05. 忍び寄る冷気

 明くる朝、電車で一緒になった山田へ、深く頭を下げる。


「ありがとう。助かった」

「やめろよ、大袈裟な。俺が電話したのを聞いたのか?」

「叱ってくれたんだってな」

「話せば分かってくれたよ。けど、そんなジンクスが本当にあるなんてなあ」


 絶対に恋人が出来るなら、試したくなるかもな――山田はそう苦笑いしたっきり、もうジンクスの話題には触れなかった。

 終わった話だ、オレもそれでいい。


 入試対策にゲーム、担任の悪口や親への不満と、いつも通りの会話で登校時間を潰す。

 だが、山田の口はやや重く、話すのは専ら自分の役回りだった。

 途切れがちなやり取りに、親友の顔色を窺いつつ、新たなネタを提供してみる。


「そういや、赤瀬が後期試験の受験校を変えるってさ」

「へえ。どこに?」

「教えてくれなかった。進路指導と相談してたし、レベル上げたのかもな」

「……あの、お前ってさ」

「なんだ?」


 ちょっと鈍いよな、そう言ったような。

 どういう意味だろう。


 問い質したくもなったが、山田の声は小さく、聞き間違いの可能性もある。

 考え込む風の山田は、それ以外に語らず、オレにも生返事を繰り返すばかりだった。


 昼休み、弁当を机に出して山田を待つ。

 俺の前に山田が座るのが、昼の定位置だ。隣では赤瀬が友人と食べるので、四人グループみたいになっている。

 ところが、その赤瀬たちはチャイムとともにどこかへ消えてしまった。

 さらに、カバンを携えてやって来た山田が、今日は中庭で昼食にすると言い出す。


「この寒い日に外で?」

「晴れてるからいいじゃん」

「分かったよ。コート着てくわ」

「お前は来なくていい。悪いけど、一人で食ってくれ」


 なんだよ、それ。

 オレの返事を待たずに、山田はスタスタと教室を出て行った。


 窓から二列目の席なので、腰を浮かせば中庭も見下ろせる。

 校舎に挟まれた小さな庭の中央には、桜の木が一本植えられていた。

 卒業アルバム用の写真を撮った時は、満開のピンクだった桜も、今は黒枝を伸ばすだけである。

 その木の周りに、ベンチが四つ。春秋は取り合いになる場所だが、冬に座る者など――。


 赤瀬がいた。寒空の下、ボッチ飯を食う黒髪は、間違いなく赤瀬だ。

 しばらくして、そこへ山田が合流する。


 ベンチに腰掛け、並んで弁当を食べ始めた二人に、胸の奥がざわつく。

 何の話をしているのか。どうして、オレはあそこに交じれないんだろう。


 教室からじゃ声は届かないし、二人の表情も見えない。

 目を凝らしてみても、弁当の色が分かるくらいだ。

 山田の真っ赤な昼飯は、特徴的過ぎて三階からでも判別できる。どんだけ辛い物好きなんだか。


 いくら気になるからって、中腰で食べ続けてたら馬鹿に思われる。

 好奇心とも不安ともつかない塊を呑み下し、目の前の唐揚げに集中した。


 自分の昼を食べ終わり、今一度中庭を見た時には、もう二人の姿は無い。

 山田はともかく、赤瀬がオレより早く食べるなんて有り得るか?

 場所を移動したのか、覗かれるのを嫌がったのか……。


 二人が教室へ戻って来たのは、予鈴が鳴る寸前で、オレと目を合わせようともしなかった。

 六限前の休憩時間、山田はオレを避けるように廊下へ出て行く。

 となれば、質問するならもう一人の当事者だと、隣の赤瀬へ声を掛けた。


「ちょっといいか?」

「あっ……うん……」


 何だかぎこちなく感じるのは、オレの気のせいではないだろう。

 山田と何を喋った――そう尋ねたかったはずが、素直に言葉が出てこない。


「あー、あれだ。第二志望、どこにしたんだ?」

「それは……。別にどこだっていいでしょ」

「隠すことないだろ。近場か?」

「言いたくない。ちょっと用事があるから」


 赤瀬まで席を立ち、廊下側に座る友人のところへ行ってしまう。

 オレが何をしたっていうんだよ。

 昨日今日で知らぬ間に豹変した二人には、戸惑うばかりだ。

 冷淡になった、とも違う。何かオレには知らせたくない隠し事をしているように見える。


 放課後も赤瀬は女友達と帰り、山田はまたもやどこかへ消えた。

 一人で下校しながら、自分に何か過失があったのかと考える。


 関係がありそうなのは、やっぱりジンクス絡みか。

 告白を断った中に、二人の知り合いがいた?

 山田の知る顔が混じっていたのは確かだ。でも、拒絶するのが正解で、本人も喜んだはずでは。


 断ってマズいのは、相手が本気の場合――。

 いや、それだって、オレの自由だろ。


 家に着いても、気分は晴れない。

 念のためにもう一回、鈴原に話を聞こうと、スマホを手に取った。

 告白をけしかけたのは、六人で合っているのか確かめたい。


 不通。話し中だった。

 鈴原だしな、長電話くらいよくしてそうだ。


 夕食後に再び電話、風呂から上がって再々チャレンジ。

 三回目にして、ようやく鈴原が出る。


っせえよ。何回掛けさせんだ」

『あー、話し中だった? 一から説明させられてさあ。中学時代のノートまで読まされたし』

「待てよ、何の話をしたって?」

『シュウのことだよ。興味津々って感じ』

「お前、昨日約束したじゃねえか! もう触れ歩かないって」

『しょうがないじゃん、教えないわけにいかないよ。山田くんだもん』

「なっ……!」


 山田ぁっ!?

 アイツ、ジンクスなんて知ってどうするつもりだ。


 昨晩も一通りは説明したのに、さらに詳しく話させられたんだとか。

 山田は学校でも鈴原に会っていたらしく、ちょくちょく教室から消えた理由はこれだった。


 忍び寄る静かな冷気。

 過去に体験したことがない類いの悪寒が、せっかく風呂で温めた体から熱を奪う。


 鈴原を叱り飛ばした山田が、同じ轍を踏んでオレを困らせたりするだろうか。

 言い触らしたりしないと信じよう。親友――悪友なのだから。


 それはいいとして、じゃあ、ジンクスを調べた理由は?

 オレの考え過ぎだと、誰か言ってくれ。


 鈴原がジンクスを教えたのは、山田を含めて七人。

 全員を把握し、齟齬も無いと確認できたが、電話前より憂鬱な顔で通話を終了した。

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