私が割った

狭倉朏

ガラスの檻の内側で

 私がガラスを割ってしまった。


 ガラスのコップが割れた。

 手が滑って台所のヤカンに当たった。

 そのまま割れた。

 キレイに真っ二つに割れた。

 破片も飛び散らない。

 まるでカッターナイフで切った紙コップみたいだ。

 スパッと横に割れてしまった。

 ガラスのコップとはこんなにキレイに割れるものだったのか。


 少し驚いて私は固まってしまった。

 その隙にサッと柘榴ざくろは私から割れたコップを取り上げた。

 テキパキと柘榴はちり紙置き場からチラシを数枚持ってきてコップ、いやもはやガラスの破片と化したそれを包んでいく。

「柘榴、えっと、わたくしにも、何か、やること」

「いい。終わった」

 柘榴はぶっきらぼうにそう言うと白い紙をコピー機の隣から持ってきてマジックで大きく「割れ物注意」と書いた。

 私がぼんやりしている間に柘榴はすべてを終わらせる。いつものことだ。

「怪我はない?」

 柘榴にむりやり欠点をあげるとしたらそれが最後になることだ。

 人間の心配を柘榴はいつも後回しにする。

 事の解決を最優先する。

 私とは真逆だ。

「大丈夫です」

「そう」

 柘榴の顔からは何の色も浮かんでいない。

 さすがにコップが割れたときは驚きくらいしたと思うけれど、その顔は見逃した。

 惜しい。

咲良さくらがボーッとしてるのはいつものことだけどコップを割るのなんて珍しいね」

「ええ……手元が狂ってしまって」

「ふーん。これ周防すおうのなんかの事業記念コップ。あの人今更こんなことで怒ったりはしないだろうけれど……謝ったほうがいいね」

「そうですね……ねえ柘榴、お父様のこといい加減お父様って呼びませんか?」

「嫌だよ……気持ち悪い」

 私たちの父・周防は私達の本当の父ではない。

 私たち姉妹は本当の姉妹ではない。


 覚えているのはガラスの檻だ。

 透明な強化ガラスの向こうから注がれる、透明なガラスのように色のない冷たい視線。

 何かの複製品を探す視線。

 その視線の中に周防もいた。

 

 私たちは作られた子供たちだ。

 かつてはなという女性が居た。

 とても聡明で優秀な人だったという。

 才覚に溢れ、多くのものを生みだし、世界を一歩も二歩も前進させたのだという。

 その人を複製するために私たちは作られた。

 誰かの代わりの私達。

 その複製の技術にもまた、花の功績が使われていたらしい。

 同じようなきょうだい・・・・・は何人も居て、それが明るみに出たときに周防が私と柘榴を直々に保護した。

 この国で人間を複製することは違法行為だった。

 私たちを含む多くの人間が断罪された。

 私たちには罪はなく、しかし存在するだけで忌避された。

 私たちをつくりだした大人は捕まって、多くの裁判が開かれた。

 

