星の器

はまだない

第1話

序章 所謂、ここからプロローグ


 昨日お母さんが死んだ。お父さんは外の世界の人らしい。生まれて一度も会った事はない。

 大分前からもう長くない事は分かっていた。ひとしきり泣いた後、一人でひっそりと埋葬した。千年以上も外界から隔絶されたこの島では珍しくもない。ただ滅びを待つだけのこの島では、人の生き死にに誰も関心を示さない。千年前の大戦を識る人も、もう残り僅かになっている。

 島を覆い尽くすように張られた結界によって、島の住民は一切外に出ることができなくされている。結界は住民の神力を強制的に吸い上げ維持され、神力を持つ者を封じ込める仕掛けになっている……らしい。お母さんがそんなことを言っていた。

「じゃあ、お母さん……私、行くね」

 私は結界の手前で一度振り返り、二度と戻ることはないだろうお母さんの墓に別れを告げる。

「私は外の世界を、自由に生きる!」

 絶対に通れないはずの結界に向かって、私は一歩を踏み出す。

 この島の誰にも出来ない。私だけが出来るチカラ。

 何の抵抗もなく、それはもうあっさり過ぎるほど簡単に結界の外へ出た。

「さて……、どこに行こうかな……。ん~、とりあえず島をバックに真っ直ぐ東だ!」

 白く輝く三対の翼を広げ、頭の角からチカラを全身に纏わせ、陽が昇る東へ向かって飛び立っていった。


 ◇


 ヤマト皇国の西端、人と魔族の国境沿いの街ヨナ。その情報管理部のレーダー監視室にけたたましい警報音が鳴り響いている中、部屋のドアが開き五十代過ぎの男が急ぎ足で入ってくる。

「警報音を切れ! またぞろ龍でも飛んできたか?」

「あ、室長! いえ、それが……」

 若い男性オペレーターが、端末の前でレーダーの反応を見ながら室長と呼ばれた男に答える。

「どうにも見たことのない警告でして。『コードG』がでています。」

「『コードG』……だと……?」

「何なんです、コレ…? 優先度も極とか見たことないものになってますし…」

「ふーん……オレも知らん!」

「えー……。」

「こういう時の為のマニュアルだろう。調べてみたのか?」

「データベース内のマニュアルには載っていなかったです」

 それを聞いて何か思い当たる節があったのか、「紙の方はどうだ? 一番古い版の物を調べてみろ」と室長が言うと、

「あー、あの分厚い冊子………」

 オペレーターがゴソゴソとデスクの周囲を漁る。

 そこに別の男性オペレーターが、「コレでしょ」と厚さが10センチ以上もありそうなマニュアルをドスンとデスクの上に置いた。

「えーーっと、警報の項目はっと。……あったあった、『コードG』は……」

「何だ? 早く言え」

「神族反応有り。だそうです」

「ほーう。なるほどなるほど。まさか千年も前のレーダーが未だに正常に機能しているとは……」

 報告を聞く室長から離れた場所にいるオペレーター達の間では、

「神族って昔話に出てくるあれ?」

「大戦で滅びたんじゃなかったっけ?」

「どっかに隔離されてるって話だぜ」

「実はとっくに別の星に逃げ出してるって話だ」

 等々益体もない話が飛び交う。

「神族……本当にまだ存在していたのか」

 室長が少し考える素振りをした後、各員に告げる。

「それじゃ政府議会と軍騎士団に連絡しておいて。軍騎士団にはレーダー情報をリンクし対処にあたらせるように。当分家には帰れそうにないねぇ」

「うげ……」

 嫌そうな顔をしながらも行動は迅速である。忙しなく動き始めた監視室を一瞥し、室長は一見だらけた様子だったが、モニターを見つめる目は厳しいものだった。


一章 女の子は厄介事と共に


 赤、赤、赤。

 何処を見渡しても赤一色。

 僕と後ろの女の子を取り囲むように、全てが赤い炎に包まれている。

 熱は感じない。そう、コレはいつもの夢だ……。

 

 そう気がつくと同時に目が覚めた。時計を見ると、朝の七時前だ。この夢を見るといつも汗まみれになっているので、シャワーで体をさっさと洗い朝食。仕度を済ませて家を出る。もう慣れたものだ。学校までは徒歩で十五分ほど。始業までまだ三十分ほどあるし、のんびり行けるな。

「ガーくーん! 行くよー!」

 声を掛けると、どこからともなくパタパタと、翡翠色した一対三角形の薄く光る羽を動かしながら、透き通った青色の涙滴型のボディの精霊が飛び出してくる。サイズは握りこぶしくらい。そのまま僕の肩に乗っかって来る。

 精霊は非常に珍しく、現在世界で確認されているのは僅かで、十体にも満たない。

 ガーくんとは物心つく前から一緒に居る、僕の半身とも言える存在だ。現在この家で唯一の供でもある。

 今年の春からはからずも一人暮らしになったので、色々と大変ではあるけど気楽でもある。

 僕の両親は十年前に魔道災害で他界。その後今の家で居候だったのだけど、おじさんとおばさんは、正式に跡目を娘のサヤちゃんに継がせて悠々自適の放浪生活に行ってしまった。

 サヤちゃんも跡目相続の儀式として、世界各国の要人に顔見せ行脚に行かなくてはならず、数年間は戻って来れそうにないみたい。《勇者》の家系は大変である。

 そう! 何を隠そう、僕が厄介になってる家は千年続く勇者のお家なのである!

 両親が死んだあと身寄りのなかった僕を、当時近所に住んでいた《勇者》御一家が引き取ってくれたのだ。

 ──まぁ、そんなこんなありまして、現在勇者ハウスで一人暮らし中でございます。

 

 僕が通う学校は小中一貫の国立ヨナ魔道士学院という、ヨナ市唯一の魔道士専門学校である。初等部の六年は共通、中等部の六年は魔術科、魔法科、魔導科の三つの科に分かれて専門技術などを学ぶ。高等大学校に進めるのは、ヤマトの全学生の内およそ上から一割と言ったところらしい。そもそもの受験資格が全学生の二割にしか与えられないのだ。残りの学生は、大半が職業専門学校か訓練所に行くことになる。

 端から専門学校のヨナ学院の卒業生はというと、軍属百パーセントだ。選択の余地なし! とは言うものの、専属の軍騎士に所属するのは半分ほどで、後は臨時要員として籍だけ入れて、実際は一般の仕事に従事している。

 中等部魔法科を専攻させられてはや四年。十年前の事故からこっち、魔道が一切使えなくなってしまっている──魔道を発動させようとすると、恐怖で体の震えが止まらなくなる。それに……──のに、魔法科に在籍しているのには訳がある。およそ一億人に一人と言われている精霊士だからだ。

 精霊士は魔道等の源となるエネルギー《マナ》を知覚できるのだ。これにより、膨大なマナを用いた魔法が行使できるのである。この事から精霊士は一人で一軍に相当するとまでされる、戦略級魔道士なのだ。そんな精霊士が、この国には現在僕を含め三人も居る。

 数だけ見ると少ないが、他国と比較すると中々多い。国に一人いるかいないかという所が大半らしい。らしいというのは、大いに軍事的な側面を含むので、公表していない国もまた多いのだ。

──まぁ、僕は魔道が使えないわけなんだけど……。

 そうは言っても国としては何とか使い物になるようにしたいらしい。そのための魔法科という訳だ。

 僕も魔道を使えるようになりたいとは思っているから、結構真剣に取り組んでいる……のだが、結果は芳しくないのが実情である。

(今日も午後からの魔法訓練、マナの魔力変換訓練だけで終わるのかなぁ)

 そんな事を考えながらいつもの登校路を歩いていると、

「おっはよーさん。何だケンジ、朝から暗い顔して。どうせまた魔法訓練の事考えてたんだろ」

「おはよー。──分かる……?」

 中等部から一緒のクラスになり、友達になったタケルに「よっ」と手を上げながらそう返事をする。

「わからいでか」

「さようですか」

「さようですな」

「お前が元気なさそうだと、ガー助も元気ないしな」

 よしよし、と僕の周りをパタパタ飛んでるガーくんをタケルが撫でる。

 タケルは黒髪黒目の純ヤマト系で、身長は僕より少し高く百八十センチほど。実家がヤマト流剣術の本家なだけあって、強さは一級品だ。いつも腰に佩いている剣も市販の量産品ではなく、それなりの名剣であるそうだ。市民の武装は規制されているものの、学園生は中等部以降、一種類のみではあるが武装が許可されているのだ。

 タケルは魔法もそこそこ出来るのだが、身体強化と武装強化の魔法くらいしか使っているのを見たことがない。

 本人は「剣と魔法で魔法剣士だな!」とご満悦であるが、正直『凄い剣士』なだけにしか見えないとは本人にも良く言ってやる。そして、見た目爽やかなイケメン君であるため、女子にはすこぶる人気者だ。ただ、道場の二つ上の姉弟子にゾッコンなため、学校では浮いた話は聞いた事がない。そんな一途なところもまた人気なようだが。

 僕もタケルと同じ、純ヤマト系の黒髪黒目。やっと今年百七十五センチを突破したところだ。百八十まで何とか伸びないものだろうか……。

 昨日のテレビ番組の話やゲームの話なんかをしてると、肝心な事を思い出したタケルが、

「──そう言えば、知ってるか?」

 今からすんごい事教えてやんぜって顔で言ってくる。

「知ってるー」

 とすげなく応えてやる。

「またまたー。まぁまぁまぁ、聞いてけ聞いてけ」

「はいはい、聞きますよ」

 んんっ、と喉の調子を整えるタケル。それは果たして必要なのか?

「昨日から国境の外に向かって軍騎士が緊急出動してるらしいんだが……」

「どこからそんな情報仕入れてくるんだ……?」

「うちの爺さんの弟子に元軍騎士やら現軍騎士なんかがゴロゴロいるからな。ここだけの話を盗み聞き……今のは内緒だぞ?」

「はいはい。それで?」

「何でもヨナ市に常駐してる軍騎士団のトップ、サイトウ三等軍将が自ら部隊を率いてるらしい」

「三等軍将って上から三番目じゃん! 何だってそんなお偉いさんがわざわざ現場に」

「それよ。タダのスクランブルじゃないって事だ。そして、全く未知の事態って訳でもないんだろう。軍将が自ら出向かなくちゃ行けない、もしくは出向きたくなるような厄介事。面白そうじゃないか?」

 ニヤリと悪そうな顔で言ってくる。

「それに、気づいてるか──?」

 タケルがスッと遠くを見つめながら言ってくる。

「今朝から警邏騎士団の動きも活発になってる。市民に気づかれない様に気を使ってはいるようだが。そして出動した軍騎士もまだ戻っていない。つまり──」

「何らかの事態が現在進行形って訳か」

「面白そうだろー」

「軍や警邏が関わってる事に首を突っ込むなよ。どうなっても知らんぞ」

「わーかってるよ。でもまぁ、中々の面白ネタだろ。平和な日常のささやかなスパイスってヤツだな」

「まぁアレコレ想像する分には楽しめるね」

「はっはっはっ。ケンジならそう言ってくれると思ってたぜ」

「もう一度言っとくけど、首突っ込むなよ?」

 と友人に釘を刺してる僕こそが、この事態に頭の上までどっぷり浸かる事になろうとは、今は知る由もなかったのだ。


 世界に変事あれど、日常は変わらず過ぎていくものである。

 午前の一般教養二単位と、現代魔道理論一単位をつつがなく終え昼休み。タケルと学食で昼食―タケルは憧れの姉弟子の手作り弁当だ―をとり、いざ午後の魔道実習訓練だ! はぁ……。

 運動着に着替えて専用の体育館、魔道実技訓練用魔道遮断館、通称実技館に移動する。

 学生レベルですら、魔道の実技訓練にはこういった専用の施設か、周囲に何もないだだっ広い空間が必要とされる。通常の家屋の一つや二つなど、学生魔法士ですら軽く吹っ飛ばしてしまうからだ。

 魔法科の同学年は全部で四十人。男女混合での実技訓練となる。

 男十三人、女二十七人と、魔法関係は女性が多い。一般的に男性は魔力のコントロールに長け、女性はマナの魔力変換効率とプール可能値が高いと言われている。もちろん個人差が非常に大きいため一概に言えるものではないが、統計的にはそのような傾向にあるといえる。そのため、魔術士は男性が多く、魔法士は女性が多い。というのが現在の通説である。

 ご多分に漏れず、うちの魔法科クラスも女子のほうが多く、魔法の成績も概ね女子のほうが良い。

実戦形式の魔法実技では五分五分と言ったところか。

 実技館の広さはおおよそバスケットコート四面分。結構な広さがとってあるのは、同時に複数試合行えるようにするためだ。一面分につき一組が通常の対戦スペースとなる。

 定刻までには生徒と教官が集まり、準備運動に準備体操。教官の指示による組み分けが行われ、対戦形式の実技訓練が行われる。魔道が使えない僕は、当然参加の許可は下りてない。

 ちなみに、この教官も女性である。うっすら茶色味のかかった黒髪に黒瞳、キリッとした印象の目元がカッコイイ現役の軍騎士で、魔道教導資格保有者。この国の魔法士の中でもトップクラスに属する事を意味している。男子にも女子にも人気の教官である。

「ケンジ君は悪いけど、今日も空スペースで魔力の練成訓練ね」

「……はい」

 分かっては居ても訓練に参加できないのは寂しいもんだ。

「他の皆は準備出来た組から試合を始めるように! 順番待ちの間は他所の組を良く見ておくのよ! 相手を識るということが大事だからね!」

 教官の合図でそれぞれ試合が始まり、その四つの試合を同時にチェックしながら、逐一メモを取っている。実に生徒よりよほど良く見ていて、これを元に試合後の指導が行われる。

 そんな教官を遠目に見ながら、隅の方で訓練してる風にサボっていると、僕の横にスススっとタケルが近寄ってきた。

「おやおやケンジさん、お暇そうですね」

「いえいえタケルさん、あなたにはかないませんよ」

『はっはっはっ』

 それでいったん区切りにする。

「試合見てなくて良いの?」

「俺がいつも見てないの知ってるだろ?」

「何で見てないのかは知らないけどね」

「サボってるわけじゃねーぞ。お前と違ってな」

 タケルが今まで訊かれたことなかったしなと前置きしてから、

「折角の訓練なんだから、できる範囲で初見の相手と戦って勝つ。そういう訓練を勝手にやってるわけだ。実戦だと、早々手の内が分かってる相手とヤル機会なんてなさそうだしな。一度戦った相手でも、ここの学園生は次にヤル時にはグッと強くなってる奴が多い。ぶっつけ本番の方が面白いってもんだ」

 って言いながらも、勝つのは俺だけどなって顔してる。まぁ実際タケルが負ける事は早々ないのも事実だ。

「とは言え、今一番一戦交えて面白いのは……」

「はいはい、その内機会があればまたやろうね」

 今までのタケルとの通算成績は四勝六敗。初戦から二連勝のち六連敗。そしてまた二連勝中。

 僕は魔道が使えないから、タケルとの勝負は武器と己の身体のみだ。一応僕は棒術メインの戦闘スタイル。おじさん―先代の《勇者》である―から十年間徹底的に扱かれ、《勇者》的に見て「うん。まぁ、よし」との評価を頂いている。そこらの玄人なら相手にならないくらいには成ってる……はず。おじさんはそう言ってたけど、玄人さんと戦った事はないので定かではない。おじさんの評価通りの強さであるなら、タケルは既にちょっとした達人レベルの強さって事になる。ヤマト流まじやべー。

「サボりに加担しておいて何だが、お前の訓練の方はいいのか?」

 と今更な事を言ってくる。

「コレももうずっと何年もやってるからねー。マナの魔力変換の速度、効率、共に圧倒的!」

 実際に軽くやって見せて、ドヤって顔でタケルを見るが、

「まぁ目の前でやって貰っても、俺らにゃ見えないから分からんわけだが」

 と今一な反応を頂きました。代わりといってはなんだが、ガーくんが興奮したように羽をバタバタさせている。褒めてくれてる様子。ありがとうガーくん。

 本当のところは別段訓練などしなくても、誰でも自然にマナを魔力に変換する事が出来る。呼吸するのと同じくらい出来て当たり前の事だ。それを敢えて訓練する。訓練することによって、通常のソレより、より早くより大量の魔力を練る事が可能となる……って教わっている。

 マナや魔力が見えたり触れたりするのが精霊士であるため、魔法士や魔術士には当然、マナや魔力が見えたりはしない。見えてるのが日常であるため、ついつい忘れがちになってしまう。

「魔力は練れてるんだから、後は魔力を使って現実に作用させるわけだが……」

 魔道は想像力と思考力が大事だと云われている。自分の起こしたい現象をイメージ、具現化するのが魔道である。イメージが強ければ強いほど魔道の効果は高まる。詠唱や術式、魔方陣等は必要不可欠なものではないが、あればあるほど魔道の効果が高くなるのはこのためでもあり、同じ効果の魔道を手っ取り早く使うのにも優れている。更にそのイメージを如何に効率的に実行するかの論理的思考。これにより、限界魔力効用―一魔力単位あたりの魔道の効果・効用―が飛躍的にアップするのである。

 この所為と言うのもアレだが、魔道を使おうとすればするほどフラッシュバックがきつくなる。

 顔面を蒼白にして、全身を小刻みに震わせ、脂汗もびっしりかきながらも魔道に意識を集中させようとする。すればするほど、ひどく……なる……。

「ストーップ!」

 タケルに背中をバシッと叩かれ、強制終了。

「ふぅ……はぁ……」

 深呼吸を何度か繰り返して少し落ち着く。

「あんまり無茶すんな。見てるこっちまでキツいわ」

「悪い悪い。もうちょっとでどうにかなりそうな気が、しないでもない様ななくない様な?」

「要は全然ダメってことじゃねーか」

「そうとも言うなぁ」

 そんなお喋りをしてると、気づけば目の前に教官が。

「ヤマト君、いつまでもお喋りしてないであなたの対戦相手が待ってるわよ。さっさと行きなさい! サイキ君のサボ……」

 一度咳払いをして、

「訓練を邪魔しないように!」

 言い直す。

「今さぼ……」

「さっさと行く!」

「はいー!」

 すたこらさっさーと自分の対戦相手の所に走っていくタケル。それを見送ると、教官はこちらに向き直る。

「練成訓練なんてただの名目ですけど、友人とお喋りする時間ではありませんよ」

「すみません……」

 素直に謝る。

「他の生徒の試合を良く見て、ちゃんと勉強するように。まぁ、いつも見てるばかりで退屈なのはわかりますが」

 んー、と顎に手を当て思案。

「そうですね、こうしましょう。試合が一巡終わったら、先生と魔道なしで一戦しましょうか」

 うんうん我ながら名案だわ、という感じの教官。

 そう言えば、教官が戦ってる所って見たことなかったな。軍騎士仕込の凄い戦闘術とかあるんだろうか。これはちょっと楽しみだぞ。

「お、ちょっとヤル気が出てきたみたいですね。良かった良かった。ひとまず試合が一通り済むまで、ちゃんと試合を見ていること。その後は《勇者》仕込の業、存分に揮わせて見せましょう」

 いいですね、と念押しされる。

「今日の結果次第ではそうですね、実技訓練での手合わせをするのも良いかもしれませんね。様子を見ながら軽い魔道攻撃を織り交ぜることで、魔道への抵抗感を減らせるかも知れません。今日のところは魔道なしですので安心してください」

 にっこりと笑いながらそう仰る。

「本当は生徒同士で出来れば一番なのですが、まだまだそこまで魔道の出力制御が出来る生徒は居ませんから、仕方ないですね。大怪我をされても困りますし、万が一があれば私の首が、物理的に宙を飛ぶだけでは済みません」

 そんな事をしそうな人に心当たりがあり過ぎるのが、なんかイヤ。

 いつもはとっても良い娘なのに、僕の事になるとすぐに「よし、あいつ消そう」って簡単に伝説の剣を抜くのだ。そんな彼女だけに僕に何かあれば、《勇者》的なアレな超パワーで察知する可能性もなきにしもあらず。うん、本当にありそうで怖い。

「では、それまでキチンと『訓練』しているように。ヤマト君の試合も始まってるわよ」

「あ、はい。じゃぁちょっと見てきます」

「いってらっしゃい」

 タケルの試合が見やすい位置に移動すると、教官も試合のチェック作業に戻る。

 タケルはお喋りしてたときとは打って変わって、集中した表情で相手の一挙手一投足に神経を尖らせている。気付くと、試合後や試合待ちの女子たちがタケルの試合に集まって、黄色い声援を飛ばし始めたが、それも特段タケルの集中を切らすことはなかった。

 タケルの戦闘スタイルは基本後の先を取る事が多い。相手の手を見極めてから一気に詰める戦い方をする。戦闘モードに入ったタケルに、油断という言葉はない。今回の試合も、相手はタケルの戦い方を熟知しているのに対し、タケルにはそれがない。敢えて作ったその不利な状況でありながら、攻めあぐねているのは相手のほうだ。タケルの戦闘スタイルの賜物か、防御の技が飛び抜けて巧いのだ。

 タケルは剣一つ。勿論訓連用の安全仕様である。使ってる魔法はといえば、魔道障壁──力量に応じてあらゆる攻撃から守ってくれるぞ! 全魔道士が覚える最重要魔道だ! ただし、魔道障壁同士をぶつけると融合してしまうから要注意だ!──を突破するための魔法を剣に掛けてあるだけで、他の攻撃魔法を使う様子はない。一方相手は多くの魔法士が使うロッドから、火炎系の魔法をガンガン飛ばしている。他の魔法は使えない、もしくは苦手なのだろう。

 飛んでくるそれらの魔法を斬る、払う、かわす、吹き飛ばす。その間も一時も相手から目を離す事はなく、じっと相手を射抜くように観察している。相手が呪文の詠唱を開始。無詠唱の魔法では埒が明かないと判断したのか、大技で決めるつもりなのだろうか。当然詠唱中には大きな隙が出来る。凄い人になると、戦いながら詠唱するなんて離れ技をやってのけるらしいが、そんな事ができる人は、この場にいるとしたら教官くらいだろう。

 その隙を逃すことなく一気に間合いを詰めるタケル。

 相手は「しまった」という顔をせず、ニヤリと笑った。そしてタケルも、ニヤリと笑っていた。

 相手の詠唱は囮。まんまと近づいてきたタケルの正面と背後に、無詠唱での火炎玉を生成。足の止まったタケルに、背後からの火炎玉が炸裂するはずであった。

 タケルは足を止めることも緩めることもなく、正面の火炎玉に突っ込み、そのまま正面突破してしまったのだ。初めから正面に囮の火炎玉を出すのが分かっていたようである。

 そのまま無防備の相手の喉下に剣を突き付け、勝負有りとなった。

 見物の女子たちに軽く手を振りながら、僕を見つけ近づいてくる。

「いやー、やっぱつえーわ」

「タケルにしては無茶した感じはしたけど、余裕有りそうだったよ?」

「そう見せてるだけさ」

 よっこいせと僕の隣に腰を下ろす。

「全部全部、罠罠罠。はぁー神経磨り減るわっ!」

「というと?」

「ロッドから魔法撃ってたのがそもそもフェイク。火炎魔法しか使わなかったのもフェイク。詠唱もフェイクときて、最後の火炎玉挟み撃ちだってフェイクだぞ。わざわざ避けやすそうに左右空けやがって」

「おおう。まじですか」

「俺が挟み撃ちにされたとき、あいつ笑っただろ? あれだって油断を誘うための演技だからな。相手が油断してると思い込み、あの挟み撃ちすら見事に回避したところで、本命のトラップが炸裂。俺木っ端微塵!って寸法だ」

「木っ端微塵にしちゃだめでしょ」

「言葉のあやだ。気にすんな。まぁとにかく、避けたら終わり、火炎玉を見事にぶった斬っても終わり、当然食らったら終わり、の見事なトラップの布陣だったよ」

「そこまで用意周到な割りに、正面突破は予想してなかったのかな」

「自分を巻き込むから、自動起動の強力なものはなかったが、手動式の連鎖型トラップがあったぞ」

「徹底してるね」

「しかし、ただ一つ予想していなかった事があった。それがヤツの敗因だ」

 ふふふ、知りたいか? とこっちを見てくる。ちょっとうざい。

「もったいぶってないでさっさと教えなさい」

「おう。それはな……変顔だ!」

 何を言っとるんだこいつは。胡乱な視線を向ける僕を気にすることなく、タケルは続ける。

「火炎玉を突き抜けて姿を現す俺! 勝負を決する大事な一瞬! そのとき俺がすっごい変な顔してたら超面白いだろ?」

「…………」

 言葉も出ないとはこのことではなかろうか。超面白いかどうかは兎も角。

「実際それであいつは気が一瞬削がれて、俺への反応が遅れた。結果はさっき見てのとおりだ。いやーまじギリギリだったぜ」

 でもまぁ確かに、相手の注意を逸らすのは有効な戦術だ。変顔はどうかと思うけど。

「よくまぁあの短時間にそこまで読めたね」

「日頃の訓練の賜物ってね」

 御見それしました。


 その後も何事もなく順調に試合は消化されていき、全ての試合が一段落したところで教官から声が掛かる。

「はい、全員ちゅうもーく!」

 試合後で疲れた生徒たちが、何事かと教官の方を向く。

「今日は特別に、これから先生とサイキ君との模擬試合を行います!」

 え、うそ、まじか、いいなー、等々、一気に周囲が賑やかになるなか、

「はい。サイキ君前に!」

「はい」

 皆の、特にタケルの注目を一身に浴びながら教官の前へ。

「それではこれより、非魔道戦闘による模擬試合を行います。使用武器は自由。相手の武器を飛ばすか、致命判定の攻撃を決めた方の勝ちとします。いいですね?」

「はい」

「では、私は……コレを使いましょう」

 と言って、両手に金属製の篭手を装着する。頑丈そうな見た目にも関わらず、手首や指の動きは妨げないようになっているようだ。

「サイキ君は何を使う?」

「もう、持っていますので、大丈夫です」

「素手ではないのね?」

「はい」

「ふふ。おーけー。では始めましょうか。審判はそうね……ヤマト君にお願いしようかしら」

「肉弾戦の審判できるのなんて他にいませんしね。それに、特等席で観戦できますし」

 白羽の矢が立ったタケルはあっさりと了承する。

 魔道全盛の昨今、武術を学ぶ変わり者はそうは居ない。この魔道学園も例外じゃない。武術で身体を鍛えるより、魔道の腕を上げたほうが強くなるのだから当然だ。剣より槍、槍より弓、弓より銃、銃より魔道。ああ、射程は偉大なり。

「それじゃヤマト君、開始の合図をお願い」

「では。──はじめ!」

 タケルの合図と共に一気に踏み込む。僕のスタイルはタケルとは違って、先手必勝型だ。できる限り相手に実力を発揮させずに勝負を決める。今回だってそのつもりだ。格上の教官だからって躊躇はしない。僕の踏み込みの速さ、思い切りの良さに一瞬驚く教官。が、それも隙になるほどのものではない。構わずそのまま突きを放つ。

 ガキィっと硬い金属音をさせながら、僕の初手は難なく弾かれる。

「棒……ね……」

 巧く隠してるわね。と褒めてくれるが、ああもあっさり弾かれると若干厭味にもなる。それからは、棒で突く、斬る、払う。時に堂々と棒を見せ、時に死角に隠し不意を衝く。一時も足を止めることなく、一気呵成に攻め立てる。その全てを見事に捌いてみせる教官は、やはり只者ではない。

 こちらの僅かな隙を衝いて教官が接近してくると、僕はすぐさま拳の間合いから遠ざかる。棒の間合いの広さを活かすように心がける。

 棒と拳の打合いが、十合、二十合と重ねられ、ついには五十合を越えてもまだ決定打には至らず、湧き出る焦りの感情を押し殺しつつ、打開策を模索する。これほど動き回ってもまだ、教官も僕も息を乱しては居ない。僕の方は流石に体は汗ばんできているが。

 流れ出る汗を拭く余裕もないまま、体を動かし続ける。

「授業の時間も残り少なくなってきましたし、そろそろ決着と行きましょうか」

 教官は両手の拳を打ち合わせ、気合一転怒涛の攻勢に移る。

 棒と拳を打ち合いながらグイグイと間合いを詰めてくる。接近されるのを嫌がって、間合いを取る振りをしながら相手の軸足の膝を狙った横薙ぎを入れる。前に踏み出して接地した瞬間を狙った、回避不能の会心の一撃……のハズだった。

 誘いの踏み込み。軸足は後ろ足のほうだったのだ。教官は、打たせた箇所を基点に宙に横回転しつつ、片手で棒を掴みにくる。掴まれまいと、横薙ぎの勢いそのままに体を一回転。再度の横薙ぎで着地の隙を狙う。回転中の教官は驚いたことに、回転しながら再度の横薙ぎを今度こそ掴み、捻り、僕は棒を持った手を中心にくるりと一回転させられて床に叩きつけられた。

 体勢を立て直す暇など当然なく、教官の寸止めの拳が眼前に突き付けられ、決着となった。

「まさか棒を持ったまま回っちゃうとは思わなかったわ。大丈夫?」

 手を貸して立ち上がらせながら、声を掛けてくる。

「あ……はい。慣れてますので、大丈夫です。えーっと、それじゃ最後のあれはどういうつもりで?」

「棒を取り上げて終わりにするつもりだったのだけれど、凄い握力ね」

 どっちかというと、棒伝いに人一人ぶん投げる教官の方が凄いと思います。

「意図してそうする以外では、死んでも手放すなと叩き込まれましたので」

「なるほどなるほど。先代の《勇者》様は子供にとんでもない仕込みをしていったのね。全力を見せて貰うつもりでやっていたけれど、まさかこれほどまでとは思ってなかったわ」

 お疲れ様、と僕の背中をポンと叩いた教官は他の生徒の方に振り返り、

「では今日の授業はこれまでとします。あとで各自の良かった点と課題点を纏めて渡しますので、次回の実技訓練までに良く訓練しておくように。以上!」

 と授業の終わりを告げる。

『ありがとうございました!』

 全員その場でヤマト国ならではの、お辞儀をし、教官にお礼を述べる。これをもって解散となり、各々友達と訓練の結果や、先ほどの教官の模擬試合の感想なんかを話しながら更衣室に向かう。

 僕はというと、「ふーやれやれ若い子の相手は疲れるわ」と小声で、ちょっとババ臭い事を呟きながら、篭手を外して後片付けしている教官に質問に行く。

「あの、すみません」

 声を掛けられた教官が、片付けの手を止めてこちらに振り返る。

「サイキ君。どうしたの」

「僕、どうでしたか?」

 色々聞きたいことがありすぎて、凄く曖昧な質問になってしまった。

「そうねぇ……。まず、とても強かったわ。ええ、本当に。軍騎士の中でも、魔道なしでここまで戦える人はそうは居ないわね。魔道を使ったとしても、どうかしらね」

「でも、教官には勝てませんでした……」

「これでも一応軍騎士相手の教導官ですからね。軍のなかでも私より強い人なんて、数えるほどしか居ませんよ。魔道の有無関係なくね」

「えっ!」

 一般用の教導免許かと思ったら、軍騎士用の教導免許とは。通りで強いはずだ。

「ですから、もっと自信を持ってくださいね。あ、それと、次回から先生との模擬戦をカリキュラムに組み込みますのでそのつもりで。今度からは軽く魔道も入れていきますよ」

「はい! よろしくお願いします!」

「いい返事ですね。これからも頑張って下さい」

「ありがとうございました!」

 教官にお礼をしてその場を辞する。

 少し駆け足で、実技館の出入り口のところで待ってくれていたタケルと合流する。

「いやー、どっちも凄かったな」

「ありがと」

「教官と何話してたんだ?」

「感想聞いてた」

「で、どうだって?」

「思ったより良かったって感じかな」

「そりゃ良かったな」

「あ、そうそう。教官の教導免許、まさかの軍騎士用のだった」

「まじか! あーっ! 今度は俺も教官と模擬戦やれねーかなー!」

 だらだらとタケルとお喋りしながら僕らも更衣室へ。パパっと制服に着替えて教室に戻り、明日の連絡事項を聞き、帰宅の準備。タケルは自宅の道場で稽古があるので帰宅部。去年まではおじさんの特訓。今年からは夕飯の準備と日課の自主練があるので、僕も同じく帰宅部だ。他の生徒達も、帰る者、部活に行く者、教室に残って友達とお喋りする者、色々だ。

「ケンジ! 今日、道場よってかね?」

「え、あ、うーん。どうしようか」

 まぁこれと言った用事もないわけだけど、どうしようかと考えていると、

「教官との試合見てたらさ、我慢できなくてな。一戦やろうぜ、なっ、なっ、なっ」

 ぐいぐいと迫ってくる。圧が凄い。

「ガー助もやろうやろうって言ってるぜ」

 ブンブンと顔を左右に振って否定するガー君。何をしてても可愛いな。

「凄い勢いで否定されてるが?」

「気のせいだな」

 気にも留めないようだ。

「勿論晩飯はこっちで用意するぜ。今日はアヤ姉の手作りだぞ」

 ちなみにこのアヤ姉ことアヤネ・テンドウインがタケルの片思いの相手だ。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合のようとはあの人のための言葉だろう。タケルには悪いが、あれほどの器量良し、恋人の一人や二人居てもおかしくない。それに、料理もとても上手だしね。

 また今度、いいおかずのレシピでも教えてもらおう。

 アヤネさんは週に三~四日ほど道場に稽古に来ているらしい。その中で暇がある時には、今日のように食事の用意もしてくれるようだ。タケルの道場ではその日は、『当り』と呼ばれている。当りの日に稽古に来ていた門下生たちはとても羨ましがられ、居なかった者は、その日なぜ自分は稽古に行かなかったのかと己を呪う。毎回食いっぱぐれないのは、道場主であるタケルたち一家だけである。

「アヤネさんの料理が食べられるなら、行こうかな」

 その当りの日だと聞かされ、もう僕の頭の中は、タケルとの試合よりアヤネさんの晩御飯のメニューでいっぱいだ。何が出てきても絶対にウマい! だけど、そんな浮かれた様子を直で出すのは恥ずかしいので、「まぁそこまで言うなら」っていう雰囲気を醸しつつ、一も二もなく了承の意を伝える。上手く香ってくれたかは定かではない。

「おっしゃ! そうこなくっちゃな! アヤ姉さまさまだぜ」

 二人別々の理由で、意気揚々と帰り道を歩いていると、ふと上空で何か光った様な気がする。

「?」

 見上げてみるが、普通に空が見えるだけだ。

 と思った次の瞬間、少し遠くの空にパッと一瞬球状に光る何かを発見する。

「!」

 そちらの方を注意深く見ていると、続けて、二度、三度光り、徐々にこちらに近づいてくる。

「急に空を見上げて、どうした」

 何かあるのか? とタケルも僕の見てる方に視線を向ける。

「時々光りながら、何かこっちの方に飛んできてる」

 と、状況をタケルに告げる。

「何も見えんがなぁ」

 今もまた光ったが、タケルは気付いた様子がない。タケルが気付かないのを見て、浮かぶ予想。光の正体は魔力光ではないか。魔道自体が見えないのが疑問だが、僕に見えてタケルに見えていないならば、マナか魔力に違いない。一瞬しか光らないのは、その一瞬しか力を使っていないからだろう。上空で何者かが戦闘をしながら移動している……のか?

「たぶん、上空で魔道戦闘が繰り広げられてる」

「それにしちゃあ、魔道も見えんし、音も聞こえてこないが……」

 となると、

『隠蔽術』

 二人でハモる。

「街の上空だけにしたって、物凄い範囲だぞ。誰がそんな事……」

 と言いながら、思い当たる節があったようだ。僕にも思い当たる節がある。きっと同じだろう。

「軍……か……?」

「それ以外ないと思う」

「警邏騎士団って線は……ないなぁ」

「この市だけで大きく分けて東西南北四分団、それぞれ管轄があるからね。それを越える様な魔道の使い方はしないと思う」

「妙に縄張り意識が強いよな」

 話しながらも、目はずっと光の移動先を追っていく。

 光が近付いて来たお陰で、少し分かった事がある。魔力光の色が、普段見ているものと違うという事だ。魔道の使い手によって色が違うということは、今まで一度もなかった。誰が魔道を使っても、魔力光は黄色く光っていた。今見ている魔力光は、白く光っている。これはどういうことだろう。

 白い光の場所からは、時々紫も混じる。そこから少し離れた場所からは見慣れた黄色が複数。白と紫は一つずつ。白と紫、二つを軍が追っているのか、はたまた、白と紫の争いに軍が介入しようとしているのか……。白と紫が同一存在……は、流石にないか。何故か、上空の白と紫の光を見ていると心がざわついて、落ち着かない。きっと初めて見る光に、興奮しているんだろう。

「ごめんタケル。どうしてもアレが気になる。追っかけてみるよ」

「おいおい。今朝お前が言ったんだぞ。軍が関わる厄介ごとに首突っ込むなって」

「そうだったかな?」

 ちょっと惚けて見る。

「まぁいいさ。そう言う事なら……俺も行こう!」

「きっと危ないことになると思うよ」

「そんときゃ、お前ん家の《勇者》様に助けてもらうとしよう」

「今は居ないよ?」

「《勇者》をチラつかせるだけで、相手は『ははーっ』ってなるってもんよ」

「それは幾らなんでも格好悪くない?」

「まぁ……最終手段だな。命には代えられんぜ」

「はぁ。出来るだけそうならないように注意して行こう」

 タケルを促して、光が飛んでいく先に向かって走り出す。

「意外だな。どう言いくるめて着いていくか考えてたのに」

「信頼してるからね」

 行こう! と走り出す。それに続いて、少し顔を赤くしたタケルも走り出した。


 ◇


「──ほう、あれは……」

 見晴らしの良い建物の屋上から一人の男が、路地を走っていく二人組を見つめる。

 背後の扉から男と同じ服─所属している組織の制服だろう─を着た女が現れ、静かに男へと近付く。

「団長。魔道学園生と思しき少年二名が、対象を追っている様に思われます」

「ああ、こちらでも確認している」

 声を掛けた女に、背を向けたまま応える。

「排除致しましょうか?」

「我々は治安組織だ。いたいけな少年達を、ただ道を走っているというだけで排除するわけにもいかないだろう。表立ってどこかを封鎖している訳でもないのだしね」

「作戦の邪魔になるのでは?」

 団長の意図を探るように、女が問いかける。

「『我々』の邪魔にはならんさ。軍にとってはそうではないだろうが」

 団長と呼ばれた男は、走る少年二人と一見何の変哲もない空を見ながら続ける。

「いやむしろ、これは良い機会かもしれないな。彼との接点をここで作っておけば、後々大いに役立つ可能性は高い。奴らにあまり力を付けられすぎる方が、邪魔になろう」

 考えを纏め、団長は部下である女の方を振り返り、指示を出す。

「それとなく少年達を援護してやれ。軍の方とはまだ事を荒立てる必要はない。が、軍が先を越さない程度には邪魔してやれ」

「承知いたしました」

「委細は貴官に任せる。行けっ!」

「はっ!」

 街に配備された部下達に、無線で素早く指示を飛ばしながら、自らも作戦行動に移行する。

 それを見送ると、再び空の方を向く。

「──さて、では私は……」

 とん、と屋上の淵を蹴り、団長はそのまま中空へ身を躍らせるのだった。


 ◇


 上空の様子を確認しながら、路地をひた走る。かれこれ十分ほど走っただろうか。上空の様子に変化が訪れる。白い光が大きく光った後、空から何かが落ちてきた。

 彼我の距離はまだ遠く、詳細ははっきりとは見えないが、おそらく人であろう。少なくとも人型ではあろう事が確認できる程度だった。

「ケンジ、人っぽいもんが急に落ちてきたぞ!」

「ああ! たぶんアレが俺の見てた白い光を出してたヤツだろう!」

 喋りながらも、足を止めることはない。

「急にケンジに見えたのは……」

「あの高度が隠蔽術の境界線って事だな!」

「だろうね!」

 落下予測地点に向けて、方向を修正しながら駆け抜ける。白い光の正体が落下するに伴って、紫の光が現れなくなった。状況から察するに、あの何者かが、白と紫の二種類の魔力、ないしそれに準ずるマナの力を使っていたと言う事か。

(一人で複数の力を使うとか、聞いたことないぞ)

 異種族との混血は昨今そう珍しいものではない。ヤマト皇国で一番多いのは魔族との混血であるが、龍族─あるいは竜族─との混血も居なくはない。魔族と人族はどちらも魔力を使うが、龍族は『竜血』と呼ばれる力を使うらしい。

 そんな龍族との混血児も、使える『力』は魔力か『竜血』のどちらか一つだけと言われている。どちらを使うかは、本人の相性次第と言う事らしい。別の方の力へとマナを変換しようとしても上手くいかず、メインの力に変換されてしまう。と物の本に書いてあったのを覚えている。

(知らないだけで、実は結構居たりするのか?)

