・

 

 「へい、いらっしゃい! 」

 

 威勢のいいカウンターにいる男性店員の声が店内に響く。

 

 すると、

 「僕は一人です。つまり、さみしい独身なので、あそこのカウンター席でけっこうですよ 」

 と、その男性客は和子の隣の席を指さして、歯切れがよく低いなめらかな声で言った。

 まるでテレビのアナウンサーのように良い声だ。

 

 その男は躊躇することなくまっすぐと和子の隣の席にすべりこむと、

 「すみませーん! カルビ2人前、それとハラミとコブクロね。おっとライス大盛り....あとカルピスサワーも 」

 と、誰にでも聞こえる大きな声で、着席してから間髪入れず注文した。

 

 その男ときたらディズニーランドのキーホルダーを鞄に引っかけて、顔色は浅黒く、髪の毛はのっぺりとした七三分け、。身長は180センチ位の大柄、メタボ体型でおまけに着てる服はゴルファーみたいなダボついたスラックスに着古して色落ちしたポロシャツ。


 ・・・・・すべて私の理想から外れてる男ね、きっと休日には一人でディズニーに行ってアトラクションを乗り回してるに違いないわ・・・・


 和子はその男からなるべくイスをズリ離して、ソッポを向いて話しかけられないようにした。

 

 だけど男は、すぐに


 「ここは、おいしいですよね」

 と、なんのおかまいもなしに話しかけてきた。

 

 和子は一瞬ためらったが、


 「ええ...」

 

 と、男と目を合わせることなく、七輪にのっているゲタカルビの程良く焼けた肉を箸でつまんだ。


「ここのゲタカルビは柔らかくておいしいですよね。なにしろこの店は、精肉の卸売りもしてますから 」


 和子は男の話を無視してゲタカルビをほおばった。


「いつも一人ですよね。いつもカウンターの端に僕は座ってるから気ずかなかったでしょう? 」


 和子は何の返答もしないでミノを七輪にのせた。


「ほら、あなたは一枚づつ焼いて食べるのですよね、いつもみてますよ 」

 

 少しこの男に怖さを感じて和子は答えた。


「 いつもみてるですって、どうして?」


 「あー そうですね、あなたがタイプだからですかね 」

 男はさらりと言い放ち、和子の胸元を凝視した。


 「そのふくよかな胸とかですね。それにキュートな顔だとかストッキングごしの太股だとかも.....」

 

 「ちょっとまって! 私の顔? 体が好きってこと? 」


 「ええ、本当に魅力的です」

 

 すると店員が男のオーダー品を三皿いっぺんに持ってきてテーブルに置いた。


 「僕の名は一ノ瀬といいます 」


 ・・・・ぜんぜん私のタイプじゃないわ、だけど名前位は答えてあげようかしら。心から悪そうな人にみえないし・・・・


「私は井上和子」


「井上和子....平凡だけど素敵な名前ですね。じゃあ和子さんですね 」

 と、一ノ瀬は皿の肉を一遍に七輪の網にのせた。

 

 もくもくと立ちこめた煙が七輪の上の排気口に吸い込まれていく。

 

 市ノ瀬のポロシャツにタレがはねてくっついた。


「あのー、ポロシャツにタレがかかりましたよ 」


「ハハ、僕はそういうの気にしないんですよ。ずーっと独身ですから。和子さんは? 」


「いきなりそんな質問する? 」


 「当ててみましょうか? 」


 「別に.....やめてくださいよ 」


「独身で肉好き。困ったことに性欲がすごいんでしょ?」


「は? ちょっと.....そんなこと知りませんよ 」


 和子は肉を頬張りビールと一緒に流し込んだ。

 

 それから、イケメンで若くて好きな俳優のたくましい、か細くて筋肉質な体を想像した。

 ちらりと一ノ瀬を見てみると、ポロシャツから押し出された腹部は、ぷっくりとだらしなく突き出しているのがみえた。


「 つまり、あっちの方は自分で処理を? 」


「.....わかりましたよ。あたしは45で独身。....昔、彼氏が1人だけいたかしら 」


「奇遇だな、僕もずっーと長いこと独身なんですよ 」


「長いことって、以前は結婚なさってたとか.....」


「まあ、ずーっと遙かむかしですよ、もっと男前だったかな? でも、みんな言うでしょ? 若い頃はきれいだったとかモテたとか 」

 市ノ瀬はカルピスサワーをグッと飲み干した。

 和子には、でくの坊が、餌を体の中に流し込んでる動物のようにみえた。


「 溜まってるでしょ、毎日この店に来てるあなたに気がついてずっとそう思ってましたよ 」


「 何、言ってるんですか、もう 」


 和子は餅のようなほっぺを赤らめた。


・・・・・マジ、やばい奴だったらどうしよう・・・・


 一ノ瀬はしゃべらなくなったかと思うと七輪の肉を2切れづつ口の中に放り投げていた。和子はなるべく気がつかれないように目だけ動かして一ノ瀬を観察した。

 

