episode11・後編 夜食の油淋鶏炒飯を食べながら

第16話

 帰省一日目の夜が更けても、眠気は一向に訪れなかった。

 枕元に置いたスマートフォンに手を伸ばし、よせばいいのに画面をついついタップする。液晶に表示された時刻は、午前零時を過ぎていた。カーテンの隙間すきまから細く射し込む月明かりが、ベッドに青白い道をえがいている。掛け布団にくるまった果澄は、何度目か分からない寝返りを打ってから、情けないうめき声を上げた。

「眠れない……お腹空いた……」

 床にくのは早かったが、かれこれ一時間以上こうしている。眠れない原因は明白で、胃が痛い話をたくさんした所為だろう。自己主張こそできたものの、夕食はわずかしかのどを通らなかった。熱々のうちに食べたかった唐揚げも、両親と話しているうちに冷め始めていたことを振り返っていると、余計にお腹が空いてしまった。

 ついにえかねた果澄は、上体を起こした。そろりとベッドから抜け出すと、自室の扉を慎重しんちょうに開けて、足音をしのばせて一階に下りる。

 そして、先客の存在に気がついた。暗いリビングに続く扉から、だいだいの薄明かりがれている。光源こうげんの台所へ向かうと、リビング同様に照明を落とした薄闇うすやみに、先客の姿があった。実家でくつろぐとき用だと思われるTシャツ姿で、冷蔵庫をごそごそとあさっている。こんな光景は、学生時代にも何度か見た。あきれた果澄は、小声で弟に話し掛けた。

「何してるのよ」

「見ての通り、小腹が空いて」

 開いた冷蔵庫からこぼれる橙の光が、振り向いたとおるの笑顔を照らしていた。純粋で愛嬌あいきょうを感じる笑い方は、父にも母にも似ているように思う。果澄だけが、家族の明るさを受けげなかったように感じたが、つまらない卑屈ひくつさにりつかれているのも、きっと空腹の所為だろう。

「そう言う姉貴も、腹が減ったんだろ。夕飯、全然食べてなかったから」

 屈託くったくのない口調で図星を指されて、果澄は少し恥ずかしくなる。だが、透が冷蔵庫から取り出したタッパーに気づくや否や、思わず羞恥心を忘れて声を上げた。

「……唐揚げの残り、それだけなの?」

 冷蔵庫に仕舞われていた唐揚げは、夕食時には大皿に山盛りだったのに、今や小さなタッパーにたったの三つだけだ。つい胡乱うろんな目で透を見ると、明後日の方向に目をらされた。窓から入る月明かりで、白々しらじらしい表情がよく見える。

「父さん、もりもり食ってたもんな。あのギスギスした空気の中で、大したもんだよ」

「そう言うあんたも、人一倍食べてたと思うけど」

「あれでも遠慮してたんだけどな。アポなしで帰ってきた身だから」

 透は、何食わぬ顔で言い訳している。果澄は肩を落としたが、そもそも深夜に揚げ物を食べたら太りそうなので、これでよかったのだと思うことにした。他の夜食を探したい気持ちがく前に、自分の部屋に引きげるべく、弟に背を向けて歩き出す。

「姉貴は食べないの? これ、今から温めるけど」

「二人で分けるには少ないでしょ。あんたにあげる」

「じゃあ、量を増やせばいいじゃん」

「どうやって? 無茶言わないでよ」

 夜中から揚げ物を作る気力など当然なく、鶏肉だって買い置きがあるか分からない。果澄が投げやりに言って振り返ると、透はニヤリと笑ってきた。そして、静かにこちらへ歩いてくると、おもむろに台所のあかりをけた。

 急に明るくなった所為で、光に慣れていない目がしぱしぱする。顔をしかめた果澄が、まばたきを繰り返していると、透は調理台にまな板を出していて、再び冷蔵庫を漁ったり、棚から調味料を出したりしていた。やがて、食材が調理台に集結すると、果澄にも弟の意図が、おぼろげながら見えてきた。

「卵、レタス、長ネギ、冷凍ごはん、醤油、鶏がらスープのもと、マヨネーズ、胡麻油、ラー油……これって、炒飯チャーハンの材料?」

「当たり。姉貴も手伝ってくれたら、美味うまいのを作るよ。食べたいだろ?」

「ん……」

 自室で寝直すという選択肢もあるが、真夜中の炒飯という誘惑ゆうわくにはあらががたい。嘆息たんそくした果澄は「私が手伝わなくても、一人で作るつもりなんでしょ」とうそぶいてから、いそいそと透の元へ戻った。ニカッと笑った弟は、唐揚げのタッパーを差し出してくる。

「姉貴は、唐揚げをサイコロ形にきざんで温めて、ラー油を掛けといて。分量は任せるけど、多いほうが俺は好き」

 タッパーを受け取った果澄は、指示にしたがって包丁をにぎった。透は、冷凍ごはんを電子レンジに入れてから、用意したボウルに調味料を次々と入れている。そして、マヨネーズと醤油と鶏がらスープの素をヘラで混ぜ終えたタイミングで、ちょうど解凍かいとうが済んだごはんも、ボウルに素早く加えていった。

「そういえば、透って、中華料理屋さんでバイトしてたことがあったっけ」

「ん。これも、そのときに覚えたやつ。家で作るときは、楽な手順に変えてるし、材料も全部はそろえてないから、店の味にはならないけど、自炊じすいの役には立ってるよ」

 醤油色にやわらかく染まったマヨネーズが、温められた白米の一粒一粒にからんでいく。色むらのない仕上がりを、蛍光灯がつややかに照らしていた。調理の手際の良さは、姉よりも弟のほうが上かもしれない。飲食店で働く者として、果澄は内心あせる。刻んで温めた唐揚げにラー油を数滴すうてき垂らせば、透明感のある赤色があざやかすぎて、気後きおくれした。姉の複雑な心境を知ってか知らずか、弟は調理を続けながら話している。

「俺、今の会社に就職するまでに、ちょっと自慢できるくらいの種類のバイトは、経験してきたと思うから。飲食系の仕事の大変さは、少しだけ分かるよ。厄介やっかいな客に当たる日もあるだろうし、その所為で理不尽な思いもするだろうし、人の口に入るものを扱う責任だって、かなり重い」

 まな板に長ネギを載せた透は、言葉を区切った。そして、隣の果澄を振り返ると、今までの軽い態度を引っ込めて、問い掛けてきた。

「それでも姉貴は、喫茶店の仕事を続けたいわけ?」

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