 疑問は尽きないが、それも何者かを見つければはっきりするだろう。

 目的の場所に近付いてくると、ちょくちょく警邏騎士団の姿を見かけるようになった。軍騎士の姿も更にその遠方に見え隠れする。

「止められたらどうする?」

 敢えて聞くまでもないことを聞いて来るタケルに、

「もちろん、突破する!」

 即答する。

「そうこなくっちゃな!」

 にしし、と笑うタケルは実に頼もしいなぁ。

 そんな意気込みで走り続けるが、警邏騎士達は特にこちらに関心を示す様子はなく、僕らも構っている暇はないので、これ幸いと素通りしていく。僕らが通り過ぎたあと、彼らが無線で僕達の現在地を連絡しあっている事など、当然気付くはずもなかった。


 街中を走りに走って辿り着いた先は、ヨナ市自然公園。周囲に民家はないが、近所の人が散歩したり、子連れの親子が遊んでいたりと、普段は人の多い公園だ。しかし今、まだ夕暮れ前だというのに、公園には人っ子一人いなかった。

(おかしいな……人がいなさ過ぎる)

 不審に思いながらも、落ちてきた何者かによって付けられたであろう跡を追っていく。一直線に薙ぎ倒された木々を飛び越えながらどんどん進んでいくと、倒れている何者かの姿を発見する。

『!』

 その姿を見た瞬間だった。

 心が、奪われた。その神秘的で可憐な姿から、一時も目を離せない。離したくない。

 倒れて居たのは一人の少女だった。いや、一人と言って良いのだろうか。その少女には、白く輝く三対の翼と、龍のものと思しき角が生えていた。歴史の資料で識っている。白き翼とは神族の証である、と。そして知っている。頭部の角は成人した龍族の証である、と。

 その二つを兼ね備えるこの少女は、神族と龍族のハーフとでも言うのだろうか。腰まで届く、銀色の長い髪に目を奪われる。その美麗な容貌からは、神々しさすら感じる。様々な疑問も、これから起こるであろう困難も、僕にとってはもはや塵芥でしかなった。

 そして、僕とは違う意味でタケルも衝撃を受けていた。

「こいつは……神族……なのか……?」

 現代の人族にとって、神族はもう遥か古代の、歴史の中だけの存在だった。授業などで教わりはするものの、実在するモノだなどと実感している人は居ない。居なかった。不真面目な人であれば、その存在すら知らなくてもおかしくない。

 神族は千年以上も前の、人神戦争と呼ばれる人族の独立戦争によって、『高天原』と《勇者》の記録に記されている人工の島に隔絶されたのだ。その島には二重の隔絶結界、神族を外に出さない、神族以外を中に入れない、そういう強力な結界が張られているとされている。島そのものが魔方陣であり、そのエネルギー源は、島に封じられた神族たちであるため、島で神族は『力』を使うことができない。神族が滅びない限り決して解くことも破ることも不可能であるはずだった。

 授業では習わない人神戦争の詳細なども、《勇者》の家には記録としてその多くが残っているのだが、授業で習う神族の事といえば、

『全人族奴隷時代の主人』

 である事と、人神戦争後に作られた人族の連邦憲章に記された、

『神族とそれに関わる者は、理由の如何に関わらず見つけ次第殺すべし』

 と言う事くらいである。

 タケルはそれを思い出したのだろう。この少女に関わるということは、即ち死であるという事を。

 こんな遥か昔の法を覚えている人など、今となっては軍や警邏などの、法や治安に関わる仕事の人たちくらいのものだろう。僕らも、この神族と龍族のハーフと思しき少女を見るまで、頭の片隅にもなかった。

「流石に……これは想定してなかったな……」

 慎重に、倒れた少女に近付いていくタケル。

 少女は墜落の衝撃からか、未だ意識はないようだ。

「本来の目的とは違うが……今なら……」

 タケルは腰に佩いている剣を抜き放ち、刃に切断力強化の魔道を込める。

「お前には、恨みも憎しみもないが……あいつのためだ、悪いな……!」

 タケルが剣を振りかざしたところで、それまで茫然自失の状態でいた僕の息識が戻ってくる。

(待って!)

 止めようにも、それまで棒立ち状態だった僕の手は、少女に近付いていったタケルには届かない。それは無意識に、いつも通り近くを心配そうに飛んでいたガー君を、むんずと掴み、タケルに向かってブン投げた。

 ブン投げられたガー君は、こちらをまるで警戒していなかったタケルの顔面に見事にヒットし、タケルの注意をこちらに向けさせ、行動の阻止に成功する。

「いきなり、なにしやがる!」

 タケルの当然なる抗議に賛同するように、鷲掴みでブン投げられたガー君もお冠の様子だ。

「まずはごめん。でも、ちょっと待って欲しいんだ!」

 ガー君のご機嫌を取りながら、タケルに剣を下ろすよう促す。だが、タケルは剣を下ろそうとはしない。仕方なく、そのままの状態で続ける。

「僕は、その娘を助けたい」

「お前、それがどういう事か分かって言ってるのか?」

「……分かってるよ」

 少しの沈黙の後、そう応える。

「いいや、分かってないね!」

「分かってるさ!」

「そうか……だったら……」

 少女に向けていた剣を、こちらに向けて構えてくる。

「どうして俺に、こんな事をさせる……?」

 悲しげな、そして辛そうな表情で剣を向け続けるタケル。いつも剣を構えてぶれる事のない体が、今は小刻みに震えている。

(ごめんタケル。でも、僕はその娘を助けたいって、そう思うんだ)

 僕は間違っている。正しいのはタケルだ。分かっている。でも、間違っていても、譲れない事も、ある。

 心配そうに僕とタケルの周りを飛び回るガー君に、二人とも構うことなく睨み合いがしばし続き、先に折れたのは……タケルの方だった。

「くそっ! できるかよっ! 俺は……お前の……っ!」

 剣を下ろし、背を向ける。

「……ありがとう。タケルにはいつも感謝してばっかりだよ」

 タケルの傍を通り過ぎ、倒れている少女に近付き背中に担ぎ上げる。

「これから、どうする気だ?」

 ポツりと呟かれた言葉に、

「とりあえず、僕の家に運ぶよ。あそこなら当分安全だ」

 と返す。

「そうだな」

「うん」

「何か困ったことがあったら、連絡しろよ。今は直接助けてやることは出来そうにないが、俺はお前の味方のつもりなんだからな」

「──うん。ありがとう、タケル」

 そう言って、少女を担いだまま公園を後にする。

(鍛えてて良かったな)

 この公園からは、自宅まで徒歩だと三十分ほどは掛かる。気を失った人一人、担いで歩くのに適した距離ではないのは明白だ。しかし、日頃の鍛錬の賜物である。十分に体力は保つ自信がある。

 万が一に備えて、ガー君には先に家に飛んで帰って貰った。精霊士だとバレれば、相手の警戒度が一気に上がってしまうからだ。

 公園を出て暫くは何事もなかったが、突如一台の車両が横道から行く手を塞ぐ様に飛び出してきた。中から勢い良く人影が数人分飛び出してきて、こちらに銃を向けてくる。

 その格好から、彼らが軍騎士だということは直ぐに分かった。

(この娘を追っていたのは、やっぱり軍か……)

 機械式の銃であれば、魔道障壁さえあれば何ということもないが、僕はそれさえ使えないため、機械式の銃ですら十分に脅威となる。動けずに居ると、更にもう一人車両から降りてくる。

 見た感じだと四十から五十のヤマト系の男性。大柄ではないが、どっしりとした貫禄を漂わせている。軍服に着いている勲章の数から見て、かなりのお偉いさんだと思われる。

「少年。ソレは私達にとって大事なものでね。返して貰ってもいいかね」

 ゆっくりとだが、反論は許さない。実力行使も辞さない。そう言外に伝えてくる。

「この娘はあなた達、軍の所有物じゃない。返す謂れはありません」

 声を震わせながらも、はっきりとそう告げる。

 軍騎士の指が、銃の引き金に掛かるのが見える。

 勲章の男が「待て」と声を掛け、一旦引き金から指を離させる。相変わらず銃身はこちらを向いたままだが。

「銃など効かんとタカを括っているのかもしれんが、これは最新式の『魔導銃』だ。少々の魔道障壁など何の障害にもなりはしないと言っておこう。挽肉になってからでは、後悔のしようもないからな」

 僕にとってはその銃が、魔導銃だろうと何だろうと同じことだ。

「もう一度だけ言おう。ソレをこちらに渡したまえ。善良なる市民に被害を出すのは、我々も本望ではないのでね」

「お断りします!」

 今度は震えることなく言えた。

「どうして、あなた方はこの娘を欲しがるんだ! こんな問答などせず僕ごと殺してしまうのが、本来のあなた方の仕事のはずだ!」

「ふん。あんな地層に埋もれた化石のような法に真面目に従っている国など、ありはしない」

 無知な子供を諭すように言ってくる。

「貴様が担いでいるソレは、この国のために大いに役に立ってくれる事だろう。我々はいつだって国益のために働いているのだからね。さ、これが最後だ。分かったら、ソレをこちらに渡してくれるかね」

「さっきからこの娘の事を、ソレ、ソレ、と物みたいに言うな!」

「この国には、神族に認められる権利など一切ない。当然、その扱いは物と同義であるのが道理というもの。他に言うことがないのならば、ソレを置いて早く家に帰るといい。ソレさえ置いていけば、今まで通りの暮らしに戻れる事は、この私が保障しようではないか」

「何を言われようが、この娘は渡さない!」

「聞き分けのない少年だな……実際、殺してしまっては面倒だ。銃は使わず制圧しろ。少し痛い目を見れば気も変わるだろう」

 銃を構えていた部下達が銃を下ろしている間に、こちらも少女をそっと下ろして構える。

 圧倒的不利の中、どう切り抜けようか頭をフル回転させるが、いい案など直ぐに浮かぶものではない。戦いながら考えるしかないかと覚悟を決めたそのとき……、

「そこまでにしておくのだな!」

 上空から若い男性の声が降ってくる。と同時に、僕の目の前に男性がふわっと着地を決める。

 最初に目に入ってきたのは、普段から見かけるとりたてて珍しくもない、警邏騎士団の制服。視線を上げれば、この国では珍しい金色の髪だ。

 狙ったかのようなタイミングでの登場。もしかしたら、どこかから僕を見張っていたのかもしれない。

 軍騎士たちも、急な男の登場に戸惑いを隠せない様子で、お偉いさんの方を伺っている。

 ただ、僕以外は全員この人物が誰か知っているようだった。

「やれやれ。何の用ですかな、警邏騎士団第一分団長殿。邪魔をされては困りますな」

「白々しい事を仰られますな、サイトウ三等軍将閣下」

(軍将だって!)

 しかも、サイトウ三等軍将って言ったら、市の西側に駐屯してる国境警備軍の司令官じゃないか。何でそんなお偉いさんがこんな現場に直接来てるんだ? 警邏の分団長にしたってそうだ。部下に任せておけばいいはずなのに……。

 そうこう考えてる間も、二人の会話は続く。

「当然、治安維持のためにこちらに伺ったに決まっているでしょう」

「では話は簡単だ。そこのソレをこちらに持ってきていただければ、我々は直ぐにでも撤収いたしますよ」

「それは出来ない相談ですね。その行為はこの街の治安を著しく乱してしまいますからね」

「我々がソレを使って、何かするとでも仰りたいのかな?」

「いいえ。そんな些細な事ではありませんよ」

 首を振って、ヤレヤレと言った様子の分団長。

「サイトウ三等軍将閣下、後で知らなかったでは通用しない事もあるのですよ。彼は──」

 スッと軍将に近付き、耳元に囁く。

「あの《勇者》の想い人ですよ」

 何を言ったのかは聞こえなかったが、サイトウ三等軍将の表情の驚きようを見れば、何となく想像はつくと言うものだ。

「彼に傷の一つでも付けてみなさい。怒り狂った《勇者》に国境警備軍はおろか、この国の軍騎士全て殺されても可笑しくはない。そんな事をされては治安などあったものではない」

「そんな馬鹿なことがあるか! あの小僧が《勇者》の……だと。いい加減な嘘で私を謀れると思うなよ!」

「そんな冗談を言いに、わざわざこんな所に来たりはしませんよ」

 そう言って、軍将に背を向けこちらに振り返る。

「少年、生徒手帳は持っているかね」

「あ、はい……」

 おずおずと、胸ポケットに仕舞ってあった生徒手帳を渡す。

 分団長さんは、住所が書かれていると思しきページを開いて、軍将に見せ付けている。

「この住所、まさかどこか知らないとは言われないでしょうな」

「……確かに、そこは《勇者》の家で間違いない……」

「分かっていただけたようでなにより」

 お返しするよと、生徒手帳を手渡してもらう。

「なら、お早く撤収されるのが宜しいかと。私は彼を家まで送るとしましょう。この後に何かあると困りますからね」

「ぐぅ……目標を目の前にしながら……」

 こちらをギロリと一瞥してくる軍将に、どうやら大丈夫そうだと気を抜きかけていた僕は思わず、「ひっ!」と情けない悲鳴を上げてしまった。

 しかしそれ以上は特になく、身を翻すと「現場より撤収する」と号令を発し、車両に乗り込んでいった。他の軍騎士達も素早く車両に乗り込み、あっと言う間に走り去っていったのだった。

「やれやれ。行ってくれたか」

 走り去る車両を見送った後、ぐるりと周囲を観察する分団長。どうやらこの場は完全に撤退したようだと判断し、警戒を解いたようだ。

「では、その少女と一緒に家まで送ろう」

「お願いします」

 先のやりとりから、ひとまずはこの人に着いていてもらえば大丈夫そうだと判断する。地面に寝かせていた少女を再び背中に担ぐ。

「ああ、そうそう。自己紹介が遅れてしまったね。私はヨナ市警邏騎士団第一分団長のアカホシ・ショウマだ。よろしく、サイキ・ケンジ君」

「アカホシって、もしかして、あの……?」

「君がどんなアカホシさんを想像しているか知らないが、まぁ、おそらくそのアカホシで間違いないよ」

 『最強』のアカホシ・ショウマ。人族の中でおそらく一番の有名人。この人を知らない人はどこの国に行っても居ないだろう。顔知ってたら、直ぐに気付けたのに! しかしとんでもない人に助けられてしまったな……。っていうか、警邏騎士なんてやってたんだ……。

 本日二度目の大ニュースに、危うく背中の少女を落としてしまう所だった。

「ここまで飛んできてしまったから、車がないな。ふむ、呼ぶのも面倒だ、私の魔道で飛んで行くとしようか」

 アカホシさんが僕の肩に手を置いて、飛行の準備に入ったかと思うと、

「いや、魔道飛行など学園生には新鮮味がないかな」

 などと言い出し、

「そうだな。ここは一つ、期待に応えて『最強』の一端をお見せするとしようか」

 何も言ってないのに、何故かハードルを上げ出す。

【彼の地を此方に、此の地を彼方に】

 短文の呪文を唱えたかと思ったら、景色が一変。そして突如落下が始まった。

「なああああああああああああああああ!」

 思わず絶叫してしまう。落下時間僅か数秒。地面にふわっと着地させてもらって一安心。

「な……一体何が──って、家に着いてる……」

「はっはっはっ。驚いてくれて何よりだ」

 周囲を確認して、驚きを隠せない僕の方を、アカホシさんは実に愉快そうに眺めている。

「今のが所謂転移術というものさ。中でも比較的安全な、座標交換による転移術。空中に転移することで安全性もアップさせているぞ」

 魔道の奥義の一つともされている転移術、それも長距離の転移をいとも簡単にやってしまうアカホシさんに、さすが『最強』の二つ名は伊達じゃないなと感嘆の念を禁じえない。

「さて、私の仕事はここまでだ。ここらにあまり長居すると、第二分団に怒られてしまうからね。早々に失礼させてもらうとしよう」

「あの……助けて頂いて、ありがとうございました!」

「なに、構わんよ。今回は君を助けることがこの街の為だったというだけに過ぎん。もし君とその少女がこの街にとって害となるなら、敵となることもあると承知したまえ」

「は……はいっ。くれぐれも気をつけます」

「その少女を取り巻く状況は変わっていない。サイトウ軍将もあれで諦めた訳ではないだろう。直接君を襲うことはないとは思うが、油断はしないことだ」

「はい。ご忠告ありがとうございます」

「まだ若いつもりだったが、歳かな。どうも見込みのある若者には説教臭くなってしまっていかんな」

 ヤレヤレと頭をひと掻きし、表情を改める。

「少年。助けると決めた以上は、絶対に守りきって見せろ。それがイイ男というものだ」

 拳でトンっと僕の胸を叩いてくる。

 アカホシさんの激励に胸が熱くなる。そして心に誓う。この娘を害する何者からも守ってみせると。

「さて、最後に良い事も言っておいたし、戻るとしようか。何か困ったことがあれば、第一分団の団署に来なさい。助けられることもあるかもしれん」

 そう言って、再び転移術で帰っていった。

「──よしっ」

 気合を入れなおし、少女を担いで玄関をくぐると、ガー君が勢い良く顔めがけて飛んできた。

「ブフッ」

 勢い余って顔面直撃したガー君がうろたえている。

「ただいま」

 その言葉にパッと表情を明るくして、肩に止まって来る。

 とりあえず無事家まで帰ってくることは出来た。ここにいる限りは安全だけど、いつまでも引篭もっているわけにも行かないだろう。まぁそれもこれも、全てはこの娘が目を覚ましてからの事だ。


二章 家を出よう!


(ここは……どこ……? あ、好い匂いがする……)

「あ、気が付いたんだね」

 家に着いて、彼女を居間のソファに寝かせてから数時間。すっかり日も暮れて、夜の闇が支配する時間帯だ。昔は科学を忌避する風潮が強かったせいか明かりが乏しかったらしいが、今は魔族からの技術交流も盛んで、魔族製の電気製品も広く普及している。

 科学は元々、人族が魔族に伝えた技術で、魔道は魔族が人族に教授したものであったらしい。今では科学と言えば魔族、魔道と言えば人族っていうのが常識で、お爺さんより前の世代くらいまでは科学などクソの役にもたたん物っていうような扱いだったそうだ。こんなに便利なのに、分からないものだ。

 今も部屋の中を蛍光灯が明るく照らし、外も電灯が道々を煌々と照らしている。

「丁度いま、晩御飯の準備が出来たとこなんだけど……食べる? って言葉通じるのかな……?」

「う……たべる……」

 ぐぅ。

 彼女のお腹から、可愛らしい音が聞こえる。と同時に、まだ意識がはっきりとしていなかった彼女の顔が赤くなっていく。カワイイ。心の中の僕が「よっしゃ!」とガッツポーズを決める。表情は普段通りの笑顔状態をキープできていた、はずだ。

 そこでやっと、彼女が現在の状況に気が行くようになったようだ。

「……ここは? あなたは……?」

 その質問を敢えて無視して、

「お腹減ってるんでしょ。とりあえず、冷める前に食べちゃおう。大丈夫。毒とか入ってないから。……人族は大丈夫だけどダメな物とか、あったりする……?」

「……大丈夫」

 完全に警戒されているが、まぁ当然の事なので仕方がない。とりあえず言葉が通じるようで助かった。

「色々聞きたいこともあるだろうし、ご飯食べちゃってからお話しよう」

 警戒はしているものの、目下の空腹と熱々の出来立て料理のコンボに勝つことはできないようで、

「……そうね。料理に罪はないもの」

 ご飯を食べてくれることとなった。手早く彼女の分と自分の分を盛り付け、テーブルに並べる。

「お箸使える? フォークやスプーンの方が良い?」

「フォークとスプーンで……」

「はいはい」

 自分用の箸と彼女のフォークとスプーンを用意して、食べ始める。

「足りなかったらおかわりもあるからね」

「おかわり!」

「ってはや!」

 僕がご飯を一口食べた所で、おかわりの要請が来た。

 その後も彼女はもりもりと一心不乱に食べた。食べた。相当お腹が空いてたんだろう。

(明日の朝の分まで無くなっちゃったなぁ)

 などと考えてる事は悟られないようにしないといけない。それに、ここまで食べてくれるとうれし気持ち良い。食後に、用意しておいたお茶で一服してから、食器を洗って片付けてしまう。お腹も膨れて人心地着いたところで、本題に入ることとなった。


「えーっと自己紹介の前に一つ、僕は君の敵じゃないよって言って、信じてもらえる……かな?」

「ご飯もいっぱい食べさせて貰ったし、わたしが気を失ってる間にも何かした様子もないし、まぁ敵じゃないというのは信用しましょ」

 それを聞いてホッと胸を撫で下ろす。彼女に敵だと思われるのは嫌なので。

「僕はサイキ・ケンジ。で、ここは僕がお世話になってる家。まぁ今現在家主たちは全員出払ってて、いつ帰ってくるか分からないので、実質一人暮らし状態です。そして、僕の相棒の精霊ガー君です」

 僕の肩でうつらうつらしていたガー君も紹介しておく。すると、じーっとガー君を見つめる彼女。そしてそれを見つめる僕。

「ガー君可愛いでしょ」

「え? いや……可愛いとかそういう事じゃなく。この《マナ結晶体》なーんかわたしが知ってるのと違うんだよね」

「《マナ結晶体》って……君達は精霊の事をそう呼ぶの?」

「むしろケンジ達人族は、この《マナ結晶体》を精霊って呼んでるのね。うーんまぁ、どっちでもいいわ。ここは人族の方に合わせて精霊と呼びましょ。あ、ところで、ケンジは精霊の事どの程度知っているの?」

「うーんとそうだねー、僕が知ってる範囲だと、マナが超高密度に集まって出来るエネルギー体で、マナを食べて生きてる? って事位かな」

「まぁ大体そんなところね。ケンジは他の精霊を見たことはある?」

「まったく」

 ぶんぶんと横に顔を振る。

「だから気付いてるのに気付けていないのね。精霊はマナを食う。だから、その子みたいにマナを注ぎ込んだりしないの。食べるばっかりよ」

「なるほど。僕は精霊ってのはこういうものなんだと思ってたよ」

 ガー君ってばスペシャルな精霊さんだったのね。

「島の資料で……そんな精霊の事見た記憶が……うーん……」

 目の前で足をパタパタさせながら天を仰いで記憶を呼び覚まそうとする美少女。他にすることもないので、隙あらば凝視しておく。

「あー……えーっと…………! あ、あれだ! そうだそうだ!」

 やっと思い出せたようで、パッと顔を明るくしながらこちらに顔を寄せてくる。きゃー顔が近い近い。

 心臓バクバク言ってるのが聞こえてしまうんじゃなかろうか。

「《星の核》よ!」

 そんな僕の様子に頓着することなく、思い出したことを告げてくる。

 僕の頭に疑問符が浮かんでるのが見えたのか、

「人族風に言うとそうね……。《星霊》ってとこかしら」

「《星霊》かぁ」

「まぁ、わたしが資料で見た《星霊》はもっとこうちゃんとした神型してたけど。すくなくともその子みたいなチンチクリンじゃなかったわね。とはいえ、マナを生み出す精霊っていうのは、《星霊》しか居ないとされていたわ」

「自分のマナを放出してるって事は……?」

「ないわね。そんな事しようとしたら、結晶体が維持できずに分解して、ただの大量のマナになっちゃうハズよ」

「はー……、ガー君。君って実はトンでもない子だったんだね」

 もうぐーすか寝てしまっているガー君を起こさないように、そっと持ち上げて改めてしげしげと眺める。いつも通りのガー君だ。

「あ、そう言えば、まだ君の名前を聞いてなかった」

 そう言われて彼女もその事に気付いた様で、

「その子の事ですっかり忘れていたわ。わたしの名前はティエルよ」

 と名前を教えてくれた。そしてその名を、深く心に刻み込んだ。

「見ての通り、神族と龍族のハーフ。『神威』も『竜血』もどっちも使えるように訓練したかいあって、中々便利なのよ」

 角を触りながら、羽をパタパタさせて見せる。

「ちなみにこの羽は神気、あなた達の魔力と同じようなものね、その神気を生成貯蔵するわたしの『神威』で出来てるから出し入れ自由! 貯蔵量に応じて羽の枚数が増えていくの。でも実体がないから服に穴があく心配はない優れものよ」

 そして今度はパッパパッパ出したり消したりして見せてくれる。

「『神威』に『竜血』……」

 『竜血』はともかく『神威』って何だと思ったが、話の流れからして僕らの魔道のようなものかと考えていると、ティエルが僕の呟きに応えてくれた。

「『神威』は神気を使って起こす現象の総称ね。『竜血』は竜気を使った技の総称ってところね。魔族や人族の使う魔道と同じようなものと考えてくれていいわ。ただ、違う点もあるのよ」

「と言うと?」

「『神威』が司るのは創造。『竜血』がもたらす物は強化。魔道が行うのは操作。って事ね」

 意外と大事な事よ、と教えてくれる。

「今は滅びた巨人族は破壊の力を使えたらしいわね」

「魔道が操作って言われると、何か弱そうに聞こえるね」

 僕がそう言うと、ティエルは心外とばかりに言ってくる。

「神魔戦争で使われてた魔族の決戦兵器……なんてったけ、あれ?」

「《魔王》の事?」

「そう、それ! ケンジは結構物知りね」

 ティエルに褒められてしまった。家の資料読み漁ってた甲斐があったなぁ。

「で、その《魔王》を使用すると、魔道で因果操作なんてことも出来たとか。『神威』も因果創造なんて事が出来る……らしいわ。実際に出来た神は居なかったみたいだけど」

「ティエルの方がよっぽど色々知ってるみたいだけど」

「まーわたしら神族はほら、あの島に隔離されて大してする事もなかったしね。それに……コレじゃん?」

 と角を触る。

「神族の仲間にも入れないし。まーあんな終わったクソみたいな連中どーでもいいけど! まぁそれで、やる事もないし、何とか島から出られないかと考えながら、島から脱出した後のために訓練したり勉強したりしまくってたってわけよ」

「あ、それで言葉が通じるわけだ!」

 合点がいった、と思ったら……「え、違うわよ」とあっさり否定されてしまう。

「今ケンジが使ってる言葉は、神語だから」

「ええっ⁉」

「人族って神族の奴隷時代が長かったから、その時の言葉をそのまま使ってたんでしょう。奴隷時代以前の人族は、種族で言語が統一されていなくて、結構色んな言葉使ってて不便だった見たいだし。でも、交流がなくなってから千年経って、まだそのままで通じるのは確かに驚きね」

「ああっ! だから第二言語とか言って何か小難しい言葉勉強させられてたのは、そのせいか……」

「何の事よ?」

「こっちの話ではあるんだけど、僕らが今使ってる言葉を僕らは共通語って呼んでて、これが第一言語に指定されてる。これとは別に文化保護とかって名目で第二言語として祖先が使ってた言葉も教えられてるんだけど、これがまたこの国のは難しくてね。名前の付け方とかも祖先に習ってるんだよ」

 紙とペンを取ってくる。

「因みに僕の名前、サイキ・ケンジを第二言語で書くと『才樹 賢治』ってなる。まぁ自分の名前くらいしか書けないけど」

 ふーん、とティエルは珍しそうに僕が書いた字を見ながら言ってくる。

「他に何か聞いときたいことは、ある?」

「どうして人族の国に来たの? 大戦時敵同士だったわけだから、避けそうなものだけど」

 もっともな事を聞いてみる。

「人族ではそういう風に伝わってるのか……。だからいきなり襲われたりしたのね。寿命が短いと記録の継承も曖昧になっていくものなのかしら。あ、ちなみに、人族の方に来たのは単に近かったからよ」

 単純な理由でした。

「じゃあ、神族の方の記録ではどうなってるの?」

「人族の独立戦争自体はあったし、そのとき神族と人族が戦ったのもそうなんだけど、全ての神族が人族と戦ってたわけじゃなかったの。人族に味方する神族達も居たの。その彼らが戦後安心して暮らせるように、人族と協力して作ったのが『高天原』よ。だから、わたしも人族の事は特に警戒とかしてなかったの」

「……と言う事は、人族が記録を改ざんした? いや、事情を知らない人達を安心させるために、神族を封印したという事にしたのかも……。味方だった神族達は皆『高天原』に移り住んだ。外に居る神族は即ち敵対していた神族の残党。だから見つけ次第殺せなんて法ができた……のかな?」

「さあ? 人族の事情まではわたしには分からないわよ。というか、殺す法律とか、わたし命狙われてたのね。捕まえて乱暴でもされるのかと思ってたわ」

 どっちにしても御免こうむるけどね、と少し顔を蒼ざめさせながら言ってくる。

「法って言っても千年も昔のだし、皆もう碌に覚えてもいないけどね。ティエルを襲った連中も、殺すつもりはなかったみたいだったよ。ただ……死んだほうがましな目に遭わされそうな感じではあったけれど……」

「なおさら勘弁してほしいわね……。ケンジ」

 真剣な顔で僕の名を呼ぶティエル。

「助けてくれて、ありがとね」

「ど……どう、いたしまして……」

 やばい、凄い嬉しいんですけど……!

「あ、あーっと、それでティエルは、外の世界で何かする目的でも?」

 照れ隠しに話題を次に進める。

「うーん、特にはないかなぁ。ただ自由に世界を見て回りたかっただけ」

「そっか。じゃあ、まずはせめてこの国での自由を手に入れないとか。じゃないと、おちおち外も歩けない」

「何かアテがあるの?」

「いやー全然」

「ダメじゃん!」

「ダメだねー。でも何とかしてみせるよ」

「はぁー……」

 何か凄くガッカリさせたようで申し訳ない。

「他には? 何かある?」

 気を取り直して、ティエルが聞いてくる。

「え? あーうん、そうだね……気になってた事は聞けたかな。また何かあったら色々聞いても?」

 本当はもっとプライベートな事も聞いてみたかったが、ここは自重しておこう。でも一応それとなく布石も打っておく。

「ええ」

 言質を取った!

「じゃぁわたしの方からも色々聞かせて貰うわね」

 浮かれかけた表情を戻して、ティエルのお話を聞くモードに。

「んーそうね……やっぱり最初に聞くとしたら、コレよねぇ」

 うんうんと一人頷くティエル。

「なんで助けたの?」

 ずばり聞いてきた。

「助けたかったから」

 ずばり答えてみた。

「意味分からんわ! ちゃんと出来る範囲で良いから分かるように説明しなさい!」

 はいまったくその通りです。すいません。

 かくかくしかじかと、一連の経緯を掻い摘んでティエルを見つけたところまで説明する。

「まぁそこまではいいわ。それで、どうして見るからに怪しい角と羽生やした女の子を助けるわけ?」

「可愛かったから?」

 ずるっと、ちょっと椅子からずり落ちかけるティエル。顔がちょっと赤い。

「ケンジは、頭の具合が悪いのかしら」

「ティエルに出会ってからはそうかも知れないね」

「重症ね」

「最初はただの興味だった。そしてティエルを見つけて、興味は実現させるべき未来へと変わったのだ。君をあらゆる艱難辛苦から守って見せると!」

 詠うようにティエルへ想いを語ってみたら、

「これは神の治療が必要かしら……」

 思いっきり呆れられてしまった。テンションが一気に下がったことによって、冷静さが戻ってきてくれました。恥ずかしい。

「はぁ……本気で言ってそうだから困るわね。まぁそれも良いという事にしてしまいましょ。ケンジはわたしに惚れ……ホレ……」

 カーっと一気に顔が赤くなっていくティエルは、実に可愛かった。

 一つ咳払いをしたティエルは改めて一息に言ってくる。

「わたしに惚れたからケンジはわたしを助けたってことねわかったわ」

「一目惚れってあるんだねー」

「少し黙ってて!」

 ふーふーと浅かった呼吸を、深呼吸してティエルが気持ちを落ち着けている。お茶をさっと出してみると、ぐいっとあおって話を続ける。

「じゃあ次ね。わたしを襲ってきたのは何なの?」

「この国の軍騎士……軍騎士って分かる?」

「ニュアンス的に軍隊でしょ。続けて」

「うん。このヨナ市に駐屯してる軍騎士の軍将、一般的な言い方だと将官に当る人と、その直属の部下っぽい人達だった。全体でどのくらいの規模で動いてるのかは、今のところちょっと分からないかな。国として動いてるのか、国境警備軍が動いているのか、はたまたあの軍将の独断専行なのか……」

「ケンジの予想としてはどうなの?」

「うーん、僕は軍騎士の事とか詳しいわけじゃないから何ともだけど、動員されてた数がお世辞にも多くはなかったように感じたね。もちろん、僕が気付いてないところで大勢動いてた可能性は否定できないけど」

「つまり、ケンジとしてはその軍将とかの独断専行の線が強いんじゃないかと思ってるのね」

「ホント、当てにしないでね。途中遭遇したときは、軍で動いてるような事も言ってた気がするし」

「一戦交えたの?」

 びっくりした様子でティエルが尋ねてくる。

「まさか。そうなってたら僕もティエルもここにはきっと居ないよ。まぁ、そう成り掛けてたけどね」

「ということは、何処かからか誰かが助けてくれたってこと?」

「うん。僕らの動向を追ってる人が他にも居たみたいでね。その人が間に入ってとりあえずその場は大人しく撤収してくれたよ」

「へー。そいつやるわね」

「何といっても『最強』だからね」

「何よその『最強』って」

「助けてくれた人の二つ名というか、周りが勝手にそう呼んでるだけなんだけど……」

 おほんと咳払い一つ、説明モードに入る僕。

「その人の名前はアカホシ・ショウマ。四年に一度開催されている魔導戦大会を三連覇した人なんだ。この魔導戦大会っていうのがトンでもない大会で、参加資格は人族であることだけ。老若男女誰でも、犯罪者で監獄の中からでも、逃亡中であっても参加を表明すれば参加可能。それを逮捕することは禁止されてるくらい無茶苦茶なんだ。

 参加人数も無制限。使用武器も無制限。何だったら、武器と言わず兵器を持ち出したっていい。魔道だって使いたい放題だし、予め罠を仕掛けたって良いし、外野で人質を取ってもいい。毒を盛ってもいいし、試合前、最中に買収したって構わない。とにかく勝てばそれでいいって大会なんだ。

 実際、過去の大会では買収だけで優勝した人も居たらしい。会場に核を打ち込んだ参加者も居た事があるし、百対一なんて試合も最近あったよ。ちなみにこの二つはどっちもアカホシさんの対戦相手だったんだけど、あっさり蹴散らされてたね。訳分からない強さだよ。そうそう、相手を死亡させてしまった場合は、もちろん生きてる方の勝ちだから、毎回死者が結構出る大会でもあるんだけど、参加者は増える一方みたいだよ。人族で一番注目度の高い大会だから、動くお金も凄い金額らしいね」

「人族は皆そろって馬鹿ばっかりなのかしら……」

「まぁ各国の軍事力の展覧会みたいな意味もあるんじゃないかな。うちの国はこんなに凄いんだぞー、ってね」

「あいつやべー、皆でフクロにしちまおうぜ! って思われたらどうする気なのかしらね」

「それで、本当にドンパチ始まった事もあるとかないとか」

「ほんと、どうかしてるわ……」

 返す言葉もございません。

「まぁそんな狂気渦巻く大会を三連覇したアカホシさんは、人族史上最強の男って事で、『最強』って呼ばれるようになったんだよ」

「そんなのが来たら逃げ出すわ。わたしなら確実に」

「僕も間違いなくそうするね。逃がしてくれるかどうかが問題だけど」

 笑ってそう締めくくる。

「そういえば、この国は人族の領域のどの辺りになるの? わたしの移動距離から考えて、端っこの方だとは思ってるんだけど」

「うん、そうだよ。ちょっと待っててね」

 と言って、自分の部屋から地図を持ってきて、テーブルの上に世界地図を広げて指を指す。

「この一番西の端っこの国のヤマト皇国がここだよ。その更に一番西にある……」

 つつつっと指を少し地図の左側にずらす。

「このヨナ市がこの街だね。それで、ヨナ市から西にあるこの湖に『高天原』が作られてて、この湖の先は魔族領になってるよ」

 地図に載っていない『高天原』の位置と合わせて説明する。

「ほんとの端っこじゃない。思ったより移動できてなかったのね」

「直線距離で百キロメートルくらい移動してるし、十分じゃないかと思うけど」

「やっぱり飛行移動じゃ長距離移動には向かないかぁ。でも転移は味気ないしなー」

「そういうもんですか」

「そういうものよ。道中の景色とか空気とか、そういうのも楽しみたいじゃない」

 僕は目的地に時間を割きたいので、移動は簡略に済ませられるならそれに越したことはない派の人なので、ティエルの意見には賛同できなかったが、「そうだねー」と取り敢えず相槌を打っておく。物事の好き好きは人それぞれ。一々否定してたらケンカになってしまう。まぁそれも、時には必要であったりもするのだけど、今は必要ない。