 私たち自身は蚊帳の外で行われたそれらの顛末を、私はわざわざ調べようとも思えず、どうなったかはよく知らない。


 何にせよ、咲良と柘榴は周防に保護された。

 詳しくは聞いていないが、周防と生前の花には深いつながりがあったのだという。

 周防がどうして私たちふたりを選んだのか、それは私たちが「花として」一番出来が良かったらしい。

 他のきょうだいは周防がわざわざ出張って保護をする必要がないくらい花の再現度が低かった。

 私と柘榴は見た目も中身もまったく似ていないのに、どうしてそういうことになるのか、私には分からなかった。

 そして私たちは花の顔も知らない。


 夜、周防が帰ってきた。

 私が記念品のコップを割ってしまったことを謝ると周防は怪我はなかったか? とだけ言った。

 大丈夫でした、と私は答えた。

 柘榴はというと何も言わない。

 周防と目を合わせようともしない。

 いつものことであり、周防はそれを気にした様子もない。

 それを気にかけているのは私ひとりだ。

 損をしている気分がする。

「わたくしの割ってしまったコップ、柘榴がテキパキと片付けてくれました」

「そうか、柘榴はいつもしっかりしているな」

「はい! 柘榴は本当に頼りになって……」

「ちっ」

 柘榴が舌打ちをした。

 私の言葉を遮るように舌打ちをした。

「……柘榴は、本当に、頼りになって、しっかりしていて……わたくしはいつも柘榴に助けてもらっています」

 私はそれでも言いたかった言葉を言い切った。

 周防に伝えたかった。

「……うるさいなあ!」

 柘榴が激高して窓を叩いた。

 柘榴がそんな風に感情をあらわにするのは本当に珍しいことだった。


 窓ガラスはガラスのコップとは違う。

 簡単に割れたりはしなかった。

「柘榴は窓の割れたところが見たいのか?」

 周防が淡々とよく分からないことを尋ねた。

 もちろん柘榴はそんな理由で窓を叩いてはいない。

 私のお節介。仲立ちをしようとする素振り。そういうものに腹を立てたのだ。

 私には分かっていた。

 それでも私は言葉を続けてしまいたかった。

 それだけなのだ。

 どうにも周防という男には欠けているものがいくつかある。

 子供を育てるのには致命的な欠けである。

 しかし私と柘榴はそれを理解できるくらいには大人だった。

「なら割ってみせよう」

 周防はそういうと部屋から出て行った。

 柘榴は部屋から出て行きたそうな素振りを見せたが、周防を待った。

 周防は小型のハンマーを持って部屋に帰ってきた。

 いつもは車に置いてあるものだ。

 周防は躊躇いもなく窓ガラスに向かってハンマーを振った。

 窓ガラスはいとも簡単に割れてしまった。

 外気が押し寄せて寒い。

 馬鹿なことをしている。

 柘榴も周防も。

 私も、だろうか。


 ガラスの割れた音を聞きつけたSPが慌てて部屋に入ってくる。

 周防の意向で使用人が私たちの居住スペースに入ってくるのはあまりないことだ。

 私は慣れない人間との邂逅に少し身をすくめた。

 柘榴は憤懣やるかたないという顔つきでSPを睨みつけた。

 人様にそのような顔をするのは良くないことだ。

 普段の私だったらそう注意していただろうけれど、起こっていることがあまりに私の想定を離れていて何も言えなかった。


「大丈夫ですか? 周防閣下」

「ああ……ただの事故だよ、問題はない」

 周防は何事もなかったかのようにそう言った。

「修理業者の手配をしてくれ。急がなくてもいい」

「かしこまりました」


「ガラスのようにあの人は割れた」

 割れたガラスを眺めながら周防は唐突にそう言った。

 周防が感傷的なことを言うのは珍しかった。

「お前たちはあの人によく似ている」

 気持ち悪い、と柘榴が吐き捨てた。

 私も義父にそのような暴言を吐けないだけで、似たような気持ちだった。


 窓ガラスは翌日には業者が来て修理された。

 私たちはまるで何事もなかったように日常を繰り返した。


 数年後、結局、成人した柘榴は家を出ていった。

 柘榴は私に言葉を投げかけていった。

「あんたがいたからこそ私は割れた・・・。あんたはどうするの?」

「…………」

 私は返す言葉を持たなかった。

 柘榴の言葉の意味は分からなかった。

 いつもならもう少し分かったのに。

 分からなくなっていた。


 割れないガラスが私の外にある。

 ガラスの檻がある。

 今も消えない檻がある。

 私はその中にいる。

 周防が外から眺めている。

 失ったあの人を眺めている。

 暗いガラスの中を覗いたところで自分の姿しか見えないだろうに。

 歪んだ屈折の向こうに周防は花を眺めている。

 それは確かに気持ちの悪いことだった。

 しかし私はそのガラスの檻を割れない。

 ここから動き出す勇気はない。

 原動力はない。

 柘榴ほどの反発心もない。

 柘榴ほどの行動力もない。

 他のきょうだいのような不足すらない。

 私は周防の庇護とともに生きていくのだろう。


 私には割れないガラスがある。

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私が割った 狭倉朏 @Hazakura_Mikaduki

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