 ・・・・本当に気持ちの悪いひとね、だけど私がこの動物みたいな男にもし、犯されたらどうなるかしら・・・・


「ふー、次はカルビクッパを食べようか。すみませーん!」

 

「あなた、ほんと幸せそうね。よっぽど焼き肉が好きなのね 」


「和子さんこそゆっくりおいしそうに食べますね。よかったらビール一杯おごらせてくださいよ?」


「.....ありがとう 」


 一ノ瀬の手元をみると第一関節の指の上には太く濃い毛がもじゃもじゃ生えていた。

 手の甲からも腕にかけても縮れた毛で肌がみえないくらいびっしりと芝生みたいに生えていた。おまけに爪は長く伸びていて所々、黒いカスが間に詰まって不潔きわまりなかった。


・・・・あー、なんて獣みたいな薄ら汚い男なの・・・・


「和子さん、聞いてくれますか? 」

 2杯目のカルピスサワーのジョッキを持ちながら一ノ瀬が和子の顔をみた。

 和子はその一ノ瀬の表情から目をそらした。


「僕のやり方はまず、こするんです 」


「こする? 」


「そう、そうしてある程度大きくなったらテーブルの上にアソコを置くんですよ。それで、僕のアソコが女性の膣内に入っていくのをを想像するんです スッ、スッ.....とね 」


「.....そんな話してどうするの? 」


「 いや、重要な話です。男と、女の関係はここから始まると言っても禍根ではない 」


「そうですかね 」

 和子は、興味なさそうにして、店員のキビキビした働きぶりを眺めているフリをした。


・・・・何かドキドキしてきたわ、体が熱く火照ってるみたい・・・・


 「それで、これでもない位パンパンに膨らんでくると完成です。これが子孫を残すための現象で、そうだな.....例えば和子さんの中で破裂するんですよ。」


「.........」

 和子は程良くアルコールが回ってるのと内からほとばしる興奮で顔を真っ赤にさせた。


「 そして.....自然に腰が動きだします。それで僕は、1匹の動物なんだって自覚するんです。」


「 わかったわ、あなたがそこまでいやらしいことを言うなら、私も告白してもいい気がしてきたわ 」


「そう、こなくっちゃ、和子さんはどうやるの?」


「確かに肉は効いてるわね。毎日、毎日。あと、さみしさね。それが、一番こたえるのよ。それで、つい、ね、してしまうのよ 」


「なるほど」


「もう、これくらいでいい? 」


「いや、どうもありがとう。女性に性の話をさせるなんて僕もどうにかしてるよね 」


「私も、何か、あなたに対してふっきれそうだわ。もう40半ばにもなるとどんな話をしても恥ずかしい気持ちがなくなってくるものね 」


「そうだ! これから僕の家にこない? 」


「えっ、ちょっと待ってよ 」


「大丈夫、二人で少しお酒をのむだけさ、この前、会社のボーリング大会で3位になって10年もののウイスキーを貰ったんだよ。これが炭酸で割るとおいしいハイボールになるのさ 」


「どうしようかしら.....」


「 本当に大丈夫だよ、明日は土曜日じゃないか、週末は楽しく過ごさなくちゃ 」


 二人は焼き肉店を出ると、夜の繁華街を歩き始めた。

 

 フン、フン、フーン

 

 一ノ瀬は鼻歌を歌いながら、和子の斜め前を歩いた。


・・・・ほんと、ダサい人、だらしない体、まるでエクササイズなんて無縁なのね。ダブダブのズボンはだらしない体型を隠すためかしら、余計太って見えるわ・・・・・

 

 繁華街を抜けると急に道は暗くなり静かになった。


 「ここが僕の家ですよ 」


・・・・いかにも、陳腐な賃貸マンションね。築30年はたっていそう・・・・


「和子さん、こっちがエレベーターですよ 」


「あっ、はい 」


「僕の部屋は6階です 」


「あれ、ボタンが1、3、5、7......」


「ハハッ、面白いでしょ、このマンション奇数階しか止まらないんですよ 」


 5階で降りると二人は階段で6階にあがった。


「フーッ、しんどいわ、もう、若い頃と違うのよ 」


 「どうぞ、我が家へ 」


 一ノ瀬は満面の笑みで玄関を開けた。


 「お香を焚いてるの? いい香り.....」


 「そうでしょ、一日3回ね それよりどうぞ、テーブル席へ 」


・・・・・まさか、これがさっき言ってた彼のちんちんを乗せてる机? ・・・・・

 

 和子は躊躇して見せたが結局腰をかけ隣のイスにバックを置いた。


 