「とりあえず、急ぎで聞いておきたいことは……他になかったかな……」

「お風呂や寝る場所はちゃんとあるよ」

「ありがと。ケンジがのんびりしてるからそうなのだろうけど、この家どの程度安全なの? 相手は言っても軍隊でしょ?」

「そうだねー……安全性で言えば、世界で一番じゃないかな?」

「大きく出たわね」

「何といっても現役の《勇者》の家だからね」

「《勇者》の家⁉ って事は、ケンジは《勇者》だったの? それにしては……」

「弱そうって思ったでしょ!」

「思ってない思ってない」

 ぶんぶんと首を振って否定するティエル。《勇者》じゃないので、にしては弱そうに見えるのは当然である。

「僕は《勇者》の家系じゃないから、そう見えなくて当然だよ」

「なんだ、気を使って損したわ」

 落ち着きを取り戻すティエル。

「じゃあ何でケンジは《勇者》の家に?」

 その質問に、十年前の経緯を手短に説明する。ついでに、それが原因で魔道が使えないことも正直に打ち明けておく。

「なるほどね。ケンジが《勇者》の家に住んでる理由はわかったわ。で、どうしてそんなに安全なのかしら。《勇者》の家だから手を出しにくいとか?」

「まぁそれもないとは言い切れないけど、もっと現実的に安全なんだ。第一に『高天原』に使われている結界と同程度のモノが家の敷地に沿って球状に張られてて、承認者以外中に入れない。第二に《勇者》謹製の罠が─これも承認者以外のモノにしか反応しない─地面空間関係なく所狭しと設置されてる。第三にそれらを一つでも突破すると即座に当の《勇者》にバレて、一瞬で《勇者》本人が駆けつけてくる」

「……エグいことになってるわね」

「僕がこの家に住んでからでも、そういう事が何度もあったから安全性は保障するよ」

「安全ではあるんでしょうけど、物騒な家ね……」

「あはははは……」

「それと最終防衛線が《勇者》って、どんだけ強いのよ」

「本人曰く『いっぺんにフル装備の人族全員相手にしたって、余裕で勝てる』らしいよ。《勇者》に挑んで滅んだ国は数知れず……」

「さすが、神族を滅ぼし尽くしただけはあるわね……。よくもまぁ、そんなのに戦いを挑むわね。放って置けば暴れたりしないんでしょ?」

「そうなんだけど、何故か放っておけないみたいで、大戦後から定期的に襲ってくるのがいるみたいなんだよね。特に今の《勇者》は僕の事が絡むと直ぐ暴れると評判です」

 ティエルがちょっと困った顔で聞いてくる。

「もしかして今の《勇者》って女の子?」

「そう! サヤちゃんって言って、この家に来る前からずっと一緒に居る幼馴染なんだ」

 ちょっと得意気に当代勇者のサヤちゃんの事を語ると、

「やっぱりかぁ……」

 とティエルが落胆する。

「女の子だとなにか問題でも? 実力は折り紙つきだよ」

「まぁそうなんでしょうけどね」

 言いにくそうにしながらも続ける。

「《勇者》に何とかしてもらえば良いんじゃないかと思ったんだけど……」

「今居てくれたら、確かに……」

「いや、居なくて良かったなぁと今は思ってるわ」

 サヤちゃんは凄く頼りになるのに、ティエルは可笑しな事を言うなぁ。

「今はサヤちゃんも大事な仕事の最中だから、呼び戻したりすると迷惑掛けちゃうけど、いよいよとなればそれも考えないといけないかなぁとは思ってたんだ」

「ダメ! 絶対ダメ! 何があっても《勇者》を呼び戻したらダメよ!」

 何故か激しく拒否された。

「他の女が居るところなんか見られたら、間違いなく即殺されるわ」

 ボソボソっとティエルが何か呟いている。

「?」

 良く聞き取れなかったので聞き返そうとすると、

「とりあえず! 《勇者》の線はなし! ということで」

「あ、はい……」

 勢いに押されてうなずく僕。

「この家から出なければ安全なのはわかったけど、いつまでも閉じこもってるわけにもいかないでしょ。どういう方向性で行くのかとか考えないとね」

「その辺の事はまた明日から考えよう」

 チラっと壁に掛けてある時計を見ると、十時を周っていた。

「少し遅い時間になっちゃったしお風呂入って今日は寝ちゃおう」

「そうね……言われたら何かどっと疲れが出てきたわ。お風呂先にもらっても?」

「ああ、どうぞどうぞ」

「じゃお先に失礼するわね」

「その間にティエルに寝てもらう部屋の準備をしておくよ。あ、着替えとか持ってこようか?」

「ありがと。服は『神威』で作ってるから必要ないわ」

「何という『神威』の無駄遣い……」

「便利だし、『竜血』で強化もしてるからすっごく丈夫で重宝するの」

「へー。僕の服とかも作って貰ったりなんて……?」

「出来ないこともないけど、『神威』で作ったモノって、消費した神気が尽きると消えちゃうの。わたしが身に付けてる分には勝手に補充されてるから大丈夫だけど、ケンジが着てたら突然服がなくなっちゃうわよ」

 街中で裸になっちゃうかもね。って良いながらティエルが「フフフ」と笑う。

「そっかー、残念」

 がっくり肩を落としていると、

「でも、いつもの服に『竜血』での強化は出来るから、それは今度やってあげるわ」

「やった!」

 ティエルをお風呂場まで案内して、そのままサヤちゃんの部屋に行く。

 六畳サイズの部屋にベッドが一つと服を仕舞っておくクローゼットと、下着や化粧品、小物などがしまってあるチェスト、後は姿見があるくらいの割と殺風景な部屋だ。基本サヤちゃんは何故か僕の部屋に常駐しているので、自室には最低限しか物を置いていない。それも初めは全部僕の部屋にあったのだが、流石に十歳を過ぎる頃から、何とかお願いをして睡眠や着替えなどは自分の部屋でしてもらっている。凄い大泣きして抵抗されたが、粘り強い交渉により勝利を掴み取った……はずだ。

 僕の部屋への立ち入りの自由と、週に一度は一緒のベッドで寝る事を引き換えにして。

 サヤちゃんの部屋は僕が毎日掃除しているので、準備と言ってもベッドのシーツを来客用に換えておくくらいか。この部屋に当然と言うか来客用は無かったので、自分の部屋から洗い換え用の綺麗なものをセッティングしておく。これで良し。

 リビングに戻り夜の報道番組を見て時間をつぶす。やっぱりというか、今日の事は何も報道されていなかった。程なくしてガラガラとリビングの戸が開く音がすると、湯上りのティエルが……いや、女神様がそこに……

「ジロジロ見るんじゃない」

 目を丸くしながら見つめていると、額をチョップされた。

 ティエルと入れ替わりで僕もお風呂に。

 ごくり……。これはさっきまでティエルが浸かっていたお湯……。

(飲むか?)

「馬鹿なこと考えてんじゃないわよー!」

 思わずビクッ! と反応してしまう僕。やましい事しかない。リビングから聞こえたティエルの声に冷静さを取り戻し、少し残念な気持ちはあるものの大人しくお風呂に入る。

(いやしかし、ティエルの残り湯に浸かってるこの状態! これはこれで……いい!)

 人生最高のお風呂でした。

 お風呂から上がると、リビングでテレビを見ているティエルに声を掛ける。

「ティエルは電化製品見ても驚かないね」

「ケンジが『高天原』をどんなとこだと思ってるか察してしまうわね」

「いやー……ははは……」

「別に構わないわ。わたしはわたしで、この千年の間に人族の技術もずいぶん衰退したんだなぁって思ってたから。『高天原』の設備は千年前のまま、超高度AIっていうのが管理運営してくれてるから、技術面で言えば今の人族より数段階も上よ。まぁ別にわたしが何かしてるわけじゃないから、偉そうに言うことでもないんだけど」

「人族は大戦以降完全に魔道寄りになっちゃって、科学技術を放棄しちゃったからそのせいだね。ここ百年くらいかな、魔導が研究されるようになって、科学が見直され始めてね。先端科学を担う魔族から、技術や理論を再習得してるところ。更に、魔族と共同で魔導研究所を作って、色々研究してるみたい」

 今や日常生活にも魔導で作られた便利な製品が溢れている。身近なものから、思わぬもの、とうぜん軍事兵器や武器なんかもだ。それに科学理論を知っておくと、効率よく魔道を運用することが可能になる。とは学園の教師の談だ。完全に物理法則を無視した現象を起こすより、物理法則に則った方が消費する魔力が少なくて済むというものである。ただ、魔道の奥義を窮めるなら、科学的な常識は無い方がいいかもしれないとも言っていたけど。

「時代が変われば変わるものね」

「過去に遡れば遡るほど、ロストテクノロジーになって行くんだからね」

 その後もテレビを見ながら取り留めのない話をしていると、あっと言う間に日付が変わろうかという時間になっていたので、「そろそろ寝ようか」と促す。

 そう言うと「ふわぁ~ぁ」とティエルが大きな欠伸をして、「そうしましょ」と言って来る。

 ティエルをサヤちゃんの部屋に案内すると、「え? この部屋で寝るの?」と何故か恐ろしいものを見るような目でこっちを見てきたので、

「ちょっと殺風景でごめんね。掃除はちゃんとしてあるし、シーツも綺麗なのだから安心してね」

 と不安を取り除いておく……何故だろう。浮かない表情のままだ。

「一緒に寝ても……いいよ?」

 ちょっと大胆に攻めてみる。

 ティエルは何か複雑な表情をしたまましばし黙考。何か諦めた様子で部屋に入っていった。

「それじゃ、おやすみ」

 そう言って戸を閉めるティエルに、

「おやすみー。……寝てる間に何処かに行ったりしないでね」

 思わずそう声を掛けてしまう。

「…………下らない心配してないで、さっさと寝なさい」

「そうする」

 自分の部屋に入るとそそくさとベッドにイン。自分が思っていた以上に疲れていたのか、目を閉じるとあっという間に眠ってしまった。


 翌朝。

「ちょっと! ケンジ! 大丈夫なの! ケンジ!」

 と、美しい天使の囀りで目が覚めた。怒鳴り声みたいだったが、些細な問題だろう。目を開けて直ぐ飛び込んでくる、ティエルの顔。何だろう。良い。服はもう着替え─作り替え─たのか、何故かスポーツウェアのような動きやすそうな服になっていた。何かちょっと残念。もっと可愛い服にすればいいのに。どうしてか凄く心配げな顔をしているが……

「何か凄いうなされてたし、汗びっしょりじゃない……」

「あ? ああ……。いつもの事だよ」

 いつも通り、いつも通りの夢を見てうなされてただけだろう。そう伝えると、

「全然大丈夫じゃないじゃない」

 余計心配させてしまった。

「とりあえずシャワー浴びてくるよ」

「はいはい。行ってらっしゃい。……ほんとに大丈夫なのね?」

「ここ十年ずっとだから、もう慣れっこだよ」

 いつも通りサッとシャワーで汗を流して、身支度を整える。事が一段落するまでは学園にいくつもりはないので、制服ではなく私服だ。よし。さぁ、朝食の準備だ。

「ご飯は昨日炊いた分全部食べちゃったから、今日はパンにしとくかー」

 ちゃちゃっと食パンをトーストにかけ、目玉焼きとサラダも用意。

 まだ心配そうな顔でティエルがこっちを見ているのがちょっと気になる。

「そんなに心配しなくても平気平気。朝ごはん食べたら、今後の行動方針を考えなきゃね」

 殊更明るくそう言うと、少しティエルの表情も明るくなった。

「そうね、腹が減ってちゃ頭も働かないわ」

「足りなかったら追加でパン焼く……」

「二枚追加で!」

「はやっ!」

 昨日に引き続きティエルは良く食べました。


 朝食の後片付けを済ませ、時刻は八時少し前。いつもならそろそろ登校する時間帯だ。

 安全だとはいえ、ティエルを一人家に置いて学園に行ってもどうせ、気もそぞろになるのは目に見えていたので早々と休みの連絡を入れてある。

「気にしなくていいのに」

 とティエルは言ってくれたが、気にならないわけが無い。

 学園からも事情を聞かれたが、「《勇者》関係です」とテキトウな嘘で誤魔化しておいた。深くも浅くも突っ込まれないので非常に便利ないい訳だ。

 窓から外を確認してみたが、見える範囲に軍騎士が居たりは……流石になかった。朝のニュースでも特に軍の事について触れられる事はなかった。極秘裏の作戦行動であろうとはいえ、街中で軍が動いている以上、軍の動きを何も掴んでないということも考え難いので、情報規制がかけられていると見ていいんじゃないかと思う。当然この家を何処かから監視はしているはずなので、うかうかと外に出るわけにも行かない。食料の備蓄に関しては、地下に一年分程度はあったはずだし、電気は元々自家発電─魔導技術による家庭用発電機。半永久機関方式である─で、火の元や水周りも魔導製品で自動供給されるので、立て篭もる分には特に不安要素は無い。が、立て篭もっていても事態が好転するとは限らないわけで……。

 兎にも角にも、情報が無さ過ぎる! これに尽きるのである。

「このまま暫く様子を見るか、はたまた素早く何かしらアクションを起こすべきか……」

 うーん……と頭を悩ませるが、あいにく頭脳派の策士ではないので何もいい案は出てくるはずも無い。

「家の中から、せめて周囲の様子なんか分かればなぁ……」

 と零れた言葉に、

「──それなら、……うん。出来なくもないかな」

 ティエルから思わぬ返答があった。

 ティエルがこの辺の地図はないかと言うので、自分の部屋にA3サイズのヨナ市の地図があったのでそれを持って来ると、

「これでもまぁいいけど、出来たらもっと大きなのがいいわね」

 と言われたので、おじさんの部屋を漁る事にする。

 おじさんの部屋は書斎になっていて、寝室はまた別にある。おじさんの書斎は三畳ほどの小さな部屋と本などを仕舞っておく十畳くらいの部屋がある。小さな部屋には木製の机と座り心地良さそうな椅子、あとは大き目の本棚が一つあり、雑多な種類の書籍や資料が並べられている。奥の大きな部屋には古代の貴重な文献やら伝説の武具やらが所狭しと置かれている、というよりはごちゃぁっと無理やり押し込んであると言った方が正確だろう。

 取り敢えず今は奥のゴミべ……おほん。秘蔵の間には用はないので、手前の部屋の本棚を漁ることにする。全く整理されてないので探すのに少々手間取ったが、目的の物が見つかった。ヨナ市全域が載った地図で、大方二畳分ほどのサイズだ。奇麗にA4サイズ程度に折りたたまれて仕舞ってあった。その地図を持ってリビングに戻り、テーブルや椅子を端にどけて床に広げる。

「うん。これなら十分十分」

 ティエルが早速準備に取り掛かる。僕は邪魔にならないようにどけた椅子に腰掛けて様子を見守ることにする。

 ティエルが三対六枚の羽を展開し、『竜血』を滾らせる。

「【索敵範囲強化、高度強化、深度強化、精度強化】」

 ティエルがそう呟くと同時に、ティエルの足元を中心に一メートルほどの光の輪が出現する。その光の輪から垂直に光が伸びていく。家の中なので当然天井より上まで伸びていった光が、どこまで伸びていったのかは分からない。

「【いけ!】」

 力ある言葉と共に円柱状になった光が、外に大きく、一気に広がっていく。暫くすると光の柱が唐突に消失する。それを確認したティエルが地図に手を置くと、地図上にいくつもの光点が表示される。地図全域とまでは行かないが、大方六から七割ほどのカバー率だ。家が市の西の端の方にあるので、東側まではカバーし切れなかったようだ。距離にすると大体半径十キロほどの範囲がカバーされていることになる。『神威』ってこんなこともできるんだなと感心しながら地図を見ていた視線を少し上げると、空中にも光点があることに気付く。

「その光ってるところは、一定以上の魔力を持った人間よ」

 その言葉通り、沢山の光点が動いているのが確認できる。学園や基地、警邏騎士の各団署は一際光点が強く大きく光っている。

「魔力の強さと光の強さ、光の大きさと人数が紐付けてあるから……軍騎士って言うのは皆手練の魔道士なのよね?」

「ああ、うん。戦闘員に関してはそのハズだよ」

「とすると、このさっきからずっと動いてない小さいけど強い光。これらが見張りの軍騎士である可能性は高いわね。この空に居るヤツなんかも怪しいんじゃない」

 ティエルは僕に地図の反対側を持つように指示。「地図を持ち上げるわよ」と言われ、ティエルと一緒に持ち上げる。特に何も無いようだ。それを確認すると、そっと地図を降ろす。

「地下に潜んでるのは居ないみたいね」

 さっきの索敵術、地下も探ってたのか……何というか『神威』凄い便利すぎじゃないですかね。

 そうティエルに伝えてみると、

「そりゃ神の御業ですから。なーんてね。こんな地味な使い方するのはわたしくらいよ。他の神族達はもっと派手というか大雑把な使い方しかしないのよね。想像力が足りてないんじゃないかと思うわ」

 得意気な顔で応えてくれた。

「魔道も想像力が大事だって先生が言ってた」

「『神威』も魔道もそういうところは似てるのね」

 動きがない、もしくは一定の狭い範囲から出ない、強い光の小さな点を二人で探していく。

 この家を緩く囲むように一定の間隔で配置されているのが見て取れる。その包囲網が全部で三重になっている。これを多いと見るか、少ないと見るか……。そして、全員が軍将の意図の下動いているのか、別の理由で駆り出されているのか。と、ここで気になったことをティエルに聞いてみる。

「そういえばさっきの光の柱って、向こうにバレて警戒されてたりしない?」

「マナや魔力が見えるのは精霊士だけよね?」

 という確認に「うん」と答える。

 続く軍騎士に精霊士は居るのかと言う質問には「知る限りにおいては居ない」と返す。

「なら大丈夫でしょう。人であれが見えるのはケンジと同じ精霊士だけよ」

 もう一つティエルに聞いておく。

「この点はいつまで光ってる?」

「わたしが『神威』を解除しない限りは、死ぬまで消えないわよ。この索敵陣の中に居る人族全員に、魔力で作動して魔力信号を送る式を打ち込んであるからね。その信号を陣で受信してこの地図に投影してるの」

 リアルタイムで相手の動向が掴める様になった訳か。一歩前進と言えるだろう。しばらく光点を眺めていても、包囲の輪が縮まってくるようなことは無く一定の距離を保ったままだ。やはりこの家に直接干渉してくることはなさそうだ。

「わたしとしては人族の領域から出るしかないんじゃないかと思うけど。逃げるだけならこの包囲網だって強引に突破できるし」

「今のところ僕もそれくらいしかないかと思ってる。って事は、相手にそう思わされてるんじゃないかと考えてる」

 逃げるとしたら国境が近い西側と言うことになる。地図の光点は西側にも存在しているが、市内側に比べると明らかに少ない。隠れられるところが少ないからかとも思っていたが、わざと手薄にして誘っているようにも見える。それに、誰よりも早く軍騎士はティエルを神族として追っていた事にも疑問が残る。魔力や魔道の痕跡を調べる機械や薬品はあるが、御伽噺の存在となった神族を察知する方法など存在しないはずだ。『高天原』の結界をぶち壊して来たとかならともかく……。

「そういえばティエルはどうやって結界を抜けてきたの?」

「『高天原』の結界は神気に反応するように出来てるの。内側のは神気があるものを通さず、外側のは神気がないものを通さない。わたしは基本竜気がメインで神気はサブなのよ。だから実は出るのは別にいつでも出来たの。一応『竜血』を使ってコーティングして神気の完全遮断くらいはしたけどね」

 となると、この時点で気付かれたということはないと見ていいだろうか。

「外に出てからは『神威』を使ってびゅーんとひとっ飛びよ。湖を越えて湖岸の上空を飛んでた頃かな、急にあいつらが襲ってきたのが」

 これだけなら、領空侵犯に対するスクランブルとも考えられる。年に数回程度の頻度でだが、飛んできた龍族に対して軍騎士がスクランブルしたというニュースが流れる。国境の街なので、竜気や魔力を感知するレーダーが設置されているのだ。この中に神気を感知するレーダーがあったのだろうか。現在の技術では作ることはできないだろうし、そんなものがあると言う話も聞いたことが無い。となると千年ほども前のレーダーか、それに類するものが、人知れず現在まで正常稼動し続けていたと言うことになる。これもおよそありえないようにしか思えない。

「いきなり攻撃されて怖くなってあちこち逃げ回ってるうちに、『竜血』の使いすぎでお腹が減っちゃって……」

「あの時気を失ってたのって……」

「お腹の空き過ぎでした(テヘ)」

 うおおおおおおおおおおおおおお!

 何だ何て言うんだこれ、ええいとにかく可愛いは正義!

 おちつけーおちつけー……おちつけー俺。──ハイ! 落ち着いたー。

 この時の軍騎士達からの連絡で、軍に神族発見の報が伝わったと考えるのが妥当だろうか。

 最初に現れた軍騎士達の様子をティエルに聞いてみる。

「え? そうね……そう言えば……『対象Gを発見しました』とか言ってた気がするわね」

 ティエルの記憶が間違っていなければ、軍騎士の言葉から察するに、あらかじめ神族だと分かって来ていた可能性が高いと言うことだ。Gが何の略なのかは分からないが、まぁ当時の神族を表す言葉の略だろう。

 となるとやっぱり神族を探知する方法が何かしらあると想定しておくのが良いだろう。『神威』の発動を感知しているのか、持っている神気を感知しているのか……。ここはこちらに都合の悪い神気感知だと想定しておこう。となると、ティエルが羽を出すと居場所がバレるということになる。隠れて行動しようと思うなら、ティエルの『神威』には頼れない……いや、『神威』は創造だって言ってたな……神気の塊を作ってばら撒く事でかく乱することができるかもしれないな。

「神気を感知して居場所を特定してくるのを逆手に取ろうって言うのね。いいわねやろうやろう。どうせこの場所はばれてる訳だから、ここで『神威』を使う分には問題ないしね。何だったら形も作ってある程度自立行動するようにもして……分身の術みたいで面白そう!」

 分身の術って、そんな忍者みたいなのどこで知ったんだろう。

「『高天原』にあった映像作品に出てくる忍者が良く使ってて、カッコイイなと思ってたのよ」

 『高天原』さん……。

「さらに質量まで持たせたら、よりいいと思わない?」

 デコイだとバレる前提のものにそこまで拘らなくてもよろしい。興奮するティエルを落ち着ける。

 姿のコピーに認識誘導を付加したものに神気の塊を埋め込み、自立行動で複数体この家から各方面に走らせることにする。何体くらい用意できそうか聞いてみると、

「とりえあずいいのが出来るまで作ってみてだね。あとはコピーするだけだから神気の許す限り」

 作り込み次第で必要量が変わるから今の時点では何とも言えないが、十体を超えることはないと思うとの事。国外に逃げようとすると相手の思う壺に嵌りそうな気がするので、逃げないとすると何処かに助けを求めるしかないが……警邏騎士に保護してもらうのがいいだろうか。この街の警邏騎士に、この国の精霊士が二人とも所属しているので、単純な戦力的には国境警備軍を遥かに上回る。しかもその内の一人があの『最強』だ。

 警邏の庇護を得るにはティエルにこの国の基本的権利がなければならない。幸い羽さえ隠しておけば神族だとバレる事は無いので、龍族のハーフという事にしておけばいい。軍が神族だと言っても誰も信じないだろうことは火を見るより明らかだ。例え映像があったとしても、だ。

 一つ、手っ取り早くティエルの権利を得る方法を思いついた。いや、しかし……正直にティエルに言っても拒否される可能性は大である。だがこの方法なら確実にこの国における基本的な権利全てを手に入れられる……はずだ。

 ティエルに「ちょっと思いついたことがあるから、確認してくるから待ってて」と告げて、おじさんの部屋で再び本棚を漁る。今度は割りと直ぐに目的の物が見つかった。ページを捲り目的の項目を探す。記述内容を見て、一つ問題がクリアになった事を確認する。情報端末から役所に用紙の申請をして、家まで届けてもらう。これが届いたら行動開始できそうだ。リビングに戻りざっくりとした行動方針を伝える。

「まずは最寄の役所に行って、ティエルの権利関係の申請をする」

「神族の申請が通るかしら?」

「馬鹿正直にバラしてたら無理だろうから、家から出たら羽は消しておいて。そうすれば龍族のハーフで十分通じる。これで通せる方法があるんだ」

「分かった。任せるわ」

「直ぐにも権利が有効になるから、その足で今度は街の北にある警邏第一分団の団署に行って助けを求める」

「軍相手に動いてくれるもの?」

「軍と警邏の力関係は、市内においては警邏が優先されてる。おいそれと軍も手出しが出来ない。それに、この国の権利を得た時点で、ティエルは警邏が守らなければならない善良な一般市民の扱いになる。そして、この街にいる軍より警邏騎士の方が強いって事が決定的なところだね」

「この……」

 ティエルが家の比較的近くで強く大きく輝く光点を指す。

「この西の団署じゃだめなの?」

「西の警邏は軍とズブズブだって、その辺の事に詳しい友人─タケルの事だ─が言ってたから、避けておこうかと。それと北にはこの国の精霊士が二人所属してるから」

「なるほどね。ちょっと遠いけど仕方ないわね。でもこれって、篭城場所が変わるだけじゃないの? 根本的な解決にはならないような……」

「ただ逃げ込むだけならそうだね」

 ちょっと悪そうな顔でにやりと笑ってみる。「変な顔」とティエルに笑われてしまった。慣れないことはするもんじゃないなと反省しつつ、気を取り直す。

「だから、逃げ込むのじゃなくて軍と警邏が戦わざるを得ない状況に持って行く」

「そんな事できるの?」

「ダメだったらまた次の手を考えるよ。セーフポイントがあるから時間には余裕があるからね」

 とりあえず現状の個人対組織を、組織対組織に持っていかないと。個人の力では圧倒的に勝っている程度では、組織に勝つことは不可能だ。《勇者》や、せめてちゃんと魔道の使える精霊士くらいの隔絶した差がなければ数の力には抗えない。現状頼れそうな組織が警邏騎士団と言うわけだ。警邏なら軍を強制捜査することも可能だし、上手くすれば軍将をとっ捕まえて目的を吐かせることもできるかもしれない。何とか軍将本人まではいかなくても、その目的を知りうる立場の人物を確保したいところだ。

 ほんとざっくりとだが行動方針が決まったので、準備に取り掛かる。

「わかってると思うけど、ケンジは魔道使っちゃダメだからね」

「? 大丈夫。僕魔道使えないから」

 かくかくしかじかと十年前の事を簡潔にティエルに伝える。

「亡くなった人たちには申し訳ないけど、それでケンジが魔道を使えなくなったのはかえって良かったわね」

 ティエルの「良かった」という言葉に一瞬、手に力が篭る。大きく息を吐き、硬く握り締められていた手を解いて心を静める。

「怒ってくれていいわ。ただ、その事故がなく、今のケンジがその時と同じ魔道を使ったとしたら……こんな大陸なんか跡形も無く海の藻屑になるわ。国一つ分ほどの面積が焼失するなんて、そんな可愛いものじゃ済まない。本気で破壊力のある魔道なんて使ってしまったら、この星が消えると思っておいて」

 ちょっと、ティエルさんが何を言っているか分からない……。ううん。分かりたく、ない……。

「ケンジが魔道を使えないのは、もちろんその時の恐怖心もあるでしょ。でも本当のところは違う。ケンジも本当は気付いてるんでしょ? 本当に怖いのは、次魔道を使ったら、世界が、この星が、ううん、自分の大切な人たちが全て無くなってしまうに違いない。その確信があるからよ」

 ティエルは僕の事を盛大に買い被りすぎてるみたいだ。ははは……僕は魔道の使えないダメ精霊士なんだ。魔力の制御が下手だから上手く魔道が使えないだけなんだよ。ティエルが言うようなそんな凄い魔道なんて使えるわけがないじゃないか。世界が、星が、消滅するような超魔道が、そんな空想の神々のような事が、ただの人間にできるわけがない。だから、だから、だから……ちがうちがうちがうちがうちがう! ぼくは、ぼくは、ぼくは……っ!

「僕は! こわい……僕が怖い……。こわいんだ……。ああ……あああああああああああ……!」

 目の前に、白にしか見えないような青みがかった炎。瞬く間に広がる超々高温の炎に包まれ世界が消える。父さんが、母さんが、サヤちゃんが、タケルが、友達が、街の人が……そしてティエルが、白炎によって一瞬にして塵も残さず焼かれてしまう。そんな人間など最初から居なかったかのように、原子の一片すら残す気はないようだ。しかしその炎も僕だけは焼かない。焼けない。僕を焼くにはこの炎ですら火力不足とでも言うのだろうか。どうして僕だけ焼いてくれない! どうして僕だけ残すんだ! 酷いじゃないか! 僕も! 僕も! 僕も……っ!

「……っ⁉」

 突如白炎の壁を突き破って、二本の白い腕が伸びてくる。そっと僕の頭をつか……イタイイタイイタイ。メキメキ言ってる! メキメキ言ってるよ! およそ頭部からでちゃいけない音してるよ!

「いったああああああああああああああい!」

 喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げると、気付けば目の前には先ほどまでと何も変わらないリビング。何も焼けてないし、ティエルだってちゃんと目の前に……居て僕の頭を鷲掴みにして……

「って、ぎゃあああああああああ!」

 再びティエルのゴッドクローにより絶叫を迸らせる。

「ティエル! いたいいたい!」

 バシバシと僕の頭を掴む腕を叩くと、パッと手を離してくれた。

 あまりの激痛に、掴まれていたところを摩りながらしゃがみこんでいると、

「正気に戻ったようね」

 ティエルもしゃがみこんでこちらの顔を覗き込みながら声を掛けてくる。

 元はと言えばティエルが……いや、今はまだあまり深く考えないでおこう。

「もうちょっとお手柔らかにお願いします……」

 心の傷に少し触られたくらいで我を失うなんて……カッコ悪いところを見せちゃったなぁ。

「ここまで劇的な反応があるとは思ってなったわ。ごめんなさい。わたしが思うよりケンジの心の傷は深いようね」

(ある意味これはケンジのご両親の愛の形……なのかも知れないわね。もっと他にやりようは無かったのかと思っちゃうけど……)

 ティエルは顎に指を当てしばし考えた末、

「お詫びに何か一つお願い事聞いてあげるわ! 何でもいいわよ」

 と言って来る。

「えっ⁉」

 今、「何でも」って言った? 言ったよね? 僕の聞き間違いじゃないよね?

 ちょっとどころじゃないピンクな妄想が一瞬にして脳裏を駆け巡る。

「あ、もちろんえっちな事は……」

「『多少ならいいわよ』『ですよねー』」

 ……………………

「えっ⁉」

 目をパチクリさせる僕に、ふふふと冗談めいた笑みを見せるティエル。女神かっ! あ、女神だったわ。半分だけど。

「そ、そんな事言ったら、ほ、ほ……ホントにしちゃうからね」

 そんな度胸は微塵もないけれど、やっぱり興味は深深なので強がりを言ってみる。

「期待してるわ」

 ぐぬぅ。どうにも見透かされてる気がしてならないなぁ。しかし折角の絶好の機会! 勇気を振り絞れ!

「じゃ、じゃぁ……全部上手く行ったら、その……キス……させてください……」

 きゃああああああああああああいっちゃったあああああああああああああ!

 死ぬ死ぬはずか死ぬ! 絶対顔真っ赤だよコレ!

 両手で顔を覆ったままそろりと顔を上げて、ちらりとティエルの様子を伺う。何かきょとんとした顔をしてらっしゃる。もしかして、いきなり口付けなんか要求して超絶引かれてしまったんじゃ……。

「ふふ。そうねー、全部上手く行ったらその時は、わたしからキスしてあげる」

 これは前払いねと頬に軽くティエルの唇が触れる。その瞬間僕の頭はショートした。遠のく意識の中、ティエルが顔を真っ赤にしながら、倒れいく僕を慌てて支えてくれていた。


(何か凄く良いことがあったような気がするけど……なんだっけ……)

 ぼやっとする意識の中、頭をもぞもぞと動かすと何かとても気持ち良い感触がする。

 くわっ! と意識だけが一気に覚醒する。目はまだ閉じたままだ。まだ悟られてはならない!

(こ……これはもしや、噂に聞く膝枕……⁉)

 もうしばし堪能しよう。そう固く心に誓い、後頭部に意識を集中させる。

「あ、ケンジ意識が戻ったのなら、何時までも寝た振りしてないで起きなさい」

 と少し離れた所からティエルの声が聞こえる。なんでバレた! っていうか、じゃあこの膝枕は誰のだ⁉ パチっと目を開き素早く自分が頭を乗せていたものを確認する。結論から言うと、見たことない膝枕型の枕でした。何でこんなものが!

「良く出来てるでしょー。ケンジが急に気を失うもんだから、『神威』で作ったのよソレ。わたしの膝枕型枕、目覚めをお知らせする機能付よ」

「家宝にしてよろしいか?」

「もうじき消えるわよ」

 そんなー。

「改めて言うけど、ケンジは魔道なし。わたしは『神威』なしで今回の作戦は実行ってことで」

「正確には家を出てからは、『神威』なしね」

「うん。わたしはそれでも『竜血』があるけど、ケンジは何かある?」

 そう聞かれて、軽く腕を振って愛用の武器を袖の内から取り出す。初めは三センチほどの小さなおもちゃみたいな棒が、手の中で見る見る大きくなっていく。ざっと一メートル程のサイズまで大きくしたところで止めて、しっかりと握る。

「こんな棒とかならあるよ」

 それを見たティエルが真夏に雪でも降ったかのような、驚愕の表情を浮かべていた。

「そ……それ、もしかして……『如意棒』じゃない……?」

「え? さあ? おじさんに『一人前合格記念にこの棒をやろう』って言われてもらっただけだから、名前とかは知らないんだ。とにかく頑丈で伸縮自在だし便利だよ」

「ちょっと見せて!」

 バシッと如意棒? を僕から強引に奪ってあちこちジロジロと観察している。

「やっぱり間違いないわ。これ、仙族が作った『宝具』の如意棒よ」

 一通り観察して満足がいったのか、僕の愛棒を返してくれる。そして何も聞く前からティエルが解説を始めていた。

「仙族って言うのは神族の上位種族にあたるんだけど、全員各々の亜空間に引篭もっててこっちの世界には出てこない奴らなの。その仙族が引篭もって何してるかっていうと、それが『宝具』作りなの。『宝具』は簡単に言うと、永続する『神威』の具現物ってとこかしら。神気を補充しなくても『宝具』自体がマナを取り込んでエネルギーにするの。その仙族がたまーに地上に現れて『宝具』を誰かにあげたり、作ってあげたりした事があるらしいの。その一つが、その如意棒よ」

 そんなとんでもない貴重品でしたか。もしかしたら、まだそんなのがあの部屋にはゴロゴロあるのかもしれないな。

「で、その如意棒なんだけど」

「はい」

「伸縮自在って言ってたけど、そんなもんじゃーないはずよ! 文字通り『如意』の棒なの!」

「と言いますと?」

「うん。つまり、その棒はケンジの思い通りになる棒ってことよ。伸縮大小は言うに及ばず、曲げたりバラバラにしたり、出したり消したり、もうとにかくケンジの想像力次第で何にでもなっちゃうのよ!」

 試しに棒が真ん中で曲がるイメージをすると、その通りに棒が曲がった。

「おお!」

 今度はちょっと捻って、先端を細く手元に近付くにつれて太く、後端は柄用にいつものままで。いわゆるランスの形をイメージ。するとやはり棒は一瞬にしてイメージ通りの形状へと変化する。

「確かに、これは凄い。逆に使いこなせるかな」

「伸ばしたり縮めたりなんかはしてたんでしょ? やってるうちに直ぐ慣れるわよ。きっと」

 伸縮を取り入れた技なんかを思い出して、それもそうかなと何となく納得する。そうなると、どんな技に応用できるか考えるのが楽しみだな。落ち着いたら色々試してみよう。

「あとその如意棒、マナを基調とするエネルギーが供給されてる限り絶対に壊れない性質があるみたいね。この宇宙にある限り永久に壊れることはないと言っていいわ。例えマナを絶たれても、ケンジが持ってればそこからエネルギー補給できるから安心ね」

 一通り説明し終えたティエルが満足げな表情を浮かべる。

「ケンジがそんな武器持ってるなら、いざというときも少しは安心よね」

「勝ち目がないから戦闘は回避したいところだけどね……」

 一対一なら《勇者》仕込の業で何とかしてみせる自信はあるけれど、相手は軍騎士。作戦行動時は三人一組が基本だと聞いているから、ティエルを戦力に数えても二対三が最低ラインだ。あくまで最小の行動単位なだけで、小隊単位で動いていれば六~九人は相手しなければならなくなるし、そうなればとても太刀打ちなどできはしまい。だからそうならない為のアレコレの仕込みが大事になってくる。こちらのアドバンテージである『神威』を上手く活用しなければならない。

 ティエルは早速コピーの製作に取り掛かっている。鏡で自分の立ち姿を確認しながら作っては消し作っては消している。自分のコピーとなるとやはり拘りがあるのだろう。まぁ、役所からの書類が届くまでは二、三日掛かるので、好きにさせておこう。特にコレといって今は出来ることもないので。


 それから二日後。

 無事役所から書類が送り届けられてきた。郵便物などを軍が差し押さえてなくて良かった。一般市民の私文書等の検閲は違法になっているから、今のところはまだそこまで踏み切らなかったのだろう。何はともあれ、まずは第一段階クリア、だ。

 ティエルには何の書類かは伏せておく。上手く隠して必要なところだけ記入してもらう。僕も必要事項を一通り記入し、漏れがないかチェックしておく。うん。よし、大丈夫だ。

 役所がすんなり受理してくれるかも一つ問題だが、渋られる様なら《勇者》の七光りを使うのも吝かではない。ここに時間をかけてる場合ではないので。ティエルを騙してるようで少し後ろめたいものの、とにかく第二段階もクリアだ。

 この二日間の間に二人でアイデアを出し合った結果、ティエルのコピー体に加えて僕のコピー体も作成し、二人組と単独の二種類を行動させる。偽者を掴まされた後見つけた本物っぽい物はより本物に見えることだろう。当の僕達自身は変装して堂々と行く。下手にコソコソしている方が目に留まりやすいのではとの判断だ。一般市民は一般市民の振りをするのが一番だろう。なので作戦決行は休日の日中。つまりは今日だ。天気も予報では良好だ。僕が生まれる遥か昔は、役所と言えば休日は閉まってるものだったらしいが、現在では祝祭日と年末年始以外は開いているのが常識だ。一応事前に開いてるかどうかは確認済みだ。行ったら閉まってたでは堪らない。

 コピー体は全部でティエル型八体と僕型二体の計十体に変更。二人組を二ユニット作成しその内一組にはガー君に着いていってもらう。残りのティエル型六体は本命の囮に信憑性を持たせるための囮として各方向にばら撒き、最終的には軍騎士達を僕らが通る道へ敢えて誘導する。そこでそれらも偽者だとばれる様に仕向ければ、騙されたと知った軍騎士達は急いで別の怪しいと思われる場所へと向かうだろうという算段だ。まさか正解のルートに誘き寄せたりしないだろうという意識を逆手に取ってやる。仮に途中で偽者だと気付かれても問題ないのがこの作戦の良い所だ。結局はこちらの目論見通り、ルートから離れていってくれるのだから。

 軍騎士達の配置は日によって変わっていたが、西方面を空けての包囲という点に変更はない。家を出ればあの地図で位置を確認することはできないので、作戦が上手く行ってるかどうか確かめる術はない。祈るだけだ。

「準備出来たわよ」

 ティエルが計十体のコピー体を玄関前まで引き連れてくる。別れた後の行動は全て組み込んである。必要な荷物も二人で何度も確認した。忘れ物はないはずだ。ティエルの服装は『神威』で作った服ではなく、サヤちゃんの部屋から拝借してきた僕の知らないブランドのロゴの入ったTシャツにショートパンツ、後は僕の部屋にあったキャップを角隠しに被っている。龍族であることは隠す必要はないので、角が見えても問題はないが、人族の国で暮らす龍族の若者は角を敢えて隠すのが今の流行だとテレビでやっていたので、それを取り入れた形だ。僕としてはティエルにはもっとヒラヒラのフリフリで可愛らしくしてもらおうと思って、まず真っ先にそれを持って来たのだが、「動き辛い」と容赦なくその案はバッサリ切られてしまいました。なので動きやすさ重視で次に持ってきたのが今の服という訳だ。まぁ……ティエルの生足が拝めるので、これはこれで……。ありがたや、ありがたや。思わず拝みそうになる。

 『竜血』での強化と、万一にも神気が漏れない様に竜気によるコーティングもしてもらっている。『高天原』の結界を抜けてきたときと同じ状態である。一方僕の方はというと、代わりにと言うか何と言いますか、ティエルが選んでくれたフリフリでヒラヒラのワンピースを着せられている。サヤちゃんのではサイズが合わないので、背丈が近いおばさんの部屋を物色。着られるものの中から選ばれたのが、今のワンピースだ。シックな青をベースにした空模様のノースリーブのフレアワンピース、とはティエルの説明だ。僕には青いワンピースくらいしか分からない。下には白い長袖のシャツを着て、スカート部分の下は普通に男物の下着である。肩くらいまでの黒髪のカツラも装着し、ティエルに軽くお化粧もしてもらっている。そう、僕の方は女装である。

(うう……スカートは心もとなさ過ぎる……)

 ロングソックスに長袖と肌の露出は最低限にしてあるが、体格だけは誤魔化し様がない。とは言え、僕は別にムキムキマッチョという訳でもない。もちろん鍛錬で引き締まった体は筋肉でしっかり覆われている。意識してなで肩にすることで多少女の子らしさを出しておく。……出せてるよね?

