第18話 誕生日とクリスマス
これからの人生に訪れるクリスマスは、部屋に閉じこもってやろうと誓った中学時代が嘘のようで、浮かれる自分に叱咤する。
「これ変じゃない?」
「似合っているわ」
クリスマス仕様のセーターは新しく買ったもので、女性用でも入ってしまうあたり物悲しい。まだ伸びると信じてやまない僕は、遺伝的なものから目を逸らす。
「これ、ユキさんに渡してね」
渡された紙袋はずっしりと重い。この間のお礼だろうか。
「今日は、たくさん甘いものを食べてくる。ユキさんが美味しいケーキを買っているらしいんだ」
「あんまり食べ過ぎないようにね」
「あのさ……なんでうちって、お菓子禁止だったの?」
過去形なあたり、随分成長した証拠だ。これを成長と呼ぶのか、ごくありふれた家庭に戻ったのか、どっちだろう。
「覚えていないの? あなたが子供の頃にお菓子を食べ過ぎたせいで虫歯だらけになったじゃない」
「…………そんな理由で?」
「そんな理由って、本当に大変だったのよ。学校の先生に叱られるわ、あなたは泣いて痛い痛いって訴えるわ、歯医者を嫌がって駄々をこねるわ」
「…………へえ」
覚えている。あの痛みは忘れない。毎度、父が歯医者に連れていってくれたのだ。それだけじゃない。身体に蕁麻疹ができたときも、お腹が痛くなったときも、いつも父が病院に連れて行ってくれた。
あのときの優しさは……嘘じゃなかったと思いたい。例え二度と戻ってこなかったとしても。
「それじゃあ、行ってきます」
「事故に気をつけてね」
もやもやしたまま外に出ると、寒さがわだかまりを刺激した。
駅にはユキさんがいて、窓から手を振られたので僕も振り返した。今までより、一番緊張が解れた顔だった。
家族に挨拶した次の日、ユキさんの事務所はホームページに今回の件を載せた。改めてラジオですべて話す、そして過度な報道により、記者が大学に不法侵入をし、あってはならない事態となったと書かれていた。ユキさんは、随分と抑えた文章だとぼやいていた。
「けっこう荷物多くない?」
「多いですか?」
「パジャマは持ってきていないよね」
断固として必要ないという、志の高さを感じられた。
「ないです、へんたいさん」
「変態扱いかあ……段々俺のこと分かってきたね」
あっさりと認めた。
「はは、晴弥に何着てもらおうかなあ」
「そういうとこ!」
とか言いつつ、彼シャツはちょっと楽しみだったりする。かく言う僕も変態だ。
ユキさんにばれないように、バックミラーでぴたりとつく車を一瞥した。車は途中で曲がっていく。
手垢もない窓に映るのは、一軒家を彩る無数のイルミネーションを見つめる少年だ。いつもと違う外観だからか、彼にしか見えないものが見えているのか、同じ視点から動かない。
安堵の息を吐くが、まだ安心はできないと頭を振った。
「持とうか?」
駐車場に車を停め、ユキさんは手を差し出した。
「やっぱり荷物多いよ」
「ありがとうございます。母から、渡してくれって頼まれてるものがあるんです」
「こ、これは……」
「そっちは僕からのお土産です」
事前に猫のオモチャを買っておいたのだ。数本の猫じゃらしとフリーズドライタイプのカツオ。僕も食べたくなるほど美味しそう。
二回目とあってか、ソラが覚えていてくれたと思う。玄関のマットに座り、尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「ソラちゃん、こんにちは」
一瞬目が合ったソラは、尻尾を立ててリビングに行ってしまった。
「荷物は部屋ね」
ユキさんの正真正銘プライベートルームだ。ベッドと机と椅子、タンスが置かれているシンプルな部屋だ。遮光カーテンのせいか、部屋が真っ暗で、廊下の明かりを頼りに足を踏み入れた。
「あっ」
背中にかかる圧力で、一緒にベッドに倒れ込んだ。ユキさんの体温が伝わり、かじかむ指先に熱がこもる。ユキさんは、熱を注入する天才だ。
「ちょっと……ユキさん、」
