7-5 そういうものに、あたしはなりたいのです!
ミズキに引っ張られるようにして向かった先は、駐屯地内の売店だった。
「あ、デザート新作出てるし。あたし、栗系好きなのよねー。あ、甘いものばっかだと飽きるから、しょっぱいものも買お。あんた、コンソメとのり塩どっちが好き?」
そんなことを言いながら、次々と商品を棚から取るミズキのかごの中には、すでに十個近いお菓子が入っていた。
「ごめん、あたし……あんまり、食欲なくて」
「分かった。じゃあ両方買いましょ」
言って、ミズキはポテトチップスを二袋とも、かごに放り込んだ。
「わたし、この特大プリンアラモードも、一度食べてみたかったの。あと……どうせ、男連中も欲しがるだろうから、五個入り百円のチョコパンとあんパンでも交ぜとこうか」
「ミズキ……あたし、ほんとに」
「食欲なくても、身体はカロリー必要としてるはずだから。次の想定に向けてとにかく食べる! オッケー? お分かり?」
「……うん……」
次の想定、という言葉がずぐりと胸に刺さる。次の想定なんて。あたしに、参加する資格があるんだろうか。
「……山でも言ったけど。人間、気分が下がり気味のときって案外、身体の方に原因があったりすんのよ」
「だからね」と、ミズキはあたしに、ちょっとお高い贅沢アイスを突きつけてきた。
「まず食べる。そして寝る。ぐだぐだ考えるのは、それから」
「……うん……」
思わず受け取ると、ミズキはにっと笑って、自分の分のアイスを選び始めた。ひんやりと冷たいアイスは、持ってるだけでなんとなく心地よくて、あたしはそっと、目を閉じる。
「……じゃあ、あたしはチキンと肉まんとあんまんも食べたい、かな」
ようやく、ちょっとだけ口の端を持ち上げられたあたしに。ミズキは「レンジャー!」と笑って返事した。
※※※
「佐山が、帰った」
大量のお菓子を抱えて帰ってきたあたしたちに、糸川三曹が言った。
「……そっか」
ミズキはそれだけ頷くと、ちらっと空いたベッドを見た。
「これで……十六人、か」
そう、小さく呟くと。ミズキはふるふると首を振った。
「――まぁ、しんみりしてても仕方ないし。ほら、食糧たんまり買い込んで来たから、ちょっとは振る舞ってやるわよ」
その声に、レンジャー瀬川らがわらわらと寄ってくる。
「ぅおおっ! ずいぶん買ったなぁおまえら」
「おほほほほっ! ごはんがなければケーキをお食べっ」
「じゃあ俺、このショートケーキ――」
「あ、あんたの分はこれだから」
「なんでだよっ! なんで俺だけ駄菓子の五十円二枚入りチョコケーキなんだよっ! ギブミー生クリームッ」
そんな、騒いでいる後ろ姿を見ながら。あたしはふと、その輪に交ざろうとしない、糸川三曹を見上げた。
「あの……止めなかったんですか……? 佐山さんの、こと」
「……止めても、仕方ないっすから」
珍しく突き放したような言い方に、あたしはたぶん、驚いた顔をしたんだろう――糸川三曹は少しだけ苦く笑った。
「自分が、二年前そうだったから。第五想定中に――もうダメだと思ってしまって。そしたら、立ち上がれなくなった」
あたしはただ、糸川三曹の顔を見つめた。見つめて――どうしようもなくて。「あの」と、うつむく。
「……原隊戻ったときって……どんな、気持ちでしたか……?」
それが、どれだけひどい質問なのかは、分かっている。けれど、あたしの口は止まらずに、それを糸川三曹に投げつけてしまった。
「……そうっすねぇ」
頭上から聞こえる糸川三曹の声は、静かで。少なくとも、そこにあたしへの怒りは感じ取れない。
「悔しかったし、惨めな気分でしたよ。送り出してくれた上官や同僚に、どう顔向けしたら良いのかも分からなかった。
なんであのとき、ダメだと思っちまったんだって――後悔もした。地面に泣きながらしゃがみこんだ自分を、あのときに戻ってぶん殴ってやりたかった」
それは多分、まったく飾らない糸川三曹の本音で。そんな本音を聞かせてくれた糸川三曹は、「まぁ、でも」と。軽く手を振った。
「なにより、当時バディを組んでた田端に、悪いことしましたね。ほんと――ここまで一緒にやってきた相棒が、もう隣を歩いてくれないってのは……痛いなぁ……」
「……ぁ」
そうだ。小塚さんがいなくなったってことは。糸川三曹のバディが、いなくなってしまったっていうことで。
「そりゃ、他のやつと組み直すことにはなるんでしょうけどね。やっぱり――ここまで一緒に歩いてきたのは、小塚っすからね」
「……ごめん、なさい」
あたしは震える声で、うつむきながら呟いた。
「あたしの、せいで。小塚さんが……あの、ごめんなさい……っ」
「誰も、レンジャー小牧のせいだなんて、思ってないっすよ」
糸川三曹の声は穏やかで。でもただ穏やかなだけで、優しさは特に感じられなかった。どちらかと言うと淡々と、言葉を続ける。