 後は仕草なんかもと一度は考えたが、この短い準備期間では逆に不自然になって目立つというティエルの最もな意見に従い特に練習などはしていない。精々この二日間女性物の服を着て生活して慣らしておいた程度だ。多少着慣れたとは言え、やはり家の中とは気の持ちようが違う。家の中ではもう慣れたつもりで居たが、所詮つもりであったようだ。いざ外に出る段になって、恥ずかしさと心もとなさが堪らない。いつまでも玄関前でもじもじしてる僕に業を煮やしたティエルが、

「ほら、いつまでそうしてるのよ。さっさと行くわよ」

 ドンと僕の背中を押す。

 テンションの低い僕を尻目に、何故か妙にテンションの高いティエルに引っ張られて玄関から一歩を踏み出す。家の敷地を出ればそこはもう安全地帯ではない。心は引き締め体は緩め、頭は常に冷静に。人事は尽くした。後は天命を待つのみである。

 コピー体たちとは一端一塊で近くの複合商業施設へ向かう。認識誘導によりそれなりに重なってさえいれば二人にしか見えないようにしてある。そうやって移動し家の出入りの監視を切ったところで別れる予定だ。魔道や遠隔操作による機械類による監視は予め排除済み。なので監視は遠方からと上空からのみ。第一目標の場所に軍騎士が居ないことも確認済み。大丈夫、上手く行くはず……いや、上手く行かせるんだ!

 僕はティエルを安心させるように、ティエルの手をきゅっと握る。ちょっと驚いた様子だったが、ティエルも僕の手を握り返してくれる。ティエルを安心させるつもりが、僕の方が心を落ち着かせてもらっている気がする。ガー君が繋いだ手に止まり、自分の事も忘れるなよとアピールしてくる。そんなガー君を二人空いた手で撫でながら「しっかりな」「よろしくね」と声を掛ける。一つ頷き合うと、僕とティエルは手を繋ぎながらゆっくりと歩き出した。


間章 それぞれの動向


 しばし時は遡る。

「軍将、見逃して良かったので?」

「ふん。『最強』まで出てきては是非もない」

 部下からの問いかけに、サイトウ三等軍将は苛立ち混じりにそう答える。

「一時基地に帰還する。G捕獲作戦行動中の全部隊に通達しろ」

 サイトウ三等軍将の命令を受け、無線にてすぐさま各部隊へ帰還の命令が伝えられる。

 お世辞にも乗り心地が良いとは言えない車内で揺られながら、次の手を思案する。

(今私が自由に動かせる騎士はそう多くない。あまり時間は掛けたくはないが、さて……どうしたものか)

 サイトウは基地に着くとその足でレーダー監視室へと向かう。部屋に入るやいなや、挨拶もそこそこに室長に問う。

「Gの位置はどうなっている?」

「これはこれはサイトウ三等軍将閣下殿。Gは現在ヨナ市西エリアにて停止中。現在地は《勇者》の家がある場所ですよ」

 軍服をだらしなく着崩し、椅子に座って足を投げ出した格好のまま応える室長。四十過ぎの一等上級騎士―他国だと大佐にあたる―とは思えない態度にサイトウの部下が激昂する。

「オガミ一等上級騎士殿! サイトウ三等軍将閣下にその態度、どういうおつもりかっ!」

 怒られた当のオガミ一等上級騎士は悪びれた風もない。

「どうもこうも、この仕事の退屈さを全力でアピールしているつもりさ」

 と、態度を改める気はさらさらないようである。

 さらに言い募ろうとする部下を、サイトウが制止する。

「いい。こいつは昔からこうなのだ。一々気にしていたらこいつを喜ばせるだけだ」

 サイトウとオガミは旧知の仲であるようで、サイトウに気にした様子はない。

「軍将閣下殿が戻ってくるまでここから動いてませんし、暫く動きはないでしょ。まあ、何かあればすぐ連絡しますよ」

「そうか。頼んだ。連絡は私に直通で寄越してくれ。『そういう』案件だ」

「はいはい。りょーかい」

 どういう案件かは聞かずとも分かる。他の騎士達には大っぴらに知らせることの出来ない案件だ。

軍の中枢からの厄介事ではなく、おそらく『マザー』からの面倒事だろうなと予想を付けるオガミは、用は済んだとばかりに部屋を出て行くサイトウに手をヒラヒラと振っている。

(あいつももっとテキトウにやっておけばいいものを。昔からクソ真面目だからなぁ)

 ああやだやだ、と心の中でぼやきながら何の動きもないレーダーの光点を見つめるのだった。


 そのクソ真面目なサイトウは司令室に戻ると、神族と実際に交戦した軍騎士を呼び出すよう部下に伝える。程なく部下から現在帰還中であるとの報告が来る。少し時間が出来たので、常備してあるお気に入りのコーヒーを飲みながら未処理の書類に目を通していく。一杯目のコーヒーを飲み終わる頃には帰還の連絡が入る。テキパキと諸々の物を片付け、出迎えの準備を整える。

 コンコンコンコン

「第四五小隊所属マツザキ三等中級騎士! タカギ一等下級騎士! ササキ一等下級騎士! 只今帰還しました!」

 ノックの後所属と階級の名乗りが聞こえると、サイトウはそれに威厳のある声で答える。

「入りたまえ」

「はっ!」

 三人の軍騎士達が緊張した面持ちで司令室に入ってくる。三人は机を挟んでサイトウの正面に横並びで待機姿勢を取る。サイトウから見て左から、タカギ、マツザキ、ササキの順だ。

「帰還して早々出向いてもらって済まないな。君達を呼び出したのは他でもない、Gと実際に交戦したのは君達で間違いないな?」

「はっ! その通りであります!」

 三人の中で一番階級の高いマツザキが代表して返答する。

「抽象的な質問で悪いが、交戦してみて『どう』だった?」

「そう……ですね……」

 少し考える様子のマツザキ。その横でタカギが「発言よろしいでしょうか?」と手を挙げる。

「構わん。気付いたことがあればドンドン言ってくれ」

 サイトウが三人に発言を促す。

「ありがとうございます。私が感じたのは、対象に交戦の意思は感じられませんでした。何かしら戦闘の訓練はしている印象を受けましたが、然程の物ではないかと。対象の使う不思議な力には当初驚きましたが、魔道と同様の対処で対応可能でありました」

 タカギの発言を皮切りに他の騎士達も発言していく。

「対象の羽と力に相関関係があるように見受けられました。対象が力を使うとき、羽の光が強くなっている様子でした。対象はこちらの攻撃を防ぐばかりで反撃はしてきませんでした。しなかったのか出来なかったのか……」

 マツザキの発言にサイトウが質問を投げかける。

「君はどちらだと感じた?」

「私はしなかったのだと感じました。相手の防御術を見て実力の差を感じました。マナの力においては相当な開きがあると思われます」

「そうか。ありがとう。君は何かあるか?」

 サイトウがササキに問いかける。

「私は対象が酷く慌てているように見えました。あと、辛そうな表情も見受けられたので万全の体調ではなかった可能性があります」

「確か、撃墜したのではなかったかな?」

 この質問にはマツザキが返答した。

「はっ! 対象が力尽きて墜ちはしましたが、我々の攻撃によってという感じではありませんでした。何十度目かの我々の魔法を軽々と防いだ瞬間、突然意識を失って墜ちていったという感じでした」

「力を使いすぎるとそうなるのかもしれんな……」

 三人の発言が止まったのを見てサイトウは聴取を終わりにする。

「三人とも貴重な情報をありがとう。また何か聞く事があるかもしれん。何か気付いたことがあれば司令室宛に報告を上げてくれ」

「はっ! では失礼いたします!」

 三人はビシッと敬礼し、サイトウも立ち上がってそれに返礼する。それを受け三人は踵を返して司令室を後にする。

 三人が司令室を出ていくのを見送った後、サイトウは部屋の隅で書記をしていた部下から、三人の発言内容を記したメモを受け取る。改めて三人の発言を見ながらサイトウは指示を出す。

「現在動かせる下級騎士たちを中心に、《勇者》の家を中心とした包囲網を敷く。北、東、南にそれぞれ第二、第三、第四大隊に当らせる。各大隊から五十から百名ほどだ。細かな人員の選定は各大隊に一任する。作戦目標は対象の殲滅。可能であれば捕獲しろと伝えろ」

「対象の情報は伝えますか?」

「外見的特長のみ伝えておけ。本当に殲滅させられては私が困る」

「はっ。ではその様に」

「西側には直轄の第一大隊から特殊作戦部隊を当てる。本命はコチラだ。魔力迷彩と光学迷彩を駆使して西に誘い出し、罠に掛け神族を捕獲する。ヤツが動き出すまで三交代で各部隊に見張りを徹底させるように。不必要に《勇者》の家に近付きすぎないようにな」

 サイトウの指示が伝えられると、基地内の騎士達が慌しく動き出す。日付が変わる頃には各部隊人員の選定が終わり、直ちに任務へと移る。サイトウは司令室でその報を受け取りながら、『マザー』からの指令を見直す。

『神族の発見、真に行幸。かの者の力は必ずや我らの大いなる目的の役に立とう。その力の秘密を探るため、生きた検体を×××に届けるように』

(未知の敵を相手に、面倒を押し付けてくれる。連中、神族を捕まえろと言って来るものの、肝心の神族の情報は寄越してこないとは。本気で捕まえさせる気があるのか?)

 自分も軍騎士達に対して情報統制している事を思い出しサイトウは自嘲する。

(捕まえられれば御の字、悪くてもデータ収集はできる……とそんな考えであろう。まぁいいさ。私は私のやるべき事をやるだけだ)

 軍騎士達が配置に就き、偵察用の小型魔導飛行機械ドローン監視用魔道スコープを使い二四時間体制で《勇者》の家の出入りを監視させる。配置に就いた軍騎士達には敢えて何処に居るか分かるよう、目立つように任務に当るよう指示を出してある。市内に配置した軍騎士達はあくまでも目標を西に追い立てるための猟犬である。ヨナ市の西部を管轄する警邏騎士第四分団、報道各社には市内での特殊訓練の一環であり武器等の使用はないと表向きは通達してある。騒ぎにはなるだろうが、本来の目的を知られなければ大した問題ではない。通信会社にも手を回そうとしたが、そちらは捜査令状がなければ情報開示は出来ないと断られた。裁判所といえば、「憲法に則り《勇者》には不干渉」で令状の申請は却下されたので、そちらは諦めるしかないだろう。

(相手の手の内が分からない以上あまり有効な手が打てないのが痛いな。それとやはり、《勇者》の存在か……サイキと言ったか、彼を何とか引き離さないことにはあまり大胆な手も使えん)

「目標が行動を起こすのはいつごろだと閣下はお考えですか?」

 部下からの問いかけにサイトウは、

「おそらくは一週間以内には動きがあろう。今日、明日、ということは無いとは思うが……向こうも色々と準備があろう。それと食料の問題がある。そう長い間家から出ずに済ませられるものではない」

 自身の予測と、《勇者》の家を兵糧攻めにする意図を仄めかす。しかし実際には《勇者》の家には長期間外部からの補給なしに篭っていられるだけの食料が備蓄されているわけだが、流石にそこまでを推し量ることは不可能であろう。

 サイトウら国境警備軍が《勇者》の家に対して包囲網を敷いてから二日後、サイトウの予測の中でもかなり早い段階で動きがあった。まず上がってきた報告は「ドローンとスコープの消失」である。その一報は直ぐに作戦行動中の全部隊に通達される。今から目標が動く可能性が非常に高い事を示している。その予測を裏切らず、続いてレーダー監視室からも報が届く。

「Gが《勇者》の家を出て移動を開始。……Gは北東の繁華街の方へ向かっている模様」

 その情報も直ちに伝えられ、目標に向けて包囲の輪をゆっくりと縮めていく。現状目標の姿を捉えているのは高台と上空に配置した軍騎士達のみである。人混みに紛れて監視の目を掻い潜ろうという魂胆かとサイトウは予測する。仮に目視から逃れられたとしても、レーダーが常にその位置を捕捉している。問題は無い。

 慌てることなく粛々と作戦の成り行きを見守っていると、上空と高台から監視していた軍騎士達から、目標が施設内へ入ったためロストしたとの報告が入る。位置はレーダーで把握しているため、むしろ好都合。袋の鼠だとサイトウは案外事が簡単に決着が付きそうだと安堵する。

「人の多い場所なら安全と考えたのかもしれんが、建物内に入ったのは失敗だったな」

 よもやレーダーで常に場所が特定されているとは思うまい。いや、仮に気付いていたとて、その探知方法が分かっていなければ誤魔化し様も無い。レーダーに対して彼らは打つ手が無い。サイトウのその考え通り、ケンジ達にはレーダー探知そのものを回避する手段はなかったのである。

 サイトウは素早く指示を飛ばし、施設周辺を固めさせる。万一突破された場合も考慮して、多重の包囲網は維持したままだ。それまではそれなりにバラけていた軍騎士達が一箇所に集まり始めたことにより、施設周辺にいた市民達がザワつきはじめる。市街戦の特殊訓練という名目で市民を誘導、こういうのも訓練の一環であるとテキトウに誤魔化しておく。全員が納得したわけではないだろうが、表立って軍騎士に逆らう者もおらず、誘導に従って別ルートへ迂回していく。

「これより施設内の市民を保護しつつ、目標を追う。あくまでも市民の安全が最優先だ!」

 一番内側の包囲網の現場指揮官が、敢えて周囲の市民に聞こえるように訓練内容を告げる。施設内への突入部隊を選出し、いざ突入しようという所で司令室より緊急の知らせが届く。

『目標が……増えましたっ!』

 サイトウはその報をいち早く司令室で受け取り、相手の狙いを悟り、自身が相手を侮っていたことを思い知らされるのであった。


 ◇


 アカホシは神族の少女と《勇者》の縁者の少年を家まで送り届けたあと、転移術の連続使用であっという間に北の団署まで戻っていった。最後は自分のデスクの椅子に座る形で転移してみせる。無駄なところで凄まじい高等技術を駆使している。そして、どこかで見張ってでも居たかのような絶妙なタイミングで扉がノックされる。アカホシが入室の許可を出すと扉が開き、一人の女性団員が入ってくる。

 その女性は二十台半ばといったところで、亜麻色の長髪が腰まで届くかという長さでありながら、良く手入れをされているのであろう、枝毛もなくツヤに溢れているのが見て取れる。さながら極上の絹糸のようである。切れ長の眼と当人の意思と決意の高さと固さが表情をキツいものにしており、近寄りがたい印象を与えてしまっている。折角の美人が台無しだと北の団署では専らの噂であるが、一部団員からは「だが、それがいい!」「罵ってほしい」「踏んでほしい」と熱烈な支持を得ている。

「流石アヤメ君だ、良い仕事をしてくれた」

 アカホシは女性団員を労う。アヤメと呼ばれた女性団員は、何処かの屋上でアカホシと一緒に居た女性である。彼女の暗躍のお陰でケンジ達はいの一番にティエルの元へ辿り着き、アカホシが機を見て助けに入るという演出が可能となったのである。

 アヤメはヤマト皇国の大貴族スズフジ家のご息女にして、皇国二人目の精霊士でもあるスーパーエリートである。実家は皇国の首都であるキョウに居を構えている。そんな令嬢がなぜこんな国境の地方都市で警邏騎士などという下っ端をやっているかというと、全ては《最強》のためである。本人の希望と実家の思惑が合わさり、アカホシを堕とす為に専属の部下をしているのであった。アカホシはアヤメ個人は気に入っているものの、スズフジ家という大貴族の看板は遠慮願いたい事もあり、敢えて一定の距離を保つよう心がけている。

「ショウマ様のお役に立てたなら幸いです」

 アヤメは恭しくアカホシに頭を垂れる。

「しかし、この様な回りくどい事をせず、彼らをここに匿ってしまった方が良かったのではと思うのですが」

 アヤメは疑問に思っていたことをアカホシに問いかける。

「彼らをただ助けるのであれば、そうだ」

「それだけでも十分に良好な関係が構築できるかと思いますが、それ以上をお考えでしょうか」

 アヤメはアカホシが「接点」を求めていたことを思い出し、そう尋ねる。

「そうだ。私達から助けるよりも、彼らから私達に助けを求めてもらう。この方がより高く恩を買ってもらえるというものであるし、私達が大義名分を得られる。それと、神族の出現という誰にとっても青天の霹靂なこの事態だ。『マザー』の連中も必ず動く。いや、既に動いていると見ていいだろう。奴等の一派と目されているサイトウ軍将が自ら動いている事を考えれば、上手くすれば奴等の尻尾が掴めるかもしれんな」

「謎に包まれた『マザー』の幹部達の手掛かりまでもご所望でしたか」

「出来うるなら、根こそぎ駆除してしまいたいところだ」

 『マザー』は表も裏も国際政治思想団体である。表は合法、裏は非合法の活動をしているというだけの違いだ。表の末端構成員はただ純粋にその政治思想に共感しているだけの、善良な一般市民でしかない。正規の手続きを経て合法的に政治主張を行っており、警邏騎士団も何度となくデモの警備や認可なども行っている。裏の構成員ですら、この範疇からでるものではない。やっていることが非合法で逮捕案件であるという差でしかなく、その本質に迫れる情報は今まで一切得られることはなかった。しかし、この『マザー』は過去二度、歴代の《勇者》によって壊滅させられた歴史がある。彼らが最終的に目指す地点は、当時の人族、そして現在の人族の平穏な暮らしとは相容れないものであるからであった。それでもまだこうして復活する『マザー』の思想は、人族にとってやはり魅力に溢れたものであるのだろう。

 いまこの時代の『マザー』を潰したところで、また何れの時代かに復活するであろう事は明白であったが、だからと言って現代の『マザー』を放置しておく気はアカホシには更々ないのであった。

「アヤメ君には引き続きサイトウ軍将の動向、身辺の調査をお願いする」

「承知いたしました。朗報をお待ち下さい」

「期待している」

 アヤメが再び恭しく一礼して退室する。

 軍の動きはアヤメに任せておけば問題はない。次サイトウ軍将が動けば必ず彼女は何かしら情報を掴んでくるであろうと、アカホシはアヤメの能力を信頼している。問題は神族の少女と《勇者》の縁者の彼─ケンジ君と言ったか─が此処まで来るか、来れるかだ。アカホシの見立てでは十分可能であるとの判断であったが、相手は国境警備軍を任されるサイトウ軍将である。国境警備軍の司令官は実績から選任されるため、外勤に長けた者が就く事が多く、サイトウ軍将もその例に漏れない。決して油断ならない相手だ。その指揮能力もそうだが、個人としての戦闘能力も秀でている。そしてそれ以上に厄介な相手が今のヨナ市には滞在している。所属はあくまでも中央の軍騎士団、しかもエリート揃いと言われる皇居の近衛騎士団の戦闘教導官である。この国の軍騎士のなかでもトップクラスの実力者だ。そんな御仁が何をしにこのヨナ市に来ているかというと、ヨナ市魔道学園の戦闘教官をしているのだ。そう、あの教官である。彼女はケンジのために派遣されてきていると言っていい。

 所属が異なるため、サイトウ軍将の命令を聞く必要はないが、サイトウ軍将の管轄地に着任している以上、あまり無碍にも出来ないところであろう。可能な限り軍騎士として上官であるサイトウ軍将の命令に従うだろうとアカホシは考える。彼女と鉢合わせてしまえば、彼らでは少々荷が勝ちすぎる。彼女には自分が当るしかないかとアカホシは考えたが、必要なしと結論付ける。部下の警邏騎士達でも対処可能との判断ではない。彼女とアカホシは面識があり、親交もあるし、何度も訓練で剣を交えたこともある。魔道を行使した全力戦闘ではほぼ負けたことはないが、それでも幾度か土を付けられた事がある。精霊士と魔法士というハンデを覆してだ。魔道なしでは何とか勝ち越しているものの、最近は連敗傾向である。そのくらい彼女は化け物じみた強さであるが、その性格も良く理解している。

(彼女は決して自分の教え子に手を掛けるような真似はしない)

 そうアカホシは確信している。だが、こうも確信している。

(だが、いざ戦うとなれば手加減もしないだろう)

 彼女と彼らが戦闘になれば、無事に済むのは五体と命だけだろう。彼女には《勇者》の影も効果はない。そんなものを恐れているようでは彼の戦闘教官など出来はしない。容赦なく叩き伏せられる事だろう。だが、例えそうなったとしても、彼女が彼らをサイトウ軍将に引き渡す可能性はないとの判断だ。

「彼女は手の掛かる子ほど、良くも悪くも可愛がるからな……」

 アカホシは独りごちると、内線で団署に居る団員達に通達を出す。

『これより警邏騎士第一分団は特別非常態勢に入る。繰り返す。これより警邏騎士第一分団は特別非常態勢に入る。期間の目処は一週間。各員いつでも戦闘状態に移行できるよう準備を怠らぬようにしておけ。戦闘場所は、おそらくココになるぞ』

 アカホシの通達を受け、一気に慌しくなる第一分団署。第一分団署はアカホシに憧れて入団して来る者が多く、血の気の多いものが多い。荒事には慣れているし、実力派揃いで有名である。犯罪組織との戦いも、どちらが悪者か分からないというような冗談が市民の間ではお決まりのフレーズだ。相手は今の段階では告げられなかったが、特別非常態勢を宣言するほどである。これは相当な大物との戦いになるぞと、団員達は血を滾らせ自分達の出来得る最高の準備を始めるのだった。

『盛り上がっているところ悪いが、私からの別命あるまでは通常業務も平行して行うこと。決して相手にこちらが警戒していること、悟られてはならない。心して業務に当るように』

 これらの連絡は直ちに非番にも外回りにもなされ、密かに、そして速やかに準備は進められていくのであった。


 ◇


 更に一方、公園でケンジと別れたタケルは、その後何事もなく実家の道場へと戻っていた。

「おかえりなさい」

 道場の門をくぐると、庭先の掃除をしていたアヤネが声を掛けてくる。

「た……ただいま……」

 ずっと全力で走ってきたため、息も絶え絶えな状態でタケルはアヤネに返事をする。

「今日はケンジ君を連れてくるんじゃなかったの? あ、競争でもしてたのかな?」

 息を乱したタケルが一人で帰ってきたことを不審に思ったアヤネがそう尋ねる。タケルはそれに対して首を横に振る。はぁはぁと浅い呼吸から、深い呼吸へと切り替えていき息を整えると、タケルは先ほどの出来事をアヤネに語った。すると、

 パアン!

 と大きく鳴り響く音。

 凄まじい威力の張り手に吹っ飛ばされるタケル。その場に立っているのは腕を振りぬいた姿勢のアヤネ。あまりに大きなビンタの音に、何事かと道場から門下生達が顔を覗かせる。

「何でもありませんよ」

 アヤネはニコっと門下生達に微笑んで稽古に戻るよう促す。

 何処をどう見ても何でもある状況ではあったが、こういう時のアヤネは非常に恐ろしいことを門下生達は重々承知しているので、何も詮索することなくそそくさと稽古に戻っていく。その際タケルに向かって合掌している者が多かったのはご愛嬌か。

 突然の猛烈なビンタをくらったタケルは、混乱したまま地面にご挨拶していると、

「この程度でいつまで寝ているのです! 立ちなさい!」

 アヤネの厳しい言葉が降って来る。

 タケルが足を踏ん張りながら、何故叩かれるのか分からないといった表情で何とか立ち上がると、

 パアン!

 再びの猛烈なビンタが先ほどの頬とは反対側に叩き込まれ、またもタケルは為す術もなく吹き飛ばされ、先ほどお別れしたばかりの地面さんと再会を果たす。

「立ちなさい」

 タケルは二度のビンタで自分の過ちに気付かされる。アヤネの怒りと失望を身に染みて感じさせられる。タケルは後悔の表情を浮かべながら再び立ち上がる。

「ヤマト流剣術の跡取りともあろう者が、敵に恐れをなして友を置いて逃げ帰ってくるとは……嘆かわしいですね」

 張り手の代わりに今度は、冷たい視線と言葉が浴びせかけられる。タケルはぐっと堪えるしかなかった。相手は軍で、国家で、法で、自分はただ剣の腕が少し立つだけのガキだ。その剣の腕だって、自分より強い人間は幾らでもいる。分かっていた。全て言い訳だ。結局はアヤネの言う通りなのである。仕方なかった。そう言いたかった。そう……言いたくなかった。

「よもやヤマト流が如何なる剣か忘れたとは言わせませんよ」

 ヤマト流剣術は護国の剣。元をただせば活人の剣。弱きをたすけ強きを挫く。あらゆる艱難辛苦から大切なものを守り抜くための剣。いの一番に大敵に立ち向かうための剣。決して、身内可愛さに友を投げ打つような真似をするためのものではない。自分一人の力で敵わぬのなら、ありとあらゆる手段を用いて対抗し事を成す。そうやってこの国を陰日なたから守り続けてきた。その業を、心を、ずっと鍛え続けてきたはずだった。

「俺……ケンジの所に行って来る……! 今度は……逃げたりしない! 絶対にあいつらの事守ってみせる!」

 キッと顔を上げたタケルの表情は、後悔を振り払い覚悟を決めた漢の顔付に変わっていた。それを見たアヤネは厳しい表情をふっと一瞬緩める。とても大切なものを労わる慈母の様な表情であった。それも束の間、タケルがそれに気付くことなく身を翻して走り出そうとしているところを、軸足を蹴り払いスッ転ばせる。

「何するんだアヤ姉ぇ⁉ 早くケンジの所に行ってやらないと……っ!」

「今更あなた一人が行った所でどうなりますか。一人で武装した並み居る軍騎士達を蹴散らせるわけでもないでしょう。無駄に返り討ちにあうだけです。そういう意味では逃げてきて正解ですね」

 一網打尽になる可能性はなくなりましたからね。と冷静な分析を述べるアヤネ。

「さっきと言ってる事が違う!」

「敵前逃亡と戦略的撤退の違いです。その点ケンジ君は流石ですね、《勇者》様に鍛えられてるからでしょうか」

 危機的状況での対応力の違いについて言及する。タケルはケンジが褒められて嬉しい様な悔しいような、いや悔しい方が勝ってるなとか考えていた。少し冷静さを取り戻してきたようである。

「確かに……そうだけど、でも……だからって……」

 ここで黙って見てる訳にはいかない。タケルはもうケンジを助ける覚悟を決めている。自分を犠牲にせず、ケンジを、いや、ケンジとあの少女二人とも無事に助けてみせると。

「人間一人で出来ることなど、高が知れています。頼りなさい。使えるものは全て使いなさい。あなたの目の前に居る私は誰ですか?」

「アヤ姉……」

 テンジョウイン・アヤネ─天上院 絢音─。彼女はこのヤマト皇国の皇家、テンジョウイン家の第一皇女である。テンジョウイン家は嫡男が皇位を継承するため彼女自身には皇位継承権はない。順当にいけば二つ年下の弟がいずれは皇位を継承する。彼女の未来の夫が皇位に就く事はない。だからと行って政略の種にならないかといえばそんな事もなく、皇家の縁戚になろうと縁談の話は引っ切り無しである。その全てを「もう相手は決まっておりますので」と断っていることは、タケルには内緒である。

 そんなアヤネは自身の鍛錬だけでは飽き足らず、指南役を雇い、それでも足りぬとこの道場に通うようになった。ここでは姫ではなく一人の門下生として扱ってもらえる事にも喜びを感じていた。そして自分をアヤ姉と慕ってくれる一人の男の子に、少しずつ心を惹かれて行く様になった。タケルは武術の才能があった。鍛錬も真面目に取り組み、メキメキと力を付けた。それに負けじとアヤネも稽古に励み、免許皆伝を頂くに至り、師範代を任されるまでになった。アヤネの武術の才も、タケルに勝るとも劣らぬ輝きを放っていたのである。そして彼女が成人の儀─皇国では法律上満十六歳から成人とみなされる。ただし学生の身分の間は除外される─を終えると、父である皇王陛下に一つのお願いをした。

「私を総騎士団長にして頂きたい」

 この願いはすんなりと受理されアヤネは総騎士団長の座に就いた。元々総騎士団長は皇位を継承をしない皇家の人間が歴任する、いわば名誉職のようなものであったからだ。とは言え、一応ながら騎士団の長としての権限を有しているのも確かである。実体は補佐役である副騎士団長が実質の長としてその任に当たるのが通常であった。事前にアヤネは当時の総騎士団長であった叔父に、騎士団長になりたい旨を告げており、特に騎士団長の座に執着もなかった叔父はあっさりとアヤネの願いを聞き入れていた。

 こうしてアヤネは総騎士団長の座を手に入れたのだった。ひとえに、何時かタケルが一人では太刀打ちできない強大な敵にぶつかったとき、その時自分がタケルの支えになってあげられるように……。副団長の力も借り、お飾りの団長ではなく実際に幾度となく軍を指揮した。様々な作戦会議にも自ら出席した。まだまだ皇家の人間だからと神輿扱いされる事の方が多い。だが、命を預けられる上官として認めてくれる幹部達も増えてきた。少なくとも、アヤネの名で出した命令を誰も無視はできない程には。

 当然タケルはアヤネが全騎士団の団長であることは知っている。当時は就任パレードがテレビで中継だってされていた。そして今回のタケルの目下の敵は国境警備軍、軍騎士団の一員である。ならば私を頼りなさいとアヤネは言っているのだ。

 国境警備軍は軍騎士の中でもその性質上少し特殊で、独自の裁量で軍を動かすことをかなりの範囲で認められている。軍部の中央は国境警備に疎く、一々判断を仰いでいては後手後手に回らざるを得なかった過去の慣習を引き継いでいる形だ。ヨナ市近辺における軍事行動の一切を一任されているといって良い。

 国境警備軍を抑えるには直接駐屯地まで赴いて、直に命令を下す必要がある。とアヤネは考えている。遠くからの命令などサイトウ三等軍将は、必要と見れば黙殺することを厭わない人物だ。

「タケル君、あなたは護りたいものを護る為にあらゆるものを使うべきです」

「でも……俺が助けようとしているのは、ケンジとその……」

 タケルが言いにくそうにしていると、アヤネが続きを引き取る。

「神族の少女、ですね」

「うん」

「連邦法に照らせば、神族は抹殺対象。またそれを幇助する者も抹殺対象です」

「そうだよ! だから……」

「だから? それがどうしたというのです。連邦法など大戦後直ぐに制定された千年も昔の化石のような法です。いちいち守っている国などありませんよ? それに、その神族の少女が私たちに一体何をしたというのですか。何もしていません。これからするかもしれない? そうですね。そうかもしれません。だから先手を打って抹殺しておこう、と。はは、ちゃんちゃら可笑しいですね。《勇者》を放置している連邦がそんな事を言うなんて!」

 そうは思いませんか? とアヤネはタケルに問いかける。

「《勇者》は人族の味方だから、話が……」

「タケル君は可笑しなことを言いますね。誰が《勇者》が人族の味方だなどと教えたのですか? あの方達は自分の護りたいものを護るために戦っているだけです。過去幾つもの国が《勇者》によって滅ぼされています。宗教団体、政治団体、思想団体などなども、あの方たちの大切なものに手を出したものは全て滅ぼされてきました。神族はその初めの一つに過ぎません。その危険度は神族などとは比べ物になりませんよ」

 更にアヤネはテンジョウイン家に伝わる『高天原』の事と、それに関わる神族の話をタケルに聞かせる。そしてタケルとケンジが出会った神族の少女は、『高天原』から来た神族であろうという事も。

「ですから何も気にすることはありません。思う存分私を頼って下さい」

「うん……、じゃあアヤ姉……俺の事、ケンジ達の事助けて……下さい……っ!」

 タケルは腰を直角になるほど曲げて、アヤネに自分達の事を助けてくれるようお願いする。

「ええ。もちろん。初めから素直にそう言えばいいのです」

 アヤネは頭を下げるタケルのおでこを、嬉しそうに人差し指でツンと弾く。

「じゃあアヤ姉の協力も取り付けたところで……どうしよう?」

「そうですね……じい!」

「ははっ! こちらに」

 何処に潜んでいたのか、はたまた何処かからか瞬間移動でもしてきたのか、唐突にアヤネの背後に執事服を華麗に着こなす七十は越えているだろう白髪の老人が姿を現す。いつも道場へアヤネの送迎を勤める爺である。

「私の直属の軍を動かします。それと国境警備軍に対する命令書の作成を。手配をお願いします。どの程度必要ですか?」

 もちろん、諸々の準備を整えた上でここに来られるまでの時間だ。

「三日もあれば」

「二日でお願いします」

「畏まりました」

「それと、これは後で構いませんが、議会や関係各位への根回しも準備しておいて下さい。お父様の方は私が何とかしておきます」

「委細承知致しました。では早速取り掛かりましょう」

 そう言うとじいは現れた時と同じように、いつの間にか姿を消していた。

 それをただ呆然と見ているだけのタケルは、騎士団長然とするアヤネの姿に見とれていた。

「じゃあタケル君、こちらの準備が整い次第ケンジ君たちを助けに行きましょう。名付けて『虎の威で狐を黙らせちゃうぞ』作戦ね」

「いや、それはないわ」

 アヤネ渾身の作戦名を即座に切って捨てるタケルであった。


三章 おめでとうございます


 僕らは予定通り大型商業施設の建物内に入ったのは良いけれど、早くも一つ予定外の事態が発生した。周囲のお客さんの様子がおかしかったので、聞き耳を立てて様子を伺っていると、どうやらこの施設を軍騎士が取り囲んでいると言う事らしい。ここに居ることがバレているのは承知の上だったが、こうも早く施設の封鎖をしてくるなんて。

「ケンジ、どうも周りが騒がしいわね」

「どうやらもう軍騎士に囲まれちゃったみたい」

「囲まれてたらコピー体が直ぐバレちゃうわよ。どうする?」

「うん……いや、予定より全然早くなっちゃうけどバラしてもいいか。本命のコピー体は二組、それだけ上手くココから逃げてる振りが出来れば良い。早々に捕まって全部コピーだとバレても問題はない……と思う」

「じゃあ予定通り作戦決行って事でいいのね」

「うん」

 いよいよ作戦決行だ。予定と違う事態にはなったが、作戦自体が割りとざっくりしている分融通が利くのがメリットだ。本命の二組はまだ残し、ティエル単体のコピーを移動させる。僕らの目的地はココから北側にあるので、東と西に三体ずつ送る。コピー体は実体がないので、そのまま建物の壁をすり抜けて外へ出る。仮にそれを見られても、神族の力かなんかだと勝手に勘違いしてくれるはずだ。同時に三体見られると流石に拙いので、時間差で外へ送り出す。東西合わせて六体のコピー体が、それぞれの方向へバラバラに走り出しているはずだ。もうコピー体たちは壁の外なので、僕にはその後上手く行ってるかどうか知る術はないが、上手く行っている前提で作戦を進めていく。