「がっつきすぎ?」
「はっきり言って、うれしい」
「思ってもみなかった答えが返ってきた」
「あっ……」
もぞもぞ動く手は、お腹の中に入ってきて、注入された熱は指先により奪われていく。
胸の突起に触れた瞬間、雷が落ちたような感覚がそこから全身に広がっていく。乳暈を何度もなぞり、時折突起を悪戯し、腰がへこへこと勝手に動いてしまう。
こんな感覚、知らない。気持ちいい。
「うっ」
ドスのきいた声と同時に、指が止まる。
「…………ソラ?」
ボイスレスキャットは小さく鳴き、餌をくれる神様をじっと見下ろしている。遠慮なく横腹に乗られている側は、たまったもんじゃないだろう。
「晴弥を守る騎士みたいだなあ……いつからそんな子になったんだ」
「えっちな飼い主にお仕置きをしたんだと思います。ソラちゃんとオモチャで遊びたいです」
何とも悲しそうな顔をして、ユキさんは僕から離れていった。
「夜のお楽しみにしておくよ」
リビングに行き、ユキさんに中身を知らない紙袋を渡した。ソラが紙袋に入りたそうにこちらを見ている。中身だけを取り、ユキさんは紙袋をソファーに置いた。もう紙袋はソラのものだ。
「…………これ、お母さんからって言ったよね?」
「………………? はい」
包装された箱についていた封筒を取り、中身を開けた。三つ折りになった紙は、手紙のようだ。
「…………お父さんからだよ、これ」
「え」
思ってもみなかった名前が出て、僕は驚愕する。
「ほら」
渡された手紙には『遠野さんへ』と書いていて、あれだけ冷たい態度を取っていたのにもかかわらず、名前はしっかり把握していたのだ。いやもしくは、母さんに聞いたのかもしれない。
──真面目で、まっすぐに育った子です。どうぞ、うちの息子をお願い致します。
添えられた父の名前と、まっすぐに育った子というワード。彼は、どんな思いで筆を取ったのだろうか。残念ながら内容と僕の思いは一致せず、相変わらず冷めたままだったけれど、浮かぶのは毎回歯医者へ連れていってくれた父だ。嘘の思い出ではないし、苦くも平和な思い出と呼べるものは幼少時代のものしか浮かばないのは寂しいけれど。
「この内容は、見栄じゃないと思いたい……」
「許せる範囲を越えてしまったものを晴弥は浴びせられ続けた。簡単に仲良くしようは無理だよ」
ユキさんだからこそ、気持ちのこもった重みのある言葉だ。
「ユキさんは、その……お父さんと……」
「俺は無理だ。もうそれぞれの生活スタイルができているし、今さら親子はやり直せない」
困ったような笑みは、諦めの色が見える。澄んだ柔らかな声には、流れの速いどぶ川を泳いできたようには思えない。
「飲み物を入れてくるよ。ソラと遊んであげて」
せっかくなので、買ってきた猫じゃらしで遊ぶことにした。が、いくら振っても寄りつかない。好みの振り方があるんじゃないかと何度も試みるが、ソラは紙袋に入ったまま面倒くさそうにそっぽを向いてしまった。
「えー、紙袋の方がいいの?」
「残念だったね。よくあるよくある」
喉の奥で笑い、ユキさんはカップをふたつ並べた。この前にはなかった、お揃いのカップだ。
「えー!」
二度目のえー、が飛び出てしまった。
「どうしたの? お揃いはいや?」
「被りました……」
一度部屋に戻り、鞄からこっそり隠しておいた箱を出した。リビングに戻っても、ソラは紙袋から移動していない。
「お誕生日、おめでとうございます……」
「嬉しいなあ。祝ってもらえるのっていつ以来だろう」
中身はバレバレでも、ユキさんは知らないふりを演じながらリボンを解いてくれる。鼻歌つきだ。
「あ、可愛い」
自然と出た可愛いに、ほんのちょっとだけ誇らしい。カップアンドソーサーで、猫の肉球がついている。ソーサーは肉球の形だ。誕生日プレゼントは何にするか悩んでいて、一目惚れして購入したものだ。
「すごい……良い具合の肉球だ」
「好みがあるんですか?」
「俺としては、少しピンクがかった肉球がいいね。はむっとしたくなる」
