ピーチメルバの夕景を

宮下愚弟

過景

 これは秘密なんだが、クラスメイトの佐治さじさんはそらをジャムにして食べる。


 空をジャムに、っていうのは比喩でもなんでもなくてマジの話。佐治さんが瓶を空にかざして、ひょいってやればジャムになるわけ。意味不明が女子高生をやってるみたいだが、まあ、クソつまんない現実にしては面白い。

 これが親譲りだってのがまたウケる。

「お母さんだけじゃなくて、おばあちゃんもそのまたおばあちゃんもできたらしいんだよね」と佐治さんは言っていた。

「え、それはズルい」と羨ましがったら笑われたのは記憶に新しい。

 だってなぁ? 俺たち一般人が知らないだけで昔から空を食ってた人もいたんだぜ。そりゃズルいだろ。


 佐治さんの秘密を知ったのはつい三か月前、高校に入学してすぐ。放課後、第三自習室に足を踏み入れたのがすべての始まりだ。第三自習室ってのは、うちの高校がまだ栄えてたころに作られた狭い教室のこと。少子化の波にのまれて遺跡と化した無駄スペースともいう。

 勘違いされちゃ困るんだけど、俺には自習をする趣味なんて一ミリもない。ただ、馬鹿でかいうちの校舎のどっかに穴場スポットはないかと探検をしていただけだ。

 で、あの日は綺麗な夕陽が第三自習室から漏れてるのを見かけたから、思わず部屋のドアを開けたってわけ。


 そしたら、まさに目の前でジャムが作られた瞬間で。


 自分でもどうして「空がジャムになった」なんて思ったのかわからない。けれど、見えたし、実際にだった。直感は不思議なもんだと。

 とにもかくにも、佐治さんは空をジャムに変えられる。で、彼女としてはその事実を隠しておきたいらしいんだけど……。それにしては不用心というほかない。いままでバレたことはないとはいうけれど、俺に見つかってるし。


 そんなことを、自習室の椅子に腰かけながらぼやくと、


「あー、そんなこともあったねえ」


 我慢できなかったんだよね、と佐治さんは笑った。秘密にしたいのにガマンできなかったというのは、なんとも難儀なことだ。


 俺たちがいるのは第三自習室。はじまりの教室だ。

 彼女は今日も窓辺で夕暮れに身をさらしている。夏服の袖から伸びる二の腕がまぶしい。愛嬌のある横顔は口元が緩んでいた。


「にしてもあれから色んな空食べたね」

「屋上で食べたとき、先生に見つかるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたな、アレ」

「うわ、懐かしー! あとあれ、高架下で作ったときヤバかったね」

「あー、ジャムはうまかったんだけどな。あの場所は排気ガスくさかった」

「ね。なんとなく作った場所で食べたかったけど、あんときばかりはね」


 佐治さんの秘密を知ってからというもの、俺たちは学校や帰り道で空を食べた。

 連絡先は交換していなかったから、佐治さんの気が向いた日だけ。そういう時はだいたい下駄箱に自転車の鍵が置かれていた。猫のキーホルダーがついた、佐治さんの自転車の鍵だ。俺も彼女もチャリ通学なので、学校の近くはたいていどこにでもいける。

 いつ予定が入るかわからないのは不便だったが、彼女にジャムを作ってもらう身なので、自分から言い出すことはしなかった。

 そして、今日。今日も下駄箱には鍵が置かれていた。


「ね、今日も見ててよ」


 佐治さんの声で、俺は現在に意識が引き戻される。彼女は得意げに、それでいてイタズラっぽく笑っていた。

 佐治さんは透明な小瓶を空にかざした。すっかりおなじみになったジャム用の広口なビンだ。

 その小瓶で水を汲むようにそら

 それは慈しむような手つきだった。夕焼けはゼリー状になり、ガラスの器に収まっていく。どこからどうやってビンに入っていくのか、佐治さんもよくわかってないらしい。でも、理屈なんかわからなくていいし、無くていい。

 そうして放課後の夕空はジャムになり、瓶のフチまでみっちりと詰められた。

 なんど見ても呆けてしまうくらい、綺麗な瞬間だった。


「ほい、シェフの気まぐれジャムー」


 コト、と小瓶が机に置かれる。シェフはジャム作らねえだろ、とは言わないでおく。これは彼女の口癖になりつつあった。

 佐治さんは俺と向かい合うように前の席に座った。彼女はカバンから取り出していたポーチを手に取る。そしてそこからジップロックを取り出す。さらにそこから小さな金属のスプーンを取り出す。

 いつも思うがマトリョーシカみてえだな。


「ん、スプーン」


 ありがとう、と受け取る。

 そして佐治さんが差し出してくれた小瓶からジャムを掬って、ひと舐め。


「お、前より甘いな」

「えっ、ホントに!? ちょっと貸して」


 返事を待たずして、佐治さんは俺からスプーンを奪い取った。

 そして俺が口をつけたスプーンでジャムをパクッと。

 おい、女子高生いいのかそんなんで。別に間接キスにびっくりしたわけじゃないけどそういう勘違いさせそうな行動が全国の男子高校生をどれだけ困らせているのか知らんのか。


「んー、ほんとだ! 甘い~」


 俺の視線には目もくれず、佐治さんはジャムを堪能していた。すげえ満面の笑みじゃん。クソ、かわいいなちくしょう。


「ほい、新しいの」


 そう言って佐治さんはポーチからスプーンを取り出して渡してきた。

 いや、二本目あるんかい。

 からかわれたのかうっかりなのか分からず、俺は釈然としないままジャムに手を付けた。

 しかし、うん、確かに。今回のジャムはいつもより甘かった。黄色と橙の混じったような夕焼けのジャムは、食べたことのない果物の味がする。食べたことがないのに果物っぽいなーと思うのが不思議なんだけど。トロピカルな感じもするし、柑橘シトラスっぽくもある。たまに練乳っぽいのが混じっているのはだと、佐治さんは言っていた。