 続いて本命の二人組のコピー体を北側に送る。遅延式の転移術で建物から百メートルほど離れた所に飛ばす手筈だ。そしてそのままガー君が居る方は僕達の一つ目の目的地である役所へのルート、居ない方はそれとは別方向に。僕らから離れる前にガー君に「ガー君頼んだよ」と一言声を掛けると、「任せろ」と言うかの様に強く体全体で頷く動作をする。

 ティエルと二人になった僕らは、他のお客さんの流れに混じって北側の出口を目指す。出入り口のところで二人の軍騎士が避難誘導をしていた。

(大丈夫大丈夫、バレないバレないバレない)

 心の中で繰り返し呟きながら、無意識にティエルの手をぎゅっと握る。僕の心配を他所に、女装した僕と変装したティエルに気付くことなく、特に不審がられることもなく施設から出ることに成功する。施設から出ると軍騎士達の姿は殆どなく、施設を取り囲んだ事後処理の為に僅かな人数が居るだけだった。どうやらコピー体たちは上手くやってくれたようだ。

 目的のルートをティエルト二人悠々と歩いていると、軍騎士達によって道が封鎖されていた。野次馬達を掻き分け、折角なので軍騎士達の様子を伺うことにする。

「東と西に行ったやつはどうなった?」「見つかったか?」「まだ捜索中です!」「東と西は全て偽物!」等々現場での情報が錯綜しているのが聞こえてくる。

「市民の方は危ないから下がってください! 下がってください!」

 道を封鎖している軍騎士が、野次馬と化している群集に向かって大声を張り上げる。

 上手くいってる様子が確認できたのでほっとしつつ、群衆から離れる。この辺りの様子が伺えそうな近くの喫茶店に入り、窓際の席を確保しティエルと様子を見ながら休憩する。

「ふー。何とか今のところは上手くいってるようね」

「だねー」

 体の疲れは殆どないものの、慣れない事の連続で、思った以上に心労が溜まっていた。ティエルも同じような感想を抱いていた。

 出発してまだ一時間と経っていないものの、ここで少しでも腰を落ち着けられたのは良かった。

 周囲から不審がられないように、僕はメロンクリームソーダを、ティエルは紅茶を、後は二人で食べられるようにミックスサンドを注文する。しばらくすると注文したメニューが届いたので、二人で早速食べ始める。

「意外ね。ケイってそういうの好きなのね」

 運ばれてきたメロンクリームソーダを見てティエルがそんな事を言う。因みにケイは僕の偽名だ。

「小さい頃、喫茶店で初めて出会ってからずっと好きでね……」

 僕はスプーンで浮いているフロートを一口すくい、銜える。バニラアイスの冷たい甘さに舌鼓を打つと、およそ体には良くなさそうな透き通ったエメラルドグリーンのソーダを吸う。甘さオン甘さ。

「はぁ……美味しい……」

 そんな僕の様子をティエルは呆れた様子で眺めながら紅茶を啜る。二人でこの後の予定を確認しながらミックスサンドをつまむ。もちろん外の軍騎士達の様子をチェックするのも忘れてはいない。

 頼んだメニューを大体食べ終える頃には軍騎士達が封鎖を解除していく様子が伺えるようになった。本命だと思っていたものが、それも偽者だと知って急いで別の場所、特に南方面へ向かう者が多く見受けられた。完全に封鎖が解除されるまでもう少しだな、とその様子を見ながら、残してあった一粒のチェリーを口にする。

「それ、最後まで残してたけど、嫌いなの?」

 言ってくれれば食べてあげたのに、とトンでもない勘違いをするティエル。

「逆だよー。好きだから残してたの!」

「えー、好きな物は最初の美味しいうちに食べるでしょ!」

 こんなところで思わぬ価値観の相違が発覚。そうか、ティエルは最初に食べる派の勢力でしたか。

「まあ、言うほど美味しいわけでもないんだけどね、このチェリー」

 と、好きで置いておいたわりに味に関しては低評価。

「ふーん、まあ好みは人それぞれよね」

「そうだねー」

 何てやってる内に軍騎士達の撤収作業も済んだようで、見える位置には軍騎士の姿はなくなった。往来も元通りになったようなので支払いを済ませて店を出る。予定通りといえば予定通りだが、思った以上に上手くいった。

 その後は特に軍騎士達の姿を見かけることもなく、第一の目的地であるヨナ市西区役所に到着した。コピー体が捕まった後、先行してここで隠れて待っていたガー君と合流する。

 役所に入ると、休日ということもあり、平日役所に来られない仕事人達でごった返していた。職員も大勢いるものの、対応に追われて余り周囲に目を配っている様子はなさそうだ。順番待ちの人たちも、新聞や雑誌、自前の本や携帯端末などで各々時間を潰しており、他人に気を配ってる感じは受けられない。少女の二人組みが入ってきたのは珍しかったのか、一瞬こちらに視線を投げかけてくる人もちらほらと居たが、僕らがトイレの方に向かうと、特にそれほどの興味はなかったのだろう、あっさりと視線を元に戻した。

 僕らは女子トイレの方に入ると、僕は個室へ。ティエルは見張りだ。持って来た荷物の中から手早く服を取り出し、着替える。勿論男物だ。脱いだ服やカツラをテキトウな感じに畳んで、乱雑にバッグに詰める。化粧も専用の使い捨てシートで拭き取る。大して濃いメイクはしてなかったのでそれで十分だった。人が来たらティエルにノックで知らせてもらうよう頼んであったが、大丈夫なようなのでそのまま素早く女子トイレから離脱する。

 男女のペアになった僕達は、何食わぬ顔で市民課の窓口へ向かう。「必要だから」と言ってティエルと所謂恋人繋ぎで手を繋いでだ。ティエルの手の温もり、感触に内心の興奮は留まる事を知らないが、表面上は勤めて穏やかに保つ。チラとティエルの方を伺うと、ティエルもちょっとどこか落ち着かない様子。顔もうっすら紅いような気がする。そのまま暫くティエルの横顔を眺めていると、僕の視線に気付いたティエルがこちらを向く。

「そんなにじっと見られてると、流石にちょっと恥ずかしいんですけど……」

「ごめん……。可愛すぎて……見惚れてた」

 何て事を窓口の前でやってるもんだから、窓口の職員さんが、

「本日はどういったご用件でしょうか?」

 くすっと笑みを浮かべながら尋ねてくる。

 職員さんに「すみません」と一言謝ってから、バッグから持ってきた書類を取り出して渡す。

「お預かりします」

 他に待ってる人が居なかったのか、提出した書類を直ぐに確認し始める。

「えー、女性の方が、龍族のハーフという事ですね。角を確認させて頂いて宜しいですか?」

 龍族の成人の証でもある、角の有無を確認する職員さん。

 ティエルにキャップを取ってもらい、職員さんに角を確認してもらう。

「はい。確かに。書類の方も不備は御座いませんでしたので、このまま受理させて頂きます」

「はい、ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 ティエルは何の書類が受理されたのか知らないまま、とりあえず僕に習ってお礼を言う。

「では、少々お待ち下さい」

 書類が受理されてヤレヤレと内心思っていたところに、そんな事を言われたのでまだ何かあるのかなと思っていると、職員さんが奥から片手で持てるくらいの小さな造花の花束を持ってきて手渡してくれた。そして、花束を渡した職員さんがおもむろに足を肩幅に広げ、手を腰の後ろで組む。

(んん? 一体何が始まるんだ?)

 またもや予期せぬ職員さんの行動に、戸惑いを隠せない僕。何と言っても初体験なので仕方がない。二度目はない方がいいなー。ティエルは貰った花束を嬉しそうに片手で持ちながら、今度は何が始まるのかとワクワクしてるようだ。


「御結婚! おめでとう御座います‼」


 フロア中に響き渡る大音声で、職員さんが僕達の結婚を祝福してくれる。続いてフロアに居た職員さんたちから盛大な拍手と、それに釣られて周りの人たちも「おめでとう!」と祝福の言葉と拍手を贈ってくれる。それに僕は「ありがとうございます」と、照れた様子で周囲にお辞儀しながらティエルと手を繋いだまま役所を出る。

 そう、僕が先ほど提出した書類は、『婚姻届』である。

 先ほどから繋いだ手がギリギリと締め付けられて痛む。イタイ。イタイよティエルさん。そんな竜気を篭めた手で力いっぱい握られたら、僕の手がグチャグチャに潰れちゃうよ?

 僕は恐る恐る、そ~っとティエルの方を見ると、そこに居たのは女神のティエルさんでは当然なかった。龍の角と相まって、完全に鬼と化していた。

「どういうこと、かしら?」

 絶対零度の視線の前に、僕は一切の抵抗を放棄する。

「僕とティエルは、皇国法に則り、正式に夫婦となりました!」

 ぎゅうううううう!

 ぐおおおおおお! 砕ける砕ける!

「それはさっきの職員さんの言葉でわかってんだよ。次ふざけた事抜かしたらこの腕もぐぞ」

 本気の眼で恐ろしいことを言ってくるティエルさん。口調までおかしくなってるぞ。

「とりあえずここじゃ何だから、歩きながら、ね……?」

 ティエルの返事を待たず歩き出す。とりあえず事情を聞くまでは生かしておいてやろうということなのか、一先ず大人しく僕についてティエルも歩き出す。絶対に逃がさんぞと言わんばかりに、しっかりと手は握られたままだ。

「えっとね……何でこの方法を取ったかというと……」

「ヤマト皇国では一方の配偶者が皇国民であれば、その連れの配偶者も皇国民としての権利を得られる。そして、こと龍族との婚姻は、龍族が成人さえしていれば基本受理される。龍族は戸籍やらなんやら持っていない事が殆どだからね」

 僕がティエルに説明しようとしたのを遮って、前方の建物の影から一人の女性が現れる。

「えっ? 先生……?」

 その女性は、学園で実技訓練担当の教官だった。

「面倒な手続きもなく、手早く君の市民権を獲得する。ケンジ君中々良く考えたね。動き出した軍部がこれで止まったりはしないが、その子を助けようとする者たちにとっては大義名分ができた。ケンジ君、君を含めてね」

 そう言いながらゆっくりと、教官は僕達の行く手に立ち塞がる。

(どうしてここに、それにどうして先生が?)

 僕が動揺を隠せずにいると、

「ああ、安心していい。国境警備軍のヤツらは君の策に嵌って、見当違いの場所を探しているよ。だから彼女さん、いやお嫁さんと呼んだほうがいいかな?」

「ティエルです」

「そうか。じゃあティエル君。彼は本気で君にとって最善と思える事を考え、実行している。突然好きでもない男と夫婦にさせられて怒る気持ちも分かるが、勘弁してやってくれ」

「別に……本気でそこまで怒っていた訳じゃないです……」

 ティエルが教官の言葉で普段の様子に戻る。

(いや、あれは絶対に本気で怒ってた。殺す気だった)

 何て考えてたら、ティエルからギロリと音がしそうな目付きで睨まれてしまった。くわばらくわばら。

「どうして先生はここに……?」

「ああ、今日は休日で学園が休みだろう? 君が学園を休むようになった日からね、昔の上官からお手伝いを要請されていてね、まあ今日は休日だし少し手伝ってやろうかと思ってね」

 そう言った教官から凄まじい威圧感が放たれる。全身が粟立つ様な感覚に、思わず手足が震えそうになる。ただ、そこに立っているだけの教官に絶対的な恐怖を感じている。まだ何も手にとっていない、戦闘態勢にも入っていない相手にだ。

「それと、どうして君がここにいるか分かったかも知りたいかな?」

「ええ……」

「今国境警備軍を動かしているのはサイトウ三等軍将だ。彼は君の事を良く知らない。精々勇者の縁者で魔道の使えない精霊士ということぐらいだ。だが私は君を知っている。そこに過小評価や油断は存在しないよ。君ならきっと北を目指すだろうと確信があった」

 ただ、細かい場所までは流石に分かるはずもないから、探すのには苦労したよと、大して大変そうでもなく言ってくる。教官とは闘っても勝ち目は薄い。いや無いと言っても良いだろう。どこか逃げ道はないかと周囲に視線を走らせると、いつの間にか遠巻きに軍騎士達に包囲されていた。パッと見える範囲に居るのは六人だ。

(先生が悠長に喋っていたのはこのためか)

「ツカハラ二中─二等中級騎士の略─、総員配置に着きました!」

 背後の軍騎士がこちらに聞かせるために、通信機を使わずわざと大きな声で報告する。

「まあ、見ての通り君達は包囲されている。もちろん他所に行っている軍騎士達にも報告してあるから、今頃こちらに急行しているだろう。時間はもうあまりないよ。さあ、どうする?」

 教官がそう言い終わるか終わらないかの内に、僕は教官に向かって突撃する。

 その際、奥の手の一つである『マナバースト』と僕が命名した技を使う。マナバーストは僕の天文学的量の魔力を体外に展開するだけという単純な技だ。今回は大体半径百メートルくらいの球状に展開させる。これは魔道学会でも知られていない事だが、魔力が存在する空間にマナは入り込めない。また魔力同士は反発しあう。他人の魔力こそが魔力に対する最大の絶縁体なのだ。他人の魔力で満ちた空間では、その魔力を押しのけない限り魔道を外に向かって放つことはできない。なぜこの事が知られていないかというと、魔力を体外に展開しても精々体から数センチ程度、凄まじい魔力の持ち主でも一メートルと広がらない上、それを維持するというのは、常時それだけの魔力を消費するということになるので、とてもではないが人族には不可能な技法だからだ。ましてや広大な空間を埋め尽くして見せることなど、精霊士にだって不可能な芸当だ。

 つまりは、こいつを展開する事で範囲内にいる魔道士の魔道をほぼ全て無効化できるのである。使えるといったら自己で完結する強化系の魔道くらいであろう。そして強い魔道士であればあるほど、咄嗟の事態に反射的に魔道を使って対処できるよう訓練されている。教官ほどの人であれば、それこそ呼吸するよりも簡単に魔道を使ってもおかしくはない。だからこそそれが隙となるはずだ。

 魔道士であれば誰しも、突然魔道が使えなくなるなんて事態は想定していない。マナを制限したり、魔力に反応して魔道を中断させるシステムなどもあることはあるが、限定された空間において、事前の準備がなされていなければならない。何もないただの街中で魔道が使えなくなるなど、教官といえど想定の埒外のはずだ。更に相手はまだ戦闘態勢に入ってもおらず、まだ攻撃が来るとは思ってもいないだろう。そこに僕が使える最速の技『瞬穿(しゅんせん)』で一気に教官までの距離を詰め、如意棒を真っ直ぐ教官の鳩尾を狙って突き出す。この時もう一つの奥の手である如意棒の伸長をも駆使する事で、更なる意表と、攻撃の威力上昇と命中までの時間を短縮する。

 攻撃のタイミング、魔道の不発、予想外の攻撃方法、三つの隙を作り出してそこを衝く。

 これには流石の教官も回避することはできず、如意棒による一撃で数メートル吹き飛んでいった。

「ツカハラ二中!」

 周囲の軍騎士達から驚愕の悲鳴が聞こえる。だけど僕にはそんな物に構っている暇はなかった。

「今の内に!」

 ティエルの手を強引に引っ張って教官の横を駆け抜けようとする。

 が、一足遅かった。いや、初めから効いていなかった。

「危ない危ない。油断してたら今のでやられていたかもねー」

 何事もなかったかのように教官が起き上がり、服についた砂をパンパンと払っている。その手にはいつの間にか一振りの刀が握られていた。どういった刀かは僕は知らないが、如意棒による一撃をあの刀で防ぎつつ自ら後ろに跳ぶ事で衝撃を逸らしたのだろう。それにしたところで、折れも曲がりもしていない点から考えて、尋常の刀ではないと思ったほうがいいだろう。

 周囲の軍騎士達からは安堵のため息が零れる。

「さあ、続きを始めようか」

 教官は刀を右手で持って、峰で右肩をトントンと叩きながら言ってくる。

「ティエル! 僕に強化を!」

 僕がそう叫ぶと、怒っていた割には直ぐに『竜血』による強化を施してくれる。

 『竜血』による強化は、パワードスーツを装着するような物で、通常より肉体への負担を減らしつつ劇的な効果が見込める。魔道の強化術はあくまで肉体のリミッターを解除するものなので、負担が大きい割りに効果は低い。

 『竜血』の強化で、僕の身体能力はおよそ二、三倍くらいにはなってると思うけど、さて、その程度でどこまであの人に通用するか……。

「僕が先生の相手をしてる間にまわりの騎士達をお願い。その後、二人掛りで何とか隙を作って逃げよう」

「魔道の使えない相手の六人くらい、ちゃちゃっと片付けてやるわ」

「任せた」

「ケンジこそあっという間にやられないでよ? あの人、とんでもなく強そうだから」

「何とか頑張ってみるよ」

 二人で手早く作戦とも言えない作戦を立てる。

「作戦は決まったかな?」

 教官は余裕の表情でこちらが動くのを待っている。向こうは別に急いでこちらを制圧する必要はないからだ。時間が経てば経つほど不利になるのはこちらの方だ。

「行きます!」

 今度は奇襲を掛けずに、標準サイズを維持したままの如意棒を振るう。『竜血』による強化状態での戦闘は当然ながら初めての事なので、まずこの状態の感覚に慣れる必要がある。無理な攻めは行わず色々な動きを試す。教官はそんな僕の攻撃を難なくいなしながら、実に楽しそうな表情を浮かべる。まだまだ、もっともっとやれるでしょ? そう問いかけてくるような教官の刀捌き、体捌きに釣られるように、僕も凄い早さでギアを上げていく。

 十合、二十合と撃ち交わす間にはもう、僕は強化状態の能力をフルに活用できるようになっていた。鋭い突き、強烈な打ち込み、超低空の薙ぎ払い、凄まじい速度での回り込みからの攻めも全て、教官の体に触れることはなかった。

 僕の速度は確実に教官を上回っていたが、それでも必ず僕の攻撃より先に教官の方が動いている。先読みの早さと正確さ。そして何より圧倒的に洗練された一分の無駄もない、流れるような動き。ここまでで、まだ教官は一度も僕に攻撃をしてきていなかった。防御に徹しているという訳ではない。攻撃する振りだけをして、実際には攻撃してこないのだ。そしてその攻撃のタイミングは常に僕を完全に捉えていた。

(ぐうううう、強すぎるうううううう!)

 一旦下がって距離を取る。教官は敢えて僕を追わず、その場で様子を窺っている。次はどんな手で楽しませてくれるんだろうか、とか考えてるに違いない。

 ティエルの方はどうなっているだろうかと、危険を承知で一瞬視線を走らせる。

 ティエルは流石に自分の力だけあって強化には慣れているようで、僕とは比べ物にならない強力な強化を施しいた。ティエルが戦っているところをこうして間近に見るのは初めてだったので、予想外の苛烈さに驚愕する。

 相対する教官の事も一時忘れて、ティエルの動きを追ってしまう。致命的な隙だったが、ここでも教官は傍観の構えで、むしろこれ幸いと教官もティエルの動きを観察しているようだった。

 僕がティエルの方を見た時にはもう六人の騎士が倒れていた。そしてまだ六人の騎士を同時に相手取って戦っていた。どうやら隠れていたのが居た様だ。しかし、ティエルはそれをも物ともせず、片端から蹂躙していく。その移動速度は正に目にも留まらぬ速さで、気付けばティエルが騎士の目の前に出現し、その勢いのまま拳を突き出す。超速で動きながらも、しっかりと加速度を活かし、体重を乗せた一撃を放っている。僕が目で捉えられているのは、ティエルが攻撃するこの一瞬だけである。

 ティエルの拳を受けた騎士は派手にぶっ飛んでいき、近くの壁を突き破って見えなくなる者、そのまま数十メートル先で倒れたまま起き上がってこない者、様々であったが、同様に言える事は一撃で意識を刈り取られているという事だ。その後もあれよあれよと言う間に、新手の六人も碌な抵抗も出来ないまま沈黙させられた。生きてるかどうかがちょっと心配になってしまう。

 予想だにしないティエルの肉弾戦に度肝を抜かれてしまう僕。ぼけっと突っ立っていたら、戻ってきたティエルにはたかれる。

「何ぼけっとしてるのよ。何でか知らないけど、相手がのんびり待ってくれてるから良いようなものの、襲われてたらとっくにやられてるわよ」

 ご尤もです。

 改めて教官の方に向き直る。これで二対一。しかもティエルが予想以上に強い。ハーフでも龍族はやっぱ凄いな。これなら教官相手でも何とかなるかも知れない。そんな風に考えていると、教官がパチパチパチと拍手をしてきた。

「いやー、ティエル君いいねー。実に良い。技は自己流かな? 荒削りではあるが、龍族の身体能力を遺憾なく発揮した素晴しい戦いぶりでした。あれだけの力を十全に制御下に置いているのには感心します」

「お褒めに預かり、ありがとうございます。武術は教えてくれるヒトが島には居なかったので、多少の粗にはご容赦を」

 皮肉を篭めてティエルは返すが、教官は気にした様子もない。

「うんうん。じゃあここからは第二ラウンドと行きましょうか。今度は二人同時に相手してくれるのかな? ケンジ君も時間稼ぎの浅い踏み込みの戦いはやめて、そろそろ本気を出して下さいね」

 教官は刀を右手に握り、無形の位で構える。

 教官から先ほどまでの戦闘とは桁違いの重圧が放たれる。いよいよ教官も本気を出してきたと言う事だろうか。ビリビリと肌に感じる程の剣気に、早くも心が折れそうな僕ではあったが、ティエルを守りたいという一心で撥ね除ける。

 ティエルも教官の強烈な威圧感に対峙し、流石に怖気づいた様子が窺える。

「え? 私達、今からあんな化け物と戦うの? いやいやいや、無理でしょ無理でしょ無理でしょ。プランクトンが二匹で鯨に勝てるわけないと思うの」

 言うまでもないとは思うけれど、プランクトンは僕らで、鯨が教官だろう。間違いなく。プランクトンは二匹って言っちゃってるし。

「その例えだと、逃げる事すらできなさそうなんだけど……」

「ケンジはアレから逃げられるとでも言うつもり?」

 早く掛かって来いとばかりに手招きしている教官をチラっと見る。

「逃がしてすら、くれなさそうだよね……」

 最早戦う前から戦意が完全に萎えてしまっている。これじゃいけないと、何とか気合を振り絞ってみる。実力で大差で負けているのに、気持ちまで負けてたらお話にならないぞ。

「僕が接近戦で先生の注意を惹き付ける。ティエルはさっきみたいにスピードを活かして、一撃離脱のヒットアンドアウェイで先生の隙を狙って」

「やるしか……ないか……」

「倒さなきゃいけないわけじゃない。ううん、倒すとか無理だし、何とかチャンスを作って巧い事逃げよう」

「そうね。そうしましょう。是非そうしましょう。タイミングはケンジに任せるわ。逃げ足は私に任せなさい。ケンジを抱えてフルパワーで逃げてやるわ」

 何時までもコソコソと二人で作戦会議をしているのに痺れを切らした様子もなく、悠然と佇んでいる教官。ちょっと無視してイライラさせてやろう作戦もどうやら失敗のようだ。貴重な時間を無駄にしてしまったが、仕方がない。

「ケンジって意外と考えが姑息よね」

「小賢しいと言ってくれたまえ」

「どっちにしてもダメじゃない……」

 ティエルが呆れたように言ってくる。教官の重圧に萎縮していた体から、無駄な力が抜けたようだ。

「あ、そろそろ来るつもりだろうから一言忠告しておきます。次からは『軽く当てていく』よ」

 ぐ……。嫌な先制パンチを入れてくるなあ。

「行くよ、ティエル!」

「ええ!」

 先ずは真っ直ぐ正面から……と見せかけて目の前でいきなり低くしゃがむ。僕の陰に隠れたティエルが、さっきまで僕の上半身があった位置を全速力のジャンプ蹴りで通過していく。

 教官は半身体を捻り、ティエルの蹴りを躱しつつ蹴り足を掴んで横に放り投げる。ティエルの速度を生かしたままの投擲に、慌ててティエルが態勢を整え着地を決める。ティエルを投げる回転動作で僕に背を向けた隙に、足のバネをフルに使って最短距離を突く。教官は更に体を回し僕の突きも躱し、ついでとばかりに遠心力の乗った肘鉄を首筋に叩き込んでくる。それを敢えて前に倒れこむ事で回避する。

 倒れながら如意棒の持ち手側を伸ばし教官の脚の間を通し、テコの原理で教官の脚を刈ろうとするが、教官は徐に左脚で上段に回し蹴りを放つ。教官が片足を上げてしまったことで、僕の如意棒は空しくも空を切ったが、この隙に一旦教官から間合いを取る。ティエルの様子を窺うと、どうやら再び飛び蹴りを敢行したようだが、先ほどの蹴りで迎撃されたようだった。

 今のところ見た感じティエルにダメージはなさそうだ。『竜血』による防護のお陰だろう。

 今度は回避のし難い腰の辺りを狙っての横薙ぎを繰り出してみる。下がるか受けるか、跳んだりしゃがんだりはしないだろう。下がれば、その瞬間を狙って薙ぎから突きへと変化させる。受ければ、動作が一瞬固定される。そこをティエルが逃しはしない。

(さあ、どうでる?)

 教官は、一歩前に踏み出してきた。

 と同時に前に跳び上がり、僕の肩に手を付いてヒラリと後ろに着地する。ティエルは何かを察したのか、空中の教官を狙うことはしなかった。着地時の隙も僕の後ろに隠れる事でクリアする。

「ティエル君、今の誘いに乗らなかったのは良い判断ですね。攻撃に来てたら、ケンジ君を盾にしようと思っていましたから」

 わざわざ身動きの出来ない空中に身を晒したり、僕の肩に手を付いたりしてたのはそういうことか。それにしても、あんな状態からどうやって僕を盾にするつもりだったのか。でも教官ならできるだろうと思えてしまうのが恐ろしい。

「ケンジ君はまだまだ動きがお行儀が良すぎる。《勇者》に教わった棒術はまだまだこんなものではないでしょう? 棒が体の一部、第三の腕、第三の脚、手の延長であり、決して砕けない拳であるように振るいなさい」

 そう言って教官は僕の背中をトンと軽く押す。

「それじゃ仕切り直してもう一戦行くわよ」

 そう言われ、僕は教官に向き直って如意棒を構える。魔道は未だ封じたままなのにこの実力差たるや、刀を使わせる事すら出来ていない。軍騎士達がここに駆けつけてくるまであとどれくらいの時間が残されているだろうか。逸る気持ちが焦りを生み、思考を単純化させ、体は固くなっていく。

 教官がここに来た本当の意図は、ここまでの戦闘で何となく掴めて来た。だからこそ、そう簡単にはここを通してはくれないだろう。通らせないということはきっと、そういう事なんだろう。

(余計な考えは捨てよう。今はただ、この戦いに集中しよう)

 心を落ち着け、視野は広く。早く、速く、迅く。頭脳と身体を奔らせろ!

 再度鋭い踏み込みで教官の間合いに一気に踏み込む。ボディを狙ってアッパー気味に拳を放つ。その手を掴もうとして教官の腕を逆に掴む。ボディを攻撃しようとしたのはフェイントだった。本命はこの掴み。すかさず教官が掴まれた腕を起点に投げをうつ。その力を利用して教官の背後に回りこみ、足払いを掛ける。何時までも掴んでいると良い様に投げ飛ばされる羽目になるので、後ろに回りこんだ時点で腕は放している。間接を極めに行くのも一つの手だが、相手がこの教官である以上リスクが大きいと判断した。

 教官は刀を地面に突き立てて飛び上がり、柄の上に逆立ちをするような態勢で足払いを回避する。右手は刀の柄を握ったままだ。

 ガギィンと金属同士がぶつかり合う音が強く、大きく響く。

 遠心力を乗せたフルスイングであったが、刀は折れるどころか小揺るぎもしない。

 そして宙に浮いた教官の隙を見逃すティエルではない。動きが直線的で読まれやすい飛び蹴りは止めて、今度は近距離から拳を突き上げて飛び上がる。ぐっと教官の柄を掴む右手に力が篭ると、体を縦に回転させティエルの突き上げを躱しながら蹴り飛ばそうとする。

 僕は刀に当って止まった如意棒を、刀に沿って思いっきりカチ上げる。如意棒は刀の鍔に当り、地面に突き刺さっていた刀を教官ごと上に弾き飛ばす。下からの攻撃は予測していたが、鍔に当てて浮かせてくるのは少し意外だったのか、ティエルを蹴るための脚は空を切る。

 ティエルは思い切り踏み切ったので着地まで今少しの時間が必要だ。教官も今は完全に空中に身を晒している。絶好のチャンス到来!

 振り上げた如意棒を、今度は全力で振り下ろす。絶対回避不能の一撃。

 教官は避けられないと見るや、刀を振り上げ如意棒の軌道を逸らす。だがこれは想定内!

 軌道を逸らされた如意棒が地面を叩くと同時に、その反動を活かして飛び上がり、如意棒を軸に未だ空中に居る教官に強烈な蹴りを放つ。

 どこか一部でも地面に着いていれば、教官ならこの攻撃も迎撃して見せた事だろう。しかし今はまだ空中。体の自由は大きく奪われている。その間に二度も態勢を崩されては、いくらこの鬼よりも強い教官であっても両腕で防御するのが精々だった。初めて攻撃が教官の体にヒットし、その姿を弾き飛ばすと、少し離れた位置に着地したティエルの元に急いで駆けつけ合図を出す。

「ティエル! 今だ!」

 わざと教官に聞こえるようにそう叫ぶ。

 ティエルは僕をお姫様だっこすると、即座に全速力で駆け出す。僕を抱えているとは言え、『竜血』の力で強化された龍族の脚力に人族が追いつける道理はない。鍛え方とかそんな次元の話でどうこうなるレベルの差ではないからだ。そう、追いつけるハズがないのだ。

 だが、そこに教官は立っていた。

 ティエルが駆け出して僅か数十メートル。いつの間に追い抜いたのか、教官が行く手を遮る。

 ありえない。何が起きた……?

 僕の魔力ドームによるマナバーストの結界は切れていない。その効果範囲内に教官は居た。魔道を、いや、マナを使った力で外界に影響を及ぼすような事は出来ない。

「うんうん。今のは良かった。追撃を撃たず全力で逃走に掛かったのも、追撃を警戒させるあの合図も及第点だ。私じゃなかったら今ので逃げられていたでしょう」

 足を止めたティエルはそっと僕を地面に降ろす。

「あの人、本当に人間なの……? ありえないでしょ……」

 ぼそっと呟いたティエルの言葉を教官が耳聡く拾う。

「心外ですね。これでもれっきとしたヤマト人ですよ、私は。まぁ今日は頑張っている君達に特別種明かしをしてあげましょう。と言っても、近衛の公式情報板に載っているから別段秘密でもなんでもないのですけどね」

 教官の魔力が刀に流れ込むと、刀の刀身が黒く染まる。

 更に刀身の黒は広がり、教官の体を包み込むと一気に萎んで行き、そのまま消滅する。

「こっちだよ」

 背後から掛けられた声に振り返ると、そこには教官の姿があった。

「宝具『遁刀(とんとう)』。今の瞬間移動も、さっき君達を追い抜いた時のもこの宝具の能力。まあ、瞬間移動なんていうのはこの宝具のおまけみたいな能力だけど、魔道が使えない状況でも使えるのは便利ね」

 再び黒に覆われた教官は、元の位置に戻る。

 逃げられない。

 この事実を突きつけられ、絶望感に襲われる。

 教官は軍騎士の手伝いで来たという割りに、別段僕らを捕まえようとかそういう気はないようだが、このまま足止めされていては国境警備軍の軍騎士達が追いついてくる。彼らは僕にはともかく、ティエルには容赦しないだろう。先ほどの戦い振りからして、早々軍騎士がティエルをどうこうできるとは思えないが、『竜血』も無敵の強化技ではない。

 ティエルが言うには、『竜血』を使うと『お腹が減る』らしい。それも急速に、だ。常時『竜血』を発動させたままだと、満腹状態から空腹まで保って十分。意識を失うまで更に二十分。都合三十分が最大戦闘時間だそうだ。最初墜落してきたのも、『竜血』の使い過ぎで意識を失ったからだそうだ。まだ教官と戦闘が始まって数分程度だが、軍騎士に囲まれ戦闘になればタイムリミットまでに包囲を突破できる保障はない。むしろ時間切れになる可能性の方が高いだろう。そして、その未来は着実に迫ってきている。

 攻略不可。

 逃亡不可。

 時間制限有り。

 これがゲームだったら負け確イベントだとさっさと負けてしまう所だが、そうも言っていられない。ワザと負けたって何処からともなく味方が現れて救い出してくれるなんて事は起こりはしないのだ。

「ケンジは使うなって言ったけど、もう……使うしかないんじゃない?」

 ティエルが『神威』を使うべきだと主張する。

 僕は首を横に振って、ティエルの主張を否定する。ティエルが神族であるというのは、極力隠しておくに越したことはない。色んな人の話から、本気で殺そうとしてくる人はそうそう居ないようだが、居ないわけではないし、何より目立つ。奇異の視線は要らない面倒事や厄介事を引き連れてくることだろう。もちろん、その全てから僕はティエルを守ってみせると心に誓ってはいるが、避けられるものは避けておくに越したことはない。

 日常であれば認識阻害や誘導によって姿を誤魔化すこともできるが、それだって完璧ではないし、ましてや今は戦闘中だ。何かの拍子に術が破られ、『神威』全開で戦っているところを見られれば、神族の印象が良くなろうはずがない。やっぱり神族は危険だと思われるのがオチだ。そしてそれ以上に問題なのが、『神威』を使ったところで教官に勝てる未来図が描けないという事だ。

 ティエルが『神威』を使うためには、今僕が展開してる魔力ドームを解除する必要がある。すると、ティエルは『神威』をもちろん使えるようになるが、教官が魔道を使えるようにもなってしまう。これは非常に大問題である。本職が魔法士である教官は、当然魔法が「得意」であるということだ。

 全ての魔道士に言えることだが、武術よりも皆魔道の方が得意なのだ。当たり前といえば当たり前である。皆魔道の訓練が主で、合間に肉体の鍛錬として武術もやっている程度。武術の方が得意な僕やタケルがそういう意味ではおかしいのだ。もっと言えば、魔道が使えない精霊士の僕は異例中の異例という事になるだろう。教官も武術の鍛錬を相当積んでいるのは間違いないが、魔道の訓練はそれを上回っているハズである。

 つまり、教官の魔道が解禁されれば、その実力は今の数倍にも及ぶ可能性がある。

 どう転んでも『神威』を使うメリットがないのである。

 それに……。

「先生! もういいでしょ! 通してください!」

「だーめ」

 ちょっと可愛い感じを出して言ってくる教官に、若干イラっと来る。歳を考えてくださいよ、と失礼なことを考えてると、

「おごぉっ!」

 突然額に何か固い物が凄い速さでぶつかって来る。全く反応できなかった。何が起きたか分からず頭を抑えて蹲ると、カラカラと音を立てて転がっている鞘を発見する。どうやら目にも留まらぬ早さで鞘を投げつけてきたようだ。うん? そう言えばどこに鞘なんて持ってたんだろう?

「何するんですか!」

「何かムカつく気配を感じました」

 何か問題でも? と言わんばかりの態度の教官。ぐぬぬぬぬ。

「何で邪魔するのか知りませんが、捕まえる気がないのなら放って置いてください! これでもこっちは真剣なんです!」

「だから良いんじゃないですか」

 飄々とした態度でそう言ってくる。捕まえる気がないのは否定しなかった。

「お願いします。このままだとわたし……」

 ティエルからも教官に通してくれるようお願いするが、まだ譲る気はないようだった。

「事情はサイトウ軍将から聞いています。危険な神族が我が国に突如現れた、と」

「わたしは誰にも危害を加えてません! 信じてください!」

「先程散々軍騎士をのしていたじゃないですか。十分に危険だと思いますが?」

「それは……! 正当防衛……じゃないでしょうか」

 ちょっとトーンダウンするティエル。

「そうです! そっちから攻撃してきたんだから、身を守るために反撃くらいはしますよ!」

 ここぞとティエルに援護射撃を行う。

「うん。私もそう思うよ」

 あれ? 教官の口調が……。

「というか、私ならとっくにあいつの基地に乗り込んで全員ボコボコにして、跡形もなく粉砕してやってるわ」

 はーっはっはっはっ! と豪快に笑う教官。

 本当にやりそうだし、出来そうな気がして僕もティエルも釣られて「ははは……」と笑ったものの、顔が引きつるのは仕方がないだろう。

「だがまあ、君達二人ではそこまでやるのは少々難しかろう。どうせこの後サイトウ軍将達と一戦交えるつもりなのだろ? 丁度良い機会だから、ケンジ君に実技訓練の補習授業をしようかと思ってね。こういう状況だからこそ飛躍的に成長できる。かもしれない、だろう?」

 途中から、何となくだけどそんな所じゃないかなと思ってたが、やっぱりそうか。

「つまり、わたし達を追い込んで限界を超えさせようとか、そういう事ですか?」

「ティエル君はまあついでだね。ケンジ君は中々手が掛かる子でね。私も苦労しているんだよ。だからこそ、こういう少ないチャンスはキッチリ物にしていかないといけないと私は思うんだよ」

 うんうん、と一人頷いている教官。

 だからって邪魔されるこちらとしてはたまった物じゃない。

「そしてまだ君達には合格点はあげられないな。今のままだと、サイトウ軍将の率いる第一大隊には勝てない」

 そう言い切る教官には確信があるようだった。

「策はあります」

 暗に実力で勝つことは難しいことは認める。

「子供の浅知恵で軍に勝てると思っているところが、まだまだ甘い」

「その浅知恵で軍の包囲は突破しました」

「そしてここでこうして足止めを食らっていると」

 ぐう……。

「この後のケンジ君の作戦もおおよそ見当が付く。北の警邏騎士団をこの騒動に引っ張り込むつもりだろう? あそこには『最強』もいるしね。実力的にはこの国で最強の部隊なのは間違いない。それをどうやって引っ張り込むか。そうだね、軍の砲撃や法撃をわざと団署に当るように弾き飛ばして、否が応でも戦わざるを得ない状況に持っていく。何ていうのはどうだろうかね? あそこは血気盛んだから、軍に攻撃されたら即座に反撃に打って出て来るのは間違いないだろうね」

 僕の考えていた作戦の一部がほぼ正確に言い当てられる。

「北に向かっているのが判明した時点で、このくらいの予想は軍将達も考えているぞ。勿論それに対処する方法も用意してくるだろう。おそらくは魔道や火器は使わずに精鋭による近接人海戦術を採ってくるだろう。そうなった時、物を言うのは君達の技量だ。だからこそ、ここで一皮剥けるまで通すつもりはない」

 話は終わりだと言う様に、戦闘モードに切り替わる。

「剥けなかったら……?」

 僕は如意棒を構えながら尋ねてみる。

「その時は、ティエル君には悪いが……」

 教官が遁刀を無造作に振るう。

「キャッ!」

 と僕の横に居たティエルから突如悲鳴が上がる。思わずそちらを見ると、ティエルの頬に一筋の刀傷が付いていた。頬の傷からは少なくない血が流れ、首を伝いティエルの服を赤く染めていく。

「死んでもらう」

 スっと刀を構える教官。

 何が起きた?

