カカシ

佐伯牡丹

第1話

 雑誌の取材である農家に訪れていた私は、広大な稲穂の中央に佇むカカシについ気持ちを引き寄せられてしまった。

 双眼鏡でカカシを見ると、子供のころに置き忘れた恐怖がよみがえってきた。服装や手はその辺で適当にこしらえるものであるが、頭部だけマネキンという異質さが恐怖を煽り立てたのである。


「カカシが気になりますか?」

「ええ……。頭がマネキンのタイプは久々に見ました。昔あのマネキン頭のカカシが怖くて通学路を通らなかった思い出があります」

 農家は、

「やはりどの世代の子供も怖がりますからね……。ウチのところでは子供たちの気持ちを優先して今ではあそこまで遠くに置いておきました。老いた私の目ではもう長い棒きれが映るだけですが」

「雀が全然寄ってこないみたいですけどカカシはこれからも続ける予定ですか」

「私としては子供たちのためにこの田んぼとこの景色をずっと思い出として残してもらいたいですね」


 農家の表情は険しくなった。

「ただここ半年前に背広を着た品のない輩どもがこの周辺の農家に金を払うから出ていけと言うんですよ。そんな話受け入れると思いますか? 先祖代々受け継いできた土地ですよ。今更こんな年になってどこへ行けというんですか?」

 早口で不満をこぼした。


「それで拒否した訳ですね」

「でも奴らはそんなことで引き下がるような事はしなかった。依頼主に金でも積まれたんでしょうかね。この土地じゃ見かけない素行の悪い奴らが土地の景観を荒らし始めやがった」

「あの空き缶や落書きですね」


「それでも我慢はできたんだが、この土地の子供に怪我を負わせたんですよ」

 農家の顔にはくやしさが見て取れる。

「警察には相談したのですか」

「相談して少しの間には収まったんだが、今度は行政が出張ってきた」

「リゾート計画の件ですね」


「あなたも記者ならご存じでしょう。あの品のない成金がウチの市長と大型リゾート施設開発に協力したニュースを……」

 私はボイスレコーダーのマイクを農家に向けながら、

「確か××市の市長は農協にもパイプを持っているとの噂を聞きましたが」

「噂は本当ですよ。あの市長になったとたん資材の価格がはね上がったりして、もう私たちは商売できませんよ」

 

 漫画の中での話であればどれほどよかっただろうか。今私がいるこの美しい風景は一部の者の利権目当てのために失われようとしているのだ。記者の一人とはいえ彼らの横暴をすぐに止められることはできないかもしれない。

 確実に彼らはペンと剣を持って武装している。仮に私がペンで報いたとしても、彼らは私のペン痕に取り消し線を入れ自らの都合の良いように書きかえるだろう。

 ペンと剣を持った相手に対し、私は何で戦えばいいのか――。考えると気が重くなる。


「ただ、あなたのように我々の立場になってくれる記者もいれば、最近ボランティアで他県から来てくれた若者たちもいます。まだ私たち農家は恵まれているかもしれませんね」

 顔は見ることはできなかったが、麦わら帽子を被った数人が農作業を行っている。

取材を終えた私は農家の情が移ってしまったのかもしれない。たとえ負け戦であったとしても為すべきことを果たそうと決心した。



 一か月後、農家の取材を含めた成金と市長のスキャンダル記事は瞬く間に全国区に広がりお茶の間に放映されることになった。これにより市長の信用がガタ落ちとなり失脚。例の成金に至ってはある日忽然とメディアから姿を消した。同業者の噂では国外逃亡を企てているとか。

 お茶の間を騒がせたこの記事ではあるが、何よりこの記事をまとめた私自身が驚いた。私の予想であれば、それほど大事にならずリゾート化計画が食い止められないと踏んでいたからだ。

 関係者からお褒めの言葉をもらう度、

 最初から負け戦なんて考えるべきではなかったな――。

 一記者としてあるまじき考えであると反省した。


 私は休暇を取り取材を行った農家に会いに行った。

 農家は私の顔を見るとにこやかに、

「私達を助けて頂きありがとうございました。この土地のリゾート化計画も立ち消えとなり、元通りの生活を送れるようになりました」


「それは何より。稲穂も先月お伺いした時よりも大きくなりましたね」

「ええ。若い子達のおかげでもあります。あの子達と共に毎日一生懸命働いた甲斐はありました」


 ふと私はボランティアの子達を思い出した。

「彼らに取材することはできますか」

「それはできないでしょうね。彼らは皆帰ってしまいました。名前を訊こうにも「名乗るものではない」と律儀に答えるので」

「そうですか……」


「突然話題を変えて申し訳ないのですが、あなたは今の場所からカカシは見えますか? 気のせいかもしれませんが、前より遠くなっているので……」

 私は田んぼの中にカカシがないかよく目を見張った。稲穂が以前より生長しているためカカシを見つけるのに時間がかかった。

 

ようやくカカシを見つけることはできたのだが、農家の言う通り以前よりも遠くに置かれている。いや、それよりも不自然な事があった。

 私は双眼鏡でカカシを覗き込んだ。

――カラスだ。それも複数……。鳥よけではないのか?


 カラスの群れがカカシから離れた瞬間――。農家は、

「彼らはカカシを最新のモノに替えたと言うんですよ。最近の農業ではカカシも自然に還るエコなものあると……」

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