「ソラちゃんのは、はむっとしないんですか?」
「傷を負うから止めた方がいい」
何かを悟っている真顔に、僕は神妙に頷いた。
もう一度だけチャンスが欲しくて猫じゃらしをソラの前で振ってみる。だが、眠る体勢に入ってしまい、てこでも動かなくなってしまった。
クリスマスとユキさんの誕生日は、ケーキやチキン、そしてついにあの飲み物がテーブルを囲っている。派手とは言い難いけれど、どうしても視線を集めてしまう魅惑の飲み物。
「タ、タピオカミルクティー……」
「冷凍で売っていて、ついに手を出してみたよ」
ブラックダイヤモンドみたいなつやつやした丸い物体は、沈んでいて掘り起こさないと上がってこない。太いストローを差し、自分が口をつける前に、最初の儀式をユキさんにしてもらった。
エレベーターのように物体Tが上がっていく。あれだけオモチャに反応しなかったソラも起きていて、吸い込まれるタピオカに狙いを定めている。
「どうですか?」
「美味しい……柔らかくてもちもちしてる。長芋みたいなキャッサバが、まさかこんなに姿形を変えるなんて驚きだよ」
「ほんとだ。お餅みたい。カラフルより、こういう黒いタピオカの方が美味しそうに感じます」
「夢が叶った……飲んでみたかった」
小さいけれど、大きな夢だ。何か月間耐えてきただろうか。
「けれどさ……なんというか、これは……うーん」
「…………見た目?」
「ほら、生まれる前の姿に見えない? 見ないように食べるのが一番美味しい」
ユキさんの苦手なものは、水族館の件で充分すぎるほど学んでいる。ヘビを筆頭に、近しい種類がアウトなのだ。
彼が舌鼓を打っている間、ホールケーキを切り分けた。見たとき、実は家族で囲む鍋に見えて、美味しそうというより躊躇した感情が沸いたが、ユキさんには秘密にしておいた。ケーキにナイフを通すときも、手が震えて上手く切れない。なるべく綺麗で大きめに切ったものをユキさんの皿に乗せ、さらにサンタの砂糖菓子をちょこんと乗せた。
「どうしよう、泣きそう」
「どうしました?」
「こういうの、初めてかも」
心持ちうるっとしている目は、残念なナイフさばきにより生クリームがべっとりとついたサンタに注がれている。
「子供のときは、親戚の少し年上の兄さんに取られたことはあった。大きくなると、年下に譲りなさいと言われて腑に落ちなかったんだ。だから、もらえるのは初めてだ」
「それなら毎年譲ります。食べましょうか」
僕を見つめていたユキさんは、ケーキにも手を伸ばした。ふわふわのスポンジの中にもイチゴが重なり、酸味が利いている。
食べてから気づいたけれど、普通はチキンを食べてからケーキのような気がする。ユキさんも美味しそうに食べるし、視線はケーキとタピオカミルクティーだったから、これはこれでいいやと納得させた。
食事の後はまずはユキさんがお風呂に入り、空色のパジャマに拝み倒したら、こちらこそと、いただきますと同じポーズをされた。
お風呂場に用意されていたのは、ユキさんの着ているパジャマだ。あきらかに大きさが違う。肩幅も合っていない。ユキさんの使っている柔軟剤の香りがして、太股の辺りがもぞもぞした。
リビングはすでに電気が消えている。廊下には、お出迎えをしてくれたソラが寝そべっていた。
「ユキさんは?」
ソラに尋ねると、僕をちらっと見てうんと伸びをする。ついてこいと言わんばかりに、ソラはユキさんの自室の前で止まる。隙間から中に入ってしまった。
いよいよだ。覚悟はしてきたと言えど、いざ立ちはだかる壁が目の前にあると、勇気を踏み出せないでいる。今になってさっきのユキさんのいただきますは、そういう意味だったのかと理解した。今の僕には冷えた空気がちょうどいい。
隙間は心が決まったら入っておいでと言っているようだった。僕は右手で胸を押さえ、ドアを開いた。
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