 教官とはまだ五メートル程度は距離がある。気付かれずに一足飛びで斬り付けて元の位置に戻れるような距離じゃあない。そんな冷静な思考も、ティエルの流れる赤い血と共に赤く、紅く、染まっていく。

「う……ううう……うああああああああああああああ!」

 冷静さの欠片もない、技も、駆け引きもない、ただ力任せの突撃は、当然ながら教官に軽くいなされる。突撃の勢いそのままに吹き飛ばされるが、直ぐに起き上がり、再度突撃を敢行する。

 今度はスピードを最大限に発揮しての連撃。十、二十、三十、と繰り出される突き、薙ぎ、払い、打ち下ろし、息つく暇もないほどの高速の連撃を、全て軽やかに躱す教官。そして僕の連撃に衰えが見えた瞬間、正面に居たはずの教官が背後から蹴りをぶち込んでくる。

 思い切り背中を蹴り飛ばされた僕は、数メートル程先で地面に倒れ伏す。

「今度こそ……絶対守るんだ……。護るんだ……。誰も助けられないのは……嫌なんだっ!」

 立ち上がり、如意棒を構える。策なんてない。勝てる見込みだってない。どうすれば教官が認めてくれるのかも分からない。でもだからって、諦めるわけにはいかない!

「へえ……」

 教官は少し面白くなってきたと言わんばかりに、笑みを浮かべる。

 何度目になるであろう、全速での突撃を敢行しようと飛び出したその時、

「落ち着けえええええええええええええええええ!」

 ティエルに首根っこを掴まれて教官目掛けて放り投げられた!

「うわあああああああああ!」

「ええ⁉」

 思いもよらぬティエルの行動に、何も出来ずただ放り投げられるだけの僕。まさか僕が放り投げられてくるとは思わなかった教官も、今までにない慌てた様子で大きく飛び退く。

 ズザザザザザザザザザ……。

 地面を激しく擦って行く僕の体。何とか頭を打たない様に受身だけは取ったけど……全身がイタイ……。教官もそんな逃げずに、受け止めるくらいしてくれたって良いのに……。

 茫然とティエルの方を見ると、もう頬の血は止まっているようだった。それを見て少しホっとする。

「こんな掠り傷程度で取り乱すんじゃない! こんな傷、龍族のわたしの回復力に掛かれば……」

 ぐいっとティエルは頬の血の痕を、指で豪快に拭う。するとそこには傷跡一つない綺麗な頬があるだけだった。

「こんなもんよ! それより何? さっきのあの馬鹿みたいな攻撃、あんなのがこの超人に通用するわけないでしょ? 時間だってないって言うのに、もっとシャンとしてもらわないと困るわよ!」

「ああ……うん。そうだね……」

 ティエルに怒られ、一気に頭が冷える。でも、良かった。ティエル、何ともなくて。俯く顔に思わず笑みが浮かぶ。そして一つ面白い事を思いつく。

 こうしちゃ居られないと、直ぐ様飛び起きティエルに駆け寄る。思いついた作戦をこしょこしょとティエルに伝えると、ティエルも「面白そうじゃない」と乗り気だ。

「何か良い作戦で思いついたかしら? 期待してるわよ」

 教官も実に楽しそうだ。この人、さっきティエルを殺すと言っていた人と同じとは思えない。敢えてああ宣言したのは、僕を追い込むための一環だろう。どうやったかはまだ分からないが、ティエルを傷付けたのも。まんまとその挑発に僕は乗せられたわけだ。ただ、時間切れとなれば、教官は恐らく本当にティエルを殺すだろう。そう思わせるだけの殺意が、あの言葉には乗せられていた。

 思いつきから派生させた幾つかの作戦を確認し終え、僕とティエルはお互いに頷き合う。

「じゃあティエル、任せたよ」

「ええ、任された」

 今度は二人同時に教官へと向かって行く。僕が少し先行、半身ほど遅らせてティエルが追随している。まずは最速の『瞬穿』を放つ。

「それは一度見せてもらったよ」

 余裕を持って対処しようとする教官。とそこに、ティエルが如意棒のお尻の部分に全力の掌底を叩き込む。『竜血』で強化された渾身の力による掌底によって、高速で突き出されていた如意棒が更なる加速度を得て、超速の爆発的威力となって教官を襲う。

「……⁉」

 教官が今日の戦闘で初めて、驚きの表情を露にする。避けも受ける暇もなく、咄嗟に何とか刀で如意棒をガードする。激しい金属音が鳴り響き、教官は地に足を着けたまま一メートルほど衝撃で後退していた。作戦その一はそれなりに効果あり。

 僕の攻撃に合わせてティエルが棒を攻撃する事で、速度、威力共に激増させる作戦だ。そして一度当てた事によって、この連携攻撃に注意を払わざるをえなくなり、この連携自体をフェイントとして使う事も可能!

 立て続けに、今度は左右同時に教官に挑みかかる。ティエルは上を、僕は下を狙って攻撃する。と見せかけて、ティエルは教官の周囲をその龍族の身体能力と『竜血』の強化をフル活用して動き回る事で、教官を撹乱する。僕は逆にゆっくりと教官に向けて如意棒を突き出す。スピードは遅いが、強烈な勁を篭めた一撃だ。触れた瞬間に爆発し、対象を破壊する。今の僕で直径二メートル程度の岩を粉砕するくらいの威力はある。

 動きの遅い僕を先にどうにかしようとする度に、ティエルが強引にそれを妨害する。教官の周囲三百六十度はティエルが制しているため、迂闊には動けない。攻撃の瞬間なら幾らでも捉えようがあるが、如何せん身体能力の種族間格差は埋めがたい。動き続けられていてはさしもの教官も手が出し辛いようだった。更に僕とティエルの動きの緩急の差で、意識のズレが生じている。

 僕の遅い動きに意識を向ければティエルの動きが捉えられなくなり、ティエルに意識を向ければ僕が止まっている様にしか見えなくなる。気付けばどちらかの攻撃が教官に刺さる事になるだろう。

 目で追うのを諦めた教官はおもむろに目を閉じる。まさか……と思った次の瞬間──

 チャンスと見たティエルが攻撃に移るが、教官はあっさりとその攻撃を躱し、如意棒の進路にティエルが来るように仕向ける。しかしここで、僕は躊躇わずそのまま如意棒を突いた。ティエルもそう来る事を承知していた。逃げられないように攻撃を躱されながらも教官の腕を掴んでいた。

 如意棒の先端はティエルの背中に当り、その体を教官に向かって押す。まだ勁は溜めたままだ。そのままティエルの体を教官に密着させたところで、溜め込んだ勁を爆発させる。

「がっ……!」

 ティエルが声にならない悲鳴を上げながら教官と一緒に吹き飛ばされる。

 一切手加減なしの全力の攻撃。僕の最大威力の技は、ティエルの体を突き抜け教官にもその猛威を遺憾なく発揮したはずだ。例え無事であっても二人とも直ぐには起き上がって来れないだろう。ティエルの事は心配だが、心配しない。任せてと言ったティエルを信じているからだ。

 この機に一気に畳み掛ける!

 二人が倒れているはずの場所に突撃するも、実際に倒れて居たのはティエルだけだった。

 教官は何処に行った? 

 周囲をぐるり観察するも、教官の姿は見当たらない。が、教官の放つ重圧は未だ肌に突き刺さっている。近くに居るのは間違いない。とその時、『竜血』で強化された聴覚が僅かな音を捉える。

(下か!)

 咄嗟に飛び退くと同時に、地面を突き破って教官が飛び出してくる。教官はついでとばかりに砕いた地面の破片を着地のタイミングを狙ってこちらに蹴り飛ばしてくる。着地したばかりの僕は、回避は無理だと判断し、飛んできた破片を如意棒で全て打ち落とす。

「いやー、今のは中々良かったねー。何より、思い切りがいい! 流石に今のは喰らってしまったよ。はっはっはっはーっ」

 喰らったとか言う割にはいたく元気そうなのが納得いかない。むしろ喰らう前より元気そうだ。ツボ押しじゃないんだけど。そんなしようもない事が頭をよぎる。

 作戦その二もそれなりに効果はあったが、決定打には程遠く、こちらの被害の方が大きくなりそうだ。未だ起き上がってこないティエルに一瞬視線を向けるが、直ぐに教官に注意を戻す。

「ティエル君。寝たふりはもう良いんじゃないかな?」

 こちらを向いたまま教官はティエルに声を掛ける。ティエルに反応はないが、教官はティエルがとっくに意識が戻ってるどころか、油断させてこちらの隙を窺っていると確信しているようだ。

 あくまでも意識のない振りを続けるティエルに、地面に落ちている先ほどの瓦礫を蹴り飛ばす。

 瓦礫が当る!

 そう見えた瞬間、地面に倒れていたティエルの姿が掻き消える。ティエルは教官の蹴り足が地面に戻る前に、軸足を刈らんと瞬きよりも短い時間で距離を詰める。教官は超低空姿勢で高速接近するティエルに対し、そのまま踵落としの要領で脚を振り下ろし迎撃する。ティエルはそれを横っ飛びに躱す。と同時に僕が軸足の膝よりやや上当りを狙って打ち下ろし気味に如意棒の一撃を教官に叩き込む。

 手ごたえが軽い!

 折れよとばかりに打ち込んだが、教官は棒が当った場所を基点に回転し棒の一撃を受け流す。攻撃中ですら防御に余念がないとは……。すかさずティエルが追撃を行う。回避行動の取れない教官は、刀でティエルの攻撃を受け止め、その反動で一旦距離を取って態勢を立て直す。

 死んだ振り作戦もダメか。

 僕がティエルに提案した作戦の大筋は、ティエルに合わせて貰う、という事だ。

 ティエルと一緒に戦うのは当然今回が初めてなので、最初は密な連携は無理だという当然の判断の元、僕が教官の注意を惹き付け、隙を衝いてティエルが攻撃するという単純な作戦だった。これでも相手が教官でなければ十分通用したはずだが、相手が悪かった。個々の攻撃はあっさり捌かれ手も足も出なかった。そこで、密な連携を無理やり作り出す事にしたのだ。

 僕とティエルでは『竜血』による強化の効果に差があり、種族の違いによる差も含め、身体機能および運動能力において、遥かにティエルの方が勝っている。であるから、僕の動きを確認してからそれに合わせてティエルが動くことによって、強引に連携攻撃を行う事が可能なのだ。

 また、ティエルがどんな風に合わせるかは、完全にティエルに任せてあるので、僕の動きからティエルの行動を読もうとしても、先読みすることは不可能である。更に、ティエルの頑丈さと回復力も加味して、ティエルを巻き込んでの攻撃もする事にした。これはティエルからそうしろと言われたのだ。僕なら絶対にやらない攻撃だからこそ、僕を知っている教官には有効なはずだと。

 実際それまでよりは格段に教官に攻撃が届くようになった。どっちにしろ、有効打はないという点では変わりはないが、一歩前進といった感じはする。ティエルの攻撃がまともに決まれば、流石にダメージは通ると思いたいが……。

 態勢を立て直した教官は刀を僕に向けて言って来る。

「うん、よろしい。今の感じなら合格点をあげよう。ケンジ君はさっきキレた時から一つリミッターが外れたね。動きのキレが良くなった。それと攻撃に躊躇がなくなった。合格合格。ケンジ君は中等部入学後の実技で相手に大怪我を負わせてから、いつも攻撃に迷いがあった。ケンジ君の実力は同級生の魔道士など容易く殺傷しうる領域に達していたからね。神武不殺が棒術の極意ではあるけれど、殺す事を恐れて萎縮していては実力の半分も出せないよ。相手を殺しうるだけの力をもって、決して殺さない覚悟で戦いなさい。どうすれば死なないか、を良く勉強しておくように」

 続いて今度はティエルに刀を向ける。

「ティエル君は今は下手に小手先の技に走らず、その身体能力を活用した戦い方が出来ていたね。ケンジ君の動きを確認してから強引に連携に持って行ったのは中々興味深かったよ。これからちゃんと技術を学び、ケンジ君と連携の訓練を積めばそう遠くないうちに互角の勝負ができるようになると期待しているよ。あとはもう少し演技の練習もしておくことだね。ティエル君も合格だ」

 おお! 合格頂きました!

「やった!」

 ティエルと向かい合って手を叩き合う。僕もティエルも思わず笑みが零れる。やれやれ、これでやっと次に行ける。そう思ったのも束の間、一転地獄へと叩き落す一言が教官から告げられる。

「じゃあ次は、防御の特別授業を始めようか」

 その死の宣告を受け、思わず天を仰ぎ手で顔を覆った僕を誰が責められようか。

 横ではティエルも両手両膝を地面につき、これでもかというほど、がっくりしていた。

「はっはっはっ。そんなに喜んで貰えると、先生も嬉しいな!」

 教官だけが一人楽しそうに笑っていた。鬼か! いや、鬼だ!

 その時だ。

 絶望に打ちひしがれる僕達の元へ、一筋の希望の手が差し伸べられたのは。

「そこまでだ! これ以上俺の親友に手は出させない! ヤマト・タケル、推参!」

 とう!

 と何時から準備していたのか知らないが、直ぐ横の民家の屋根からタケルが飛び降りてくる。

 シュタ! と華麗に着地を決め、持参してきたのであろう刀を構えて教官に対峙する。

「よし、ケンジ」

「な、なに……?」

「あれは無理だ。直ぐ逃げよう」

 凄く格好良く現れた割りに、凄く格好悪いことを平然と言うな、タケルは。でもそれも様になってるのが何か笑える。そしてそれ以上に、タケルが助けに来てくれた事が嬉しい。

 続いて今度は女性の声が聞こえてくる。アヤネさんだ。

 アヤネさんはタケルみたいな事はなく、普通に路地から姿を現した。

「ツカハラ師匠! 私は……」

 気付けば、声がする前に教官は刀を納め、片膝を着いて臣下の礼を取っていた。

 アヤネさんがツカハラ師匠と呼んだ事に対し、言葉を被せる。

「アヤネ総騎士団長! 今は軍事行動中では?」

 そう言われ、ぐっと言葉に詰まり、言い直す。

「ツカハラ二中。私は彼らの護衛を命じたはずですが? 何故彼らと戦っていたのか説明してくださいますね?」

「何の事で御座いましょう? オフの日に気になる生徒に特別課外授業なら行っておりましたが」

 しれっとそんな事をのたまう教官。

「あくまで学園講師としての授業だったと?」

「それ以外の何に見えましたか?」

 ピクっとアヤネさんのこめかみが反応する。

「……ふぅー。いいでしょう。今はあなたと問答している時間はありません。私はこれから国境警備軍の基地に行き、今回の騒動の元であるサイトウ軍将を抑えます。あなた達は速やかに安全な場所へ避難しなさい」

 アヤネさんは僕達に北の警騎士団の団署に行くよう告げる。

「北には警騎士団長を通じて話は通してあります。現在地も伝えてあるので、直に向かえが来るでしょう」

「軍の追っ手が近くまで来てるはずなんですが……」

「安心して下さい。軍騎士達は私が連れて来た近衛騎士団が足止めしています。総騎士団長直々の命令書でもって、現作戦行動の中止、及び即時基地への帰投を促しています」

「では私もお役御免ということで、アパートに帰りますね」

 用は済んだとばかりに、さっさと帰ろうとする教官の襟首を掴み引き止めるアヤネさん。

「姫様、帰りますので放して頂けると助かるのですが?」

「ツカハラ二中にはこの後私と一緒に基地に行って貰います」

「え? 嫌です」

「ダメです」

 ジーっと暫し睨み合う両者。折れたのは教官の方だった。

「はあ。宮仕えの辛いところですねー。横暴な上司にこき使われるハメになるとは」

「誰が横暴ですかっ! 馬鹿なこと言ってないでさっさと行きますよ」

「りょーかいでありまーす」

 教官は渋々といった態度を露骨に表しながら返事する。

「それじゃあ私たちは行ってくるわね。大丈夫だとは思うけれど、事が片付くまで何があるか分からないから、皆十分気をつけてね。タケル君、二人の護衛任せたわよ」

「はい!」「ええ」「任せろ!」

 三人それぞれの返事を聞き、「よし」とアヤネさんは頷く。

「アヤネさんの方こそ二人で行くんですか?」

「ええ。別に敵地に乗り込む訳ではないですし。万一に備えて強力な助っ人を後二人、お願いしてありますし、私の方は心配いりませんよ」

 それじゃ行きますよと、アヤネさんは教官を引っ張って国境警備軍の基地へと向かっていった。

 それを見送った後、改めてタケルと向き合う。

「ケンジ! すまん!」

 腰が直角に折れ曲がるほどの深々とした謝罪の礼を取るタケル。そして困惑する僕。

「タケルが謝る様な事は何にもないよ! むしろ僕の方こそ、結局タケルやアヤネさんを巻き込んじゃってごめん」

 タケルと僕が「俺の方が!」「いやいや僕の方こそ」「だから俺がだっつってんだろ!」「僕だって言ってるのが分からないかな!」と謝りあってるのか何なのか分からない様相を呈していると、ティエルが「えいっ」と可愛く僕とタケルの鳩尾を的確に衝いて来る。

「おぐぉっ!」「うぐっ」

 『竜血』の強化が掛かってる僕は鳩尾を押さえる程度で済んでいるが、強化など何もなしで不意打ちで喰らったタケルは地面をのた打ち回りながら悶絶していた。

「で、ケンジ。この人は誰?」

 地面に蹲るタケルを指差してティエルが聞いて来る。

「ヤマト・タケル。僕の友達だよ」

 苦笑しながら答える。

「おうよ。ケンジの『一番』の親友だぜ」

 何とか復帰したタケルがティエルに、何故か一番を強調して伝える。改めて親友と呼ばれると、何だかちょっとこそばゆいな。

「で、そのタケルさんはこんな時に何の」

「もちろんケンジと、ついでにあんたを助けに来たのさ」

 ティエルの言葉に喰い気味にそう答えるタケル。

「アヤネさん?」

 と問いかけると、

「うむ」

 と一言。それだけで何があったか大体察する。

「ありがと。頼りにしてるよ」

「ああ。任せろ」

 二人だけで分かり合ってると、蚊帳の外に置かれたティエルから再び鉄拳が飛んでくる。

「うおっ」「ちょっ」

 二度目は流石に回避に成功する。

「ごめんごめん。とりあえずタケルは信用できる味方だから。詳しい話はまた今度ね」

「存分に頼っていいぞ。暴力女」

 そう言うと同時に頭を少し後ろに逸らすタケル。その直後、ティエルの猛烈なフックがさっきまでタケルの顔面があった場所を通過する。

「ちぃっ!」「フッ」

 どうどう、とティエルを宥めつつタケルに煽らないように注意する。ティエルって意外と好戦的ね。

「何かムカつくわ、アイツ」

 まあまあと賺して、タケルがティエルの事を殺そうとしてた事とかは余計拗れそうなので、黙っておく事にする。ティエルが落ち着いたところで、タケルにティエルの事を手短に紹介し、今後の予定を話し合う。

「つっても、ここで待ってれば良いんじゃねーの?」

「それがそうも言ってられなさそうなんだよね」

 そう言ってティエルの方に視線を向けると、ティエルが上空を見上げる。

 釣られてタケルも視線を空に向けるが、特に何も見えないようだ。まあそうだろう。

「さっきあのツカハラって人と戦ってる最中にチラっと見えたのだけど、雲よりかなり上からこっちを監視してる奴が居たわ。位置的に今は雲に隠れているけれど、今もこっちを監視してるでしょうね」

 強化されたティエルの視力ならではの芸当だ。

「まず間違いなく軍将の部下だろう。そしてアヤネさん達が基地に向かってる事なんかもバレてると考えれば、大人しく基地に居るとは思えない」

「軍将自らこっちに向かってくるって事か?」

「ここまでしてティエルを狙ってくるからには、ティエルの確保が最優先事項なんだろうと僕は見てる。神族だから狙ってるんだろうけど、どうしてここまでして神族を欲しがるのかな……」

「それは俺にもわからんが、向こうさんから来るってんなら、軍将をぶちのめして聞き出せばいいだろ」

「わたしもそれに賛成!」

「そりゃ、軍将が一人で来るならそれもいいかもだけど、絶対部隊を引き連れてくるでしょ」

「となると、来るのは直属の……第一大隊だったかな。仮に第一大隊が総員で来ると……」

「来ると……?」

「ざっと四百人くらいにはなるな」

 いやいやいや、多すぎでしょ。北の警騎士の数をタケルに尋ねてみると、戦闘要員は百人以下との事。良く見積もって彼我の戦力差四倍以上って、厳しいとかってレベルじゃないな。

「ちなみにアヤ姉達が向かった基地には、戦闘部隊以外も含めると四、五千。戦闘部隊だけでも一個連隊二千人の内の大半がいるはずなんだよなー」

 呼んだ応援というのは恐らく精霊士の二人だろうから、教官含めてその三人が居れば、相手の何千が何万になったところで相手にならないのは明白だけど、だからって四人でそんなところに突入したいとは微塵も思わないが。まあ、だから四百程度でビビッてられるかって事なんだろうけど、こっちにはあんな超人達が居ないという大きな欠点が。兎にも角にも先ずはこっちに向かってきてるはずのお迎えの警騎士と合流して、団署までたどり着くことが先決か。

「そう言えば、何でわざわざ団署に直接行こうとしてるんだ? 電話かなんかで助けを呼ぶとかしても良かったんじゃねーか?」

 そんな事をタケルが聞いてくるので、

「タケルだったら、突然軍に追われてるって電話が掛かってきて、おおそれは大変だ! ってなるか?」

 と答えると、タケルは納得いったようで、

「イタズラ電話としか思わないな」

 と頷く。

「その上更に助けた神族の少女が狙われてるとか、もうちょっとマシな嘘吐けって感じにしかならないよ」

 そしてそれとは別の思惑もタケルには伝えておく。

「アヤネさんが救助を取り付けてくれたから乗っかるつもりだけど、本当は助けを求めるつもりはなかったんだ」

「ええ⁉ じゃあ何しに北の団署目指してたんだ?」

「無理矢理北の警騎士を巻き込んで戦わせるつもりだった」

「すげー事考えるなあ……」

 呆れてるのか感心してるのか、まあ半々と言った感じのタケルの反応。

「後々の事を考えると、助けを求めるとティエルの事に関して強く出れないよね。だけど僕はティエルに関しての主導権を誰にも一切渡す気はないんだ。だから僕から何処かの組織や団体、個人に助けを求めることはしない」

「ケンジって割と独占欲強いのよね」

 そう言いながらも案外満更でもない様子のティエル。

「ちょっと意外な一面を見たな」

 驚きの表情を浮かべるタケル。

「まっ、俺はケンジを助けたいから助けるだけだ。ケンジが何を考えてようが構わねーよ」

 ニッと爽やかに笑うタケルは、男の僕が惚れそうになるほどイケメンだった。

「ところで、ずっと気になってたんだが……ガー助はどこだ? 全然姿を見かけないんだが。危ないからお留守番か?」

「マナの塊で出来てる精霊に、魔道も物理も効果はないから危険とかないよ。だから勿論着いて来てくれてるよ」

 自分の胸をトントンと叩き、「ガー君もう良いよ」と声を掛ける。

 すると、にゅーっと心臓がある当り、つまり僕の体内からガー君が姿を現す。そう、役所を出てからは念のため僕の体の中に隠れていてもらったのだ。何かの拍子にはぐれない様にするためと、ガー君と合体してると途方もない魔力の使い方をしても何故か魔力が尽きることがないので、マナバーストの魔力ドームを展開する際には重宝するのだ。ガー君がティエルの言っていた星霊って言うのだからかもしれないな。

「はー。精霊ってそんな事もできるんだな」

 思いもよらぬところから出てきたガー君にタケルが驚きの声を上げる。

 凄いでしょとばかりに胸を張ってるように見えるガー君。胸とかないけど。

「この子は特別だからね」

 ティエルに撫でられてご機嫌のガー君。ちょっと羨ましい。──っと、いけないいけない。

「上の監視とやらは放っておいていいのか?」

 気づいているのがバレても構わないとばかりに、堂々と空を見上げながらタケルが聞いて来る。

「雲の高さから考えて、多分五千メートル以上は上空に居る感じだから手の出しようがないわね」

「あー……そりゃどうしようもないな……」

「まあ、今から軍が向かってきても、こっちが合流する方が断然早いから問題ないと思うよ」

「じゃあまあ、のんびりとは行かないが、警騎士の迎えが来るまで休憩だな」

 場所はあまり移動できないので、手近で座れそうなところを探して休憩することにする。直ぐ近くに小さな公園があったのでそこに入り、僕とティエルはベンチに腰掛ける。タケルは護衛のつもりだろう、万一に備えて立ったまま周囲を警戒している。

「そういえばココに来てから気になってる物が一つあるんだけど、あのでっかい塔? は何なの?」

 現在地から見て、北の方角に雲を突き抜ける巨大な塔の影が見えている。この国に住む僕らにとっては何ら珍しい物ではないが、ティエルには奇異な物に映るらしい。休憩中の暇つぶしにそんな事を聞いて来る。家に居るとき聞いてくれれば良かったのにと言うと、「そんな余裕がなかったのよ」って、まあそれはそうかと納得する。

「ずーーーーーっと昔、それも人神戦争よりも遥か昔からあそこにああして聳え立ってるって言われてる塔らしいよ。まあそもそも、塔なのかどうなのかも分かってないみたいだけど」

「どういうこと?」

「入り口がないから中に入れないんだ。壊して入ろうとしたこともあるらしいんだけど、ちょっと傷がつくくらいで全然壊せそうにないらしい。しかもその傷も勝手に直っちゃうって報道で言ってたね。まあ別に何か害があるわけでもなし、聖地認定もされて皆に愛されるシンボルになってるよ」

「聖地って言っても触ることも出来るし、観光地としても有名だし、特定の奴等には特に人気の場所だな」

「へー」

 僕たちはそんな他愛もない会話をしながら、お迎えが来るのを待っているのだった。


四章 絶体絶命


 公園で待つ事十分少々、北の方角から人影が飛んでくるのが視界に入る。マナバーストも解除し、『竜血』による強化も一時竜気の供給をストップして休んでいた僕とティエルに、周囲を警戒していて逸早く人影に気付いたタケルが知らせてくれた。そのまま近付いてくる様子を眺めていると、程なく三人の警騎士がこちらに気付き降下を開始する。

 迎えに来た警騎士は、男性二人に女性が一人。中年の如何にもベテランな雰囲気の男性騎士と若手の男女の騎士だ。三人の警騎士達は公園に着地すると、男性二人は周囲を警戒。女性の騎士が僕達に話しかけてきた。

「あなた達が総騎士団長直々に連絡のあった子達かな?」

「はい! 俺はタケル。座って休んでるのがケンジと……」

 スッと立ち上がり優雅にお辞儀をするティエル。

「ティエルと申します。この度は私たちの為にお手数をおかけして申し訳ございません。どうぞよしなに」

 僕がそんなティエルに見惚れていると、女性の警騎士もポーっと見惚れているのに気付く。タケルは……気持ち悪いもの見たって感じだな。

「あ、いえいえご丁寧にどうもどうも。困っている市民を守るのが我々警騎士の任務でありますから」

 見惚れていた事を悟られないようにか、手をわたわたさせる女性の警騎士。

 ベテランさんは「保護対象と接触。保護しつつそちらへ向かう」と無線で連絡を取っている。若い男性騎士は「さっさと移動するぞ」とせっついてくる。まあ確かにいつまでものんびりしていられるわけじゃない。まだ軍騎士が来るまでは時間があるだろうが、それも何時までとハッキリしている訳ではない。合流できた以上長居は無用、さっさと移動するに越したことはない。

 僕らが立ち上がり、警騎士達が護衛に就くようこちらを向いた瞬間だった──。

 突如ベテランの中年騎士が体を入れ替える様にティエルの横に身を投げ出す。

「がっ!」

 それと同時に飛来した何かが中年騎士に直撃する。

(狙撃!)

 血が出ている様子はない。が、中年騎士は完全に意識を失っており、起き上がってくる様子はない。呼吸はしているようで、命に別状はなさそうでホッとする。

「くっ! 狙われてるぞ! 直ちに遮蔽物の陰に移動する!」

 若手の男性騎士が直ぐに指示を飛ばす。その意見に誰も否やがあろうはずもなく、移動しようとするが、すかさず第二射が来る。だがこれは警騎士たちによって素早く展開された防御結界によって防がれる。安心したのも束の間、気付けば足元に手投げ弾が転がっていた。

 カッ!

 炸裂する手投げ弾は、激しい閃光を解き放つ。視界が真っ白に染まるなか、女性の騎士が叫ぶ。

「皆! 結界から外に出ないように! 視界が戻るまで耐えるわよ!」

 最後の言葉は同僚の男性騎士に向かって言った言葉だろう。

「防御の魔道に関しちゃウチらの方が軍より上だって事を、見せてやるぜ!」

 二人掛りで強力な結界を展開し、どんな攻撃も通さないという意思を見せ付ける。しかし相手はそれも予想通りと言わんばかりに次の手を打ってくる。視界もなく、結界に全力を注いでいるため動くこともままならない僕らは格好の的であった。恐らく魔導兵器の類だろう、遠距離からの高密度火力が容赦なく降り注ぐ。結界がなければ一瞬にして肉片すら残らないであろう砲撃銃撃の嵐を、それでも何とか堪えしのいでいる。

「ティエル! 強化を!」

「ええ!」

 結界が外の音も防いでくれているため、結界内では普通に会話ができる。警騎士さん達が結界を維持しながら団署に応援を要請しているのが聞こえる。今からでは間に合いそうもないが、だからと言って呼ばないわけにもいかない。何とか間に合うようにするしかない。

 回復力も強化されているため、そう時間も掛からず視界が回復していく。周囲の状況を確認しようと視線を巡らすと、至近距離に十人ほど軍騎士が接近していた。この短時間で視力が回復するのは相手も予想外だったのか、一瞬動きが止まる。

「後方敵およそ十!」

 警騎士の二人に伝わるようにそう叫んで、すかさず軍騎士の集団に突っ込んでいく。

 軍騎士達の火力は同士撃ちを避けるためか、一方向からに集中していたので、気にせず敵に突っ込んでいける。僕の突撃に僅かも遅れず、タケルとティエルも着いて来てくれている。

 三対十ではあるが、『竜血』の強化がある僕達ならやれる!

 瞬きの合間に接敵し、相手が動き出す前に畳み掛ける。ティエルが片手ずつで二人をふっ飛ばし、僕は如意棒を鳩尾に突き込み一人、タケルも居合いの要領で柄尻を叩き込んで一人昏倒させる。ティエルはそこから更に連続の回し蹴りで更に二人を倒してしまう。

 一度の攻防で六人。これで三対四。

「…………っ!」

 残った軍騎士達が驚愕の表情を浮かべる中、相手に態勢を整える隙を与えてなるものかと、追撃を掛ける。残る四人も瞬く間に叩き伏せる事に成功したと思ったが、最後の一人が倒れざまに手投げ弾を足元に落とす。さっきのと同じ閃光弾だ! 

 まずい! と思った瞬間、ティエルが思いっきり閃光弾を蹴り飛ばすものの僅かに遅く、目の前で閃光弾が再び炸裂する。咄嗟に目を閉じ腕で覆ったものの、強化された眼に突き刺さる閃光は再び視界を白に染め上げていった。

「ティエル! タケル! 無事⁉」

「ええ!」

「おう! 何も見えんけどな!」

 銃撃と砲撃が着弾する爆音の中、直ぐ近くから二人の声が聞こえる。手探りで二人の手を掴むと、勘で警騎士の結界に戻ろうと動く。しかし、軍も目標が無防備に結界外にいるこの機を逃すはずもなく、新手の軍騎士が迫ってくる気配が伝わってくる。

「拘束麻痺弾準備! てぇっ!」

「させるかよっ!」

 軍騎士が声を上げると同時に発射される魔導弾。それをタケルが結界で防ぐ。しかし、それを待っていたとばかりに軍騎士が叫ぶ。

「パラライズネット弾! 弾着! 今!」

 タケルの結界に一発の魔導砲弾が着弾すると同時に網目状に魔導索が展開、強力な電撃を放ち結界と激しくぶつかり合う音が結界内にまで聞こえてくる。

「ぐうううう。これは……そう長く保たないぞ……!」

 マナバーストが一瞬頭を過ぎるが、魔導兵器相手に通用するかどうか分からない─マナバーストの原理上恐らくあまり効果がない─うえに、こちらの防御結界は確実に消失するというあまりに分の悪い賭けに、使用は断念する。有効な打つ手がないまま、焦りだけが募っていく。

「くそう! 一か八かだっ!」

 タケルが防御結界から意識を離す。結界へ魔力は送り続けているが、格段に防御力が落ちているのを感じる。電撃を放ち続ける魔導索が勢い良く、弱まった防御結界をあっという間に蝕んでいく。そして遂にその時が訪れる。

 魔導索が結界に衝突する音が唐突に途絶える。防御結界が消滅したのだと悟る。

「……っ!」

 全方位を覆い広がっていた魔導索が落ちてくる!

 視界もなく、逃げ場もなし。電撃に耐えてみせる心構えだけはしていると、

「はあっ!」

 タケルが気合一閃、抜き打ちからの連続斬り。タケルの刀を振り回す音で、タケルが何をしているかを察する。そしてすかさず再度防御結界を展開して、細切れになった魔導索を弾き飛ばしてくれたようだった。しかしこれで一安心などと行くはずもなく、こちらが何とか魔導索を耐え凌いでる間に、かなりの人数の軍騎士達に囲まれている気配がする。

 視界は未だ回復せず、周囲は敵だらけ。頼みの綱の防御結界も、攻撃等は防いでくれるが、人間などの出入りを防ぐものではない。更に、防御結界同士は混ざり合う性質があるため、敢えてぶつけ合う事で結界内での近接戦闘が可能となる。

 軍騎士達が更に近づいてくる。音と気配を頼りに距離を探る。既にタケルの防御結界は彼らとの戦闘においては意味を為さなくなっている事だろう。

 軍騎士達は視界を奪われている僕達に対して、それでも慎重かつ冷静であった。

 ガチャ。

 銃器を操作する音が聞こえると同時に、僕は兎に角出鱈目に動き出す。

 バスッ!

 とさっきまで僕が居た場所に何かが当る音がする。さっきの拘束麻痺弾じゃないかと推測する。

 どうせ周りは敵ばかり。正面と思しき方向に対して突進しながら、闇雲に攻撃を仕掛ける。

 ティエルとタケルはどうなっているだろう……。自分の事より気になってしまうが、二人がやられたような声も聞こえて来ないので、大丈夫だと言い聞かせながら体を動かす。手応えはないものの、軍騎士達の攻撃も僕の体を捉えられずにいる。そうこうしている内、段々と視界が回復してくる。はっきりとしない視界の中で何とか軍騎士の姿を探す。僕の事は少し遠巻きに包囲しているようだ。

 好機!

 如意棒を伸ばしつつ、扇状に横薙ぎを放つ。

 重い手応えを感じつつも、強化された腕力で強引に振り切る。棒が伸びるのは軍騎士達にとっても予想外だったのだろう、碌に防御も回避も出来ないまま棒の一撃を喰らい、戦闘不能に追い込まれる。だが横薙ぎを放ち、動きが止まったところを見逃すほど軍騎士達も甘くはなかった。

 倒れる味方を気に留めることなく、背後から次々と撃ち込まれる拘束麻痺弾。

 強引に回避行動に移るものの、完全には躱し切れず一発が胴体を掠めていく。それと同時に体に激しい電気ショックが叩き込まれてくる。

「ぐうっ!」

 一瞬全身が痺れ、再び動きが止まる。何とか体を動かそうとするが、直ぐには体が言うことを聞かない。硬直する僕に次々と拘束麻痺弾が、今度は直撃する。

 着弾の衝撃と電気ショックで、僅かな抵抗も出来ず地面に倒れこむ。拘束麻痺弾は文字通り、麻痺させ、着弾と同時に一本の魔導索が体をぐるりと縛りつけてくる。何発も弾を受けた僕の胴体は拘束用の魔導索でぐるぐる巻きになっていた。

 それでも何とか顔を動かして周囲を見回す。視界もほぼ回復している。

 思った以上に近くで、タケルも僕と同じようにぐるぐる巻きに拘束されて地面に倒れている。後ろで鳴り響いていた砲撃銃撃の音も今は止んでいる。位置的に見ることは出来ないが、警騎士の二人も無力化されているのだろう。ティエルは……目算だが、十メートルほど離れた場所で、まだ戦っていた。

 見る間に目の前の軍騎士達をまた一人、二人と確実に戦闘不能にしていく。しかし、先程までの動きと比べると明らかにキレが悪くなっている。恐らくティエルもまた、拘束麻痺弾に被弾したのだろう。ただ、ティエルの強化された身体能力は僕らとは一線を画している。魔導索の拘束を無理矢理引き千切ったのだろう、魔導索の残骸が幾つも散らばっているのが目に入る。拘束されるのは免れても、電気ショックによる麻痺の影響が残っているようで、動きが悪くなっているのだろう。

 軍騎士達も、まさかアレを喰らっても動き回れるとは思って居なかった様で、慌ててティエルに対処しようとするも、個々の力量ではティエルを抑えることは出来ず、むしろ各個撃破されていくばかりだ。ティエル一人に一小隊規模が全滅させられた辺りで、軍騎士達も作戦を変えティエルを直接狙うのを止める。軍騎士達の銃口は身動きの取れない僕ら、主に僕に向けられていた。

「動くな! 動けばどうなるか、言わなくても分かるな?」

 チープな脅しであったが、だからこそ非常に効果的でもあった。

「僕に下手に傷を付けたりしたら、後で《勇者》に何されるか分からないよ?」

 ここまでする相手に無駄な脅しであろうと思いながらも、苦し紛れにそう言ってみるが、

「我々は任務を遂行するのみ。後がどうなろうと知ったことではないな」

 とにべもなく撥ね退けられる。

「ティエル! 僕らに構わず逃げて! ぐぅっ!」

 余計なことをいう僕の腹を、銃床で強かに殴りつけられ苦悶の声を上げる。

 それを見てティエルは、動きを止めた。

「だめだ! ティエ……がっ!」

 またも声を上げた僕に、今度は頬を殴り飛ばされる。

「やめろ!」

 怒りに燃えるティエルから、紫紺の炎が吹き上がる。あまりの怒りに竜気がティエルの体から噴出しているようだ。今までにない凄まじい竜気の放出に、見たこともない龍の姿を幻視する。周囲の軍騎士達も、竜気は見えずとも只ならぬ気配は感じるようで、圧倒的優位に立ちながらも余裕は窺えない。

「お願い……僕の事はいい……。君だけならまだ……逃げられるっ……!」

 幾度殴られようと懲りずに、今は逃げるようティエルに声を掛ける。

 その僕に苛立ちを覚えた一人の軍騎士が、僕に向かって発砲した。

 パァン!

