かみなり竜とお茶会を
原ねずみ
1. お付きメイド
シダの茂みで
いつもと違う時間に目が覚めると、奇妙な気持ちになったりする。その生き物もそうだった。ネズミによく似た、全身毛むくじゃらの小さな生き物。それは、ぱちぱちと目をしばたいた。
眩しかった。何故なら今は昼間だからだ。彼は――もしくは彼女は――普段は夜の世界で暮らしている。光が強すぎて、目がくらんでしまう。目を細め、鼻を空に向けて、すんすんと空気を吸った。よい鼻を持っているのだ。空気は危険な匂いがした。危険な生き物が、夜にはいない生き物が、辺りをうろつきまわっている匂い。
そこはシダとソテツの森だった。シダの茂みの中で、その生き物はじっとしている。動かないほうが良さそうだ。もう一度眠ったほうがいい。何故起きてしまったのかわからないけど……しかし生き物はその理由を考えない。そこまで良い頭を持っていないからだ。わかることは、危険だということ。
生き物はくるりと向きを変える。シダの茂みが少し揺れた。近くの木の枝で、甲高い、鳥のような鳴き声がした。遠くからも何か、生き物の声がする。それは地を這うような、低い、そして非常に大きな、物悲し気な鳴き声。それは辺り一帯を震わせていく。小さな生き物の身体の中にもその声が響く。小さな生き物はその鳴き声の主を、一度、見たことがある。夕闇の中で、その生き物はゆっくりと動いていた。途方もなく大きくて――小さな生き物にはその全体像がわからない。ただ、動く、生きている物体だということはわかる。
またもや甲高い声。何かが羽ばたく音。昼間の森は騒々しく、始終音に満ちている。
――――
その日もマチルダは早起きだった。清々しい夏の朝の光。マチルダは天気の良い朝が好きだった。今日も忙しく、やることがいっぱいある。さて今日も一日頑張ろうと、マチルダは元気よく思うのだった。
明るい色の服に、ぱりっとした白いエプロン。どちらも清潔できちんとしていて、今日の朝と同じように清々しい。マチルダは鏡に映る自分を見た。小柄で丸っこい頬、美人……ではないし、かわいいといういうよりも野暮ったいが、人柄は良さそうに見える。マチルダはそんな自分の容姿が嫌いではなかった。
いつもと変わらぬ自分を眺めながら、マチルダはふと昨夜の夢を思い出した。自分が何か奇妙な生き物になっていた――ネズミのような、けむくじゃらの小さな生き物。辺りは光でいっぱいで自分は怯えていて、どこかから地を這うような低い大きな声が聞こえていて……。ただそれだけだったけれど、何故か不思議に印象に残る夢だった。
それにしてもネズミになるというのは少し面白い。確かに自分はネズミだとか、そういう小さな生き物かもしれない、と思った。勇敢なトラではないし、美しいクジャクでもないし、賢いイヌでもない。どこにでもいる、特に取り柄のない生き物がしっくりくる。……ひがんでそう思っているわけではない、と思うのだけど。
支度が整ったら、部屋を出ていく。向かうのはコーデリアお嬢様の部屋だ。マチルダがこの屋敷、クロフォード家の屋敷に雇われて、何か月か経っていた。
――――
小さな村のさほど裕福でない家に生まれたマチルダにとって、将来の夢とは、それはメイドになることであった。母親も昔さるお屋敷でハウスメイドをやっていた。マチルダもそれと同じようにメイドになりたいと――できるならば、貴婦人付きのメイドになってみたいものだと思っていたのだった。
そのために、学校を卒業してまずは仕立て屋のところで働いた。仕立ての技術はお付きメイドに必要なものだったからだ。そして、ある日、話が来た。クロフォード家の奥様が、娘の世話してくれるメイドを探していると。マチルダはそこで面接に臨み――自分でも驚くべきことに、その職を手に入れることができたのだ。
春のある日のこと、マチルダはクロフォード家の屋敷へとやってきた。鉄道に乗ってそこからさらに馬車で。緑美しい田園を抜けていくと、やがて屋敷の大きな門へとたどりつく。そこを通って、馬車はさらに進む。きらきらと日の光が落ちる木立の間をぬけながら、マチルダは不安になっていた。ずいぶんと長く馬車に揺られているような気がしたのだ。お屋敷はどこだろう。やがてゆくてに、木々の間に白亜の屋敷が見えてきた。マチルダはほっとすると同時に驚いた。お屋敷が、自分が思い描いていたものよりずっと立派で、大きかったからだ。
その大きさに圧倒されながら、マチルダは屋敷の中へと入っていった。案内されて、クロフォード夫人と面会することになる。マチルダはがちがちに緊張していた。レディと言葉を交わすことなんて、今までほとんどなかった。
クロフォード夫人は、背が高くなだらかな肩とふっくらした二の腕を持つ、優しそうな中年の女性であった。マチルダは少しほっとした。マチルダを見て、夫人は柔らかく微笑む。マチルダもつられて笑顔になった。
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