ミストレス・Kの華麗なる推理

有澤いつき

第1話 ある客人の死

 ガタン! と品のない音が鳴り、視線が一斉にそちらに向く。というのも音を立てたのが作法を弁えた榎本えのもと氏だったからだろう。恰幅の良い腹が波打ち、小刻みに震える腕がかきむしるように首へと伸びた。一目でわかる、これは異常だ。


「榎本様!?」


 かえで様の逼迫した悲鳴が続く。「あッ、か……」と榎本氏は何かを伝えようとしてか声を出そうとするが、最早言葉を紡ぐ余力も残っていなかった。力を込めて白く変色した指先が首筋を引っ掻き、赤く痣を残した。


「すぐ医者を呼びます! あくた!」

「はい、楓様」


 楓様の命令に私は忠実に従う。首をかしむしって苦しむ榎本氏の応急処置にあたるべきとも考えたが、その場は他の使用人に任せて私は廊下へと向かった。久世くぜ家の固定電話は廊下の隅っこにある。携帯電話からかけても良かったが大して距離が離れているわけでもなかったし、「久世家からの電話」とわかった方が都合がいい。

 一一九番はすぐに繋がった。緊急事態である旨と住所を淡々と伝えながら、私は別の考えを巡らせる。


 おそらく、榎本氏は誰かに命を狙われたのだ。あの状況から考えるに、毒による凶行と思われる。救急車が来るのは十分以内。それまで持つかどうか。

 万が一他殺となれば久世家の風評にも影響がある。これは、少し真面目に考えた方がいい事態かもしれない。客人をもてなしていたリビングに戻りながら、私はこの状況に至るまでの経緯を思い返していた。


 ***


「本日はお招き頂きありがとうございます、久世さん。このように素敵なお屋敷で食事をご一緒できるとは」

「とんでもございません。今回は前祝い、ということで。私としても榎本様のご活躍は喜ばしいこと、ですから」


 黒塗りの車から降りた榎本氏を、楓様は完璧な微笑でもって歓待した。本日の予定は久世家にて客人を招いてのディナー。なんでも老舗ジュエリー店の社長、榎本氏の経営する支点がこの夏に百店舗目を構えるということ。彼の宝飾店を贔屓にしている楓様がお祝いをしたいと屋敷に呼んだのであった。


「しかし……良いのでしょうか。連れまでお招き頂いて」

「お構い無く。パーティーは大勢の方が盛り上がるというものです」


 とは言うが、楓様の意図は我々使用人には知れている。客人と二人きりになる空間を作らず、第三者を介入させるためである。父親の財を継ぎ、屋敷の女主人となった楓様は独身だ。年齢も二十代後半にさしかかったということで、玉の輿目当てにすり寄ってくる輩も珍しくない。相手も身内の目があることで思いきった行動には出づらいだろう、という推測があった。

 グラスにワインを注ぎ、前菜をお出しする。ホームパーティーの体なのであまりきっちりとしすぎず、しかし客人を丁重にもてなすように。主人からの指令はその点が肝要だ。最初にお出しするのは楓様の向かいに座った榎本氏へ。それから彼の連れである榎本ジュニアと営業部長、そしてモデルの女性。給仕しながら顔と名前を再確認する。


 榎本たける。榎本氏が社長を務めるジュエリー会社の専務であり息子。いわゆる「後釜」……榎本氏の後継者ということで愛称は榎本ジュニア。

 豊島としま英嗣ひでつぐ。ジュエリー会社の営業部長。今は榎本ジュニアのお目付け役というか教育係じみたことをさせられているらしい。

 和歌月わかつきヨハンナ。ドイツ系のファッションモデル。パリコレのランウェイを歩いたこともあるという、榎本氏お気に入りの広告塔だ。


「楓さんはこのお屋敷にお一人で?」


 楓様を馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのは榎本ジュニア。年嵩のある榎本氏でさえ「久世さん」と呼んでいるのに。そういう無遠慮なところが独身貴族と揶揄される理由なのだと思う。それと楓様を同類に括られるのも、使用人として快くはないが。


「私と、父の代から働いてくださる方々と。お祖父様やお母様は長野で静養中ですので」

「確かに。近年の都心は暑くてたまらんですからな。快適な環境で過ごされるのがよろしいでしょう」


 ワイングラスに注ぐワインは赤。メインディッシュが牛ヒレのステーキのためだ。全員に注ぎ終わり、ボトルの口をタオルに当てる。


「準備ができました、楓様」

「ええ。では」


 空のボトルを持って下がる。「皆様、このたびは榎本ジュエリー百店舗、おめでとうございます」……楓様の挨拶を聞きながら私は席を外す。空いたボトルを片付け、メインディッシュの進捗を確認するためだ。私は料理長シェフではないので、あくまでも手はずを確認するにすぎない。


「状況は?」

「問題ありません。十分後には給仕サーブできます」

「わかりました、ありがとう」


 十分後にまた来る旨を伝え、私は歓談の場となったリビングへ戻ろうとしていた。ワインの解説はソムリエに任せればいい。専門外の私があえて一本目のワインを注ぐのは毒見の意味合いもあってのことだが……それはそれとして、だ。あとは裏方らしく、パーティーが滞りなく進むよう務めるのみ。

 というわけで、様子見にとリビングに戻った時に、冒頭の悲劇が訪れたのであった。

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