 空模様で味が変わるなんて粋なジャムを味わってるもんだ。


「あ~、部活終わりに染みる甘さだ~」


 と、佐治さんは気の抜けた声を出す。彼女はテニス部だった。

 空を食べに出かけるのが佐治さんの一存で決まるのも、彼女の方が予定が詰まっているからだ。


「晴人って部活とかやってないっけ、無職?」

「部活は職業じゃないだろ」

「えー、毎日来いって言われるの仕事みたいじゃん」


 テニス好きだけど、部活は嫌いになってきたかもなーと佐治さんはこぼす。

 好きなことがあって、それに打ち込めるだけ、俺は羨ましいよ。

 そう言いかけたことを自覚し、ジャムと共に言葉を飲み込んだ。

 

「にしてもなー、晴人はるとはドン引きしなくてよかったよ。初対面で『そのジャム、食えんの?』って訊いてきたの、今でも笑っちゃうわ」

「いや、だって気になるじゃん。空の味だぜ?」

「そお? 空をジャムにして食べるとか気味悪くない?」


 むかし友だちにはそう言われたんだけどなー、と佐治さんは窓の外を眺める。

 横顔はどこか悲しげだった。

 俺は考えすぎなんじゃないかと思う。げんに俺だって。



「気味悪がってたらここに来たりしないだろ」

「……晴人ってけっこう恥ずいこというよね」

「あ!? 別に恥ずかしくはねえよ!」


 慌てふためく俺をみて、佐治さんはケラケラと笑った。


「なんか、晴人とジャム食べることになるとは思わなかった」

「俺も空が食べられるとは思わなかった」

「いや、そーじゃなくてさあ……なんてゆーか、グループ違うじゃん、あたしら」


 確かにそうだ。俺は地味な男子生徒だが、彼女はクラスでも目立つ女子生徒。髪の毛は明るいし、スタイルはいいし、ちょっと猫っぽい顔立ちは人懐っこい笑みがよく似合う。つまり可愛い。

 ぶっちゃけ一生話すことがない人種だっただろう。それが今ではこうして会っているのだから、なにが起こるかわからないもんだ。


 二人は沈黙したまま交互にビンをつつく。小さなスプーンで何回か口に運ぶだけでジャムは堪能し終わってしまった。それくらいにビンは小さい。


「うまかった。ごちそうさま」

「ん、お粗末さまでした」

「最近のジャム、甘くなってきたな」

「あ、思った? 緊張しなくなってきたからかなあ」


 佐治さんはドヤ顔で答えた。いつだったか、空を掬うときの気持ちでジャムの味が変わると言っていた記憶がある。


「暗い気持ちだと酸っぱくなったり渋くなったり、怒ってたりすると辛くなるらしいよ。らしい、なんだけどね。そういうときにジャム作ったことないから、わかんない」

「じゃあ甘いのは?」


 ひみつ、と佐治さんは笑った。


「ね、それよりさ聞いてよ。東の空がピンクっぽくなってきたんだよね。いつかは作りたいなって思ったよ、ピーチメルバのジャム」


 ピーチメルバジャム。それは、湿気を含んで桃色になった空を瓶に詰めることで作れるジャムらしい。甘みと酸味のバランスが難しく、ジャム作りに慣れていないと難しいのだと、何度も聞かされていた。どうも、彼女の母が旦那にはじめて振舞ったジャムなのだそうだ。

 彼女の思い入れが深いのも納得がいく。


「通学路の歩道橋から見ると綺麗だって言ってたやつか」

「そうそう。めーっちゃ人目につくから無理だと思うんだけどね」


 佐治さんは困ったように笑った。

 確かに、空をジャムにできることを秘密にしておきたい彼女からすると、学校近くの歩道橋という場所は目立ちすぎるだろう。


「そうだな、確かにあそこじゃ厳しそうだ」


 肯定すると、佐治さんに呆れた目つきで見られた。

 なんだその反応は……。

 佐治さんはやれやれといったジェスチャーをしながらため息をついた。


「は、まーいっか。晴人はそういうところあるよね」

「どういう意味だ、オイ」


 たまにこうしてからかわれるというか、おちょくられるというか……そんな態度をとられることがある。嘗められているんだろうか、とちょっと卑屈になるし、それを悟られたくなくて強がる自分が少しだけ嫌だった。


「今日はどうする? もう一杯、食べる?」

「それじゃあ、お願いしようかな」

「へへ、ありがと」


 佐治さんは嬉しそうに予備のビンを取り出すと、軽やかな足取りで窓辺へ向かう。

 秘密にしたいわりにちっとも臆する気配がないのが、いっそ清々しい。

 佐治さんは先ほどより暮れた夕空へビンを傾けた。再びゆっくりとした動作で空を汲みとっていく。夕焼けは静かに瓶を満たしていった。

 やがて、ジャムがビンの八分目ほどを満たそうかかというその瞬間。


 ──教室の入り口から、ガタッと音がした。

 

 俺と佐治さんは音のした方へ顔を向ける。教室のすべてが動きを止めた。

 すると、そこには。


「え、佐治、それ、なに? ていうか、どういう関係、え?」


 口ぶりから察するに、佐治さんの友人と思しき女子生徒がいた。俺にも理解ができた。彼女はきっと見てしまったのだ。

 目撃されたのは、友だちにも話していない彼女の秘密。

 空をジャムにできるという、彼女だけの秘密。

 思わず佐治さんの方を振り向く。

 

 空は静かにジャムへと変わり、小さな瓶は満たされてしまった。

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