第2話 女主人と責任感
***
「……おそらく、もう」
検死というものをしたことはない。ただ、救命救急の初歩くらいは心得ている。救急車と――可能性を考慮して連絡した警察が来るまでの間、最低限の人命救助はすべきと考えたのだ。脈拍確認、心音確認、呼吸の有無まで確かめて、私は榎本氏に心臓マッサージを施さないことを決めた。百歩譲って心臓マッサージをするとしても、人工呼吸は避けた方がよろしいだろう。私が思考した結論として、直接の接触は危険であると考える。
淡々と言葉を濁して、しかし続く言葉はわかりやすく。私の曖昧な言葉を正確に解した楓様は、顔面蒼白となっていた。無理もない。自分が主催したホームパーティーで死者が出るなど、いかな楓様といえど想定したわけもあるまい。
関係者三人はと言うと、まあ三様の反応を見せた。
楓様同様、血の気が引き更に甲高い悲鳴を上げたのが和歌月ヨハンナ。ごくりと唾を飲み込み目の前の惨状を受け入れられていないのか、茫然自失とする豊島営業部長。そして榎本ジュニアは狼狽した様子で、忙しなく周囲を見回していた。目が合った使用人を慌てて呼びつけ、やれ救急車を呼べと指示を繰り返す。すでに呼びましたと伝えても、動揺した感情はなかなか鎮まらないようだった。
「……芥。本当に、榎本様はお亡くなりになっているのですね」
「ええ」
震える声で問いかける楓様に、私はあくまでも冷静に返答した。さすがに死体を目の前にしてまったく通常通りと言うわけにはいかないが、これで動揺が伝わっては主人を更に不安にさせてしまう。必要な沈着さだった。
「救急車と、警察の手配も済んでいます」
「!」
警察、というワードに楓様は過敏に反応した。単なる命の危機ならば警察は要らない。何よりあの壮絶な苦しみようと突然の姿を見て、楓様がその可能性を考えなかったとは思えない。理知的な人だ、彼女は。
楓様はしばらく沈痛な面持ちで黙りこんだ。それから意を決したように顔をあげ、狼狽する客人三名に向かってこう声を張った。
「このたびの悲劇、お詫びのしようもございません。榎本様がこのような事態に陥ってしまったのは、主催たる私に責があります」
「それはつまり、あんたが親父を殺したってことか!?」
「いいえ!」
語気の荒くなった榎本ジュニアの野次に対し、楓様は毅然とした態度で応じる。楓様がどんなことを口にするのか、私には仔細な想定ができなかった。主催者としての謝罪、そのあとは警察と救急車が来るまでどうか事を荒立てぬよう落ち着いて……と、事態の鎮静化に努めるのかと考えていた程度だ。
だから、凛とした表情で言い放った楓様の言葉には、客人のみならず私も絶句するほかなかったのだ。
「久世家の誇りにかけて、この責任は必ず果たします。私が主催の責任として、榎本様を死に至らしめた犯人を捕らえてみせます」
「な……」
まさか、ここまでとは。
私は驚愕し、そして己の理解の浅さを恥じた。久世家を継いだ楓様が家というものに強い責任感を抱き、日々当主らしく東奔西走しているのは知っている。私も微力ながらその力になれればと、使用人の範囲でお手伝いをさせて頂いている。そういった意味で主人である楓様を深く理解せねばと努力もしていたが……自分で殺人犯を捕まえるなどという究極の責任を果たそうとするとは予想できなかった。
ちなみに、言うまでもないが、楓様に探偵や警察のような捜査経験はない。推理小説に憧れて刑事ドラマを見漁る趣味もなければ犯罪心理学を学んだ経験もない。主人に対してあまり品のいい言葉とは言えないが、ド素人、と形容するのが適切だろう。
だがまあ、フォローをするのであれば、楓様は頭の切れる聡明な方ではある。知性がすなわち推理力に直結するとは言わないが、状況からの推測や判断推理は苦手ではないと思われる。
不服そうに、何か口をもごもごとさせている榎本ジュニアが目に入ったので、僭越ながら口を挟むことにする。
「警察と救急車が来るまで、おおよそ十分。その間皆様にはお屋敷での待機をお願いすることになります。そう長い時間ではありません。何卒、我が主人に御協力頂けると」
「いえ、いえ、我々も久世様のおっしゃっていることを阻むつもりはございません。しかし……」
豊島営業部長がちらり、と冷たくなっていく榎本氏を見てから問う。場をおさめたら三人には榎本氏の見えない部屋に通した方がいいなと考えた。現場保存が必要な都合、榎本氏を動かすことは得策ではない。
「社長は……何者かに殺された、と言うのですか」
「……はい。それは私にもわかります」
楓様は重々しく頷いた。「芥」と名前を呼ばれる。耳打ちできる距離まで近づいた。
「はい。こちらに」
「あなたの意見も聞かせてください」
「よろしいので?」
「ひとりよがりな思考では偏った結論になる可能性があります。私とあなたとで整合性を図りたいのです」
「承知いたしました」
個人の意見ひとつで決めつけず、使用人であっても尊重し、話をしっかりと聞く。楓様が人望溢れる人間である一端なのだが、私もさすがに共同推理をする羽目になるとは思わなかった。しかしそれはそれ、私は使用人として、主人の命に応えるのみ。
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