 その軍騎士が使った銃は先程までの魔導銃とは違う、機械式の銃だった。

 発射された弾丸は僕の頬を掠め、地面に着弾して小さな穴を穿つ。

 一瞬肝を冷やす。

 魔道が一切使えず防御結界のない僕にとって、機械式の銃は魔導式の銃より致命的だ。魔道士なら誰でも纏っている防御膜でさえないからだ。最低限防御膜があれば、機械式の兵器などはどれほどの威力があろうとも防ぐことが出来るからだ。

 全身から冷たい汗が噴出すのを感じながら、銃を撃った軍騎士を睨み付けてやる。そう思って視線を、銃で出来た穴から軍騎士へ移すと、そこからその軍騎士は居なくなっていた。

 周りの軍騎士達も、流石に殺すのは拙いと思っていたのか、銃を撃った軍騎士を咎め様と振り向いていたのだろう、僕も含め全員が同じ所を見ていた。

 そこに居たのは、さっきまで十メートルほど離れた場所に居たティエルだった。紫紺の炎を滾らせ、怒りに燃える相貌は、ただ軍騎士達を見つめていた。どうやってかは分からないが、一瞬でこの距離を移動して、あの軍騎士を殴り飛ばすか何かしたのだろう。ぶっ飛ばされた軍騎士がどこでどうなってるかは、顔が動く範囲の視界には居なかったので分からないが。

 ティエルが体を僅かに横にずらし、右手が動いたかと思うと、ティエルの正面に居た軍騎士が突然全身を激しく痙攣させ、気を失って倒れてしまった。それを見た軍騎士達が騒然となる。

「背後からの狙撃を……躱すだけでなく、弾丸の軌道まで変えたと言うのかっ⁉」

 どうやら軍騎士による遠距離狙撃の麻痺弾を、右手で弾いて当てたようだ。本当に人間業ではないな。龍の力の為せる技ということなのだろうか。

 だけど、あんな勢いで『竜血』を使い続ければ、元々消耗の激しいところに来て、これまでに消費した分も考えると、タイムリミットはあっと言う間に訪れるだろうことは明白だった。だけど今のティエルにはそんな事を気にする様な冷静さは微塵も残っては居ないようだった。

 ティエルが消えた次の瞬間には軍騎士が一人と言わず、纏めて二人、三人と薙ぎ倒されていく。圧倒的なティエルの猛威の前に、数で圧倒する軍騎士達は手も足も出ないまま、次々と倒されていく。遠くの高台に陣取る軍騎士達からは、何とか援護しようと弾丸が次々と撃ち込まれて来る。大半は躱すものの、中にはティエルに命中するものもあったが、意に介した様子も見られない。命中した弾丸が全て、竜気の膜に弾かれていくのが僕にだけは見えていた。

 ティエルに更に二個小隊程の人数を倒されたところで、指揮官らしき軍騎士が声を上げる。

「目標を直接狙っても効果は薄い! 棒使いの少年を狙え!」

 一斉に遠近両方の銃口がこちらに狙いを定める。

「拘束麻痺弾から強麻痺弾へ切り替えぃ! てぇっ!」

 躊躇なく放たれる弾丸。そして予想される最悪の未来。

「来るなああああああああああ!」

 僕を狙う銃弾は敢えて、一方向からのみ発射されている。そしてその射線を塞ぐように立ちはだかるのは、ティエルだった。

 ティエルは両の腕で、飛来する弾丸を次々と打ち落とし、弾き飛ばしていく。

「構わず撃ち続けろ!」

 銃弾の雨は止むことなく、僕を狙って降り注ぐ。ティエルは一切回避することなく、銃弾を捌き続ける。しかし当然、その全てを捌き切る事など出来るはずもなく、次第に被弾する数が増えていく。被弾する数が増えるほど、ティエルの体を覆う紫紺の炎が揺らぎ、小さくなっていく。隙を見て横からティエルを攻撃しようとした軍騎士も居たが、弾いた弾丸を当てられ昏倒。それが幾度も繰り返され、遠巻きからの射撃に専念せざるを得なくなっている。だがそれで十分だった。このまま撃ち続けられれば、さほど時間を掛けずティエルは力尽きるのだから。

 僅かな竜気を振り絞り、一歩も退かず、ただただ僕を守り続けてくれるティエル。本当は僕がティエルを守ってあげなくちゃいけなかったのに……。そんな事言ったらティエルは「わたしは守ってもらうばかりの女じゃないの」って怒りそうだけど。

 余りの悔しさ、情けなさに、握った掌からは血が滲んでいた。涙も流れそうになったが、ぐっと堪える。泣いたらダメだ。諦めた事になる。絶対、ぜぇぇぇったいに諦めない! 諦めたりしない!

 ついさっきまで轟々と燃え盛っていた紫紺の炎は、今や見る影もなくなっていた。ティエルの体の表面をうっすらと覆うのが精一杯で、撃ち込まれる弾丸も、その殆どがティエルの体を捉えるようになっていた。もう僅かの時も保たないのは火を見るより明らかだった。

 それを見た僕は恐怖に震える心と体を、ティエルを助けるその一心で捻じ伏せる。フラッシュバックする過去の記憶を無視する。面倒な術式を構築している暇はない。簡単なものでいい。とてもシンプルに、そう、シンプルに。

 だけどそこで、僕にとって予想外の事が起きた。僕が魔道の術式を構築し始めたのに気付いたティエルが、銃弾に背を向けて僕に向かって飛びついてきたのだ。

「ソレは……使っちゃ……ダメ……」

 最後の力を振り絞るかの様に、焦点の定まらない虚ろな瞳のティエルが耳元で弱々しくそう呟く。

「ダメよ……絶対……ぜった……い……」

 ガクっとティエルの全身から力が抜け、ティエルの体重が圧し掛かる。

(何で⁉ どうして止めたんだ!)

 ティエルに止められた事によって、構築しかけの術式は胡散霧消する。その様子を見た軍騎士の指揮官が片手を挙げて停止の合図を送り、銃撃を止める。

「目標は沈黙。これより回収に入る。繰り返す。目標は沈黙。これより回収に入る」

 近付いてきた数名の軍騎士達が手早くティエルを厳重に拘束し、大きさが二メートルほどの金属製の箱に入れ、その箱を更に厳重に梱包し、中から脱出できないようにしていく。身動き一つ出来ない僕はただただ、その一部始終を眺めていることしか出来なかった。

「回収は完了。輸送班はGを持って直ぐに撤収。残りの部隊はここで警騎士達を惹き付け、足止めをする。北からの増援は直ぐに来るぞ! 急いで準備に取り掛かれ!」

 指揮官の命令を受け、慌しく動き出す軍騎士達。副官らしき軍騎士が指揮官に声を掛ける。

「この少年はどうします?」

「眠らせておくか。万一という事もある。行き先は知られない方が良いだろう」

「はっ!」

 駆け寄ってきた軍騎士によって昏倒の魔道を掛けられる。たちどころに意識は朦朧としだし、瞼が落ちるのを止められない。視界が黒く染まり、意識が途切れる間際、

「ガー……くん……おね……が……」

 ポツりと一言漏らし、完全に僕の意識は閉ざされた。


 燃える。

 人が。

 街が。

 森が。

 両親が。

 そして僕の後ろで小さく震える女の子が。

 何も守れず、何もできず、自分の起こした魔道の火によって。

 そして……今度こそ守りたかった、ティエルが燃えていた……。

「うわあああああああああああああ!」

 いつもの悪夢。見慣れたはずの悪夢。一つ今までとは違った、悪夢。自らの絶叫と共に意識が覚醒していく。

 まず目に飛び込んできたのは、金髪の男性警騎士だった。次に、自分の拘束が解かれていることに気付く。

「大丈夫かい?」

 忘れようはずもない、『最強』の二つ名を持つアカホシさんだ。

「どうして……?」

 ここに、と続けようとしたが、覚醒途上でハッキリしない意識の中で、ちゃんと言葉にならなかった。

「軍将には巧く逃げられてしまってね。向こうは姫様とツカハラさんに任せて、とりあえず私だけ先行してこちらに駆けつけたのだが、遅かったようだね」

「ティエル……が……」

「例の少女だね? 部下に探させてはいるが、まだ発見は出来ていない。すまない」

 アカホシさんが僕に頭を下げてくる。

「いえ……僕は……ここに……居たのに……、何も……何も……出来なかった……」

「そうだな」

 厳しい口調で僕の弱さを断罪してくれる。下手な慰めなど要らなかった。

「君は、君たちは弱かった。だから、守れなかった」

 フッとアカホシさんは笑う。

「だが、君の眼はまだ諦めてはいない。負けを認めた人間の眼ではないな。……ふむ。そうだ、君に一つ、良い物を貸してあげよう」

 ゴソゴソと懐を探るアカホシさんが、掌に納まるくらいの小さな円盤状の物を取り出す。

 中央に小さな丸い石と、その周囲にはびっしりと細かな文様が刻み込まれている。

「これは最近開発されたばかりの魔導具の試作品でね。今は転移盤と呼んでいる。これに魔力を注ぎ込むと転移術が発動する、中々に強力な魔導具なんだが、一つ問題があってね。必要となる魔力の量が膨大でね。元々転移術には莫大な魔力を必要としているが、その更に十倍程度は必要とあって、精霊士クラスの魔道士でなければ起動させることすらできないという欠陥品なのだが……君なら使いこなせるだろう」

 アカホシさんは僕にその転移盤とやらを手渡してくる。

「この転移盤の転移座標は、視界の範囲内の任意の地点、及び所有者が探知出来得る魔力反応の地点の中から、所有者の魔力を通じて意思を読み取り、意図した場所へ転移させてくれる。その他の細かい事は全てその転移盤が処理してくれるから、君は行きたい先を思い浮かべながら、ただ魔力を注ぎ込めば良い」

 手渡された転移盤をぎゅっと握り締め、アカホシさんに問う。

「こんな貴重な物をどうして僕に……?」

「私の部下達の失態の罪滅ぼしだとでも思ってくれればいい。これは貸しではないから、遠慮なく使ってくれ」

 こちらの思惑などお見通しだと、そしてそんな事は気にする必要はないと、アカホシさんは暗にそう言ってくれていた。

「ありがとう……ございます……」

「ああ。──そうだ、ヤマト道場の御子息もそろそろ気が付くはずだ。彼も一緒に連れて行くといい」

「はい!」

「探索に当たらせている私の部下に君の護衛を言いつけておこう。私もここを片付け次第向かうつもりだが、基本は君に任せるとしよう。やれるかね?」

「必ず」

「良い返事だ」

 さあ、早く行きたまえと僕を促す。

 タケルの元へ駆け寄り声を掛けると、意識を失っていたタケルが目を覚ます。タケルは起きると直ぐに周囲の状況把握。問題なしと判断すると、時刻を確認。気を失ってから十分程度であることを確認していた。

「行き先は?」

 タケルはそう聞いてきた。

 タケルは僕がティエルを追わないなんて可能性を微塵も考えてないようだった。そして、それに自分が付いて行かないなんていう事も。

「ガー君が付いてる」

 僕が気を失う寸前に、ガー君にはティエルに取り付いて発信機代わりになってもらっていた。他人の魔力感知とかは出来ないが、ガー君の居る場所は正確に分かるのだ。

 こうしてる間も、さっきからずっと軍騎士達から雨霰と攻撃を浴びせかけられていたのだが、その全て、ありとあらゆる物からアカホシさんの防御結界が護ってくれている。その結界を張っている当のアカホシさんは、結界の維持など片手間程度ですらない様子で、倒れている三人の警騎士の様子を見ている。

「移動方法は?」

「コレを貸してくれた」

 とさっき渡された転移盤をタケルに見せる。

「これに魔力を注ぎ込むと転移できるっていう、最新の魔導具だって」

「そりゃまた便利な」

「それで、恐らく敵の真っ只中に出る事になると思うから……」

「ティエルを掻っ攫って直ぐ転移で逃げれば良いんじゃねぇの?」

「僕が魔力とか感知できる所にしか移動できないらしい」

「……そうかぁ。なら、何とかして上手い事やるしかねえな」

 助けに行かないとか、様子を見ようとか、そんな悠長な選択肢は端から無しだ。

 行き当たりばったりでやるしかないが、遅巧より拙速が今は大事だ。

「なら、直ぐにでも行こうぜ。行けるんだろ?」

「ああ!」

 ガー君の位置は集中しなくても常に正確に把握できている。ガー君を思い浮かべながら、手に握った転移盤に魔力を注ぎ込む。起動させるのに尋常じゃない程の膨大な魔力を消費するはずの転移盤が、瞬きの合間に魔力が充填され起動する。起動した転移盤から立体型の精巧な魔方陣が展開。僕らを包み込むと、あっと言う間もなく小さくなり、そのまま魔方陣は消失する。魔方陣の消失と共に僕たちは転移を果たしていた。


 バヂィ!

 小さな放電の様な音共に、僕らは走行中の車両の荷台に姿を現す。足元にはティエルが閉じ込められている箱がある。周囲には四人の軍騎士の姿。突然の僕らの出現による混乱が見て取れる。一瞬も躊躇うことなく僕とタケルは、混乱収まらぬ内に護衛と思しき軍騎士に襲い掛かり、容赦なく叩き伏せ、道路に次々放り出していく。荷台の異変に気付いた運転手は、直ぐに周囲に異変を知らせる。僕らはお構いなしに運転手を叩き落し、車両を乗っ取る。タケルが運転席に座り、僕は箱の破壊に掛かる。

「タケル、運転なんて出来るんだね」

「いーや。まあ、アクセル踏んでおけば走るだろ。後は走らせながら覚える!」

 何とも頼もしい限りだ。

 どうせ僕も運転なんて出来ないので、贅沢は言っていられない。運転の事はタケルに丸投げして、箱を壊すことに専念する。箱をガンガン叩いても壊れそうになかったので、如意棒を刃状に変形させて、中のティエルを傷付けないよう慎重に蓋を切断していく。流石に元が宝具だけあって、切れ味は抜群だ。切れすぎて怖いくらい。

 箱を綺麗に切断し、開ける。ティエルはまだ意識を失ったままのようだ。そのティエルの上で、ガー君がティエルを守るかのように羽を広げていた。

「ガー君、ありがと」

 お安い御用、って感じで踏ん反り返るガー君。一頻り褒められると満足したのか、僕の中にひょいと入り込んでくる。必要でしょ? 何てことは言うまでもないと行動で示してくれる。ガー君を体に収めてマナの供給源を確保したので、直ぐ様魔導封じを展開する。

 今回は目印の意味も込めて、ドーム状ではなく円柱状に展開。これまた半径百メートルほどの円柱で、高さはこれでもかってくらい高くしたので、優に成層圏などは突破しているだろう。これならどこからでも、精霊士である二人なら見つけられるはずだ。

 周囲の軍騎士達の車両が横からぶつかって来て、強引にこちらの車両を止めに掛かる。激しい衝撃で車内が揺さぶられる。ティエルが飛んでいかない様にしっかりと押えておく。

 横からのアタックでは止まらないと見た軍騎士の別の車両が加速。前方に回り込んでブレーキを掛けて来る。横と前を塞がれ、止まるしかないかと思ったら、タケルは急ブレーキからの急加速で躱してのける。このまま何とか振り切れるかと思った瞬間、車両が激しく横回転を始め、停車する。

「くそっ! タイヤをやられた!」

 穏便に停車させることは無理だと判断したのだろう、魔導銃によってタイヤがホイールごと破壊されたようだ。急いでティエルを背中に負って、車両から飛び出す。

 軍騎士達も車両から降り、一斉にこちらに向かってくる。パッと見、三十人ほどか。

 逃げるか、応戦するか。

「お前は逃げて時間を稼げ! 時間さえ稼げば精霊士の二人が来てくれるんだろ!」

 僅かも躊躇せず軍騎士達に向かって行くタケル。

 タケルの行動を無駄にしないためにも、すぐさま遠ざかるように駆け出し、手近なビルに駆け込む。ここなら追いつかれても一度に大勢に襲われることはない。マナバーストの結界は維持したままだ。魔道より剣の方が得意なタケルなら、相手も魔道がないほうが戦いやすいだろう。

 チラリと後ろを確認すると、タケルが奮戦している様子が窺える。それと、タケルを避けて遠回りして追って来ているのが、十人程度確認できた。

 ビル内に居る人たちが突然の事態に大騒ぎになっているが、構っている暇はない。全部無視だ。

 エレベーターに駆け込んで一気に最上階へ上がり、屋上へ向かう。屋上に出る扉は施錠されていたが、如意棒を変形させて鍵穴に突っ込み、難なく解錠。屋上に出ると再び施錠。これで少しは時間が稼げるだろう。

 一見逃げ場がないようにも思えるが、実際は如意棒があるから飛び降りて逃げることも可能だ。魔道が使えれば浮遊術などで追ってこれるだろうが、今はそれも使えない以上、これでまた少し時間が稼げるはずだ。今の内にと、そっとティエルを一旦降ろして、ティエルを起しに掛かる。

「ティエル。ティエル、起きて」

 ユサユサ。ユサユサ。

 軽く揺さぶってみるが、無反応。

 ペチペチ。ペチペチ。

 今度は軽く頬を叩いてみるが、やはり無反応。

 うーむ……。

 しかし、何て可愛い寝顔なんだろうか…………。──っと見惚れている場合じゃない。

 口付けでもすれば目覚めたりしないだろうか?

 なーんて……。

 …………じー…………。

 ついつい視線がティエルの唇に惹き付けられる。

 視線だけでなく、僕自身も引き付けられていた。

 寝込みを襲うとか最低だぞ! と怒る僕。

 この機を逃す手はない! とイケイケの僕。

 勝ったのは……イケイケの僕だった。

 近付く僕とティエルの唇。ティエルの顔が間近に迫ってくる。僕の心臓がうるさいほどドクドクと音を立てる。そっと目を閉じ僕の唇がティエルのソレに触れようとしたその時、

 ガンガンガン!

 屋上への扉を激しく叩く音が響く。

 その音でビクゥッ! 心臓が跳ね、ハッと正気を取り戻す。

 もう少しで……という思いがなくもなくもない。

 ガチャガチャとノブを回す音もするが、施錠されているので開かない。もしかしたら、ここには居ないと見るか、後回しにしてくれると助かるなぁ何て甘い考えが脳裏を過ぎる。

「この先に熱源二、確認。目標の二人だと思われます」

 という声が扉越しに聞こえてきて、甘い考えは儚く消える。

 扉の正面から横にそっと離れ、どうでるか様子を窺う。

 軽い単発の発砲音と共にガラスが砕ける音が響く。屋上に出る扉のガラスを撃ち抜いてきた。ガラスの割れ目をナイフの柄で更に叩き割り、取り除いていく。ある程度取り除いたところで手を伸ばして、屋上側のツマミを回して開錠する。

 ギィと小さな軋み音をさせながら、扉が押し開かれる。それに合わせて、扉に如意棒で思いっきりの一撃を喰らわせる。

 ガイィィィィィィン!

 と大きな金属音と共に、勢い良く開きかけた扉が閉められる。勢い良く閉まる扉が一人の軍騎士にぶち当たり、よろめいた軍騎士に巻き込まれ、何人か階段を転げ落ちていってるような音と悲鳴が聞こえてくる。

 また同じように扉をぶつけられては堪らないと、今度は扉を蹴りあけてきたので、開いた瞬間を狙って出入口に渾身の突きを放つ。

「ぐうっ!」

 蹴った直後で身動きが取れず、吸い込まれるように如意棒が軍騎士のどてっ腹に突き刺さる。

 更に踏み込んで軍騎士を押し飛ばし、後ろに居た軍騎士達を巻き込んで階段へ突き落とす。

 直ぐに屋上側へと戻り、扉を閉める。もう流石に鍵は開けたままだ。

 流石にもう不意打ちは出来ないだろうと、相手が警戒している内にティエルを担いで、扉から死角に当る位置の縁に移動する。扉の方からは銃が連射される発砲音が響く。

 銃声が止むと、今度は軍騎士達が僕らを探す声が聞こえる。見つかる前にさっさと屋上から飛び降り、如意棒を地面まで伸ばして突き刺す。そのまま地面側に如意棒を縮めていき、難なく着地する。

 まだタケルは軍騎士相手に奮戦している様で、こちらはこちらで派手な音が周囲に鳴り響いている。タケルの援護に行こうかどうしようか考えていると、背中のティエルがモゾモゾと動く気配がする。

「あ、ティエル、おき」

「いい……におい……」

 えっ⁉

 ドキッと心臓が一瞬跳ねる。

「おなか……へった……」

 とんだ勘違いだった。言われてみれば確かに、焼けたタレの美味しそうな匂いが漂っている。どこからだろうと周囲を見回していると、

「あっち……」

 弱々しくティエルが指差す方へ行って見ると、粉物の店があった。たこ焼き、焼きそば、お好み焼き等々メニューは色々あるようだ。店の従業員達は避難しているらしく、店舗は無人。作り置きの商品があったので、焼きそばとお好み焼きを一パックずつ拝借し、代金を紙幣で置いておく。

 それらをティエルはあっと言う間に平らげる。相変わらず良い食べっぷりだ。

「はあああー。これで少し落ち着いたわ……。で、何かさっきまでと全然違う場所に居るみたいだけど、あの後どうなったの?」

「取りあえず今タケルが軍騎士の足止めしてて、その援護に行く」

「時間稼ぎしてくれてるなら、このまま逃げたほうが良いんじゃない?」

「うん。ティエルの意識が戻ってなかったらそうしてた。だけど、ティエルが起きた今なら、タケルを助けた上で逃げられると思う」

「分かったわ」

 色々と細かい事など聞きたいことはあっただろうが、それどころじゃない様子を察して僕に合わせてくれる。

 タケルと別れた場所から考えて、軍騎士の裏手に出るようにルートを選び移動する。軍騎士達の意識はタケルと僕が逃げ込んだビルの方に向いており、後ろはガラ空きになっている。タケルを直に取り囲んでいる軍騎士が大体十人くらい。その少し後ろから指示と援護をしているのがもう十人くらいといったところか。

 ティエルと一つ頷き合うと、タイミングを合わせて一気に後衛の軍騎士達に襲い掛かる。

 背後からの突然の襲撃で、対処が遅れた軍騎士達を僕が一人、二人と打ち倒していく。その間にティエルが四人、五人と、僕の倍以上倒して回る。

「このままタケルのところまで!」

 全員を倒す必要はない。タケルがこちらに気付き、タケルを包囲していた軍騎士達も異変に気付く。どちらに対処するか、僅かの間軍騎士達の統率が乱れる。そしてその隙を見逃す僕達じゃあない。防戦に徹していたと思しきタケルが、ここで一転攻勢に打って出る。僕とタケルの導線上にいた軍騎士の懐に潜り込むやいなや、柄頭で鳩尾を一撃。素早く納刀し、抜刀。倒した軍騎士を背後への盾としつつ、近くに居た右の軍騎士を斬り倒す。勿論峰打ちだ。その間に僕はタケルから見て左側に居た軍騎士を倒しておく。ティエルは僕らの直線上進行方向に居る軍騎士達を先行して排除。包囲網に穴を開け、一気に脱出する……はずだった。

 包囲を抜けるところまでは上手くいった。が、背後からの銃撃を避ける為飛び込んだ細い脇道に、別の軍騎士の姿があった。

「ほう……目標が自ら飛び込んできてくれるとは。まだツキが残っていたか」

 二十人ほどの軍騎士を連れたサイトウ軍将がそこに居た。


 ◇


「ツカハラさん。こんなところで油を売っていていいのですか? 教え子たちがピンチのようだが」

「莫迦を言うな。ココからが良い所じゃあないか」

 それに、とツカハラは続ける。

「お前さんたちに、そんな事を言われる筋合いはないね」

 ツカハラと同じく、同じビルの屋上からサイキ達の様子を眺めている一組の男女。警騎士団署所属の精霊士の二人、アカホシとスズフジだ。

 逸早くケンジ達を発見したスズフジは、アカホシの指示通り、ほどほどにタケルを護衛。軍騎士がタケルを制圧できないよう、密かに、誰にも気付かれることなくその任を果たしていた。

 続いてツカハラが遁刀の能力で、とあるビルの屋上に姿を現す。ケンジが軍騎士から逃げていたあのビルだ。ツカハラが現れたのは、ケンジが屋上から飛び降りて早々の事で、屋上に居た軍騎士達と鉢合わせることとなった。この時不運だったのは、勿論軍騎士達の方である。

 ツカハラの容赦ない攻撃で、文字通り蹴散らされていく軍騎士達。僅かも息を乱すことなく屋上を制圧したツカハラは、軍騎士達を拘束。纏めて遁刀の能力で姫様ことテンジョウイン・アヤネが掌握した国境警備軍の基地へと飛ばしてしまう。そうして平和になった屋上から、実に楽しそうにケンジ達の様子を眺めていた。

 最後に遅れてやって来たのが、アカホシだ。向こうの現場で、たった一人で並み居る軍騎士達を制圧。自分も、軍騎士達も、怪我を負うことも、負わせる事も無く、見事なまでに完璧に制圧してしまっていた。それに遅れて到着した警邏騎士たちの増援は、直ちに軍騎士達を拘束し団署へと連行して行った。アカホシは増援が到着した時点で、現場指揮官に後事を託しこちらへと向かって来たのだった。

 スズフジと合流したアカホシは、ビルの屋上からこちらを観察しているツカハラに気付き、こうしてビルの屋上まで挨拶に来たのだった。当然、今ケンジ達がどういう状況か分かった上で、である。

「警騎士の実力トップの二人が雁首揃えて高みの見物とは、どういった了見かな?」

「ツカハラさんと概ね同じような物だと思いますが?」

 ツカハラの問いにアカホシはそう答える。

「ぬかせ……」

 ボソりと呟くツカハラ。敢えて無視するアカホシ。

「私はねぇ……世の中で大事な事は、たったの二つだけだと常々考えている。楽しいか、楽しくないか、だ。彼を育成するのは実に楽しい。大切な人を守って、強大な敵と戦う。こんな素晴しいシチュエーションは早々ないからねぇ。精々利用してやるのさ」

 くっくっくっ、とケンジ達に視線を向けたままツカハラは語る。

「やはり、概ね同じ目的ですね。私も彼の覚醒を促すのに、この機会を利用しようという事ですよ」

「いーや、違うね。全然! 違うね!」

 チラとアカホシに視線を向け、強く、強く否定するツカハラ。

「その先に求める物が、お前らとは違うんだよ!」

「……そういうことにしておきましょう。今は……彼らの戦いぶりを、成長を見守りましょう」

 ケンジ達に視線を向けるアカホシ。面白くなさそうに「フン」と顔を背け、ケンジ達に視線を戻すツカハラ。スズフジはそんな二人を静かに見つめていた。


 ◇


「どうするケンジ?」

「どうしようもないかな?」

 前方にはサイトウ軍将と部下達、後方の軍騎士は少数ながら、道路は車両で封鎖され、乗り越えるのには時間が掛かりそうだ。左右はビルの壁で逃げ場は無い。チャンスから一転、危機的な状況に陥っている。

「強行突破あるのみ!」

 いよいよもって勇ましいのは流石のティエルだ。だけどまあ、

「それしかないよね」「それしかねーわな」

 僕とタケルはティエルに同意する。

 向かっていくのは当然、サイトウ軍将が居る前方だ。この人に背を向けるなんて事はありえないと、直感でそう感じる。ティエルとタケルも同じようで、どっちに突っ込むか言わずとも、皆前方に向かって突撃していた。

「小賢しい!」

 ティエルの渾身の一撃を、真正面から受け止めてみせる。

 僕とタケルの攻撃も、軍騎士の構える透明な盾に阻まれる。

 横幅が四~五メートル程と狭いこの路地では、余り複雑は動きは出来ず、直線的な動きに終始するため、簡単に攻撃を防がれてしまう。背後の軍騎士達は、同士打ちを警戒し、逃げられないように封鎖する事に専念しているようで、背後からの攻撃を気にしなくて良いのがせめてもの救いだ。とはいえ、完全に無警戒という訳にもいかないが。

「ティエル。強化は?」

「掛けてる。万全じゃないし、ケンジ達に掛けられるほど余裕はないけどね……。自分に掛けてるのもそう長くは保たないわよ」

 万全じゃないとは言え、『竜血』で強化されたティエルの攻撃をまともに受け止められるとか、軍将は伊達ではないという事か。

 一旦距離を取ると、ジリジリと軍将達は距離を詰めて来る。焦らず、慎重に、そして確実に。このままズルズルと後ろに下がれば、直ぐに行き詰る。とは言え、前を突破するのも出来そうにない。ティエル一人なら、ビルの壁を蹴って頭上を飛び越えていく、何てことも出来るかもしれない。彼我の距離がもっとあれば、如意棒を伸ばして逃げることも出来たかもしれない。まあこちらは、棒を蹴倒される可能性のほうが高いと思うけれど。

「どうにも拙いわね」

「正直詰んでる……かな」

 諦める気は毛頭無いが、それでも弱気な言葉が漏れる。

 再三再四、果敢に攻撃を繰り返すが軍将たちの防御を突破できないまま、ジリジリと後退を余儀なくされ、どんどん追い詰められていく。このまま追い込めば捕らえられるとの確信からか、防御に徹するばかりで攻撃してくる様子はない。いや、攻撃の隙を衝かれるのを警戒しているのかもしれない。

 いよいよもう後がなくなってきたところで、タケルが構える刀に映る一つの銃口が目に入る。誰も、目の前に居る軍将達からも僕達で死角になっているようで、気付いてる者はいないようだ。

 口径の大きな機械銃だ。

 嫌な予感が電撃のように全身を貫く。

 背後を確認している暇は無い。

 どこを、誰を、何を狙っているか分からないまま、咄嗟にティエルと入れ替わるように突き倒す。

 と同時に、ガオン! と大きな銃声が轟く。

 その音を聞くと同時に、僕の胴の真ん中に大きな穴が開いた。

 突き倒したお陰で、僕の体を突き抜けた弾丸は、ティエルに当ることなく前方の軍騎士の盾に当って止められたようだった。

「よか…………」

 周囲が騒然とする中、僕の意識はそこで消失した。


 ◇


 胴を完全に撃ち抜かれたケンジの体から、夥しい量の血が噴出し、直ぐ足元に倒れていたティエルにケンジの死体が覆いかぶさる。

「ケ……ケンジ……?」

「う……そ……だろ……」

 余りに突然の事態に、茫然とするティエルとタケル。

「く……はーーーーはっはっはっはっ! やってやった! やってやったぞ!」

 ケンジを撃ち殺した軍騎士が、高らかにその成果を誇る。

「絶対、ぜったい、この小娘を庇うと思っていたぞ! はーっはっはっはっ!」

 この軍騎士はずっと、先の現場からずっと、ティエルに気付かれず、ケンジだけがこちらに気付き、外しようのない距離まで近付ける機会をずっと待っていたのだった。

「これで! これで! 我らの悲願は果たされたっ! 星霊様が! 今、解放されるぅっ!」

 そう叫ぶ軍騎士の眉間を、一発の弾丸が撃ち抜く。

「やかましいわ。腐った狂信者めがっ!」

 サイトウ軍将が、持っていた拳銃でその軍騎士を射殺したのだ。

「ワシの部下に星霊教の狂信者が紛れていようとはな! よりにもよって、とんでもない事をしでかしてくれたわ」

 抵抗を排除するため、攻撃止む無しとの判断をしていたサイトウであったが、決してケンジを殺すことが無い様厳命していた。現に、軍騎士達はケンジ達に対して、一切殺傷武器を使用していなかった。

 多少の怪我であれば、《勇者》の怒りもケンジが抑えるという算段があった。しかしそれも、殺してしまってはどうにもならない。むしろ《勇者》の怒りは全人族に及ぶであろうことは、容易に想像できてしまう。その先に待つのは、人族の滅亡、ただ一つだ。

「流石にこれではな。どうしようもあるまい。殺してしまったのはもう仕方が無い。小僧の遺体と目標を回収し、速やかにこの場から撤収する。次のポイントは──」

 サイトウは思考を切り替え、自分に課せられた任務を遂行する。作戦の遂行中に不幸な事故が起きてしまったが、それは任務を放棄する理由足りえない。例えそのせいで人族が滅亡するのだとしても、それはサイトウにとって今回の任務において、さして重要な事ではなかった。

 サイトウの命令を受け、軍騎士達がケンジの遺体とティエルの回収に取り掛かる。

「触るんじゃねぇ!」

 タケルは猛然と暴れだすが、多勢に無勢、四方から一斉に盾で取り囲まれて制圧される。

 ティエルはケンジの血で全身を真っ赤に染め、未だ茫然と、物言わぬケンジの死体を見つめていた。

 その時、一つの変化が起き始めた。

 ケンジの死体から一つ、光る小さな球体が飛び出してきた。

 直径が三十センチ程のその球体の中に、ガー君の姿があるのを、ティエルは見た。

 そしてティエルは視た。その光る球体に向かって、ケンジの死体から尋常ならざる量のマナが流れ込んでいくのを。

 ケンジの死体から流れ込む天文学的量のマナを取り込み、光る球体は見る見る成長し直径およそ二メートルほどにまで急成長する。

「何だこれは……? 一体何が起きている……? それに、何だこの光は……!」

 余りにも異常なまでのマナの濃度に、本来精霊士しか見られないはずのマナが、ただの魔法士でしかないサイトウや、部下の軍騎士達の目にもハッキリと視認できていた。そして、その光景にただ圧倒されるばかりであった。

 マナの球体は一度一際強く光り輝くと、その全てを取り込み一つの人型を為した『何か』が、そこに佇んでいた。『何か』は全身を黄色に眩く輝かせ、背中に背丈と同じくらいの大きな緑の輪を広げ、ケンジの死体の上に浮かんでいた。その視線はケンジの死体を見つめているように見える。

「貴様は一体何だ……? 貴様があの狂信者がぬかしていた、星霊とやらか?」

 サイトウは、ともすれば震えそうになる声を必死に抑えながら、その『何か』に問いかける。あまりにも隔絶した力の差に、もはや目の前にいる存在が何なのか、理解が及ばない。

 『何か』はその問いに答えることなく、宙に浮いたまま体の向きをサイトウ達の方へと向ける。

 『何か』がすっと右腕を翳す。

 すかさず盾を持った軍騎士達がサイトウの前に壁を作る。『何か』からの攻撃を警戒しての事だった。しかし……。

 そんな物は只の無駄でしかなった。

 いや、この星の何モノが立ち塞がろうとも無駄であったろう。

 サイトウの前で壁になった軍騎士達は、『何か』からより近い箇所から、光の粒となって行く。

「なんだ、なんだこれは……! ヒィッ! ああああああああああああああああ! 腕が! 足が! あああああああああああ! いやだ! 助けて! たすけ……」

 言い終わる事無く、装備から服から、人体から、何から何まで全て、光の粒と化して『何か』に吸収されてしまう。

「何が……一体、何が起きているというのだっ!」

 その常軌を逸した光景に、さしもの軍騎士達も恐慌を来たす。

 サイトウの命令もなしに、『何か』から少しでも距離を取ろうと後退を始めたのだ。

 しかしそれを、サイトウも咎める事は無かった。自身も、知らず後退をしていたからだ。恐怖に駆られて。むしろサイトウは彼らを褒めてやりたい気分であった。本来なら全てを放り出して逃げ出したいはずであろうにも関わらず、こうしてこの場に何とか踏みとどまっているのであるから。

 『何か』はその場から動かず、軍騎士達に向かって手をかざしたままだ。先程から急に使えるようになった魔道で結界を張るようサイトウは指示を飛ばす。全員が持てる魔力の限りを尽くした多重結界を形成する。さしもの『最強』ですら、いや、古の伝説に出てくる神々ですらも打ち破ることはできまいと思えるほど強力な防御結界であった。

 が、目の前に『何か』にとってそのようなものは、児戯ですらなかった。

 何の障害でもなかった。

 次々と光の粒に変えられ、『何か』に吸収されていく。サイトウたちにはその行為は、捕食のように思えた。絶対的上位者による捕食活動。そうとしか捉え様がなった。


「──なるほど。あれが……」

「これも、お前等にとっては予定通りという事か?」

 冷静に事態を眺めるアカホシに対し、ツカハラは鋭い視線を向ける。

「まさか。私はあのような星霊教の狂信者とは違いますよ。しかし、これは実に興味深い」

「クソ共がっ! 私の楽しみを邪魔しやがって!」

 誰よりも早く狂信者の行動に気付いていたツカハラは、対処の遅れたケンジ達のフォローをしようとした。だが、それまで大人しく佇むだけだったスズフジによって阻まれた。当然アカホシの指示であろう。その結果がコレだ。そして今もスズフジによる無言の牽制により、下手な動きが出来ず、ただアカホシに悪態をつく事が、今ツカハラにできる精々の事であった。

「まあまあ。まだ全てが終わったわけではありませんよ」

「お前、あれの一体何を知っている?」

「さて……。私も大した事は知りません。見るのもコレが初めてですしね」

「勿体つけてないでさっさと吐け」

「そうですね。誰でも一度は耳にしたことくらいはあるでしょう。直近だと人神戦争で一度その名が出てきます」

「……星霊……か?」

「そうです。恐らくですが、間違いはないでしょう。そもそも彼、ケンジ君が操る魔力は、僕ら精霊士と比べてさえ次元が違いすぎました。それを知っている者達は昔から噂していました、『彼こそが伝説の星霊使ではないか』と」

「小さな精霊が付きまとっては居た様だが……」

「全ての力を主であるケンジ君に捧げていたのでは? そのケンジ君が死んでしまったので、力が全て自分に戻ってきて、本来の姿? を取り戻したのでしょう」

「人間があれほどの力を受容できるとは思えんが……」

「でも実際にああして収まっていた。まるで扱えてはいませんでしたが。まあ、あれほどの力、どれほどセーブしたところで、魔道に変換すれば如何程の威力になるか想像もできませんね。少なくとも惑星上で使って良いレベルの力ではない」

「だから殺したのか?」

「いえ。私はこの機に、彼女の覚醒も目論んでみただけのこと。世界の消滅を天秤に乗せて、ね」

「お前は何を言っている……?」

 ツカハラは視線をティエルに向ける。ケンジの血に染まり、茫然自失していたはずのティエルがケンジに何かしようとしているのが目に入った。

「天秤はどうやら私の方に傾いてくれたようだ」

 その様子をアカホシも見つめ、そう呟いた。


(やれる。やれるやれるやれる……絶対にやってみせる)

 ティエルは自分を奮い立たせるように、自分に言い聞かせる。

 未だ軍騎士達を相手に、一人、また一人、時間を掛けゆっくりと消滅させていく『何か』に対してティエルは声を掛ける。

「星霊ガイア! そんな無駄な事はもうやめなさい!」

 その言葉に反応したのか、ガイアと呼ばれた星霊はティエルに顔を向ける。

『如何にそなたと云えど、吾の邪魔をするならば容赦はせぬぞ』

 星霊はティエルにそう告げる。口が動いた様子はないが、何故かはっきりと声は聞こえる。

「いいえ、邪魔するわ! そんな奴等をいくら消したところで、あなたの主人は……ケンジは戻ってこない!」

『黙れ!』

 星霊は怒りの感情を露にし、ティエルに叩きつける。しかしティエルは僅かも怯まない。

「だけど、あなたがわたしに力を貸すなら……わたしが、ケンジを生き返らせて見せる!」

『そなたにそれが、本当にできると……?』

「あなたのその力があれば……ね」

『そなたの器では受け止めきれぬ』

「何とかしてみせる。わたしだって、ケンジを助けたい。あなただって……ううん。あなたこそ、一番ケンジを助けたいはずでしょ!」

『…………』

 星霊は軍騎士達を消し去るのを止め、ティエルに真剣に向き合う。

「何度だって言うわ。あなたの力を貸して。わたしの力じゃ……ケンジを助けてあげられない……。でも、あなたの力があれば、きっと、助けられる……助けて見せる!」

 星霊は、己が主人が伴侶と定めた一人の神族の少女を、見定める。

『よかろう。そなたに一時、力を貸そう。吾が主もその方が喜んでくれるであろう』

 ティエルにはその時星霊が、自分に微笑みかけてくれたように思えた。

『だが心せよ。吾が力は、星の力。この星総ての力である。その総てを受け容れられた者は、主以外には居らぬぞ』

「無茶無理無謀は承知の上よ。死んだ人間を生き返らせようって言うのよ。その程度の限界は軽く越えて行ってあげるわよ!」

『……期待しておるぞ……』

 星霊がそう呟くと、星霊の体が崩れ、光の奔流となりティエルの体に流れ込む。

 星霊を星霊たらしめる、そのマナの奔流をティエルは受け止める。

(ぐうううううううううううううう…………ああああああああああああああ…………)

 ティエルに流れ込むマナの量は、一個の生命体が受け容れる事が出来る量などあっさりと突破してしまう。しかしそれを外に溢れさせては何も意味が無い。何が何でも受け容れるしかない。

「あああああああああああああああああああ!」

 ティエルは内側から破裂しそうに痛む体を必死で抑えながら、星霊のマナを受け容れていく。

 ティエルは背中に神族の証であり、神気の貯蔵庫でもある羽を展開する。

 初め四枚だった羽は、見る間に八枚、十六枚、三十二枚……累乗的に増えていく。増やしていく。千を突破してもまだ、流れ込むマナが減ったようには感じられない。

(だめだだめだだめだ。こんなんじゃだめだ。どうするどうするどうする……)

 星一つ、丸ごと受け容れるという事を、侮っていたわけではなかった。だが、ケンジが出来ていたことだ。何が何でもやり遂げてみせる自信はあった。覚悟もあった。そして、その全てが打ち砕かれていくようだった。

 ティエルに流れ込むマナは止まる事を知らず、あまりにも膨大で莫大なマナが、遂にはティエルの体をも侵食し始めていく。ティエルがマナに食われ、逆に星霊の一部と為ろうとしていた。

(このままじゃ……体が……保たない…………!)

