episode10 波打ち際にて、大嫌いなあなたと、レモンスカッシュで乾杯を
第12話
出掛ける支度を整えて、アパートの扉に
一つ目は、廊下に射した朝日によって、壁にのびた影の髪型が、ポニーテールではないということ。出勤時には髪をまとめているので、くくらずに出掛けるのは久しぶりだ。二つ目は、鍵を持っていないほうの手が、キャリーケースの持ち手を握っていること。お盆や年末年始の長期休暇以外で、キャリーケースに着替えを詰めたのは、一体何年ぶりだろう。旅先の服として薄手のカーディガンを加えたときに、秋の涼しさが
そして、最後の三つ目は――これから『波打ち際』に向かう理由が、仕事のためではなく、連れを
*
喫茶店『波打ち際』の前に着くと、すでに
「おはよう。自宅で待ってて、って言ったのに。なんで荷物を持って外にいるのよ」
「そろそろ来るかなーと思って。これくらいの重さは平気だよ」
翠子は、遠足前の子どものようにニコニコしている。果澄は、呆れ
休業期間は、九月末の三日間だ。月曜の定休日と合わせれば、四日のあいだ休むことになる。短期間とはいえ、せっかく営業を再開させた喫茶店を、また閉めることになるなんて、夏が終わる頃には想像だにしなかった。
果澄の視線をたどった翠子は、目を細めた。
「それじゃ、行こっか。あたしたちの
*
通勤ラッシュが落ち着いた電車は
――『臨時休業で、お店を何日か閉めたいと思ってるんだけど、いいかな』
果澄が『波打ち際』で初めてコーヒーを淹れた早朝に、カウンター席で真剣な目をした翠子は、ふっと表情を
――『その休業期間を使って、
翠子から両親の話を聞いたのは、このときが初めてだった。
――『今のあたしの生き方を、両親に認めてもらえなくても、仕方ないって思ってた。
翠子は、好戦的な笑みを咲かせると、腹の膨らみを見下ろした。
――『たとえ家族でも、自分とは違う人間だから、心から分かり合うのは、難しいよね。でも、あたしは両親のことが大好きだし、あたしの生き方を誰かに否定されても、大好きな人たちには、今の道を
――『うん。……いいと思う』
提案を受け入れた果澄は、照れ臭さを感じながら返事をした。すると、なぜか翠子まで少し照れた顔になって、おずおずといった様子で言葉を続けた。
――『果澄も、よかったら一緒に帰らない?』
――『えっ? なんで私まで……?』
――『お盆休みも喫茶店を開けた所為で、実家に帰れなかったでしょ? いつもは長期休暇に帰省してるって聞いてたから、悪いことしちゃったな、って気になってた』
――『それは、私が選んだことだから……』
――『うん、帰りたくないんだろうな、って思ってたよ。だから、あたしも甘えちゃったけど、今もまだ、帰りたくないって思ってる?』
――『故郷に着いたら別行動でも、途中まで一緒に行けたら、あたしも心強いから。もし、果澄も帰りたいなら……あたしの一生のお願い、聞いてくれる?』
――『……分かった』
果澄は、呆れ笑いで
それに、いい機会だと
だが、たとえそうだとしても、果澄の心の中でこれ以上、実家を勝手に居心地の悪い場所にはしたくない。目を逸らし続けたかった現実を、本当は直視したかったという心の叫びを、きちんと受け止められた嬉しさが、果澄を少しだけ強くしてくれた。
「あ、果澄。海が見えてきたよ」
隣に座った翠子が、弾んだ声を上げた。タタン、タタン、と線路の振動を伝える電車は、乗客がさらに少なくなったことで、正面の車窓が見渡せた。飛ぶように過ぎ去っていく風景は、ビル群が数を減らしていて、代わりに増えた木々の間から、青さを増した大空と――白く
「もうすぐだね」
翠子が、普段通りの軽やかさで言った。「うん」と応じた果澄の声にも、
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