第五話 やるしかないのです!

5-1 一ヶ月ぶりのスマホです!

. 一日の訓練が終わり、夜間の間稽古助教からの指導も、日誌のまとめも、今日使った道具の手入れも、明日の準備も――とにかくやるべきことが全部終わったところでふと、あたしは私物の鞄をロッカーから引っ張り出した。

 黄色のウエストバッグの内ポケット。そこをあさると、すっかり電池が切れて画面が真っ暗なスマートフォンが出てきた。


 レンジャー訓練が始まってからこの一ヶ月、毎日が本当にバタバタと忙しくて、スマホを見る機会なんて全然なかった。ここ二日くらい、訓練の内容やリズムが変わってきて、ようやくほんのちょっとだけ、時間に余裕ができた気がする。


 あたしは充電コードを取り出してスマホを差し込むと、ランプが赤く光ったのを確認してから電源を入れた。

 起動した画面をぼんやり眺めていると、メッセージアプリの通知が表示された。タップすると、一ヶ月の間にたまったメッセージが表示されて。その中に、原隊の上官である小花二尉と、それから田端三曹の名前を見つけて首を傾げた。二人とも、めったにやり取りなんてしない相手だから珍しい。どちらも日付は、わりと最近だ。


 まず、小花二尉からのメッセージを、タップして表示した。パッと画面が切り替わって、吹き出しが現れる。


『頑張ってるみたいだな。この一ヶ月、ふるい落とされなかったのは、小牧三曹の資質が認められたってことだ。

 レンジャー訓練はきついが、自分はあの三ヶ月がこれまでの中で一番有意義な訓練だったと、今でも思う。二ヶ月後、胸を張って帰って来るのを待っている。』


「……小花二尉」

 予想外に温かい言葉に、あたしは胸をおさえた。それだけでなく、文面中に可愛らしい絵文字が挿入されていたり、ラストに「がんば!」というポップなコメントの入った猫のスタンプが一緒に送られてきたりしていることに、胸がキュンとなる。ちょっと、おじさんが無理して送るメールっぽい。とりあえず、「おっけー!」と親指を立てるキャラクターのスタンプを返しておこう。


 それから、田端三曹からのメッセージを開く。田端三曹のメッセージは絵文字もスタンプもなく、とてもシンプルだ。


『あと二ヶ月は帰ってくんな。』


 あたしはしばらくそれを眺めてから、返信するスタンプを選ぼうとした。なんとなく、小花二尉に送ったのと被るのははばかられるし、他に可愛いスタンプはあったかな。

 それから、ふと。あたしはスタンプの表示を消して、タンタンと文字をタップした。


『レンジャー!』


 絵文字もスタンプもない、たった六文字だけれど。これが、一番相応しい返事な気がする。


「ニヤニヤしてるとこ悪いけど、もう消灯時間」

 隣のベッドから、ミズキが声をかけてくる。あたしは「ごめんごめん!」と慌てて送信ボタンをタップし、スマホの画面を消した。


「なぁに、彼氏?」

「違うちがうー。上官と同僚。ミズキこそ、スマホ確認しないで良いの? レンジャー糸川からメッセージきてるかも」

「なんで毎日顔付き合わせてて、しかも隣の部屋にいんのに、そんなの送ってくんのよ。さすがにそんなワケ――」

 不意に、ミズキのスマホが小さく振動する。ミズキはちらっと通知を確認すると――無言で充電ケーブルからスマホを引き抜き、ブンッとスマホをぶん投げた。さすがに壊れるのを避けるためか、ミズキのスマホは弧を描くと二段ベッドの上に着地する。


「……レンジャー糸川、マメだねぇ」

「ほんっっとあいつ、意味分かんないッ」

 「寝るっ」と怒鳴って、ミズキはさっさと自分のベッドにもぐりこんでしまった。毛布で覆われてミノムシみたいになったその姿に、あたしは「おやすみ」と声をかけ、電気を消した。


※※※


 朝、ニワトリの世話をするのも、だんだんと慣れて手早くなってきた。ミズキも、一羽一羽の見分けがつくようになってきたらしく、「こら、沖野。鵬をいじめるんじゃない」とか、注意している。


「今日、集合早いんだよね?」

 あくびを噛み殺しながら言うあたしに、ミズキは「そう」と頷いた。

「いつもの一時間前には集まらないといけないから、急がないと。まぁ、嫌な予感しかしないけど」


 ――そんな嫌な予感ほど、よく当たるもので。

 いつもより一時間早くから、腕立てだの屈み跳躍だの懸垂だのに励んだあたしたちが、くたくたに疲れだした頃。

「よし。今から移動だ」

 そう言ったのは、鵬教官だった。早い時間からの集合で朝食も食べられず、長時間の運動で喉もからからなあたしたちに向かって、迷いなく告げる。

「今から、水路潜入の実技を行いにダムへと向かう。現在時より五分後に出発できるよう、全員準備せよ」

「……レンジャー!」

 なけなしの力をふりしぼって、学生たち全員で返事をする。そして、バタバタと勢いよく準備をし始めるあたしたちだって――薄々、感づいていたのだ。

 地獄はまだまだ、ここから始まるのだと。

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