 展開する羽の数は万を超え、依然増え続けていく。ティエルは賭けに出る。無茶を承知で神気と同時に竜気を練り始めた。相容れない二つの力はティエルの中でぶつかり合い、暴れ狂う。体がズタズタに引き裂かれるような痛みに耐えながら、暴走する竜気を使って『竜血』を発動させる。

(強化、強化、強化! 私の存在を、強化する!)

 それはかつてどの龍族も行使したことの無い、概念の強化であった。無我夢中のティエルは細かな理屈などすっ飛ばし、尋常ならざるマナの圧力で無茶の壁を突き破る。

 ティエルはティエルという存在を強化する事に成功する。マナに侵食され始めていた体を再び自身の手に取り戻す。ティエルは少しだが、余裕を取り戻すことが出来た。

(幾ら羽を増やしても追いつかない……。増やすのではダメだ……。必要なのは、もっともっと大量の神気を溜め込める、強力で、巨大な羽!)

 ティエルがまた一つ、限界の壁を突破する瞬間であった。

「あああああああああああああああ!」

 ティエルが再び絶叫を轟かせる。

 万を優に超していた羽が収束を始める。

 重なり合い、混ざり合い、融合していく。

 そしてそこから、新たな翼を形成する。

 新たにティエルが生み出した翼は、瞬く間に大地を貫き、海を越え、空を引き裂いていく。実体の無い神気の翼は、何物にも阻まれることなく成長を続けていく。

「はああああああっ!」

 『神威』で生み出し、『竜血』で際限なく強化した新たな翼は、三対六枚。その翼は、一枚一枚が全長十万キロを超えるものであった。その全容を見渡せる者など居るはずもなかったが、また逆に、その翼を見なかった者も誰も居なかった。淡い藤の色を放つその翼は、マナの適正が低い者にさえ目視することが可能であった。それほどまでに巨大で強大な翼を形成する事で、ティエルは遂に全てのマナを受け容れる事に成功したのだった。

「はあ……はあ……はあ……これで、第一段階……クリアよ……」

 そう、星霊のマナを受容することがティエルの目的ではない。只の手段。大前提でしかない。

 ティエルにその力の総てを貸し与えた星霊ガイアは、いつもケンジの傍にいる、ガー君の姿に戻っていた。

 ティエルは溜め込んだ超大な神気を使って、今度は次なる無理の壁に挑む。

 『神威』の究極形、《因果創造》である。

 それは神族に伝わる理論上の到達点。誰一人として到達しえた事のない、絶対不可能領域。数多存在した神族の王たちも、目指すことさえ諦めさせた聖域である。

 神気の翼を一枚、二枚消費して、ティエルは自らを押し上げる。そして届かせる。《因果創造》を行使するための、知識も、技術も、経験もないティエルは、ただただ力任せに、非効率極まりない方法でもって、ソレを自らの元に引き寄せて見せた。

(わたしの、触れたモノの……時間を、巻き戻す……!)

 時間遡行の概念を、『神威』で創造する。

 ティエルはケンジの死体を起し、そっと正面から抱き締める。

 ティエルの体が白く輝き、その光がティエルの体を通してケンジの死体に流れ込む。

 ケンジの死体が白の輝きに包まれると、徐々にケンジの時間が巻き戻り始めた。

「戻ってきて……。ケンジ……!」

 徐々に、徐々にだが、だが確実にケンジの時間が巻き戻っていく。

 しかし、無理矢理に発動している《因果創造》の力は、消耗の仕方も尋常ではなかった。

 まだケンジから飛び散り、辺りを真っ赤に染め上げている血が、半分も戻りきっていないというのに、神気の翼がまた一枚、全ての神気を消費して消えていった。

 残る翼は後三枚。

 このままで果たして、ケンジが生き返るまで巻き戻すのに神気が保つだろうかと、ティエルに一抹の不安が過ぎる。急峻な河の流れを、手漕ぎの小船で遡る様な作業。一定の速度で流れる続ける時間に逆らう事の困難さに、ティエルは直面していた。

 また翼が一枚、全ての神気を使い果たし、その役目を終えた。

 残り二枚。

(このペースじゃ、ケンジが戻り切る前に、神気が尽きる……っ!)

 ここでティエルは一つの手を思い付く。先程やってのけた、概念の強化である。

(さっきは出来たんだ。今度だってやってみせてやる!)

 ティエルは体全体で流し込んでいた神気を左半身に集中させる。と同時に、右半身に竜気を練り上げ『竜血』を発動させてみせる。混ざり合うことの無い二つの力を、明確に区分けすることで、『神威』と『竜血』を安定的に行使することを可能となさしめたのであった。

 これによりティエルはケンジに掛けた時間遡行の『神威』強化に成功。ケンジの遡行速度が飛躍的に上昇する。辺りを血の海にしていたケンジの血は、全て持ち主の体内へと収まっていく。

 続いて、吹き飛んだ体の再生が始まり、見る見る元通りになって行く。それは録画の逆再生を見ている様であった。現実を逆再生しているのだから、そう見えて当然である。

 ケンジの背中の銃創が消えたのを確認し、ティエルは時間遡行の『神威』を解除する。

 ティエルが『神威』を解除するのと同時に、最後の一枚の翼も消え失せる。

 神気自体はまだ翼一枚の半分程度は残っている感覚があったが、ティエルの方に『竜血』で強化し生成した翼を維持するだけの気力が、残っていなかったのである。

 胡散霧消した翼に残された神気は、主を失い再びマナへと還元されていく。

 ティエルは体内に残っていた神気を、いつのも小さな羽に全て押し込み、竜気で体を満たす。

「はあ……はあ……どうだ……」

 気力が尽きたティエルは、ケンジの体にもたれ掛かる様に倒れこむ。ティエルは満足げな表情を浮かべていた。

 それを優しく抱きとめる一人の少年。

 死の世界から舞い戻った、ケンジであった。


 ◇


「ありがとう、ティエル……」

 不思議な事に、僕には死んでいる間の記憶があった。

 だけど僕は、その不思議な事に何故か、何の疑問も抱かなかった。

 僕にある僕の死んでいる間の記憶は、ティエルの視点からのものだった。おそらくだけど、今ティエルの頭の上でドヤ顔している、この小さな星霊の力だろう。

「ガー君も、ありがとう」

 ティエルの頭から、僕の右肩へ飛び移って来る。頬ずりをしてくるので、よしよしと撫でてあげると、嬉しそうに羽をパタパタさせている。

「ケンジ! 体は……大丈夫なのか……?」

 タケルは嬉しいような、悔しい様な、泣きたいような、笑いたいような、複雑な表情をしていた。

「ティエルのお陰でね。バッチリだよ。まさか生き返るとは、思いもしなかったけどね」

 ははははは、と明るく笑ってみたが、タケルは一緒に笑ってはくれなかった。

「流石に諦めてたぜ、俺は……。その点、こいつはすげぇなぁ……」

「胴体に見事な風穴が開いてたからねー。心臓も木っ端微塵だし、普通どうしようもないよ」

「お前ってヤツは……ヤレヤレだ。そんじゃま、生き返って直ぐのところ悪いが、まだ最後の一仕事が残ってるぜ」

「そうみたいだね」

 そう言って視線を向かわせるのは、サイトウ軍将達の方だ。

 半分以上の軍騎士達がガー君によってマナへと還元され、跡形も無く消滅した。辛うじて消滅を免れた軍騎士達は、戦意が失せるというレベルを越え、精神に異常を来たしている様だ。最早まともに戦えるどころか、人として生きていくのも難しいかもしれない。

 そんな中でも、軍将の目はまだ死んでいなかった。

(ヤル気だ)

 疑う余地も無く、そう感じさせる。

 こちらは大立ち回りをして満身創痍のタケル。気力体力神気竜気を使い果たして、現在グロッキー中のティエル。死んでる間に魔力が空っ欠になり、もちろん現在も微々たる量しかない。体力だけはバリバリの僕。

 対して、気力体力魔力全て充実、傷一つない元気な軍将。そして後が無くなり、何をしてくるか分からない危うさ。戦意は揚々。見た感じ武器は持っていないようだ。

 数の上では二対一。今の僕では軍将の魔道を封じることが出来ない。軍将ほどの人を相手に、魔道戦を仕掛けるのは無謀としか言いようが無いが、僕にだって引けない理由がある。

「ティエルを……傷つけようとするあなたを……僕は……許さないっ!」

「ほざけ! 小僧の許しなど求めておらん! ソレをこちらに渡せ。そうすれば、見逃してやる。折角生き返った命だ、大切にしてはどうかね」

 僕と軍将の間に一触即発の空気が流れる。

「軍将ならよぉ。引き際ってヤツが肝心じゃないか? サイトウ軍将! あんたは負けたんだ! こいつらの、お互いを護り合う心になぁ!」

 タケルは刀を抜き放ち、僕と軍将との間に立ち、防御の構えを取る。

「ケンジ、いつもので行くぞ」

「おーけー」

 伊達に魔道が苦手同士で親友をやってはいない。魔道士相手のコンビネーションは幾度と無く訓練してきた。実戦で試すのは勿論初めてだが、そんな素振りは微かも見せない。むしろ自信に満ち溢れた余裕の笑みを浮かべてやる。

 目指すは短期決戦だ。

 長引けば長引くほどこちらが不利だ。防御の要であるタケルは、もう散々に戦った後だ。体力も限界に近いだろう。

 相手の出方を待たず、こちらから仕掛ける!

 タケルの背後、陰から如意棒による突きを繰り出す。どこから来るか分からない攻撃にも、軍将は的確に対処していく。僕は防御されるのもお構いなしに、ドンドン攻撃の手数を増やしていく。ケンジはその間じっと、防御の姿勢を維持している。しかし、剣気を軍将に向ける事でプレッシャーを与え続ける。

 軍将は常に目の前のタケルを最大限警戒しながら、死角から放たれる僕の攻撃を防ぎ続けなければならない。軍将は何度か隙を見て、タケルに攻撃を仕掛けるも、タケルの堅い守りに全て防がれる。

 そうして出来た軍将の隙を逃すはずも無い。

 幾度と無く軍将にクリーンヒットを入れるが、軍将も早々簡単に倒れてはくれなかった。

 近距離における魔道戦では防御結界が干渉し合うため、実際に防御の役に立つのは体に直接纏っている防御膜しかなく、魔力や魔道の篭められた攻撃に対しては申し訳程度の防御効果しかないはずだ。軍服の方に何かしら魔導技術による防御作用が付与されているのかもしれない。

 僕が攻撃を繰り出し、軍将がそれを受け、反撃。タケルが捌いて、僕が反撃。

 この一連の流れを徹底して繰り返す。

 接近戦であれば派手な魔道は自爆に繋がるため思うように使えず、距離を取ろうとすれば即座に詰める。決して魔道を使う余裕は与えない。

 初めは色々な箇所に攻撃を当てていたが、軍服に回復効果も付与されているのか、思ったほどダメージが蓄積している様子がない。それを受けて、利き手と膝を狙って攻撃を集中させるが、狙いが少なくなると、今度は攻撃を読まれやすく、受けきられる事が増えてくる。

 今のところ僕達の方が優勢に攻撃を組み立てられているが、決定打がない。このままズルズルと長引けば、追い込まれ始めるのはコチラ側になるだろう。

「ケンジ……わりぃ……」

「いくつ行ける?」

「二……いや三回は防いで見せる……」

「頼んだ」

「おうよ」

 タケルの体力も限界だ。どうにかして軍将を一撃で沈める必要があるが……となると、狙うは頭部くらいか。

「そろそろ限界の様だな。壁が居なくなれば、次は小僧、貴様を排除して目的を達成するとしよう」

「倒れるのは軍将、あなたの方だ」

 次の攻撃で決める。決められなければ、こちらの負けだ。

 軍将も勝負を決める一撃が来るのを予測しているだろう。今までの流れから、僕の狙いが頭部であることも予想しているだろう。そしてそれは当っている。読まれているのは承知の上で、そこを狙う。いや、もうそこを狙うしかないのだ。

 一瞬の間。

 僕が先に動く。

 タケルの陰から飛び出し、全身のバネを使い遠心力を乗せた一撃を頭部目掛けて放つ。

 軍将は膝を折り曲げ、少し屈む事で回避。そのまま膝のバネを使って反撃に出る。

 タケルがすかさず軍将の膝裏へ一撃。態勢を崩された軍将の攻撃は力なく空を切る。

 僕は躱された如意棒を、遠心力を乗せたまま体を回転させ、振りかぶり、振り下ろす。

 攻撃直後の大きな隙。態勢を崩され回避は不能。

 貰った!

 そう確信した瞬間だった──

 僕と軍将の間で魔道による爆発が起きた!

 吹き飛ばされる僕とタケル、爆風で地面を転げていく軍将。

 自分もろとも吹き飛ばす事で、致命的状況を回避してみせたのだ。

 幸い、爆発は小規模で大した怪我などはないが、決定的状況を覆されてしまった。僕はまだ戦えるが……タケルは……。

「……………………」

 いまの爆風の衝撃で、最後の体力を使い果たしたようだった。

「はあ……はあ……。流石に今のは危ないところだったぞ」

 軍将が起き上がり、僕に最後通牒を突きつける。

「これで頼みの壁も居なくなった。貴様一人では私には勝てん。分かっているだろう」

「知ったことか!」

 タケルが戦闘不能になったことで、軍将の周囲に防御結界が展開される。これで今の僕の攻撃はほぼ何も通用しなくなったと言って過言ではない。もっと魔力が回復していれば、魔力を篭めた如意棒の一撃で結界なんか粉砕できるのに……。

 でも、泣き言なんか言っていられない。僅かながら回復した魔力を全て如意棒に篭める。先端部分に集中させることで、一点突破を計るしかない。僕が負ければ、ティエルが……。

 一瞬ティエルに視線を走らせ、改めて負けられないと心に誓う。

「直ぐに終わらせてやる。私も忙しい身なのでな」

 結界を纏い、余裕を取り戻した軍将が一歩一歩近付いてくる。

「ふうううううぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

 元勇者直伝の呼吸法で身心を整え、この一撃に残りの全てを込める。

 気合の一声はない。

 わざわざ技の出を教えてやる事はない。

 彼我の距離は二歩で軍将の結界に、三歩で軍将自身を間合いに収められる。

 軽く一歩を踏み出す。

 強く二歩目で地面を捉える。

 渾身の、何の駆け引きもない、一直線の突き。

 なけなしの魔力が篭められた如意棒の先端が軍将の結界に衝突する。鬩ぎ合いは一瞬だった。

 軍将の結界を貫通した如意棒は……。

「温い!」

 軍将の左手でガッシリと捕まえられてしまった。

 結界との衝突で威力とスピードを大幅に削がれた突きなど、やはり軍将に通用するものではなかった。勢いのまま進む僕の体を、軍将は掴んだ如意棒を引く事で自分の下へと引き寄せる。

 咄嗟に如意棒から手を離す事はできず、無防備に引き寄せられる。

 軍将が勝利を確信した笑みを浮かべる。僕はそれを見て……、

 ニヤリ。

 と不適な笑みを浮かべた。

 軍将は一瞬訝しんだ様だが、構わず右の拳を僕目掛けて放とうとする。が、その右腕は動くことはなかった。軍将に掴まれていた如意棒が引かれ、先端が軍将の背後に回ったのを見計らって、伸ばし、曲げ、一気に軍将を拘束したのだ。

 そしてそこに走りこんで来る一つの影。

「どっせぇぇぇぇぇぇいっ!」

「ぐふぉぉぉぉぉ!」

 結界も何も全てを容易くぶち壊し、軍将のどてっ腹に全身全霊の一撃を叩き込む。

 余りの衝撃に、手から如意棒がすっぽ抜け、巻きついた如意棒ごと路地の向こうまでぶっ飛んでいく軍将。

 勢いが付き過ぎて「おっとっとっ」と二、三歩ケンケンしているティエルがそこに居た。

「ナイスアシスト!」

 ニカッと良い笑顔を見せてくるティエルに、苦笑するしかない。

「見事な死んだ振りでした。どこでおぼえ……」

 さっきの教官の時か……。

「よし! それじゃあケンジ……」

「ああ……」

 僕とティエル向かい合って頷きあう。

「とっとと逃げるわよ!」

「軍将に止めだね!」

 …………。

「……いやそうだね! うん。逃げよう。今が絶好のチャンスだもんね! タケルを連れて早く逃げよう!」

 何かを誤魔化す様に大きな声で主張してみる。

 ティエルは「うわぁ……」って引いた顔をして……いや、今うわぁって言った?

「言ったわよ」

「ガーン!」

 ショックを言葉でアピールしてみたら、くすっとティエルが笑ってくれた。

「莫迦言ってないで、さっさと逃げましょ」

 ティエルがひょいとタケルを背中に担ぎ、二人で移動しようとすると、

「その必要はない!」

 どこからか声がする。

 キョロキョロと辺りを見渡すが、それらしき姿はない。

「こちらだ。とう!」

 シュタッ!

 と相変わらずの見事な着地を決めるのは、『最強』ことアカホシさんだ。

 おお! これで助かった!

 とアカホシさんの登場に喜んでいると、その背後からスッ音もなく現れる一人の女性警騎士。続いて、

「どけどけぇぇぇぇ!」

 と大声で叫びながら飛び降りてくるのは、さっき別れて軍基地に行ったはずの教官だ。

 バッとその場から離れると、ドズゥゥゥゥンと路面のアスファルトを砕きながら着地する。何で魔道も使わずに飛び降りてきてんだこの人は。そして何でそれで平気なんだ。

「良くやったなお前達!」

 両肩をバシバシ叩かれながら教官からお褒めの言葉を頂く。

「先生達……いつから……?」

 何か胡散臭いものを感じ、恐る恐る聞いてみる。

「急いで来たからな! この路地で戦ってたところは全部上から見てたぞ!」

「見てないで助けてください! お陰で僕死んじゃったじゃないですか!」

「今は生きてるじゃないか。問題ない問題ない」

「………………」

 教官に絶句し、チラとアカホシさんに視線を向けると、明後日の方向を向いていた。

(これは、アカホシさんも教官と一緒に上から見物してたんだな……)

「はあああぁぁぁぁ……」

 思わずため息が零れる。

「後の処理は私たち大人に任せておきなさい。悪いようにはしないさ。そこの……」

 教官はアカホシさんをクイっと親指で示し、

「『最強』様はどういうつもりか知らんがね」

 と悪態を吐く。

 教官はアカホシさんの事がお気に召さないようだ。

「我々としても、彼らに危害を加える事はありませんよ。何せもう、彼女もヤマト皇国民ですからね」

「今度また、私の邪魔をするようなら……」

「あなたを敵には回したくありませんので、十分気を付けると致しましょう」

 何故か教官がアカホシさんに釘を刺してる。アカホシさんは飄々とした様子でそれに応えている。何があったんだろう。

「私はこの子らを送ってくる。ここはあんた達に任せるよ。折角上手く釣り上げたんだ、キッチリ処理しておけよ」

「ええ。勿論です」

 未だ起き上がってくる様子のない軍将の方へ、アカホシさんたちは歩いていく。

 それを見送ると、教官はこちらに向き直る。

「よし。じゃあこんな辛気臭いとこからはさっさとオサラバだ。ほら、行くぞ」

「あ、如意棒が……」

「警騎の奴等に回収させておけ。元気になってから受け取りに行けばいい。気にすんな。ハイ。行った行った」

『はーい』

 その後は、少し離れた通りで教官がタクシーを捕まえ、ケンジも乗せて家まで送ってもらいました。


終章 或いは、ここまでプロローグ


 軍将たちとの戦いから一晩明け、ティエルと朝食を食べながら朝のニュースを見る。

 ティエルによる回復力強化で、一晩もすれば全回復していましたとさ。

 昨日の騒動は報道規制が掛かっているのか、サイトウ軍将が国家反逆罪で逮捕されたという事だけサラっと流して終わりだった。ネットの方では色々な憶測が飛び交っているものの、一番の話題は世界中で目撃された、謎の発光現象についてだった。テレビの報道もこちらの方は熱心に伝えていて、謎の専門家や有識者達があーでもない、こーでもないと自論を語っていた。

 朝食を食べ終わり、後片付けも済ませると、ティエルに声を掛ける。

「それじゃちょっと行って来るよ」

「あ、待って待って、一緒に行く!」

 という訳で、二人で北の警邏騎士団署へ行く事に。

 団署に着いて受付に行くと、直ぐに団長室へ通してくれた。

「やあ。具合は……良さそうだね。二人とも、大事がなくて何よりだ」

 団長室へ入ると、アカホシさんが陽気に出迎えてくれる。

「お陰様で……」

「そう言われると、皮肉に聞こえてしまうな」

 慌てて「いえ……そんなつもりじゃ……」と弁明していると、

「冗談だよ」

 と笑ってアカホシさんは応えて来る。

「我々にも事情があったとはいえ、あまり役に立てなかったのは事実だ。すまなかったね」

「いえ……」

「ケンジ、そんな用で来たんじゃないでしょ」

「あ、そうだった」

 バッグから、借りていた転移盤を取り出してアカホシさんに渡す。

「コレ、とても役に立ちました。ありがとうございました」

 深くお辞儀をする。

「そう言ってもらえると、私も貸した甲斐がある」

 アカホシさんは転移盤を受け取ると、内線で連絡を取る。程なく一人の警騎士が如意棒を持って現れる。アカホシさんは、警騎士から如意棒を受け取り、転移盤を渡す。警騎士は転移盤を受け取ると、速やかに退室していった。

「預かっていた君の武器だ。中々面白い物を持っているね」

 アカホシさんから如意棒を手渡されると、小さくして袖口に仕舞う。所定の収納場所なのだ。

「昨日も見せてもらったが、変幻自在の棒か。武器としては非常に便利で優秀だな。ただ……宝具にしては、能力が……」

「しょぼすぎる」

 アカホシさんが言い難そうにしていたところを、ティエルがズバっと言ってしまう。

「しょぼいって言わないでよ……」

 これでも僕の相棒なんだから。

「実際、しょぼいからしょうがない」

「うう……」

 自分でも実はそうなんじゃないかなーと思ってたところを衝かれて、反論の言葉が出てこない。

 いや、きっと、僕もまだ知らない未知の能力とかが隠されている可能性も!

 あると、いいな……

「まあ、仙族がそんなしょぼい宝具を作るとは思えないから、何かしらきっとあるわよ。多分ね」

 あんまりにもがっくり来てる僕に、ティエルが慰めの言葉を掛けてくれる。

「そう言えば、軍騎士とか軍将とかはどうなるんです……?」

「あと、ケンジを殺してくれたアイツは……?」

 僕の質問に続き、ティエルもアカホシさんに疑問を投げかける。

「先ずケンジ君の質問だが、軍将の意図を知っていて共に行動していた第一大隊は、隊長級を除いて除隊処分のみとなった。隊長級にはこれから一応裁判があるが、除隊に加えて執行猶予付きの懲役刑にする事で話が着いている。軍将は……まあ言うまでもないだろうが、極刑だ。軍将からの情報提供と引き換えの司法取引の結果だよ」

「……そうですか」

「で、次にケンジ君を撃った軍騎士の事だが、遺体を調べたところ、やはり星霊教の狂信者だった」

「星霊教?」

「人族、魔族を通じて広く信仰されている、星霊を祀る宗教だよ。信者が五十億は下らない、最大宗教だ」

 星霊教についてアカホシさんが簡単に説明してくれる。

「星霊教自体に問題があるわけではない。ただ、一部に過激な連中が居るのも事実だ。どうやって知ったのかは知らないが、ケンジ君が星霊を隷属させていると見て、ケンジ君を殺すことで星霊を解放しようとしたのだろう。その結果があの事態だ。危うく人族が滅びるところだった」

「へー……こいつをねえ……」

 いつも通り僕の肩で居眠りしてるガー君を、ティエルが指で小突く。

 コロンと肩から転げ落ちたガー君は、目を覚ますと僕の頭の上に飛び乗った。

「軍将は結局、何の為にティエルを攫おうとしてたんでしょう?」

「あ、それはわたしも知りたい」

 アカホシさんは「これは口外無用だよ」と、一つ前置きしてから教えてくれる。

「軍将は『マザーからの指示だった』と言っていた。我々も軍将がマザーの幹部と繋がっているのではと前々から疑っていてね、その確証が得られたのは大きい」

「マザーってあの?」

「国際政治思想団体マザーだ」

「何それ……?」

 大戦後の人族の文化には疎いティエルは置いてけ堀だ。

「一言で言うと、母星帰還を目的とした団体。で合ってますよね?」

「ああ」

「それがどうしてわたしを?」

「さあ? そこまでは……ね。マザーの連中に聞いてみないと分からんよ。軍将も理由は聞かされていないと言っていた。まあ、そう遠くないうちに直接聞かせて貰うさ」

 ニヤリと笑うアカホシさんは恐ろしくもあり、頼もしくもあった。

「まあまだ昨日の今日だ。このくらいで、まだまだ大した進展はないよ。君らは当事者だ。また何か聞くために呼ぶこともあるだろうし、何か聞きたいことがあれば遠慮なく私を訪ねてきたまえ」

「──はい」

 今日の目的だった転移盤の返却と、如意棒の受取も済み、気になってたことも少し聞けたので、今日のところはこれで失礼しますとアカホシさんに挨拶して、団署を後にする。

「ティエル。折角だし、このままどこか行こっか?」

 軽い感じで─内心は心臓バクバクで─デートのお誘いをしてみると、意外といい反応が返ってきた。

「それなら! あのでっかい塔のトコ行って見たい!」

「ああ……あそこかあ……」

 芳しくないリアクションの僕に、ティエルは訝しげな視線を向けてくる。

「ダメなの?」

「ダメじゃないけど……ちょっと恥ずかしい……」

「恥ずかしいって……エッチな感じ……?」

 ちょっと警戒心を滲ませるティエルに、慌てて否定する。

「ちがうちがう! 全然ちがう! けど! 今の僕にはまだちょっとハードルが高いっていうか!」

 アワアワと狼狽する僕が面白かったのだろう、ティエルが僕をグイグイ引っ張っていく。

「ヘーキヘーキ! そんなのは大体、行ってみればどうってことないもんよ!」

「ティエルー!」

 ティエルに腕を引かれながら、デートコースとしてこの街随一のメジャースポットな塔の麓へと向かって行くのだった。


 塔の周辺は記念公園となっていて、正門を潜るとそこはヨナ市一の遊園地となっている。この記念公園は、敷地面積が約四平方キロメートルあり、ヤマト皇国の中でも有数の広さを誇っている。遊園地部分はその約四分の一にあたる、一平方キロメートルもの広さがある。

 と入り口で貰ったパンフレットに書いてあった。

 今日は平日だというのに、凄い人だかりだ。様々なアトラクションに長蛇の列が出来ており、一時間以上の待ちは当たり前のようだ。行きかう人たちは皆楽しそうで、カップルもいれば、男同士、女同士、家族連れ、一人で楽しんでいる人もチラホラ見受けられる。

 僕とティエルも傍から見れば、恋人同士に見えてたりするのだろうか。

「何か……思ってたのと違うわね……」

 へー、ほー、とティエルは周囲をキョロキョロ見渡しながらそんな感想を述べる。

「聖地だって聞いてたから、もっと厳かな感じなのかと思ってたわ」

 僕はバサッとパンフレットを広げると、

「そういうのは、今いるところの丁度反対側に行くとあるみたいだよ。博物館とか記念資料館もあるみたい」

 敢えて、もっとも重要な施設について避けて説明する。

「ふーん。じゃあそっち行ってみましょう」

「やっぱり行くのか……」

「ここまで来たんだから、もう観念しなさい」

 再びティエルに手を引かれながら移動開始。嬉し恥ずかしである。しかも今から向かう先は……。

 スタコラスタコラ、脇目を振りながら歩くこと三十分ほど、塔をぐるっと回りこんで反対側が見えてくる。こちらは遊園地側とは打って変わって、男女の二人連れの比率が急上昇である。

「何かこっちは妙にカップルが多いわね」

「そ……そうだね……」

 何とか誤魔化そうと必死に視線を泳がせたりして、無駄な抵抗を試みる。

 そんな中、ティエルがある一つの人だかりを見つけてしまう。

「ねえ、ケンジ。あれって何してるの?」

「あー、あれね……」

 僕とティエルの視線の先には、タキシードをビシっと着込んだ男性と、純白のドレスを身に纏った煌びやかな女性。そしてその二人を祝福する、二人の家族や友人達であろう人々。そう、結婚式だ。ここは、ヤマト皇国で最も有名で最も人気のある、結婚式場なのだ!

 ここを訪れる人たちは、十中八九式場の下見か式の関係者であり、男女二人で来るのは十中十式の準備だと言われているのを僕は知っている。つまりこうしてここをティエルと二人で来てる僕達も、周囲からはそう見られるということだ。

 いやまあ、書類上はもう入籍も済ませているわけで、別に恥ずかしがる様な事じゃないのは頭では分かっているけど、分かっているからと言ってどうにもならない事もあるのだ。

 そんな恥ずかしそうにしている僕を、ティエルはニヤニヤと笑いながら見つめていた。

「結婚式、でしょ? あー、いいなあ! い・い・な!」

「……………………」

 知っててからかってたな……!

 顔を紅くしながら睨む僕に、ティエルが降参降参と手を挙げる。

「ごめんごめん。何かつい、ね」

 そんなやり取りをしている僕らを、一人の男性が目聡く見つけ近付いてくる。

 濃い目の化粧にタイトな紺のスーツでビシッと決めた男性が、クネクネした動作で近付いてくるの見て自然な動作を装って逃げ出そうとするが、素早く回り込まれてしまった!

「あ~らあらあらあら、まあまあまあまあ! これはこれはお若いカップルさん! ステキですねぇ! 今日は此方の下見にいらしたんですか~?」

 見た感じ三十から四十代くらいの、いわゆるオネェ系のその男性が尋ねてくる。

「あ……いえ……今日はたまたま……」

 その男性の迫力に圧倒され、タジタジになっていると、

「見ての通りの若輩者で、此方で式を挙げられるほどお金がないので、せめて記念に写真だけでもと思いまして」

 と、初耳な事を言い出すティエル。

「あ~~らまあまあ、そうですかそうですか。分かります分かります! ここは国中から式の予約が殺到しておりますからねぇ。素晴しい式ではありますが、その分お値段も……。ですので、最近はウェディングドレス姿の写真だけ撮られる方も増えてらっしゃいますよ」

「そうなんですね」

「ええ! ──あ、これは失礼致しました。わたくし……」

 手品かと思うほど鮮やかに、抜く手も見せず名刺を取り出す。さっきまで何もなかった手に、突然名刺が現れたように見えるほどの早業だった。その名刺には、

『MW(ミックスド・ウェディング)株式会社 代表取締役 スズキ・ショウジロウ』

 と書かれていた。

「──MW株式会社のスズキと申しますー。名前の通り、異種族間の結婚式を主に執り行っております」

「それで、私たちに声を掛けに来られたのですね」

「ええ! 龍族の方が人族の国で結婚されるのは珍しい事ですので」

「其方では写真だけも?」

「ええ! 勿論で御座いますとも!」

「費用と時間はどのくらいでしょうか?」

「衣装選びとお化粧のお時間等々含めまして、二時間ほどでしょうか。費用の方は龍族さんの写真を展示させて頂いても宜しければ……このくらいで如何でしょう?」

「それでお願いします」

「場所のご希望は御座いますか?」

「そうですね。折角なのであのマークが写る場所がいいですね」

「畏まりました」

「今からでも出来ますか?」

「ええ。直ぐにでもご用意させていただきます」

 完全に僕は蚊帳の外のまま、トントン拍子で話が進み、纏まって行く。僕はただただそれを眺めるのみである。

「じゃあケンジ。そういう事だから。今から記念写真撮るわよ」

「う……うん……」

 生返事一つ返すのが精々だ。

 その後スズキさんに連れられ、近くにあったMW株式会社の式場を訪れると、早速別々の部屋に案内され、衣装合わせ、ヘアメイク、等々。男の僕の方は割りと簡単に準備は終わった。全部お任せだったからというのもあるだろう。

 ティエルの方は流石に時間が掛かる様で、一時間ばかり待っていると、「準備出来ました」とお声が掛かる。でも直ぐ会わせてくれる訳ではないようで、先に僕だけ写真を撮るポイントへ案内される。

「今から新婦をお連れしますので、あちらを向いてお待ち下さい」

 と塔の方を向いて待ってるよう指示される。そういう趣向かと、素直に塔を眺めてティエルを待つ。

 今度はさほど待つ事無く、「どうぞ」と声が掛かったので振り返ると……、

「………………………………………………⁉」

 純白のウェディングドレスに身を包んだティエルが。分かっていたはずなのに、分かっていなかった。絶世? いや傾国、傾星の美女ではないだろうか。何も言葉にならず、ただただ見惚れていると、

「──何か言う事は?」

 不敵な笑みを浮かべてティエルが感想を求めてくる。

 何を言おうか考える事なく、気付けばティエルの前で片膝を着き、ティエルの手をとって言った。

「僕と、結婚してください」

 一瞬ポカンとするティエル。そして盛大に笑い出す。大きな声で少し涙を浮かべ、笑っていた。

「はい」

 パシャ!

「あ~~ら、とっっっっってもステキな写真が撮れたわぁ。さあ、もっともっとステキな写真、撮りましょう!」

 その後、塔をバックに沢山写真を撮ってもらったが、一番の写真は、やっぱり最初の一枚だった。

 それと……。

「ケンジ」

「何?」

「約束の、お礼よ」

 ティエルの唇が僕の唇に重なる。

 パシャ。

 最後の、特別な一枚だった。


 撮影の後聞いた話しだと、塔だと思っていた建造物は、僕達人族の祖先達が乗ってきた宇宙船団の中の一隻だと言われているとスズキさんが教えてくれた。それがこの星に墜ちて地面に突き刺さったまま、壊れもせずにこうして現在まで残っている。当時の技術力は如何程だったのか想像もつかない。

 そして塔だと思っていた船に描かれているシンボルは、その船の国籍を表しているそうだ。

 後日届いた写真には、笑顔で写る僕達の後ろに、白地の真ん中に大きな赤い丸が描かれた、かつては船であった物が写っていた。

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星の器 はまだない @mayomusou

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