 「思ったよりきれいな台所。きちんと片づいてるじゃないの、私ん家よりも清潔感があるわ 」


 「フン、フン、フン、そうかい? 」


 一ノ瀬は再び鼻歌を歌って、台所に立ち、グラスを並べてウイスキーを注いだ。


 「ハイボールをうまく作るコツはね、強い炭酸水とレモンなんだよ 」


 「へえ、そうなんだ 」


 「うちの実家が瀬戸内にあってね、段々畑にレモンの木が何千と植えてあるのさ。太陽の光をサンサンと浴びた世界一うまいレモンさ、はい、どうぞ 」


 和子はゆっくりとグラスに口をつけた。一口飲んでから口紅が付いたグラスの縁を指でサっと拭いた。


 「たしかに.....おいしい 」


 「だろ、ハハッ、そうでしょ」

 一ノ瀬は脂ぎった顔を思い切りゆるめた。


・・・・なんか、やさしい人ね、それに笑顔はかわいいじゃないの・・・・


 「せっかくレモン切ったからさ、どんどん飲んでくれよ、もったいないからさ 」


 「お酒はそんなに強くないの、それにそろそろお暇しなくちゃ 」


「おいおい、何を言ってるんだよ! 楽しみはこれからじゃないか! 」


・・・・なにか怖いわ、この人お酒を飲むと豹変する人かもしれない・・・・


「まあ待って、怒鳴って悪かったよ、本当に.....舞い上がってしまって、家に女性が来るのがはじめてなものだから.....」


「 いえ.....でも 」


「じゃあ、話題を変えるとしよう、そうだ、和子さんの趣味はなに? 」


 「 私の趣味ですってー? 」


 と、言って和子は無言になった。

 

・・・・毎晩のバイブオナニーなんて言えるわけないじゃない。バイブを7本も持ってるの。それで毎日ローテーションで7人の男と付き合ってるのを妄想してるのよ私は・・・・・

 

 「そうね.....休日はレンタルしてきた映画なんかをみてるわね。仕事と食事以外はあまり外にでないのよ 」

  

 「そうなんですか。奇遇だな、僕もインドアのほうでね。休日はもっぱら部屋にこもってますよ」


 「 でも、何か趣味くらいはあるでしょ 」


 「そうだな.....デリヘルですかね。そう女の子の出前っていうのかな 」


 「デリヘル? 」


 「そう、給料日は必ず利用しますよ。とても興奮するし楽しくもある。可愛い子もくればブスの時もある。雨とか晴れとか天気みたいなものですね。予想がつかないスリルがあるんだ 」


 「.....ずいぶんはっきり言うのね。お店で声をかけて女を連れ込むのも趣味のうち? 」


 「それは違うよ。こんなことは初めてのことですよ。神にちかうよ。和子さんは特別さ。店で最初に見たときからファンになったというか。すべてを知りたくなったというかな。さっきも言ったけど僕の股間が反応したんだ。あなたにぶちまけろってね 」


 そう言って、市ノ瀬は和子の手の甲を握りしめた。


 「やめて! 私はそんな軽い女じゃないんだから! もう帰してったら、デブ、カス! 」


 和子は一ノ瀬の毛深い手を振り払った。


 「和子さん、ここまで来てそれはないよ。君も期待して俺に付いて来たんだろ。ここは観念してさ。少しでいいから。ほんの少しでもいいからさ! 」


 「ふざけんな! デブ、お前なんかに誰がヤラせるのよ! 」


 和子はバックを手に持ち思い切り一ノ瀬の後頭部にぶつけると今度は右手でパンチを浴びせた。


 「痛ててて、ちょっと、まって......」


 「警察呼ぶわよ! バカ! 」


 和子はスマホのロックを外し、「110」番号を素早く指で押した。

 そして玄関から飛び出すように逃げ出た。


 バタン! ドカン! ガチャン!


 もの凄く勢いよく開閉したものだからドアが外れて、部屋の中にぶっ倒れた。


 「もう、何なんだよ、何でこうなるんだよ.....」

 一ノ瀬は頬を手のひらで押さえて悲痛な表情でうなだれた。


 和子はエレベーターを使わず、すべて階段を下りると靴をはいていない事に気が付いた。

 「フー、フー、何なの、何なのよ、フー、フー

運動しなくちゃ、フー 」

 

 警察に発信したスマホは履歴だけが残っていた。

 

 「早くここから離れなきゃ、離れなきゃ、」


 足早に繁華街にはいると、和子は安堵を感じた。


 「 怖かった......怖かったわ 」


 

        ○


 以来、和子はあの焼き肉屋には行かなかった。

 隣の駅でおいしい焼き肉屋を見つけたからだ。

 でも、あの夜の事を思い出す度、体の中が疼いてどうしようもなくなった。

 そして、肉やホルモンやビールを程良く食べて帰宅した後、シャワーをあびた。その最中に今日のカレを思案した。

 

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