「ただ……自分がお願いしたいのは。レンジャー志鷹に、今の自分と同じ思いをさせてやらないで欲しいって、それだけっす」
「え……?」
思わず見上げると、糸川三曹はミズキを見つめていて。
「もし、レンジャー小牧がいなくなったら、レンジャー志鷹が困りますから。他に、ちょうど良く組める体型の相手もいないですし。
なにより……今、レンジャー志鷹を支えてるのは、レンジャー小牧ですから。
本当は、自分がそうなれたら良かったんすけど……それはやっぱり、違いますから」
そこまで言ってようやく、糸川三曹の目が、あたしを見る。どこまでも真っ直ぐに、その想いをぶつけるように。
「できれば――瑞葵を、一人にしないでやってください」
※※※
お菓子をお腹一杯に食べて。久しぶりに、みんなで笑ったりもして。
訓練と訓練を縫う、ほんの隙間のような休息。
同期学生で作る、そろいのティーシャツデザインを話し合う男子らの声を、パーテーション越しに聞きながら。あたしとミズキは、アイスをこっそり食べていた。
「あたし……昔から、ヒーローになりたかったんだ」
ぽつりと呟くあたしに、ミズキが「え?」と首を傾げる。
「子どもの頃ね、あたし、いじめられてて。学校行くのも嫌になって、家に引きこもってた頃があるんだよね」
窓から聞こえてくる虫の音は、訓練開始当初のセミから、いつの間にか鈴虫へと変わっていた。入り込んでくる風も、涼しくて心地よい。
「そんなとき。子ども向けのアニメで、ヒーローが困っている人達を助けるのを観て。
自分の身体が傷ついても、笑顔で助けに向かうその姿がね。なんて強くて――カッコ良いんだろ、って。あたしも、あんな風になりたいな……って。そう、思ってたんだ」
「ふぅん……」
ミズキがそっと頷く。その視線は手元のアイスにそそがれているけれど、耳はぐっと集中を傾けてくれているのが、なんとなく伝わってくる。
「自衛隊に入ったのも、その延長線って言うのかな。震災の時、自衛隊員たちが被災した市民を助けてるのをテレビで観て。これだ――って、思ったんだよね」
テレビ越しに観る、自衛隊は。
不安げな人達の元へ、悪路の中でもかけつけて。自分の危険も省みないで、ふつうなら行けない場所まで行って、困っているみんなを助けてくれる。
「――そういう存在に、あたしはなりたかったんだけど……うまくいかないもんだねぇ……」
実際は、足首をひねっただけで。たったそれだけで、こんなにも後悔している。
もし、あそこで余計なことをしなかったら――今ごろ、こんな思いをしなくて済んでいたのにって。
「でもそれが。あんたの夢だったのね」
ぽんと投げて寄越すように、ミズキが言う。
「……バカみたい?」
「みたい、って言うか。バカだけど」
ミズキは容赦なく言った。甘ったるいはずの口の中が苦くなる。
「ヒーローなんて。現実にいたって、実際は褒められもしない。助けて当たり前って顔されて、負けたらなじられて。ふだんは相手にもされないで」
「ほんと、バカ」と。ミズキは呟いて――あたしを、ぐいっと引き寄せた。
胸にむぎゅっと抱き寄せられて、頭をぽんぽんと撫でられる。
「そんなバカに、あたしは背中を任せたい。だからあんたは、バカで良いの」
「ミズキ……」と。あたしはその瞬間、涙が両目からあふれ出た。
「あたし……ここにいて、良いのかな? ここに踏み留まってて、良いのかなぁ……っ?」
レンジャーを辞めても、レンジャーに残っても、どちらにしても地獄だと言うなら。
例えあたしは地獄でも。あたしが踏み留まることで、ミズキを助けられるんだとしたら。だったら、その地獄には少なくとも、意味があるんだろうか。
「踏み留まる? そんなの、ダメに決まってるじゃない」
あっさりと、ミズキはあたしの言葉をはねのけた。
のそりと身体を起こすあたしを、薄茶色の瞳が真っ直ぐに見てくる。
「進むの。這ってでも前に進むの。一緒に、ね」
ぐっと、言葉につまってしまって。あたしはもう、涙を止めることなんてできやしなくて、声をあげて泣いてしまった。
「うん……うんっ。進む……一緒に、前に……ッ進もう!」
ミズキがあたしを助けてくれる。あたしも、ミズキを助ける。だってあたしたちは、バディなんだ。バディなんだから。
あたしだって――ミズキなら、あたしの背中を預けられる。
「戦って、戦いぬいて。一緒にヒーローになってやりましょ」
「……うんっ」
涙は止まらないけれど。
きっと、地獄はあい変わらず横たわったままだけれど。
それでも、這ってでも進むんだ。あたしのために。友達の、ために。目指すもののために。
あたしはバカだ。
バカだけど。
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